8話
放課後、昇降口で一ノ瀬の姿を見つけた凛月は、立ち止まってそっとポケットからマスクを取り出して顔にかけた。それから、少し間を置いて近づく。
「……なにそれ、風邪?」
一ノ瀬が不思議そうに尋ねる。凛月は目を逸らしながら、軽く手を振った。
「ううん、ただの肌荒れ。あんまり見られたくなくて」
ごまかすような声に、一ノ瀬はほんの少し眉をひそめたが、それ以上は何も言わなかった。
二人はそのまま並んで歩き出し、なんとなく足が向くままに駅前のゲームセンターへと向かった。
地下へと続くエレベーターの中。密閉された狭い空間の中で、ふいに一ノ瀬が凛月の手をそっと握った。
驚きつつも、凛月はゆっくりと握り返す。
すると一ノ瀬は、指先を滑らせるように恋人繋ぎへと組み替えた。
ぴたりと触れ合う手のひら。節の細い指を、あたたかな指先がなぞっていく。
くすぐったいような、むず痒いような感覚に、凛月の胸が静かに高鳴った。
やがて、エレベーターが目的の階に到着し、扉が開く。
一ノ瀬は何も言わずに手を離し、前を向いたまま言葉を落とす。
「なんか、ゲーセンって久しぶりかも」
「俺はたまに来るよ。弟と一緒にね」
さっきまで握られていた手のぬくもりが、じんわりと手のひらに残っている。
凛月はその余韻を意識していないふりをして、会話をつなげた。
――俺ばっかり意識しているみたいで、なんかカッコ悪い。
慣れたように手を繋いでくる一ノ瀬に対する、ちょっとした反抗心みたいなものだった。
ふと、クレーンゲームの前で足を止めると、中のぬいぐるみが目に入った。
「取れそう?」
「んー……コツがいるんだよね、これ」
言いながら、凛月は小銭を投入し、レバーを操作する。真剣な目つきでアームの動きを見つめ、タイミングを見計らってボタンを押す。
「取れた!すげえ!」
一ノ瀬は目を丸くしながら大きな声をあげる。アームに吊るされた小さなぬいぐるみが、コロンと落ちる。
「どうだ」
凛月は得意げにぬいぐるみを掲げた。その姿を、一ノ瀬はどこか感心したような顔でじっと見つめる。
「凛月って、意外とこういうの得意なんだな。ちょっと驚いた」
「はい、これ。一ノ瀬にあげる」
凛月はそう言って、ぬいぐるみを差し出した。
キリッとした眉と少し気の強そうな表情をしたクマのぬいぐるみ。それがなんとなく、一ノ瀬に似ている気がしたのだ。
「……え、いいの?」
「うん。この間のリップのお礼……って言うには安すぎるけど」
一ノ瀬は小さく息を呑んで、ぬいぐるみを受け取った。
「……大事にする」
その言葉とともに、ぬいぐるみをそっと胸に抱きしめる。
「ちょっ、そこまで!? ごめん、なんか……今度ちゃんと、もっといいやつ渡すから!」
思わぬ反応に、凛月はあわてて両手を振った。
――こんなに喜ばれるなら、もっとちゃんとしたものを選べばよかったかも。
いつか、本当に大事なものを選んであげよう、凛月はそう心に誓った。
ゲームセンターを出て、駅前のにぎやかな通りを歩く。すれ違う人々の声やアナウンスが遠くでざわめくなか、2人はなんとなく並んで、駅ビルのフードコートへと足を運んだ。
「なに食べる?」
一ノ瀬がトレーを手にしながら振り返ると、凛月は少し考えてから口を開く。
「たこ焼き……かな。家じゃあんまり食べないから」
「じゃあ俺もそれにする。半分こしよ」
そう言って、一ノ瀬が笑う。
注文を終えて、トレーを持って並んで座る。ソースの香ばしい匂いが、空腹を刺激する。
「……そういえばさ」
箸を手に取りながら、一ノ瀬がふいに口を開いた。
「さっき、弟と一緒にゲームするって言ってたろ? 何歳?」
「小5。サッカーやってる。元気すぎて手に負えないときもあるけど」
