山の中を、仰々しい着物を着た一団が連なって歩く。
 中心には、これまた時代がかった駕籠が担がれていて、その中には花嫁衣裳に身を包んだ紬がいた。

 お前はいずれ、アヤカシの花嫁になる。
 ずっと言われ続けてきた、運命の日が今日だった。

 ほんの少し、駕籠につけられていた窓を開くと、僅かに雨が降っているのが見えた。
 空を見上げると、太陽は雲に隠れることなく出ている。

(狐の嫁入り、か)

 こんな日にこのようなことが起きるのは、決して偶然などではないだろう。
 月城家の娘を代々嫁がせるという盟約を結んだアヤカシは、強い力を持った狐の一族なのだそうだ。
 そして狐の嫁入りと言われるこの現象は、狐のアヤカシが婚礼を挙げる時の儀式であるらしい。

 そんな、紬がこれから嫁ぐことになる狐のアヤカシなのだが、それ以上詳しいことは何も知らない。
 おかしな話ではあるが、そんなことを言い出せば、この結婚自体がおかしなことだらけだ。

 そもそも狐の一族が月城の一族を妻に欲したのは、愛情ではなく力が欲しいから。
 高い霊力を持つ人間を食らうこと。あるいは、その身と結ばれるというのは、アヤカシにとってこの上ない快楽なのだそうだ。
 その上、そうすることによってアヤカシは霊力を吸収し、類稀なる力を得ることができる。

 故にアヤカシは、古くから霊力を持つ人間を求め続けた。
 短絡的なアヤカシは、霊力の高い人間を見つけると、ご馳走としてすぐに食らう。
 そして知恵のある狡猾なアヤカシは、霊力のある人間を妻とする。妻として自らの傍に置き、夫婦として結ばれることで、より長く、よりたくさんの霊力を吸収していく。

 妻だの嫁入りだのといった言葉は名ばかりの、生贄に等しいもの。
 そう、月城の先祖が残した記録には書かれていた。

 初めてそれを知った時、アヤカシというのは、そんな理由で結婚するのかと、理解できず慄いた。
 だが今なら思う。月城の人間だって、そうと知っていながら、代々娘を差し出していたのだ。そうすることで得られる報酬を目当てに。
 そこにどんな違いがあるだろう。

 そんなことを考えている間に、駕籠を担いだ行列は、さらに山の中を進んでいく。
 そうして日が傾きはじめた頃、古びたお堂の前に辿り着く。
 駕籠の戸が開かれ、紋付の羽織袴を着た常貞が顔を覗かせた。

「さあ、降りるんだ。くれぐれも粗相のないよう。わかっているな」
「はい。お父様」

 この嫁入りにおいて、常貞は紬の親代わりだ。彼を父と呼ぶことに嫌悪感を覚えるが、グッと堪えながら、常貞の手を取りお堂の中に入っていく。

 これより先は、嫁入りの儀式の間、月城の一族以外の人間は入ってはいけないことになっている。
 ならばあれだけの人数を引き連れて来る必要はないのではと思うが、昔からの風習なのだそうだ。

 入口の扉を開けてすぐは、真っ直ぐな廊下が続いていて、壁には一定の間隔で明かりが灯っている。
 古く、こんな辺鄙なところにある割には、意外なほどに綺麗だ。

 そうして奥まで進んでいくと、やがて広間へと辿り着く。
 その一番奥に、一人の男が立っていた。

(あの人が……)

 ここには月城の一族以外の人間は入れない。
 紬と常貞の他に誰かいるとしたら、紬がこれから嫁入りする狐のアヤカシに他ならない。

 黒い紋付袴という出で立ち。薄い茶褐色の髪。顔は、白い狐の面をつけていて拝むことはできない。
 だが、彼が人ではないのは明らかだ。

 なぜならその男には、髪と同じ茶褐色をした、長く大きな尻尾が生えていたのだから。

「────っ!」

 紬の隣で、常貞が息を呑む。
 子供のころから散々アヤカシを見てきた紬と違い、彼がアヤカシの姿を見たのは、これが初めてだ。驚くのも無理はない。

 普通アヤカシというのは、紬のように霊力を持たない人間は見ることができない。
 しかし一部の力を持ったアヤカシは、例え相手が霊力を持たない人間だろうと、自分の意思でその姿を見せることができるそうだ。
 これも、月城家の先祖が残した書物に書き残されていたものである。

