土日の休み、俺は今までになくぐっすりと眠っていた。そして、先輩の作品を何度も思い出して過ごしていた。
そして、放課後の部活の時間になって、俺は文芸部の部室へと向かった。今日が初日、なんだか改めて緊張する。入学式の入場よりも緊張していて、そして、わくわくしているかもしれない。
扉をノックすると、「はい」という声の後、先輩が出て来る。柔らかな笑みの先輩がやってきた。

「お疲れ様。星原くん。それじゃあ入って、こっちに座ってもらっていいかな?」
「はい。失礼します」

先輩は4つの席の左手前側。この間、先輩と向かい合っていた席と同じ席に座っている。
先輩は俺の方に穏やかな視線を向けている。甘い感情と改めての緊張感が俺の身体に走っていた。

「いらっしゃい、星原くん」
「は、はい、失礼します」

柔らかく微笑む先輩に手招きされ、俺は部室へと入った。なんだか改めて緊張してしまう。

「ふふ、そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。もう、テストとかはしないから。それじゃあ、星原くん、ここに座ってもらっていい?」
「わ、わかりました!」

先輩に言われて、俺はこの間と同じ、入り口のすぐ端の席に座る。先輩と向かい合う体勢になる。部屋には二人きり。けれどももうすぐ他の人達も来るんだと思う。部活勧誘のパンフレットには先輩方の名前が書いてあったから。

「それじゃあ星原くん、これから、ミーティングを始めようと思うけれど、いいかな?」
「えっ、」

 先輩の言葉に俺は少し戸惑った声を上げてしまう。部活紹介のパンフレットには先輩の他にも部員がいたはず。それなのに、どうして俺しかいないんだろう。

「どうしたの?」
「あ、あの、他の先輩方は? あの、その、パンフレットには三年生の先輩が数名、いた、みたいな情報があったので……」

確かに「籍を置いているだけ」とは言っていた。でも、こういうミーティングの時もこないのだろうか。
先輩は俺の問いに少し表情を曇らせて、そして首を横に振った。

「いないよ」
「え……?」
「この間少し説明したことと重なってしまうかもしれないけれど、先輩たちは、籍を置いているだけで、来ることはないんだ」
「来ることはないって……?」
「幽霊部員、状態かな。全員が全員、やる気がなくってね。この学校の文芸部は、僕が入部する前から、なんとなくユルい、みたいなイメージを持っている人がいてね、真面目に活動しなかったり、出ていく人が多かったんだ。それは、僕が入ってからもっとひどくなってね。それで、本田先生と相談して、この間星原くんに出したみたいなテストを入部希望者全員にしているんだ」

これだけモテる先輩がこの部活にいるという疑問はここで解消された。同時に、少しだけ申し訳なくなる。俺も、その、真面目にやらなかった人達と同じかもしれない、と思って。

「そ、そうなんですね。すみません、俺も、不埒な動機で……」

 俺が謝罪の言葉を口にすると、先輩は柔らかく笑ってくれた。

「星原くんは動機こそ不埒だったけれど、すごく頑張ってくれた。それに、君の作品はとても素敵だった。だから、これから、星原くんの成長を、楽しみにしてるよ」
「あ、ありがとうございます」
「二人きり、ということになるけれども、楽しもうか」
「は、はい」

先輩は言い終わると柔らかく俺に微笑みを向ける。そのまま、先輩はまるで授業をするようにホワイトボードの前に立った。背が高いこともあってなんだかサマになっている。
ローラー式のホワイトボードには「活動内容」と「これからのスケジュール」という文言が書かれていて、その下にやることがいろいろ書かれていた。先輩は「活動内容」を指さした。

「前の繰り返しになるけれどこの部活は、文章を書く部活。小説やエッセイ、詩や短歌……文章に関係ある創作をするんだ。5月と8月締め切りの大きなイベントがあるからこのイベントに向けて作品を作るというのが星原くんのやることになるかな」

 俺は頷いた。そして先輩の指先が「これからのスケジュール」の方に向かった。

・5月末締め切り 市の芸術文化祭に出す。
・8月末締め切り 校内の文化祭

「5月の芸術文化祭には10000文字以上の作品の提出をお願いしているよ。芸術文化祭、というのは市が主催するイベントでね。絵とか演劇とか作品を集めて展示するんだ。文章の作品は一つの冊子にまとめて、優秀な作品は一つずつコピーして展示されるんだよ」
「なるほど……」
「そして8月の文化祭では、30000文字以上の作品の提出をお願いしているんだ。こちらは学校の文化祭。部誌を本にして販売するんだ。もしも詩とか俳句・短歌とかで出したい時は相談してね」
「はい。わかりました」

 芸術文化祭も文化祭もどちらも楽しそうだ。文字数は多いけれども書けるだろうか。
そんなことを考えながらホワイトボードを見ている。一つ気になることがあった。8月以降、の予定が書かれていなかった。

「あの、先輩、8月以降は何をするんですか?」

 すると、先輩は少し考えたように、うーんと声を漏らした。

「……ああ、8月以降は、各自でトレーニング、みたいな感じだよ。適宜、短編を作ってもらったり、公募に出してもらったりする感じかな……。ほら、運動部のシーズンオフみたいにね」
「シーズンオフ、ですか」

なんだか誤魔化すように言う先輩。それでも、「運動部のシーズンオフ」という言葉がなんだかしっくり来た。
 そして先輩は、俺のそばに来て柔らかい笑顔を作りながら俺に目線を合わせる。俺の心臓が柔らかく鼓動する。

