「ひ……ひぃぃぃぃっ！」
常貞が、悲鳴をあげ腰を抜かす。
詩はそんな彼には目もくれず、紬に向かって問う。
「みんなうちに使えるアヤカシたちで、危害を加えるようなことは無いから安心して。けど俺の花嫁になるというのは、こんなアヤカシたちに混じって暮らしていくこと。その覚悟はある？」
その言葉に、スッと体が冷たくなるのを感じた。
このお堂は、人間の世界とアヤカシの世界を繋ぐ場所。ここから向こうは、こんなアヤカシ達で溢れているのだろう。
ここではいと答えたら、これからずっとそんな場所で暮らすことになる。今日初めて会ったばかりの、この男の妻として。いや、生贄として。
それでも、紬は答えるしかなかった。
「はい。覚悟はできています」
元より、この結婚に自分の意思などない。ただ、黙って従うだけ。
月城の家で飼われてからの数年間、ずっとそう言われ続けてきた。
「それじゃあ、行こうか」
詩がそう言うと、外にいたアヤカシ達が、紬がここまでやって来たのと同じような駕籠を見せ、乗るように促した。
ほんの少し、足がすくむ。だがすぐに、何も言うことなく乗り込む。
詩もまた、別に用意されていた駕籠に乗ったようだ。間もなく出立の合図があり、駕籠が担がれる。
だが一行が歩きはじめる前に、常貞の声がした。
「あ、あの。先祖の交わした盟約により花嫁として捧げますので、かわりの約束も、何卒よろしくお願いします！」
ガタガタに震えながら、それでもしっかり約束を確認する常貞に、紬はある意味感心した。
「ああ。わかっているよ。約束を違えることはない」
「あ、ありがとうございます！」
歓喜に声をあげる常貞。それを見て、腹の底から怒りが湧き出てくる。
こんな約束のために自分は犠牲になり、反対に常貞を初めとする月城の一族には繁栄が約束されるのだ。
理不尽で、体が震えてくる。
しかし、例え紬がどれだけ怒り憎んだとしても、所詮どうすることもできない。そう常貞は思っているだろう。
だが紬は、ずっと考えていた。
自分の自由を、そして人生を奪った常貞たちに、復讐する方法を。
そして、それを決行するのは間もなくだ。
駕籠の戸を指一本分ほど開き、そこから外の様子を伺う。
駕籠は最初、山の中を進んでいたが、アヤカシの担ぐ駕籠は人間のものよりもかなり早いようだ。
あっという間に山を抜け、今は街の中を進んでいる。
街と言っても人間の街とは違い、まるでテレビで見る時代劇のような、瓦屋根の建物が両脇に並んでいる。
道を歩いているのはみなアヤカシで、どれも異形の姿をしていた。
ここまでは、月城家の先祖が書き記した書物にあった通りだ。
自分の運命を知ってから、古い記録を何度調べたことだろう。
今でこそほとんど霊力の枯れた月城家であるが、先祖から伝わるアヤカシの記録や、霊力を持つものだけが使える特別な道具は、まだまだそこかしこに残っていた。
それを密かに見て、こっそり道具を持ち出していたことなど、常貞たちは知らないだろう。
それも、全てはこの時のためだ。
「あの、少しいいかしら……」
僅かに開いていた駕籠の戸をさらに開き、すぐ側を歩くアヤカシに声をかける。
着ている着物からして、どうやら女性のよう。だがその顔は卵のようにつるんとしていて、目も鼻も口もない。のっぺらぼうというやつだ。
なのにどういうわけか、しっかり声は出せるようだった。
「奥方様、どうかなさいましたか？」
どうやらこののっぺらぼうは、既に紬のことを奥方と認識しているらしい。
「駕籠が揺れて、気分が悪いの」
そう言って胸を押さえ、苦しそうに嘔吐くと、のっぺらぼうは「まあ」と声をあげた。
