彩る君に恋をする

11話

 放課後、指定していた空き教室には、凛月が先に到着していた。

 窓の外からは夕陽が差し込んでいる。
 手鏡を机の上に置き、化粧ポーチを開ける。

 ――もう、一ノ瀬来るかな。こんな気持ちでは会いたくないな
 凛月はまだ昼間の出来事を引きずっていた。

 やがて、教室のドアが開く。
 一ノ瀬が入ってくる。制服の袖をまくり、今日はなんだか少しラフな雰囲気だった。

「ごめん、待った?」
「ううん。今来たところ」

 反射的にそう答えながらも、声はどこか固い。
 一ノ瀬はいつもの調子で椅子を引いて隣に座る。凛月は軽く身構えた。

「……なんか怒ってる?」

 静かに問いかける声に、凛月はわずかに肩をすくめた。

「別に、怒ってないよ。ただ、ちょっと疲れてるだけ」

 一ノ瀬は何も言わずに頷いて、凛月の手元を見た。

「じゃあ、始めようか。今日はファンデーションからでいい?」

 凛月はこくりと頷いた。
 一ノ瀬の指先が、そっと自分の頬に触れる。いつも通りの優しい手つきだが、どこか胸がざわつく。

 日中の教室で見た、一ノ瀬の笑顔。
 女子にお菓子をあげたこと。それを嬉しそうに噂していた周囲の声――思い出したくないのに、何度も思い出してしまう。

「……ねえ」

 思わず声を出す。

「ん?」

 やめておいた方がいい、そう頭では思っているのに、口は止まらなかった。

「……メイクしてる俺って、そんなにいい?」
 
 一ノ瀬の望む理想の恋人って何?どうしたらなれる?

「……どういう意味?」

 一ノ瀬の手が止まった。
 これ以上この話はしてはいけない。言ったら傷つける。
 でもささくれだった心は思っていることを吐き出さずにはいられなかった。

「……もし、俺がメイクしてなかったら、普通に過ごしてたら……一ノ瀬は、俺のこと、好きだった?」

 一ノ瀬は黙って凛月の瞳を見つめる。その瞳はどんどんと温度をなくしていく。
 沈黙が続く。それが返事のように思えてしまって、凛月の胸に焦りが広がっていく。

「……メイクを落としても、俺を好きでいてくれる?」

 思わず口にしてしまった言葉だった。
 一ノ瀬は少しだけ目を見開いて、それから、低く呟いた。

「……何でそんなこと聞くの?」

 その言葉に、凛月の中にある不安と苛立ちが一気に膨れ上がる。

「なんでって……怖いんだよ、わからないの?」
「なんで凛月が怖がるの?」
「今日だって、誰かに優しくしてて、みんな一ノ瀬のこと『案外いいやつ』って言ってて……」
「だから何?」

 凛月は口を閉じる。

 ――一ノ瀬には自分なんかじゃなくてもっとお似合いの人がいるんじゃないかって思ってしまう。

 ただ、それを口にしたら、本当にそうなってしまうような気がした。

「……凛月だって、今日クラスの奴らと楽しそうに話してたじゃん。しかもなんか褒められて、喜んでたし」
「えっ……」

 思ってもいなかった言葉に、凛月は一瞬、言葉を失う。
 一ノ瀬の声が鋭くなる。

「凛月は、俺の気持ちも、好意も、そんなに信じられないの?」
「だって、そうかもしれないって思うじゃん!」

 言い合いの末、空気がぴんと張り詰める。
 次の瞬間、一ノ瀬は手を伸ばして、凛月の頭を引き寄せる。
 それは、衝動的なキスだった。
 凛月は目を見開いて、そして、一ノ瀬を押し返す。

「……やめて」

 一ノ瀬の目が揺れる。

「ごめん……」

 小さく呟かれた謝罪の言葉に、凛月は首を振った。

「今は……ちょっと、無理。ごめん」

 静かにそう言った凛月の目には、涙がにじんでいた。
 一ノ瀬は、何かを言いかけて、何も言えずに、ただうつむいた。

「ごめん、今日はもうやめよ」

 そして、一ノ瀬はゆっくりと教室を出ていく。

 ひとり取り残された空き教室。
 凛月は、鏡に映った自分の唇に触れた。カサカサとしたその唇。

 胸の中で、言葉にならないものが渦を巻く。
 凛月は勢いのままにスマホを取り出し、スキマさんのアイコンをタップした。
 ためらいながらも一言、打ち込んだ。

《ねえ、今から会えない?》

 一ノ瀬かどうかなんて、もうどうでもよかった。
 ただ、今は誰かと話したかった。誰かに、このどうしようもない気持ちをぶつけたかった。

 ――自分って、案外、人に頼りたがりなんだな。

 そんな新しい自分の一面を情けなく思いながら、画面を見つめる。
 ほどなくして通知が鳴った。

《いいよ。ここのファミレスにいるね》

 添えられた位置情報は、凛月もよく知っている近所のファミレスだった。
 スマホを握る手に、自然と力がこもる。

 化粧ポーチを無造作に鞄へ放り込む。椅子を引く音がやけに大きく響いた。
 空き教室の窓の外は暗くなりはじめていた。