「へえ……凛月が兄ちゃんか。あんまりイメージなかった」
「そう?」
「もっと一人っ子っぽいっていうか、ひとりで静かに本読んでそうな感じするし」
「……たしかに、そう言われたらあんまり人に家族のこと言ったことないかも」
凛月はぽつりと言ったあと、ふと目を伏せた。
「うち、父さんと母さん離婚してて。母さんと弟と暮らしてるんだ。弟のごはんは俺が作ってる。もう習慣になってるけど」
「そうなんだ……えらいな」
一ノ瀬のその言葉に、たこ焼きを食べる凛月の手が止まる。
「……ありがとう。誰かにそう言ってもらえるの、嬉しい」
思わず漏らしてしまった、家の事情。外で人に話したのは、これが初めてだった。
きっと一ノ瀬なら、ちゃんと受け止めてくれるとわかっていた。
――こうやって、自分はまた一ノ瀬の優しさに甘えている。
その事実に少しだけ胸が痛んで、話題を変えるように問いかけた。
「一ノ瀬は? 兄弟とかいるの?」
「俺、妹がいてさ。昔からメイクとかファッションとか、妹に付き合ってるうちに、気づいたら俺のほうがハマってて」
「へえ……! それで、あんなに上手なんだ」
凛月は目を丸くしながら、心から感心した声を漏らす。
一ノ瀬は照れたように笑いながら肩をすくめた。
「妹には、よく練習台になってもらった。アイライン失敗して泣かれたり、チーク塗りすぎてピエロになったり」
「わかる、それ。俺もやったことある。リップ塗りすぎて、バケモノみたいになったり」
ふたりは顔を見合わせ、思わず笑い合った。
やがて凛月はちらりと腕時計に目を落とす。
「……そろそろ、帰らなきゃ。弟、すぐ腹すかせて帰ってくるから」
「そっか。じゃあまた、明日」
一ノ瀬が笑顔で手を振る。凛月もマスクの下でほほ笑みながら、手を振り返す。
「うん。また明日」
その言葉を残して、凛月は帰路についた。
放課後、昇降口で一ノ瀬の姿を見つけた凛月は、立ち止まってそっとポケットからマスクを取り出して顔にかけた。それから、少し間を置いて近づく。
「……なにそれ、風邪?」
一ノ瀬が不思議そうに尋ねる。凛月は目を逸らしながら、軽く手を振った。
「ううん、ただの肌荒れ。あんまり見られたくなくて」
ごまかすような声に、一ノ瀬はほんの少し眉をひそめたが、それ以上は何も言わなかった。
二人はそのまま並んで歩き出し、なんとなく足が向くままに駅前のゲームセンターへと向かった。
地下へと続くエレベーターの中。密閉された狭い空間の中で、ふいに一ノ瀬が凛月の手をそっと握った。
驚きつつも、凛月はゆっくりと握り返す。
すると一ノ瀬は、指先を滑らせるように恋人繋ぎへと組み替えた。
ぴたりと触れ合う手のひら。節の細い指を、あたたかな指先がなぞっていく。
くすぐったいような、むず痒いような感覚に、凛月の胸が静かに高鳴った。
やがて、エレベーターが目的の階に到着し、扉が開く。
一ノ瀬は何も言わずに手を離し、前を向いたまま言葉を落とす。
「なんか、ゲーセンって久しぶりかも」
「俺はたまに来るよ。弟と一緒にね」
さっきまで握られていた手のぬくもりが、じんわりと手のひらに残っている。
凛月はその余韻を意識していないふりをして、会話をつなげた。
――俺ばっかり意識しているみたいで、なんかカッコ悪い。
慣れたように手を繋いでくる一ノ瀬に対する、ちょっとした反抗心みたいなものだった。
ふと、クレーンゲームの前で足を止めると、中のぬいぐるみが目に入った。
「取れそう?」
「んー……コツがいるんだよね、これ」
言いながら、凛月は小銭を投入し、レバーを操作する。真剣な目つきでアームの動きを見つめ、タイミングを見計らってボタンを押す。
「取れた!すげえ!」
