彩る君に恋をする

17話

 文化祭初日の喧騒は、あっという間に過ぎていった。
 クラスの喫茶店は予想以上の盛況ぶりで、凛月はずっと接客に追われていた。
 気づけば日はすっかり傾き、辺りは夕焼けに染まり始めていた。

 あのあと、一ノ瀬とゆっくり話す時間は取れなかった。
 帰り際に他のクラスメイトと一緒に「じゃあ、また明日」と軽く声をかけ合った程度だ。
 ほんの一瞬、目が合った気がしたけれど、それ以上の言葉は交わせなかった。

 凛月は着替えを済ませ、片付けを手早く終えると、肩の力を抜くように長く息を吐いた。
 そして、ゆっくりと校門を出て、茜色に染まる帰り道をまっすぐ家へと歩き出した。

 自宅に着くと、制服を脱いでエプロンをつけ、手慣れた様子で夕飯の準備に取りかかる。
 コンロでカレーを温めていると、玄関のドアが開く音がした。

「ただいま」

 母だった。時計を見ると、いつもより少し早い。

「おかえり。今日、早かったね」
「久しぶりに定時で上がれたの。文化祭、どうだった?」
「まあまあ……普通」

 返事を濁しながら、凛月は食卓に皿を並べる。ほどなくして千秋も部屋から出てきて、三人での夕食が始まった。こうして顔を揃えるのは、ずいぶん久しぶりのことだった。

 食卓には穏やかな空気が流れていた。当たり障りのない会話、相槌。だが母は、どこか言葉を飲み込んでいるような表情で、何度も口を開きかけては閉じていた。
 それに気づいていても、凛月は何も言わなかった。素知らぬ顔で箸を動かし続ける。

 食後、食器を下げようと立ち上がったタイミングで、母がぽつりと声を漏らした。

「……これからは、三人で、頑張っていけたらって思ってるの」

 凛月は思わず手を止め、母の顔を見た。
 母は柔らかい顔で微笑みながらも、少しだけ目を伏せた。

「もう、あんたは子どもじゃないって気づいたの。私の言うことをそのまま聞く年じゃないし、思った通りにならないのも当然よね」

 それは、初めて聞くような言葉だった。
 凛月は、すぐに返す言葉が見つからなかったが、やがてぽつりと口を開いた。

「……わかった」

 そして、少し迷ってから、続けた。

「高校を出たら一人暮らししたいと思ってる。まだすぐじゃないけど……成人したら、家を出てみたいんだ。それが今思ってること」

 母の表情が少しだけ動いた。その視線から目を逸らしながら、凛月はさらに言う。

「そのとき、千秋も一緒に連れて行くかもしれない。わかんないけど」

 突然話を振られた千秋は驚いたように凛月を見上げる。一方、母は寂しそうに笑っていた。

「……そう、好きにしなさい」

 それだけを言って、コップに残ったお茶に静かに口をつけた。
 凛月の出した答えは母親と距離を置くことだった。

 ――根本的な解決にはならないかもだけど。

 いつか、母のことを理解したいと、理解できると思える日が来るだろうか。
 凛月は静かにかぶりを振る。
 いいや、どんな結末であれ、受け入れて生きていこう。
 そうやって前に進んでいくしか、ないのだ。