12話
ファミレスのガラス扉を押し開けると、甘いシロップと揚げ物の匂いが混ざった空気が鼻先をくすぐる。夕食どきには若干早いせいか、店内は思ったより静かだった。
案内を告げる店員の声を背中に受けながら、凛月はそっと店内を見渡す。そして、窓際のボックス席で手を挙げる人物に気づいた。
背の高い細身の青年。ゆるくウェーブがかった髪を無造作に流し、ベージュトーンのジャケットを羽織っている。どこか美容関係者のような雰囲気が漂っていた。
その姿に思わず呼吸が止まる。あの人が、スキマさん?
凛月の戸惑いをよそに、青年はにこりと笑みを浮かべ、席を立って軽く会釈をした。
凛月は店員に断ってから、席に近づいた。
「初めまして。スキマです」
落ち着いたアルトの声に、凛月は思わず瞬きを繰り返した。
「え、あの……スキマさんって、てっきり」
「女の子か、それか君の彼氏さんかと思った?」
くすっと目尻を下げて、湊と名乗るその青年はテーブルを示す。
どうやら考えていたことはお見通しだったらしい。
「立ち話もあれだから。ドリンクバー、二つ頼んであるよ」
勧められるままに向かい合って腰を下ろすと、湊はストローを指先でくるくると回しながら言った。
「僕の名前は湊。都内の美容専門学校の二年生だよ」
「……凛月です」
湊はにこっと笑って、凛月の胸元に視線を落とす。
「その校章、青南高校でしょ? 制服で来ちゃうのはちょっと不用心。ネットで知り合った人と会うときは、気をつけなきゃ」
きちんと注意しながらも、湊の口調は終始柔らかい。
「あとね、前に投稿してた駅前の写真。背景に商店街の看板が写ってたでしょ? 僕の通学路と同じだったから、あ、近所かもって」
「……そんなところまで見てたんですか」
だから、待ち合わせにこのファミレスを選んだのかと、凛月は思わず苦笑する。
「写真って、意外といろんな情報が出ちゃうんだよ。だから背景には気をつけてね」
いたずらっぽく片目をつむる湊に、凛月は頬がほんのり熱くなるのを感じた。
こうやってちゃんと年上の人に怒られるのは初めての経験のように思った。なんだかむず痒い。
ストローに口をつけながら、湊は尋ねる。
「moonって呼ばれるのと、凛月って呼ばれるの、どっちがいい?」
「凛月で、お願いします」
アカウント名で呼ばれるのは、なんだか違う気がした。
「了解、凛月くん」
軽やかにそう呼び、湊はテーブルに肘をついて、じっとこちらを見つめる。
「それで……昨日に引き続き、恋の悩み?」
どう答えようか迷いながらも、凛月は今日あった出来事をかいつまんで話す。
自分に自信がないこと。
一ノ瀬に好かれるように自分を変えようと試みていること。
クラスメイトが一ノ瀬のことを褒めていたことにもやっとしたこと。
メイクをしてなくても自分のことが好きか、一ノ瀬に尋ねたこと。
……そして喧嘩してしまったこと。
さすがにキスされたことは話せなかったけど、大まかに全てを話す。
昨日話したことと重複することもあったろうに、湊は終始黙ってうなずきながら耳を傾けていた。
「彼氏くんに直接聞いたわけじゃないから確かなことは言えないけど……君、ちょっと彼のこと誤解してる気がするな」
不意に言われて、さっきのキスと口論がよみがえる。胸がちくりと痛んだ。
「凛月くんが思ってるよりずっと、彼は君のこと考えてると思う。だから、自分のことを下げすぎないで。好きになってくれた人に、失礼でしょ?」
その言葉は、昨晩 DM で見たものと同じだった。
違う声で聞くと、なぜだか心の奥に静かに沁みてくる。
「……ありがとう。湊さんって、優しいんですね」
「moonのファンだからね」
笑いながら、湊は肩をすくめる。
「僕もどっちかというと、顔色ばっかり気にしちゃうタイプ。気づけば人のことばっか見てる」
くすくすと笑い合って、ふと、凛月は疑問を抱く。
「……そういえば」