「それで、星原くん」
「は、はい」
「どういう作品を作りたい、とか、あるかな? 恋愛ものを書きたい、SFを書きたい、とか、こういうキャラのお話を作りたい、とか」

 先輩の瞳に少し戸惑った俺の姿が映っている。まだ、どういうのを書きたい、みたいなのははっきりとは分からない。けれども、一つだけ分かることがあった。

「俺、まだ方向性とか分からないんですけれど、先輩が、書いた、みたいな話を書きたいです。憧れ、なので。その、俺、あんまり、詳しくないんですけれど、先輩、みたいな、あんな、文章とか、話が、いいなって、思って、ます」

こんなに近くに先輩がいるから俺はさらに緊張してしまった。俺の答えに、先輩は少し驚いた様子を見せた。けれども、俺の方に近づいて、そして、頭の上に手を乗せて撫でた。ふわふわと、なんというか、子どもを撫でるみたいに。

「ありがとう」
「っ……!」

 瞬間、俺の身体がぶわりと熱くなったのが分かった。

「嬉しいな。僕の作品を読んで、そんな風に言ってくれるなんて。けれども、僕の真似をする時は、僕の真似をしつつ、星原くんの色を付けていくのが、いいと思うんだ」
「え?」
「僕の色が白黒の絵だとしたら、それに色を付けていったり、線を引き足していくように。星原くんの好きなものを足して、嫌いなものを引いて、そうやって、星原くんを見せて欲しい。素直で真っ直ぐな文章が、星原くんの魅力だから」
「は、はい。ありがとうございます!」

 そんな風に言ってくれるなんて嬉しくなる。俺が返事をすると、先輩は柔らかく笑みを浮かべた。優しい声色をしていた。

――
 次の日から、本格的な部活動が始まった。

「これから星原くんにこのプロット表を書いてもらいたいんだ」
「プロット表、ですか?」
「そう。このプロット表を埋めてもらって、4月末まで提出してもらいたいんだ。これから作る作品の元、になるものだね」
「わかりました」

登場人物やあらすじ、テーマ、とかが記載されたプロット表を手渡された。これを元にして、5月末に出す作品を作っていくことになる。俺はペンを持って書くことにした。

「…………」

けれども、それを目の前に、全く勉強していないテストを前にした顔、みたいになってしまった。

「うーん……」

何も、思いつかない。「先輩みたいな作品」を書きたい。はある。けれども、あんなに素晴らしい作品は作れそうにない。書きたいもの。何があるだろう。この間書いた作品は火事場の馬鹿力、みたいな感じだったのかもしれない。今、プロット表を眺めていても、面白いほどに何も出てこなかった。何を書けばいいんだろう。真っ白いプロット表を眺めながら俺は考える。

「大丈夫?」
「あんまり、大丈夫じゃないです。何も、思いつかなくて」
「うーん、突然に書くように言われてもなかなか難しいものがあるよね」
「そう、ですね」
「大丈夫だよ。星村くん、一日であの原稿を書ききれたんだから。きっと、すぐに書けるようになると思う」
「は、はい」

 先輩は穏やかに言ってくれた。ゆっくりと言っても、4月末。あまりうかうかもしてられない。何かを書いては消す、を繰り返している。先輩がさらさらとペンを動かす音と、俺の呻き声みたいな悩む声が響いていた。
日が過ぎていく。金曜日になってもプロットは全く進まなかった。なんか浮かんだ、と思ったら消して、の繰り返し何も書けない。この間のは本当に、火事場の馬鹿力だったのかもしれない。

「星原くん」
「は、はい」

 けれども、俺が悩んでいる空気を変えるようにして、先輩が穏やかな声で俺の名前を呼んだ。突然のことで少し驚いてしまった。

「突然だけど、今週の日曜日、空いてる?」
「はい、空いてます。どうしてでしょうか?」
「あのね、もしよかったら星原くんの歓迎会をしたいと思っているんだ」
「か、歓迎会、ですか!?」
「そう。歓迎会、と言っても、お菓子とお昼ご飯を買って外で食べる、っていう簡単なものだけどね。日曜日は確か天気予報もそこまで悪くない予報だったし、お花見も兼ねてどうかなって思ったんだ」
「は、はい! 是非……!」

 つまり、それは、先輩と二人きりで、一緒に出かける。ということ。休日に二人。まるで、デートみたいだ。というか、俺のこの気持ちに名前がついていないのに、どうしてこんなに動揺しているんだろうか。

「それに、いつもと違うことをすれば、何かが浮かんでくるかもしれない、と思ったんだ。僕しかいないけれど、是非、したいなって思ってね」
「は、はい、ありがとうございます!」
「そうだ、一応LIMEを交換しておこうか。明日、待ち合わせをすることになるだろうからね」
「LIMEも、ですか!?」

 つい素っ頓狂な声を上げて、頬が熱くなる。せ、先輩と、LIME交換!? 連絡先交換!? まさか、そんなことになるとは思わなかった。

「そう。部活に入ってくれたし、緊急の連絡を取る、ってこともあるかもしれないからね」
「そ、そうですね」

 俺は平静を装って答える。何動揺してるんだろう。緊急の連絡、という言葉で俺はひどく納得してしまった。そうだよね。部員なんだから。QRコードを表示して、俺は先輩とLIMEを交換する。
プロットは進まなかったけれど、歓迎会への期待は膨らんでいった。