彩る君に恋をする

10話

 教室の空気が、どこか浮き立っていた。

 朝のHRで「今日から学園祭準備に入ります」と先生が告げたとたん、クラス中にざわめきが走った。出し物は喫茶店。装飾やポスター、シフトの相談など、自然とクラスメイト同士の会話が増えていく。

 何人かで宣伝用のポスターを描いていると、凛月に声がかかった。

「ねえ凛月くん、今日の放課後空いてる?」

 声をかけてきたのは、前に買い出しに行った女子だった。

「また買い出しに行くんだけど、この前も手伝ってくれたし、優しいから頼みやすいって話してたの」

 そう言われて、凛月は一瞬だけ迷った。
 でも今日は、一ノ瀬にメイクのリハーサルを頼まれている。
 今までなら、流れに任せて頷いていたかもしれない。でも、今日は違う。

「……ごめん。今日はちょっと予定があるんだ」

 凛月は、ためらいながらもきっぱりと断った。

「そっか! 無理言ってごめんね!」

 あっさりと引き下がってくれるクラスメイトに、凛月は小さく手を振った。
 案外、ちゃんと断っても大丈夫なんだ。少しだけ、肩の力が抜けた気がした。

 その直後、数人の男子が机の上で紙を広げて何か話し合っているのが目に入った。

「……机はここに並べて、入り口はここでいいんじゃね?」
「でも、なんか地味すぎない?」

 そんな会話が聞こえてきたとき、ふいに一人が凛月の方を向いた。

「佐野、どう思う? こういうの得意そうだし、なんかアイデアない?」

 不意に注目されて、凛月は小さく目を瞬かせた。いつもなら遠慮してしまう場面だった。
 紙に目をやると、簡単なレイアウト図が描かれていた。なるほど、と考えているうちについ声が出ていた。

「……たとえば、あそこの壁、黒板になってるから……メニューをチョークで描いたら、ちょっと喫茶店っぽい雰囲気になるかも」

 言葉を選びながらの提案。言い終えた瞬間、周囲が一瞬だけ静まり返る。
 その様子に背筋が一瞬日やっとする。
 ごめん、やっぱり、余計だったかも、凛月がそう思いかけたとき、思いがけず明るい声が上がった。

「黒板メニュー、めっちゃいいじゃん!」
「喫茶店っぽい! やろうやろう!」

 一気に声が弾む。少し戸惑いながらも凛月は、もうひとつだけ言葉を重ねた。

「あと……ここに、撮影スポットっぽいの作ってもいいかも。来た人が写真撮って、SNSとかに載せたくなるような……って、変だったらごめん」

 思わず視線を伏せる。しかし、またすぐに賛同の声が返ってきた。

「それ超アリ! そういうのあると一気に文化祭っぽくなるよな!」
「SNSで人気でたら売り上げも上がりそう!」

 男子たちは楽しそうにレイアウト図に追記していく。

 凛月はほっと胸を撫で下ろす。

 ――少しずつでも自分の気持ちを、出していこう。

 そう昨日思ったのだ。自分なりに一歩を踏み出せているような気がした。

 そういえば、一ノ瀬はどこにいるんだろう。賑やかな教室の中で、ふと、凛月は視線を巡らせた。

 探すように教室の奥を見やると、少し離れた窓際の机の周りに人だかりができていた。
 その中心にいたのは、一ノ瀬だった。

 いつものクールな無表情ではなく、穏やかに、楽しそうに笑っている。
 クラスの明るい男子たちと何かを組み立てていて、女子たちとも自然に言葉を交わしている。

 あまり見たことのない笑顔に、凛月の胸がきゅっとする。
 寂しいような、言葉にしづらい感情が、静かに心を揺らした。

 そのとき、誰かが「差し入れ〜!」と声を上げながら教室に入ってきた。
 紙袋の中から、個包装の焼き菓子を取り出し、手当たり次第に配っていく。

 次々と受け取っていくクラスメイトたちの中で、ふと、女子のひとりが「あれ、私の分ないかも」と声を上げた。
 確認すると、たしかにひとつ足りなかったようで、場が少しざわつく。

「これやるよ」

 そう言って、お菓子を差し出したのは一ノ瀬だった。

 女子は驚いたように目を丸くしてから、「ありがとう……」と照れたように笑った。

 周囲の女子たちが、ひそひそと囁き合う。

「一ノ瀬って、ちょっと近寄りがたいって思ってたけど」
「意外と優しいよね。ちゃんと見てくれてる感じ」

 案外いいやつ。
 そんな声を聞いた凛月は、なぜだか胸の奥がざらざらするような、居心地の悪さを感じていた。

 ――一ノ瀬は俺の恋人なんだけどな。

 でもそれは大きな声では言えないこと。
 なんだか、自分だけが知っていた秘密を奪われたようだった。