言いかけて口を閉じる。けれど、やはり聞かずにはいられなかった。
「一ノ瀬はどうして俺がmoonだって気づいたんでしょうか?」
思えば最初から不思議でならなかった。
コスメのレビューを探していたらmoonのアカウントに辿り着いた、それはわかる。
でもなぜ話したこともないクラスの男子とmoonが同一人物だと気づいたのか。
鞄のサイドポケットに入っていたリップだけでは、説得力に欠ける。
考えごとをする凛月の表情を確かめるように湊は目を細める。
「うーん……」
湊はグラスを傾け、少しだけ間を置いてから言った。
「それは、彼に直接聞いた方がいいんじゃないかな?」
そして、湊はそっと話題を変える。
「ところで、文化祭もうすぐなんだよね?」
「えっ、あ、はい」
「僕も、行ってみてもいいかな?」
予想外の申し出に戸惑いつつも、凛月はこくんと頷いた。
「……どうぞ」
「やった」
湊は嬉しそうに微笑む。
「凛月くんのメイク、楽しみにしてるから」
そう言って、席を立つ。その手には伝票が握られていた。
「ここは僕が出すよ」
「え、でも悪いですって」
「いいの。若い恋の話、元気もらえたからね」
ひらりと伝票を掲げて、湊は軽やかにレジへ向かう。
その後ろ姿を見送りながら、凛月は小さく息をついた。
店を出ると、空はすっかり夜の色に変わっていた。
湊の姿が角を曲がって見えなくなるのを見届けてから、凛月はふらりと、家とは逆方向に歩き出した。
気づけば、近くの小さな公園にたどり着いていた。
ベンチに腰を下ろすと、夜風が頬を撫でた。
見上げた空は真っ黒で、星は街の明かりに隠れて見えなかった。
「……夕飯作るの、またサボっちゃったな」
ぽつりと呟く。
母の「ちゃんとやりなさい」という声が脳裏をよぎる。
今日は仕事休みだったはずだ。帰ったらまた怒ってるだろうか。
でも、足は動かない。帰る気になれなかった。
今日はいろんなことがありすぎた。
一ノ瀬のことを考えると、胸の奥がざわついた。
恋というのは難しいのだな、と凛月は思った。
一ノ瀬の望む恋人になろうと思っていたのに、余裕でできると思っていたのに、失敗してばかりだ。
すると背後から足音がした。
凛月が顔を上げ振り向くと、少し離れた歩道からこちらに向かってくる人影があった。
ローファー、制服のズボン、見慣れた肩幅と背格好。
「……一ノ瀬」
その名を口にした瞬間、胸がヒリヒリと痛んだ。
一ノ瀬は数歩手前で立ち止まり、凛月の顔をじっと見た。
街灯の明かりに照らされる横顔は、どこか言葉を探しているように見えた。
「探した」
一ノ瀬の声は、思ったよりも静かだった。
凛月は何も言えずに、一ノ瀬を見つめ返した。
心の中で、いろんな言葉が渦を巻いている。でも、何を口にしていいのかわからなかった。
「……ごめん」
一ノ瀬が先に口を開いた。風が吹き、二人の間に沈黙が落ちる。
「……謝るの、やめて」
ぽつりと、凛月は返す。
「悪いのは、俺のほうだから……俺、自分に自信がないんだ」
拳を膝の上で強く握る。吐き出すように、心の底から掘り出すように言葉を続ける。
「付き合ったとき、俺は女の子の格好してた。それを可愛いって言ってくれたのは、すごく嬉しかった。でも、同時に怖くなったんだ。だって、それって嘘の俺だから」
一ノ瀬は無言のまま、そっと隣に腰を下ろす。凛月は続けた。
「メイクしてない時の俺は、言いたいことも言えなくて、周りに流されてばかりで……本当の俺には、なんにも魅力なんてない。そんな自分が、誰かに好かれるなんて、信じられないんだ」
夜風が二人の間を通り抜ける。
しばらくの静寂の後、一ノ瀬が口を開いた。
「……確かに最初は、メイクしてる凛月に惹かれたよ。可愛いって、本気で思った。でも、それだけじゃなかった」
凛月が顔を上げると、一ノ瀬はまっすぐに目を合わせていた。
ああ、そうだ、最初からこの目に惹かれていたんだった。凛月は初めて目を合わせた日のことを思い出していた。
