大音量の目覚まし時計が鳴っている。聞こえてはいるんだけど、頭が上手く動き出さなくて音が「起きないと」という命令に繋がらない。なんとなく「鳴っているなー」という認識で止まってしまう。
 しばらくぼんやりと布団の中で目を瞑っていて、この部屋で迎えた最初の朝を思い出す。
 あの日は盛大に寝坊してしまい琉仁さんに起こされた。というか俺が起こしてしまったという方が正しいか。
 そして寝ぼけた頭で思い出す。そうだ、もう琉仁さんは朝いないんだ。
 どれだけ布団の中で待っていても迎えは来ない。約束したし、一人でちゃんと起きないと。
 あれから琉仁さんは学校に復帰した。バスケ部にも顔を出すようになって、朝練から参加している。琉仁さんは「朝起きれんの?」と心配していたけど、足を引っ張りたくなくて当然起きれると言ってしまった。だから、どんなに朝が辛くても起きなくちゃ。
 眠たい目を擦りながら携帯を確認する。現在時刻、八時十分。……八時十分!?
 やばいやばいやばい。あと二〇分で校門が閉まる!
 一瞬で全身に血が巡りはじめて、羽織っていた毛布を蹴り飛ばすように身体を起こす。急いで着替えを済ませ一階に降りると明子さんに呼び止められた。
「すみません、寝坊したんで今日朝食は――」
「ちょっと待って。琉仁から、もしあなたが寝坊したらこれをって」
 明子さんがお皿に載ったサンドイッチを差し出してくる。ブルーベリーのジャムとバターが挟んであるみたい。
「これを俺に?」
「ええ。寝坊したら朝食を抜くだろうから、これを持たせてって」
 どうやら琉仁さんは俺が寝坊するだろうと予測していたみたいだ。昨日夜更かししていたのがバレていた……。でも、食パン程度なら走りながら食べられそうだ。
「ありがとうございます。じゃあ、行ってきます!」
 玄関の前で鏡を確認し、身支度を確認。ちょっとした寝ぐせはあるが、あえて見逃しすぐさまダッシュ! 自信満々に琉仁さんを朝練に送り出しておいて遅刻なんかしたらあまりにも恰好悪い。何としてでも時間内に滑り込まなければ……!
「おや、そこの食パン咥えた青少年は伊織クンではないですかー。どしたん、そんなに急いで」
 道すがら三宅に出くわした。始業直前というのに何でこいつはやたらのほほんとしているんだ。
「お前……何……のんびり……してるんだよ……」
 さすがに肺が限界だったのでそこで休息をとる。こっちは死に物狂いだというのに三宅ときたら。
「あー、そういやこの時間って朝のホームルームか。行かな過ぎて忘れてたわ。ホームルームは単位出ないし」
「ああそうかよ。ていうか、じゃあ何してんだよお前。この時間に、こんなところで」
「俺か? これからパチ屋の開店前行列に並ぼうかなと」
「……ほんといつか退学になるぞ」
「違う違う。整理券を貰っておくと、それを買ってくれるおっちゃんがいるんだよ。ちょっとした小遣い稼ぎってことサ! 授業サボって打ってたりは、シナイヨ?」
 うっそくせぇ。ていうかそれでも学校に目を点けられたらただでは済むとは思えないけど……そのときはそのときで、きっとこいつらしいふてぶてしい言い訳を用意しているんだろう。
「まあいいや。……ちょっと休めたし、行くわ」
「あいよ。焦って事故るなよ? つーかお前、遅刻なんかそれほど気にするタイプじゃなかったろ? そんな必死に走るなんてどうしたんだ?」
 確かに、ちょっと前までの自分ならこんな日はどうせ遅刻ならと写真でも撮りながらマイペースに歩いていたと思う。けれど今は違うんだ。尊敬する先輩と並んで、恥ずかしくない自分でありたい。
「あんまりかっこ悪いことしてられなくなったんだよ! じゃあな!」
 全力で走ったおかげでなんとか校門の前までは来られたけど、あと少しの距離で朝の予鈴が鳴り始めた。このチャイムが鳴り止むタイミングで生活指導の先生が校門を閉じてしまう。以降はお𠮟りを受けながら別口から登校することになる。
 安全性の観点から、たとえギリギリで間に合っても先生の手が門に触れた段階で入れなくなる。間に合うか……?
「伊織くん、こっち!」
 声と共に手が伸ばされる。その手を無我夢中で掴むと、勢いよく校門の内側へ引っ張り込まれた。
 いつか、こんなことがあったなと思い出す。あの日水の中から引き揚げてくれたみたいに、今日も琉仁さんは俺を引っ張り上げてくれた。
 勢いあまってその場に二人で倒れ込む。なんとか身体をずらして下敷きにしてしまうのは避けたけど、先輩の身体に負担を駆けてはいないだろうか。
「ごめん琉仁さん! 大丈夫ですか。足痛かったりしませんか!?」
「大丈夫だよ。でも随分ギリギリじゃん。起きれるんじゃなかったっけ?」
 吉見さんが意地悪い笑みを浮かべて痛いところを突いてくる。
「その、やっぱり寝坊しまして……」
「だろうと思った。電話でねーんだもん」
 言われて携帯を確認すると、走っている間に何件か着信があった。それどころじゃなくて気が付かなかった……。
「けど俺のおかげでセーフだね。感謝してよー?」
「これってセーフって言うのかねぇ……ま、そういうことにしておこうかぁ……」
 生活指導の老教師がボソッと呟いて状況を思い出す。そうだ、こんなところで座り込んでいてはどっちみち遅刻してしまう。立ち上がって服についた埃を落とすと、今度は俺が琉仁さんに手を伸ばす。
「行こう、琉仁さん」
 この人に何かを貰うばかりじゃなくて、俺からも与えられるように。一緒に並んで歩けるように。
 辿ってきた道も向かう先もきっと違う俺たちだけど、だからこそ重なった今を大事にしたい。そうしていけばいつか、こんな浮足立った青春を二人で笑って振り返れるから。