「あ、あなたが、玉藻家のご当主様でしょうか」

 緊張した様子で、常貞が尋ねる。
 玉藻。それが、月城家と盟約を交わした狐のアヤカシの一族の名だ。
 霊力を持った月城の娘が嫁ぐのは、代々そこの当主とされていた。
 ところが、目の前にいる狐の面を被ったアヤカシは、首を横に振る。

「少し違うかな。今の玉藻家の当主は別にいて、俺はその後継者。と言っても、いずれは後をついで当主になる予定だけどね。それでは不服かな?」
「い、いえ。滅相もありません!」

 慌てて頭を下げる常貞。常に偉そうにしている彼がこんなにもへりくだるところを、紬は初めて見た。
 月城家と玉藻家。どちらの方が立場が上か、これを見れば一目瞭然だ。
 常貞の場合、アヤカシにという未知の存在への恐れもあるのかもしれない。

 紬は、改めて狐の面をつけたアヤカシへと目を向ける。
 素顔はわからないが、今聞いた声は、想像していたよりもずっと若々しかった。

 これが、自分の夫となる者。などとは思っていない。
 アヤカシへの嫁入りは生贄と同意。ならば、そんな相手を夫と思うなど、できるはずもない。
 きっと向こうも、自分のことを餌みたいなものと考えているのだろう。

「紬──」
「えっ?」

 不意に、何の前触れもなく名を呼ばれたものだから、咄嗟に応えることができなかった。

「あれ、違った? それが、俺の花嫁の名だって聞いているけど?」
「は、はい。月城紬にございます」

 慌てて膝をつき、床に指を立て頭を下げる。
 この日のために何度も叩き込まれた作法だ。決められたことだけを行い、ただ相手に従順になる。それが、この場における自分の役目だと教えられた。

 しかし次に顔を上げた時、息がかかるほどすぐ近くに、狐の面を被った顔があった。
 驚いて、思わず声をあげる。

「うわっ!」

 それを聞いた常貞が、顔をしかめる。
 いつもなら、ここで激しく叱責するか、でなければ手をあげるところだ。
 紬とて、今のが相応しくない態度だというのはわかる。

「も、申し訳ありません!」
「ううん。俺の方こそ、脅かしてごめん。近くでよく顔を見たかったんだ」

 気を損ねた様子が無いことに安堵したものの、ずいぶんと人懐こそうな口ぶりに、呆気にとられる。

「そうだ。俺の名は知ってる?」
「い、いえ……」

 紬も、それに恐らく常貞も、玉藻という狐の一族の者としか聞いていない。

「詩《うた》だよ。玉藻詩。これから夫婦になる相手に自己紹介ってのも変だけど、よろしくね、紬」

 今、面の向こうにある彼の顔は、おそらく微笑んでいるのだろう。
 そう思えるような楽しげな声で、詩は告げる。
 対して紬は戸惑うばかりだ。

 今はまだ当主でないとはいえ、代々続くアヤカシの名家の跡取り。しかも、妻とは名ばかりの生贄を要求するような相手だ。冷たく恐ろしい奴だろうと想像していたが、まるで同年代の友人と話しているような気安ささえ感じる。

(そんなわけないか。口調は軽いけど、腹の底で何を考えてるかなんてわからない。それに、そもそも私には友だちなんていないから、そんな感覚なんてわからないわ)

 胸に抱いた奇妙な感覚を否定したその時、紬たちが入ってきたのとは違う、部屋の奥の扉が開いた。

 その先にあるものを見て、紬は息を呑む。

 そこにいたのは、無数のアヤカシたちだった。
 顔の真ん中に大きな目がひとつだけの者、馬の頭を持つ者、緑色の肌に、頭に皿背中に甲羅をつけた者。
 アヤカシの姿など幼い頃から何度も見ていた紬も、これだけの数を一度に見るのは初めてだ。