20話
「入学式の日、正直、俺は全然気が乗ってなかったんだ。新しいクラスとか、友達とか、どうでもいいって思ってて。式が終わったら、すぐにでも帰ろうとしてた」
一ノ瀬は淡々とした声で語り始めた。
「で、校門に向かってたら、風に飛ばされて、俺の足元に一枚のプリントが舞い降りてきた」
それは、翌日から必要な持ち物がびっしり書かれた、大事な配布物だった。何気なく拾い上げたその紙の右下に、手書きで名前が書かれていた。
『1A 佐野凛月』
綺麗な響きの名前だな、一ノ瀬はそう思った。
そのとき、正面から誰かが駆けてくる気配がした。
「す、すみません!」
風に吹かれた制服を直しながら、息を切らして駆け寄ってきたのは、一人の男子だった。頭をぺこりと下げた姿に、どこか幼さが残っていた。
無言のままプリントを差し出すと、相手は息を整えて顔を上げた。
「ありがとうございます」
その瞬間、一ノ瀬は目を見開いた。
……成海?
思わず、心の中で名前を呼んでいた。
目の前の少年が、忘れられないあの人にあまりにもよく似ていたからだった。
○
成海亮太は、よく笑うし、よく食べる男だった。
「昨日さ、賞味期限切れのキムチ食ったら腹痛くてさ! でもうまかった!」
腹を抱えて笑う姿は、見ているこっちまでつられてしまうほど朗らかだった。
けれどその人懐っこい笑顔とは裏腹に、成海の顔立ちはどこか中性的だった。
くっきりとした目元に、すっと通った鼻筋。笑っていないときの横顔は、ふとした瞬間に女の子と見間違えるほど繊細だった。
「お前、黙ってれば可愛いのにな」
そう言ったことが何度あったか、一ノ瀬はもう覚えていない。
一ノ瀬と成海、それから東雲は同じ中学の同級生だった。
3年生の頃、3人で同じクラスになり仲良くなった。
特に東雲はコスメが好きで昼休みはよく話をした。
「このアイシャドウさ、限定カラーでさ。青みが強いから肌の色選ぶけど、似合えばめっちゃ垢抜けるって」
東雲が雑誌のページをめくりながら、一ノ瀬に見せる。
「へえ、夜でも綺麗に見えそう」
小学生の頃からコスメに興味があった一ノ瀬だが、なかなか誰かと話す機会はなかった。
中学3年生に上がり、東雲がこうして話してくれるのが嬉しかった。
「……お前ら、ほんとに女子みたいだな」
不意に聞こえた成海の声に、二人が顔を上げる。
成海は机に肘をついて、ケラケラと笑っていた。
「ごめんね、成海。興味ないよね、こういうの」
東雲が苦笑しながら言う。成海は「マジでぜんっぜんわからん」と首をかしげた。
一ノ瀬と東雲は思わず吹き出す。
成海は本当に、そういうことにまったく興味がなかった。
けれど、そんな成海の横顔を見て、一ノ瀬の胸の奥はふと痛んだ。
いつか、成海にメイクしてみたいな――。
そんなことを思ってしまった自分に、ひっそりと戸惑ったりもした。
今思えば、特別な感情を抱いていたのかもしれない。
成海が亡くなったのは、その年の冬だった。
インフルエンザが流行り始めた頃、突然学校を休み、数日後には入院したらしいと噂が広がった。
最初はみんな、すぐに戻ってくると思っていた。一ノ瀬もそうだった。
メッセージを送っても既読はつかず、東雲と二人で「ゲームのやりすぎでスマホ取り上げられたんじゃない?」なんて笑い合った。
でも、それきりだった。
年が明ける前、担任の先生から伝えられた事実に、教室は凍りついた。
病名は、急性白血病。発見されたときにはすでに進行していて、あっという間だったという。
「嘘だろ……」
初めて聞いたとき、一ノ瀬はそう呟くことしかできなかった。
最後に会ったとき、成海はいつもと変わらず笑っていた。
何も知らずに、自分たちは笑っていたのだ。
東雲は泣かなかった。
あの冬を境に、3人の関係は静かに終わった。
それからずっと、一ノ瀬の中には空白が残ったままだった。
それから月日が流れ、高校の入学式の日。
桜の下で、自分のプリントを拾ってくれた少年が顔を上げたとき、一ノ瀬は凍りついた。
……成海?
