紬の様子に、詩は言葉をなくして目を見張る。
震える声で、紬はさらに言う。
「好きになるとか、幸せな家族とか、そういうのは別の誰かとやって。私には無理だから」
苦しそうに顔を歪めながら、ハッキリと拒絶する。
「無理って、そんなのわからないじゃないか」
「わかるわよ!」
ここまで頑なになるのは、詩がアヤカシだからというだけではない。例え彼が人間であっても、同じことを言っただろう。
問題なのは、自分自身だ。
頭の中に、月城の家での日々が思い浮かぶ。
地獄のような日々の中、心を許せる相手など一人もいなかった。目に映るすべては敵だった。
そんな生き方の染み付いた自分に、誰かを愛することができるとは思えない。そして、誰かに本気で愛してもらえるとも、微塵も思えなかった。
「私は、誰かを好きになることなんてない。そんな気持ち、とっくに忘れたわ。それに、誰かに愛されるなんてこともない」
「俺は好きだよ、紬のこと」
あっさりと告げられた、好きという言葉。
しかしそれは、さらに紬を苛立たせた。
「今日初めて会った私のことを、どうやったら好きになるっていうのよ」
「うーん。運命とか?」
「ふざけないで!」
そんな上辺だけの言葉で、どうにかなるわけがない。
睨みつけると、詩は困ったように肩をすくめる。
それからフッと息をつくと、気を取り直したように言う。
「だったらさ、一つ、俺と賭けをしない?」
「賭け?」
「そう。って言っても、紬には絶対に損ささせないよ」
絶対に損は無いなどと言うと余計に胡散臭く感じるが、それでも一応、次の言葉を待つ。
「とりあえず紬には、盟約通り俺と結婚して、この家で暮らしてもらう。けど結婚は形だけのもので、紬の嫌がることは何もしない。だけど、もし紬が俺のことを好きになったら、その時本当の夫婦になるっていうのはどう? もちろん、本当の夫婦になる前だって、なに不自由ない暮らしはさせるよ」
「それは……」
告げられた内容に、すぐには返事ができず、少しの間考える。
行く場所のない紬にとって、不自由ない暮らしというのは、魅力的ではある。
しかし、自分が彼のことを好きになるかどうかなど、そんなもの果たして賭けと言えるのだろうか。
「どうしてわざわざそんなことするのよ。あなたに何の得があるっていうの?」
「紬に、俺のことを好きになってもらう機会を作れる。さっきも言った通り、紬には俺のことを好きになってほしいからね」
「────っ!」
甘い言葉を恥ずかしげもなく言う詩。
しかしそれは、紬の心をますます苛立たせる。
(そんなこと言っても、騙されないわよ!)
ついさっき、好きと言われた時のことを思い出す。今日会ったばかりの、お互いのことを何も知らないはずの相手から告げられた、好き。それにいったい何の価値があるのか。
彼にとって、好きという言葉はその程度のもの。何の重みもない言葉に違いない。
「賭けをするなら、いくつか聞いておきたいことがあるわ。後から話が違うぞってなっても困るから」
冷たい口調で尋ねると、詩はゆっくりと頷く。
「いいよ。なんでも聞いて」
「なら、一つ目。もしも、あなたが私に愛想が尽きたらどうするの? それでも私には霊力があるから、餌としての価値はあるでしょ。歴代の当主みたいに、餌扱いするの?」
「なんだ、そんなこと。心配しなくても、俺はいつまでだって紬のこと好きだよ」
「ちゃんと答えて!」
いったいどうしてそこまで自信たっぷりに言えるのか、とても理解できない。
人の心は変わる。例え長年連れそった夫婦でも、どんなに仲睦まじい親子でも、その愛情が永遠に続くとは限らない。
ましてや今日会ったばかりの相手の言葉など、信用できるわけがない。
彼が自分に愛想をつかした時、どうなるのかハッキリ聞いておきたかった。