嘘をつかない、思ったことをはっきり言う、その目。
「……優しいとこも、不器用なとこも、全部含めて、凛月のことが好きだ」
凛月は喉の奥が熱くなったのを感じた。言葉にできない感情がこみ上げて、目の奥がツンとする。
「今日だって、自分の意見言ってみようって頑張ってたの知ってる。断れないのを克服しようとしてたのも知ってる。そういうところも好きだと思ってる」
「それは……一ノ瀬に好きになってもらえるようにって……努力したかったから」
言ってしまってから、ハッとして言葉を飲み込む。
それはまるで、一ノ瀬のことが好きだと言っているようで。
視線を向けると、一ノ瀬は顔を真っ赤にして、目を逸らしていた。
手で口元を隠すようにしながら、かすかに笑っている。
「……何それ。超可愛いんだけど」
凛月のもまた自分の顔が熱くなるのを感じていた。
「凛月、キスしていい?」
「……うん」
一ノ瀬はそっと凛月の頬に触れた。
そして、ためらいがちに唇を寄せてくる。
唇が触れる、その一瞬前。凛月はそっと目を閉じた。
柔らかなキスだった。
昼間、勢いで交わしたものとは違う。触れて、確かめて、静かに想いを重ねるようなキス。
二人はどちらからともなく少し顔を離して、静かに見つめ合った。
「一ノ瀬、好きだよ」
凛月が小さい声で呟く。
一ノ瀬はわずかに目を見開き、息を呑む。
「……もう一回言って」
かすれた声だった。
「やだよ、恥ずかしい……」
視線を逸らす凛月の手を、一ノ瀬がふいに引く。
「わっ……!」
バランスを崩した凛月の体が、すっと一ノ瀬の腕の中に収まる。
「聞き逃したくないから。ちゃんと、聞かせて」
その言葉に、凛月は肩を小さくすくめ、照れたように息を吐く。
「……好きだよ」
一ノ瀬は凛月の手をぎゅっと握ったまま、静かに顔を寄せる。
そして、そっと、優しく唇を重ねる。
「凛月、好き」
囁くような声は、凛月の胸の奥に染み込んでいった。
ファミレスのガラス扉を押し開けると、甘いシロップと揚げ物の匂いが混ざった空気が鼻先をくすぐる。夕食どきには若干早いせいか、店内は思ったより静かだった。
案内を告げる店員の声を背中に受けながら、凛月はそっと店内を見渡す。そして、窓際のボックス席で手を挙げる人物に気づいた。
背の高い細身の青年。ゆるくウェーブがかった髪を無造作に流し、ベージュトーンのジャケットを羽織っている。どこか美容関係者のような雰囲気が漂っていた。
その姿に思わず呼吸が止まる。あの人が、スキマさん?
凛月の戸惑いをよそに、青年はにこりと笑みを浮かべ、席を立って軽く会釈をした。
凛月は店員に断ってから、席に近づいた。
「初めまして。スキマです」
落ち着いたアルトの声に、凛月は思わず瞬きを繰り返した。
「え、あの……スキマさんって、てっきり」
「女の子か、それか君の彼氏さんかと思った?」
くすっと目尻を下げて、湊と名乗るその青年はテーブルを示す。
どうやら考えていたことはお見通しだったらしい。
「立ち話もあれだから。ドリンクバー、二つ頼んであるよ」
勧められるままに向かい合って腰を下ろすと、湊はストローを指先でくるくると回しながら言った。
「僕の名前は湊。都内の美容専門学校の二年生だよ」
「……凛月です」
湊はにこっと笑って、凛月の胸元に視線を落とす。
「その校章、青南高校でしょ? 制服で来ちゃうのはちょっと不用心。ネットで知り合った人と会うときは、気をつけなきゃ」
きちんと注意しながらも、湊の口調は終始柔らかい。
「あとね、前に投稿してた駅前の写真。背景に商店街の看板が写ってたでしょ? 僕の通学路と同じだったから、あ、近所かもって」
「……そんなところまで見てたんですか」
だから、待ち合わせにこのファミレスを選んだのかと、凛月は思わず苦笑する。
「写真って、意外といろんな情報が出ちゃうんだよ。だから背景には気をつけてね」