「駕籠を止めて！ 少し休ませてあげましょう。奥方様、大丈夫ですか？ そういえば、人間の世界の方は駕籠に慣れてないのでしたね。すみません、気が付かなくて。お辛かったでしょう」
駕籠だけでなく行列の歩みが止まり、のっぺらぼうが戸を開き覗き込んでくる。
顔がないので表情は見えないが、どうやら相当心配しているようだ。
ここまでの気づかいをされるとは思っていなかったので少し驚いたが、紬にとってこれは好都合だった。
「少しでいいから外の空気を吸いたいのだけど、いいかしら」
「はい。どうぞお手を。詩様も、間もなく来られますからね」
手を引かれ駕籠の外に出ると、少し先を行っていたもうひとつの駕籠の戸が開いて、詩が出てくる。その瞬間だった。
紬はのっぺらぼうの手を振り解き、着物の袖から、ずっと隠し持っていた御札を取り出す。
それは、過去の資料を散々調べている途中に見つけた、月城の先祖が残した道具のひとつだった。
かつては高い霊力を持つ人間が多くいた月城の一族だが、それは必ずしも良いこととは限らない。
アヤカシにとって、霊力を持つ人間はかっこうの餌だ。時に命を狙われることもあったという。
そんなことになった時、先祖は身を守るための手段を用意した。その中のひとつがこれだ。
「やぁっ！」
御札を空に向かって放り投げたとたん、激しい光を放つ。これが、この御札の力だ。
この光に、アヤカシを滅ぼすような力はない。だが光を見たほとんどのアヤカシが、両手で必死に目を押える。まるで、両目が潰れてしまったような騒ぎだ。
「奥方様、何を!?」
元々目など無いからか、のっぺらぼうだけは平気な様だ。
だが紬はそれに答えることなく、一目散に走り出す。
「紬!? 危険だ！ 戻ってくるんだ！」
聞こえてきた声は、おそらく詩のもの。だが、それで立ち止まることはない。立ち止まるはずがない。
ずっと待っていた、自由を掴む時。恨みを晴らす時。それが、とうとうやってきたのだ。
常貞が、悲鳴をあげ腰を抜かす。
詩はそんな彼には目もくれず、紬に向かって問う。
「みんなうちに使えるアヤカシたちで、危害を加えるようなことは無いから安心して。けど俺の花嫁になるというのは、こんなアヤカシたちに混じって暮らしていくこと。その覚悟はある？」
その言葉に、スッと体が冷たくなるのを感じた。
このお堂は、人間の世界とアヤカシの世界を繋ぐ場所。ここから向こうは、こんなアヤカシ達で溢れているのだろう。
ここではいと答えたら、これからずっとそんな場所で暮らすことになる。今日初めて会ったばかりの、この男の妻として。いや、生贄として。
それでも、紬は答えるしかなかった。
「はい。覚悟はできています」
元より、この結婚に自分の意思などない。ただ、黙って従うだけ。
月城の家で飼われてからの数年間、ずっとそう言われ続けてきた。
「それじゃあ、行こうか」
詩がそう言うと、外にいたアヤカシ達が、紬がここまでやって来たのと同じような駕籠を見せ、乗るように促した。
ほんの少し、足がすくむ。だがすぐに、何も言うことなく乗り込む。
詩もまた、別に用意されていた駕籠に乗ったようだ。間もなく出立の合図があり、駕籠が担がれる。
だが一行が歩きはじめる前に、常貞の声がした。
「あ、あの。先祖の交わした盟約により花嫁として捧げますので、かわりの約束も、何卒よろしくお願いします！」
ガタガタに震えながら、それでもしっかり約束を確認する常貞に、紬はある意味感心した。
「ああ。わかっているよ。約束を違えることはない」
「あ、ありがとうございます！」
歓喜に声をあげる常貞。それを見て、腹の底から怒りが湧き出てくる。
こんな約束のために自分は犠牲になり、反対に常貞を初めとする月城の一族には繁栄が約束されるのだ。
理不尽で、体が震えてくる。