「そうだね。ありえないことだけど、もし俺が紬を好きでなくなったとしても、霊力を欲しがって酷い扱いをするなんてことはない」
「本当に? アヤカシってのは、本能で霊力のある人間を欲しがるものでしょう」
「その辺は、理性で何とかするかな。さっきも言ったけど、俺は、もっと人間と歩み寄りたいと思ってるんだ。だから、そんなこと絶対にしない。これじゃ、答えにならないかな?」
「…………まあ、いいわ」
この言葉がどれだけ信じられるかはわからない。だが疑ったところで、嘘だと証明する方法などないのだ。ならば、今はこの答えだけでいいとしよう。
だが、質問はまだ終わらない。
「それじゃあもう一つ。私が、いつまで経ってもあなたのことを好きにならなかったらどうするの? と言うか、絶対そうなると思うんだけど、永遠に待ち続けるつもりなの?」
もしここでそうだと言われたら、死ぬまで偽りの結婚を続けることになりかねない。
「なるほど、確かに。好きでもない相手といつまでも夫婦でいろって言うのも酷い話か。なら、期間を決めるってのはどうかな?」
「期間?」
「ああ。そうだな、一年だ。一年過ぎて紬を振り向かせることができなかったら、もう夫婦でいてくれとは言わない。人間の世界に帰っても暮らしていけないって言うなら、お金の工面する。これなら、納得してくれるかな?」
サラリと詩は言うが、それを聞いた紬は目を丸くする。
決して悪い条件ではない。詩の言う通り、損はないと言っていいだろう。だからこそ、どうしても警戒してしまう。
「いいの? それってつまり、私が一年我慢すれば、離婚してあなたが慰謝料払わなきゃいけないようなものなのよ」
「うーん。離婚だの慰謝料だの、言い方はだいぶ気になるけど、だいたいそんな感じかな」
「私にとって、都合よすぎない?」
もちろん、いくら形だけのものとはいえ、夫婦として一年もここで過ごすというのは簡単なことではないだろう。
だが、元々生贄同然になるのを覚悟していたのだ。それと比べると、この状況は遥かにマシに思えた。
「もっと俺に有利な条件にしてくれるなら、遠慮なくそうするけど。例えば、期間を十年にするとか」
「そ、それは、長い」
「じゃあ、三年?」
「……一年のままでいい!」
わざわざ自分から不利になることはない。
最初に言われた通り一年と要求すると、詩はあっさり頷いた。
「わかったよ。それじゃあ、賭けは成立ってことでいい?」
「…………い、いいわよ」
ほんの少し躊躇うが、結局、詩の言う賭けを受け入れる。
決して乗り気なわけではないが、特別悪いところは見つからないのだ。
何より、賭けを断りこの屋敷から出ていったところで、これから先どうすればいいかなどわからない。
他に選択肢などないのだ。
「けどこの賭け、私が勝つわ。私があなたを好きになるなんてありえない。そのまま一年経つか、その前にあなたが私のことを嫌いになるか。そのどちらかよ」
絶対に負けるわけがないと、自信を持って言う。
しかし詩も、ニヤリと笑う。
「紬こそ、俺のことを甘く見てない? これでも、人間のことはけっこう知ってるつもりだよ。どうやったら楽しんだり、喜んだり、恋をしたりするかもね」
「な、何よそれ」
「とりあえず、場所を変えようか。この家で暮らすなら、紬にも部屋が必要だろ。用意してあるから、ついてきて」
不敵に笑う詩を訝しげな目で見ながら、彼の後ろについていく。
それまでいた部屋を出て、ほんの少し進み、別の部屋の前で立ち止まる。
「ここが、紬の部屋だよ」
部屋の扉が開き、紬もその中を覗き込む。
そして、思わず声をあげる。
「なに、これ……」
そこには、とても信じられない光景が広がっていた。
部屋の中にあったのは、テレビ、パソコン、ゲーム機、マンガといった、この世界にあるなど想像もしていなかった品々だった。