いたずらっぽく片目をつむる湊に、凛月は頬がほんのり熱くなるのを感じた。
こうやってちゃんと年上の人に怒られるのは初めての経験のように思った。なんだかむず痒い。
ストローに口をつけながら、湊は尋ねる。
「moonって呼ばれるのと、凛月って呼ばれるの、どっちがいい?」
「凛月で、お願いします」
アカウント名で呼ばれるのは、なんだか違う気がした。
「了解、凛月くん」
軽やかにそう呼び、湊はテーブルに肘をついて、じっとこちらを見つめる。
「それで……昨日に引き続き、恋の悩み?」
どう答えようか迷いながらも、凛月は今日あった出来事をかいつまんで話す。
自分に自信がないこと。
一ノ瀬に好かれるように自分を変えようと試みていること。
クラスメイトが一ノ瀬のことを褒めていたことにもやっとしたこと。
メイクをしてなくても自分のことが好きか、一ノ瀬に尋ねたこと。
……そして喧嘩してしまったこと。
さすがにキスされたことは話せなかったけど、大まかに全てを話す。
昨日話したことと重複することもあったろうに、湊は終始黙ってうなずきながら耳を傾けていた。
「彼氏くんに直接聞いたわけじゃないから確かなことは言えないけど……君、ちょっと彼のこと誤解してる気がするな」
不意に言われて、さっきのキスと口論がよみがえる。胸がちくりと痛んだ。
「凛月くんが思ってるよりずっと、彼は君のこと考えてると思う。だから、自分のことを下げすぎないで。好きになってくれた人に、失礼でしょ?」
その言葉は、昨晩 DM で見たものと同じだった。
違う声で聞くと、なぜだか心の奥に静かに沁みてくる。
「……ありがとう。湊さんって、優しいんですね」
「moonのファンだからね」
笑いながら、湊は肩をすくめる。
「僕もどっちかというと、顔色ばっかり気にしちゃうタイプ。気づけば人のことばっか見てる」
くすくすと笑い合って、ふと、凛月は疑問を抱く。
「……そういえば」
言いかけて口を閉じる。けれど、やはり聞かずにはいられなかった。
「一ノ瀬はどうして俺がmoonだって気づいたんでしょうか?」
思えば最初から不思議でならなかった。
コスメのレビューを探していたらmoonのアカウントに辿り着いた、それはわかる。
でもなぜ話したこともないクラスの男子とmoonが同一人物だと気づいたのか。
鞄のサイドポケットに入っていたリップだけでは、説得力に欠ける。
考えごとをする凛月の表情を確かめるように湊は目を細める。
「うーん……」
湊はグラスを傾け、少しだけ間を置いてから言った。
「それは、彼に直接聞いた方がいいんじゃないかな?」
そして、湊はそっと話題を変える。
「ところで、文化祭もうすぐなんだよね?」
「えっ、あ、はい」
「僕も、行ってみてもいいかな?」
予想外の申し出に戸惑いつつも、凛月はこくんと頷いた。
「……どうぞ」
「やった」
湊は嬉しそうに微笑む。
「凛月くんのメイク、楽しみにしてるから」
そう言って、席を立つ。その手には伝票が握られていた。
「ここは僕が出すよ」
「え、でも悪いですって」
「いいの。若い恋の話、元気もらえたからね」
ひらりと伝票を掲げて、湊は軽やかにレジへ向かう。
その後ろ姿を見送りながら、凛月は小さく息をついた。
店を出ると、空はすっかり夜の色に変わっていた。
湊の姿が角を曲がって見えなくなるのを見届けてから、凛月はふらりと、家とは逆方向に歩き出した。
気づけば、近くの小さな公園にたどり着いていた。
ベンチに腰を下ろすと、夜風が頬を撫でた。
見上げた空は真っ黒で、星は街の明かりに隠れて見えなかった。
「……夕飯作るの、またサボっちゃったな」
ぽつりと呟く。
母の「ちゃんとやりなさい」という声が脳裏をよぎる。
今日は仕事休みだったはずだ。帰ったらまた怒ってるだろうか。
でも、足は動かない。帰る気になれなかった。
今日はいろんなことがありすぎた。
一ノ瀬のことを考えると、胸の奥がざわついた。