一ノ瀬は目を丸くしながら大きな声をあげる。アームに吊るされた小さなぬいぐるみが、コロンと落ちる。
「どうだ」
凛月は得意げにぬいぐるみを掲げた。その姿を、一ノ瀬はどこか感心したような顔でじっと見つめる。
「凛月って、意外とこういうの得意なんだな。ちょっと驚いた」
「はい、これ。一ノ瀬にあげる」
凛月はそう言って、ぬいぐるみを差し出した。
キリッとした眉と少し気の強そうな表情をしたクマのぬいぐるみ。それがなんとなく、一ノ瀬に似ている気がしたのだ。
「……え、いいの?」
「うん。この間のリップのお礼……って言うには安すぎるけど」
一ノ瀬は小さく息を呑んで、ぬいぐるみを受け取った。
「……大事にする」
その言葉とともに、ぬいぐるみをそっと胸に抱きしめる。
「ちょっ、そこまで!? ごめん、なんか……今度ちゃんと、もっといいやつ渡すから!」
思わぬ反応に、凛月はあわてて両手を振った。
――こんなに喜ばれるなら、もっとちゃんとしたものを選べばよかったかも。
いつか、本当に大事なものを選んであげよう、凛月はそう心に誓った。
ゲームセンターを出て、駅前のにぎやかな通りを歩く。すれ違う人々の声やアナウンスが遠くでざわめくなか、2人はなんとなく並んで、駅ビルのフードコートへと足を運んだ。
「なに食べる?」
一ノ瀬がトレーを手にしながら振り返ると、凛月は少し考えてから口を開く。
「たこ焼き……かな。家じゃあんまり食べないから」
「じゃあ俺もそれにする。半分こしよ」
そう言って、一ノ瀬が笑う。
注文を終えて、トレーを持って並んで座る。ソースの香ばしい匂いが、空腹を刺激する。
「……そういえばさ」
箸を手に取りながら、一ノ瀬がふいに口を開いた。
「さっき、弟と一緒にゲームするって言ってたろ? 何歳?」
「小5。サッカーやってる。元気すぎて手に負えないときもあるけど」
「へえ……凛月が兄ちゃんか。あんまりイメージなかった」
「そう?」
「もっと一人っ子っぽいっていうか、ひとりで静かに本読んでそうな感じするし」
「……たしかに、そう言われたらあんまり人に家族のこと言ったことないかも」
凛月はぽつりと言ったあと、ふと目を伏せた。
「うち、父さんと母さん離婚してて。母さんと弟と暮らしてるんだ。弟のごはんは俺が作ってる。もう習慣になってるけど」
「そうなんだ……えらいな」
一ノ瀬のその言葉に、たこ焼きを食べる凛月の手が止まる。
「……ありがとう。誰かにそう言ってもらえるの、嬉しい」
思わず漏らしてしまった、家の事情。外で人に話したのは、これが初めてだった。
きっと一ノ瀬なら、ちゃんと受け止めてくれるとわかっていた。
――こうやって、自分はまた一ノ瀬の優しさに甘えている。
その事実に少しだけ胸が痛んで、話題を変えるように問いかけた。
「一ノ瀬は? 兄弟とかいるの?」
「俺、妹がいてさ。昔からメイクとかファッションとか、妹に付き合ってるうちに、気づいたら俺のほうがハマってて」
「へえ……! それで、あんなに上手なんだ」
凛月は目を丸くしながら、心から感心した声を漏らす。
一ノ瀬は照れたように笑いながら肩をすくめた。
「妹には、よく練習台になってもらった。アイライン失敗して泣かれたり、チーク塗りすぎてピエロになったり」
「わかる、それ。俺もやったことある。リップ塗りすぎて、バケモノみたいになったり」
ふたりは顔を見合わせ、思わず笑い合った。
やがて凛月はちらりと腕時計に目を落とす。
「……そろそろ、帰らなきゃ。弟、すぐ腹すかせて帰ってくるから」
「そっか。じゃあまた、明日」
一ノ瀬が笑顔で手を振る。凛月もマスクの下でほほ笑みながら、手を振り返す。
「うん。また明日」
その言葉を残して、凛月は帰路についた。