震える声で、紬はさらに言う。
「好きになるとか、幸せな家族とか、そういうのは別の誰かとやって。私には無理だから」
苦しそうに顔を歪めながら、ハッキリと拒絶する。
「無理って、そんなのわからないじゃないか」
「わかるわよ!」
ここまで頑なになるのは、詩がアヤカシだからというだけではない。例え彼が人間であっても、同じことを言っただろう。
問題なのは、自分自身だ。
頭の中に、月城の家での日々が思い浮かぶ。
地獄のような日々の中、心を許せる相手など一人もいなかった。目に映るすべては敵だった。
そんな生き方の染み付いた自分に、誰かを愛することができるとは思えない。そして、誰かに本気で愛してもらえるとも、微塵も思えなかった。
「私は、誰かを好きになることなんてない。そんな気持ち、とっくに忘れたわ。それに、誰かに愛されるなんてこともない」
「俺は好きだよ、紬のこと」
あっさりと告げられた、好きという言葉。
しかしそれは、さらに紬を苛立たせた。
「今日初めて会った私のことを、どうやったら好きになるっていうのよ」
「うーん。運命とか?」
「ふざけないで!」
そんな上辺だけの言葉で、どうにかなるわけがない。
睨みつけると、詩は困ったように肩をすくめる。
それからフッと息をつくと、気を取り直したように言う。
「だったらさ、一つ、俺と賭けをしない?」
「賭け?」
「そう。って言っても、紬には絶対に損ささせないよ」
絶対に損は無いなどと言うと余計に胡散臭く感じるが、それでも一応、次の言葉を待つ。
「とりあえず紬には、盟約通り俺と結婚して、この家で暮らしてもらう。けど結婚は形だけのもので、紬の嫌がることは何もしない。だけど、もし紬が俺のことを好きになったら、その時本当の夫婦になるっていうのはどう? もちろん、本当の夫婦になる前だって、なに不自由ない暮らしはさせるよ」
「それは……」
告げられた内容に、すぐには返事ができず、少しの間考える。
行く場所のない紬にとって、不自由ない暮らしというのは、魅力的ではある。
しかし、自分が彼のことを好きになるかどうかなど、そんなもの果たして賭けと言えるのだろうか。
「どうしてわざわざそんなことするのよ。あなたに何の得があるっていうの?」
「紬に、俺のことを好きになってもらう機会を作れる。さっきも言った通り、紬には俺のことを好きになってほしいからね」
「────っ!」
甘い言葉を恥ずかしげもなく言う詩。
しかしそれは、紬の心をますます苛立たせる。
(そんなこと言っても、騙されないわよ!)
ついさっき、好きと言われた時のことを思い出す。今日会ったばかりの、お互いのことを何も知らないはずの相手から告げられた、好き。それにいったい何の価値があるのか。
彼にとって、好きという言葉はその程度のもの。何の重みもない言葉に違いない。
「賭けをするなら、いくつか聞いておきたいことがあるわ。後から話が違うぞってなっても困るから」
冷たい口調で尋ねると、詩はゆっくりと頷く。
「いいよ。なんでも聞いて」
「なら、一つ目。もしも、あなたが私に愛想が尽きたらどうするの? それでも私には霊力があるから、餌としての価値はあるでしょ。歴代の当主みたいに、餌扱いするの?」
「なんだ、そんなこと。心配しなくても、俺はいつまでだって紬のこと好きだよ」
「ちゃんと答えて!」
いったいどうしてそこまで自信たっぷりに言えるのか、とても理解できない。
人の心は変わる。例え長年連れそった夫婦でも、どんなに仲睦まじい親子でも、その愛情が永遠に続くとは限らない。
ましてや今日会ったばかりの相手の言葉など、信用できるわけがない。
彼が自分に愛想をつかした時、どうなるのかハッキリ聞いておきたかった。