恋というのは難しいのだな、と凛月は思った。
一ノ瀬の望む恋人になろうと思っていたのに、余裕でできると思っていたのに、失敗してばかりだ。
すると背後から足音がした。
凛月が顔を上げ振り向くと、少し離れた歩道からこちらに向かってくる人影があった。
ローファー、制服のズボン、見慣れた肩幅と背格好。
「……一ノ瀬」
その名を口にした瞬間、胸がヒリヒリと痛んだ。
一ノ瀬は数歩手前で立ち止まり、凛月の顔をじっと見た。
街灯の明かりに照らされる横顔は、どこか言葉を探しているように見えた。
「探した」
一ノ瀬の声は、思ったよりも静かだった。
凛月は何も言えずに、一ノ瀬を見つめ返した。
心の中で、いろんな言葉が渦を巻いている。でも、何を口にしていいのかわからなかった。
「……ごめん」
一ノ瀬が先に口を開いた。風が吹き、二人の間に沈黙が落ちる。
「……謝るの、やめて」
ぽつりと、凛月は返す。
「悪いのは、俺のほうだから……俺、自分に自信がないんだ」
拳を膝の上で強く握る。吐き出すように、心の底から掘り出すように言葉を続ける。
「付き合ったとき、俺は女の子の格好してた。それを可愛いって言ってくれたのは、すごく嬉しかった。でも、同時に怖くなったんだ。だって、それって嘘の俺だから」
一ノ瀬は無言のまま、そっと隣に腰を下ろす。凛月は続けた。
「メイクしてない時の俺は、言いたいことも言えなくて、周りに流されてばかりで……本当の俺には、なんにも魅力なんてない。そんな自分が、誰かに好かれるなんて、信じられないんだ」
夜風が二人の間を通り抜ける。
しばらくの静寂の後、一ノ瀬が口を開いた。
「……確かに最初は、メイクしてる凛月に惹かれたよ。可愛いって、本気で思った。でも、それだけじゃなかった」
凛月が顔を上げると、一ノ瀬はまっすぐに目を合わせていた。
ああ、そうだ、最初からこの目に惹かれていたんだった。凛月は初めて目を合わせた日のことを思い出していた。
嘘をつかない、思ったことをはっきり言う、その目。
「……優しいとこも、不器用なとこも、全部含めて、凛月のことが好きだ」
凛月は喉の奥が熱くなったのを感じた。言葉にできない感情がこみ上げて、目の奥がツンとする。
「今日だって、自分の意見言ってみようって頑張ってたの知ってる。断れないのを克服しようとしてたのも知ってる。そういうところも好きだと思ってる」
「それは……一ノ瀬に好きになってもらえるようにって……努力したかったから」
言ってしまってから、ハッとして言葉を飲み込む。
それはまるで、一ノ瀬のことが好きだと言っているようで。
視線を向けると、一ノ瀬は顔を真っ赤にして、目を逸らしていた。
手で口元を隠すようにしながら、かすかに笑っている。
「……何それ。超可愛いんだけど」
凛月のもまた自分の顔が熱くなるのを感じていた。
「凛月、キスしていい?」
「……うん」
一ノ瀬はそっと凛月の頬に触れた。
そして、ためらいがちに唇を寄せてくる。
唇が触れる、その一瞬前。凛月はそっと目を閉じた。
柔らかなキスだった。
昼間、勢いで交わしたものとは違う。触れて、確かめて、静かに想いを重ねるようなキス。
二人はどちらからともなく少し顔を離して、静かに見つめ合った。
「一ノ瀬、好きだよ」
凛月が小さい声で呟く。
一ノ瀬はわずかに目を見開き、息を呑む。
「……もう一回言って」
かすれた声だった。
「やだよ、恥ずかしい……」
視線を逸らす凛月の手を、一ノ瀬がふいに引く。
「わっ……!」
バランスを崩した凛月の体が、すっと一ノ瀬の腕の中に収まる。
「聞き逃したくないから。ちゃんと、聞かせて」
その言葉に、凛月は肩を小さくすくめ、照れたように息を吐く。
「……好きだよ」
一ノ瀬は凛月の手をぎゅっと握ったまま、静かに顔を寄せる。
そして、そっと、優しく唇を重ねる。
「凛月、好き」
囁くような声は、凛月の胸の奥に染み込んでいった。