しかし、例え紬がどれだけ怒り憎んだとしても、所詮どうすることもできない。そう常貞は思っているだろう。
だが紬は、ずっと考えていた。
自分の自由を、そして人生を奪った常貞たちに、復讐する方法を。
そして、それを決行するのは間もなくだ。
駕籠の戸を指一本分ほど開き、そこから外の様子を伺う。
駕籠は最初、山の中を進んでいたが、アヤカシの担ぐ駕籠は人間のものよりもかなり早いようだ。
あっという間に山を抜け、今は街の中を進んでいる。
街と言っても人間の街とは違い、まるでテレビで見る時代劇のような、瓦屋根の建物が両脇に並んでいる。
道を歩いているのはみなアヤカシで、どれも異形の姿をしていた。
ここまでは、月城家の先祖が書き記した書物にあった通りだ。
自分の運命を知ってから、古い記録を何度調べたことだろう。
今でこそほとんど霊力の枯れた月城家であるが、先祖から伝わるアヤカシの記録や、霊力を持つものだけが使える特別な道具は、まだまだそこかしこに残っていた。
それを密かに見て、こっそり道具を持ち出していたことなど、常貞たちは知らないだろう。
それも、全てはこの時のためだ。
「あの、少しいいかしら……」
僅かに開いていた駕籠の戸をさらに開き、すぐ側を歩くアヤカシに声をかける。
着ている着物からして、どうやら女性のよう。だがその顔は卵のようにつるんとしていて、目も鼻も口もない。のっぺらぼうというやつだ。
なのにどういうわけか、しっかり声は出せるようだった。
「奥方様、どうかなさいましたか？」
どうやらこののっぺらぼうは、既に紬のことを奥方と認識しているらしい。
「駕籠が揺れて、気分が悪いの」
そう言って胸を押さえ、苦しそうに嘔吐くと、のっぺらぼうは「まあ」と声をあげた。
「駕籠を止めて！ 少し休ませてあげましょう。奥方様、大丈夫ですか？ そういえば、人間の世界の方は駕籠に慣れてないのでしたね。すみません、気が付かなくて。お辛かったでしょう」
駕籠だけでなく行列の歩みが止まり、のっぺらぼうが戸を開き覗き込んでくる。
顔がないので表情は見えないが、どうやら相当心配しているようだ。
ここまでの気づかいをされるとは思っていなかったので少し驚いたが、紬にとってこれは好都合だった。
「少しでいいから外の空気を吸いたいのだけど、いいかしら」
「はい。どうぞお手を。詩様も、間もなく来られますからね」
手を引かれ駕籠の外に出ると、少し先を行っていたもうひとつの駕籠の戸が開いて、詩が出てくる。その瞬間だった。
紬はのっぺらぼうの手を振り解き、着物の袖から、ずっと隠し持っていた御札を取り出す。
それは、過去の資料を散々調べている途中に見つけた、月城の先祖が残した道具のひとつだった。
かつては高い霊力を持つ人間が多くいた月城の一族だが、それは必ずしも良いこととは限らない。
アヤカシにとって、霊力を持つ人間はかっこうの餌だ。時に命を狙われることもあったという。
そんなことになった時、先祖は身を守るための手段を用意した。その中のひとつがこれだ。
「やぁっ！」
御札を空に向かって放り投げたとたん、激しい光を放つ。これが、この御札の力だ。
この光に、アヤカシを滅ぼすような力はない。だが光を見たほとんどのアヤカシが、両手で必死に目を押える。まるで、両目が潰れてしまったような騒ぎだ。
「奥方様、何を!?」
元々目など無いからか、のっぺらぼうだけは平気な様だ。
だが紬はそれに答えることなく、一目散に走り出す。
「紬!? 危険だ！ 戻ってくるんだ！」
聞こえてきた声は、おそらく詩のもの。だが、それで立ち止まることはない。立ち止まるはずがない。
ずっと待っていた、自由を掴む時。恨みを晴らす時。それが、とうとうやってきたのだ。