「そうだね。ありえないことだけど、もし俺が紬を好きでなくなったとしても、霊力を欲しがって酷い扱いをするなんてことはない」
「本当に? アヤカシってのは、本能で霊力のある人間を欲しがるものでしょう」
「その辺は、理性で何とかするかな。さっきも言ったけど、俺は、もっと人間と歩み寄りたいと思ってるんだ。だから、そんなこと絶対にしない。これじゃ、答えにならないかな?」
「…………まあ、いいわ」
この言葉がどれだけ信じられるかはわからない。だが疑ったところで、嘘だと証明する方法などないのだ。ならば、今はこの答えだけでいいとしよう。
だが、質問はまだ終わらない。
「それじゃあもう一つ。私が、いつまで経ってもあなたのことを好きにならなかったらどうするの? と言うか、絶対そうなると思うんだけど、永遠に待ち続けるつもりなの?」
もしここでそうだと言われたら、死ぬまで偽りの結婚を続けることになりかねない。
「なるほど、確かに。好きでもない相手といつまでも夫婦でいろって言うのも酷い話か。なら、期間を決めるってのはどうかな?」
「期間?」
「ああ。そうだな、一年だ。一年過ぎて紬を振り向かせることができなかったら、もう夫婦でいてくれとは言わない。人間の世界に帰っても暮らしていけないって言うなら、お金の工面する。これなら、納得してくれるかな?」
サラリと詩は言うが、それを聞いた紬は目を丸くする。
決して悪い条件ではない。詩の言う通り、損はないと言っていいだろう。だからこそ、どうしても警戒してしまう。
「いいの? それってつまり、私が一年我慢すれば、離婚してあなたが慰謝料払わなきゃいけないようなものなのよ」
「うーん。離婚だの慰謝料だの、言い方はだいぶ気になるけど、だいたいそんな感じかな」
「私にとって、都合よすぎない?」
もちろん、いくら形だけのものとはいえ、夫婦として一年もここで過ごすというのは簡単なことではないだろう。
だが、元々生贄同然になるのを覚悟していたのだ。それと比べると、この状況は遥かにマシに思えた。
「もっと俺に有利な条件にしてくれるなら、遠慮なくそうするけど。例えば、期間を十年にするとか」
「そ、それは、長い」
「じゃあ、三年?」
「……一年のままでいい!」
わざわざ自分から不利になることはない。
最初に言われた通り一年と要求すると、詩はあっさり頷いた。
「わかったよ。それじゃあ、賭けは成立ってことでいい?」
「…………い、いいわよ」
ほんの少し躊躇うが、結局、詩の言う賭けを受け入れる。
決して乗り気なわけではないが、特別悪いところは見つからないのだ。
何より、賭けを断りこの屋敷から出ていったところで、これから先どうすればいいかなどわからない。
他に選択肢などないのだ。
「けどこの賭け、私が勝つわ。私があなたを好きになるなんてありえない。そのまま一年経つか、その前にあなたが私のことを嫌いになるか。そのどちらかよ」
絶対に負けるわけがないと、自信を持って言う。
しかし詩も、ニヤリと笑う。
「紬こそ、俺のことを甘く見てない? これでも、人間のことはけっこう知ってるつもりだよ。どうやったら楽しんだり、喜んだり、恋をしたりするかもね」
「な、何よそれ」
「とりあえず、場所を変えようか。この家で暮らすなら、紬にも部屋が必要だろ。用意してあるから、ついてきて」
不敵に笑う詩を訝しげな目で見ながら、彼の後ろについていく。
それまでいた部屋を出て、ほんの少し進み、別の部屋の前で立ち止まる。
「ここが、紬の部屋だよ」
部屋の扉が開き、紬もその中を覗き込む。
そして、思わず声をあげる。
「なに、これ……」
そこには、とても信じられない光景が広がっていた。
部屋の中にあったのは、テレビ、パソコン、ゲーム機、マンガといった、この世界にあるなど想像もしていなかった品々だった。