似ていたのだ。声の高さも、眉の形も、目元の線も。
急に去った親友が戻ってきたような気がして、一ノ瀬はその日から、凛月の姿を見かけるたびに目で追った。
しかし、目で追えば追うほど、凛月は、成海とはまるで違った。
成海は言いたいことは何でもはっきり言うやつだった。
思ったことはすぐ口にするし、わからないことは「わからん!」と笑い飛ばすようなやつだった。
けれど、凛月はちがう。
誰かに話しかけられても、言葉を途中で飲み込むようにして、曖昧な笑みを浮かべることが多かった。
譲ってばかりで、自分の希望は言わない。
はっきりと嫌だと言えずに、無理をしているのが見て取れる。
――なんなんだよ、それ。
同じ顔をしてるのに、なんでそんなにもたもたしてるんだ。
気がつけば、一ノ瀬はその態度に苛立っていた。
別人だってわかってる。なのに、似てるから余計に目につく。
そうやって比較する自分にまた嫌悪する。
そんな日々を過ごしていた。
「入学式の日、正直、俺は全然気が乗ってなかったんだ。新しいクラスとか、友達とか、どうでもいいって思ってて。式が終わったら、すぐにでも帰ろうとしてた」
一ノ瀬は淡々とした声で語り始めた。
「で、校門に向かってたら、風に飛ばされて、俺の足元に一枚のプリントが舞い降りてきた」
それは、翌日から必要な持ち物がびっしり書かれた、大事な配布物だった。何気なく拾い上げたその紙の右下に、手書きで名前が書かれていた。
『1A 佐野凛月』
綺麗な響きの名前だな、一ノ瀬はそう思った。
そのとき、正面から誰かが駆けてくる気配がした。
「す、すみません!」
風に吹かれた制服を直しながら、息を切らして駆け寄ってきたのは、一人の男子だった。頭をぺこりと下げた姿に、どこか幼さが残っていた。
無言のままプリントを差し出すと、相手は息を整えて顔を上げた。
「ありがとうございます」
その瞬間、一ノ瀬は目を見開いた。
……成海?
思わず、心の中で名前を呼んでいた。
目の前の少年が、忘れられないあの人にあまりにもよく似ていたからだった。
○
成海亮太は、よく笑うし、よく食べる男だった。
「昨日さ、賞味期限切れのキムチ食ったら腹痛くてさ! でもうまかった!」
腹を抱えて笑う姿は、見ているこっちまでつられてしまうほど朗らかだった。
けれどその人懐っこい笑顔とは裏腹に、成海の顔立ちはどこか中性的だった。
くっきりとした目元に、すっと通った鼻筋。笑っていないときの横顔は、ふとした瞬間に女の子と見間違えるほど繊細だった。
「お前、黙ってれば可愛いのにな」
そう言ったことが何度あったか、一ノ瀬はもう覚えていない。
一ノ瀬と成海、それから東雲は同じ中学の同級生だった。
3年生の頃、3人で同じクラスになり仲良くなった。
特に東雲はコスメが好きで昼休みはよく話をした。
「このアイシャドウさ、限定カラーでさ。青みが強いから肌の色選ぶけど、似合えばめっちゃ垢抜けるって」
東雲が雑誌のページをめくりながら、一ノ瀬に見せる。
「へえ、夜でも綺麗に見えそう」
小学生の頃からコスメに興味があった一ノ瀬だが、なかなか誰かと話す機会はなかった。
中学3年生に上がり、東雲がこうして話してくれるのが嬉しかった。
「……お前ら、ほんとに女子みたいだな」
不意に聞こえた成海の声に、二人が顔を上げる。
成海は机に肘をついて、ケラケラと笑っていた。
「ごめんね、成海。興味ないよね、こういうの」
東雲が苦笑しながら言う。成海は「マジでぜんっぜんわからん」と首をかしげた。
一ノ瀬と東雲は思わず吹き出す。
成海は本当に、そういうことにまったく興味がなかった。
けれど、そんな成海の横顔を見て、一ノ瀬の胸の奥はふと痛んだ。
いつか、成海にメイクしてみたいな――。
そんなことを思ってしまった自分に、ひっそりと戸惑ったりもした。
今思えば、特別な感情を抱いていたのかもしれない。
成海が亡くなったのは、その年の冬だった。
インフルエンザが流行り始めた頃、突然学校を休み、数日後には入院したらしいと噂が広がった。
最初はみんな、すぐに戻ってくると思っていた。一ノ瀬もそうだった。
メッセージを送っても既読はつかず、東雲と二人で「ゲームのやりすぎでスマホ取り上げられたんじゃない?」なんて笑い合った。
でも、それきりだった。
年が明ける前、担任の先生から伝えられた事実に、教室は凍りついた。
病名は、急性白血病。発見されたときにはすでに進行していて、あっという間だったという。
「嘘だろ……」
初めて聞いたとき、一ノ瀬はそう呟くことしかできなかった。
最後に会ったとき、成海はいつもと変わらず笑っていた。
何も知らずに、自分たちは笑っていたのだ。
東雲は泣かなかった。
あの冬を境に、3人の関係は静かに終わった。
それからずっと、一ノ瀬の中には空白が残ったままだった。
それから月日が流れ、高校の入学式の日。
桜の下で、自分のプリントを拾ってくれた少年が顔を上げたとき、一ノ瀬は凍りついた。
……成海?
似ていたのだ。声の高さも、眉の形も、目元の線も。
急に去った親友が戻ってきたような気がして、一ノ瀬はその日から、凛月の姿を見かけるたびに目で追った。
しかし、目で追えば追うほど、凛月は、成海とはまるで違った。
成海は言いたいことは何でもはっきり言うやつだった。
思ったことはすぐ口にするし、わからないことは「わからん!」と笑い飛ばすようなやつだった。
けれど、凛月はちがう。
誰かに話しかけられても、言葉を途中で飲み込むようにして、曖昧な笑みを浮かべることが多かった。
譲ってばかりで、自分の希望は言わない。
はっきりと嫌だと言えずに、無理をしているのが見て取れる。
――なんなんだよ、それ。
同じ顔をしてるのに、なんでそんなにもたもたしてるんだ。
気がつけば、一ノ瀬はその態度に苛立っていた。
別人だってわかってる。なのに、似てるから余計に目につく。
そうやって比較する自分にまた嫌悪する。
そんな日々を過ごしていた。
