「なんじゃ。詩から何も聞いておらんのか?」

 紬の言葉を聞いて、沙紀は意外そうに声をあげる。
 ただその仕草があまりにも大仰だったので、本気で驚いているのか、そういうふりをしているのかはわからなかった。

「夫のことを何も知らぬとは不憫じゃから教えてやろう。あやつの両親、二人ともとっくに亡くなっているが、母親は人間じゃ」
「えっ……?」

 告げられたのは、予想外な言葉。
 沙紀の言う通り、そんな話一度も聞いたことがない。
 前に喜八が言いかけたのも、そのことだったのだろうか。

「人間って、その人も、私みたいに霊力があったんですか?」
「いいや。アヤカシの姿をかろうじて見ることができるくらいじゃの。あやつの父親と一緒にいるにつれて見る力は強まっていったようじゃが、あの程度の霊力では食っても大して力はつかん。お主くらいの霊力を持っていたら、私が隙を見て食っていたかもしれんがの」

 相変わらず、人間を餌としてしか見ていないような言葉。
 しかし、そんな人間がなぜアヤカシと一緒になり子どもまで産んだのか、疑問はますます大きくなっていく。

「あやつの父親にとっては、霊力の有無など二の次だったようじゃ。人の世に行った時に知り合い、色々あって好いた惚れたとなって一緒になったと聞く」
「それって、純粋にその人を好きになったってことですか」
「そういうことになるの。詩がお主を愛しの妻などと言うのと似たようなものかの」

 そういえば、自分と詩は仲睦まじい夫婦ということになっているのだと、今更のように思い出す。

「私に言わせれば愚かなことじゃがな。霊力のない人間を嫁に迎えても、なんの得にもならん。元々、私と当主の座を争う程度には優れたやつじゃったが、それをきっかけに争いから蹴落とされおった」
「そうなんですか?」
「ああ。人間になどに惚れた軟弱者に当主など務まるものかと冷遇されるようになった。おかげで私が当主となったが、ずいぶんと拍子抜けな幕切れじゃった。その息子である詩も、お主の霊力になんの興味も持たん。親子そろって、いったい何を考えておるのかのう?」
「そ、そんなの、私にはわかりません」

 本当に、わかるわけがない。
 詩の両親は、本気で愛し合って一緒になったのかもしれない。
 だが自分たちは本当は愛し合ってなどいないし、詩が自分を好いているというのも、どこまで本気かわからない。
 自分が詩に好かれる理由など何も思い当たらないというのに。
 まさか、父親がそうしたから自分もそれに習った、なんてことでもあるまい。

 そう、思ったのだが……

「もしかすると、父の無念を晴らそうとしているのかもしれないね」

 そう言ったのは、古空だった。
 とはいえ、これだけではどついう意味かわからない。

「無念を晴らすって、どういうことですか?」
「思いつきで言っただけなんだけどね。人間の女性と一緒になった詩の父親に対する一族の反応は、ひどく冷たいものだった。こことは違う土地の閑職へと追いやられたばかりか、それまで付き従ってきた者たちも離れていった」

 親戚間での酷い扱いと聞いて、自分が月城の家で受けてきた仕打ちを思い出す。
 状況はだいぶ違うが、詩やその両親も、苦しい思いをしてきたのかもしれない。

「詩のやつが当主を目指すのは、その悔しさがあったからとして、それならなぜ君から霊力を得ようとしないのか? 君を愛しているからか、それとも……」
「それとも、なんですか?」

 急かすように、次の言葉を促す。
 詩がどうして自分と結婚しようとしたのか。特別な理由があるのなら、知りたかった。

「人間である君を花嫁として貰い受けるが、霊力には手を出さない。まるで、父親の人生を再現しようとしてるみたいじゃないか。そうして当主になることで、両親の受けた不遇な扱いは間違いだったと、証明したかったかったのかもね」
「──なっ!?」

 それは、あまりに突拍子もない話だ。そんなことのためにわざわざ結婚までするわけがない。そう言いそうになる。
 だが……

(でも、それじゃあどうして、私を花嫁としてほしがるのよ)

 それは、未だにさっぱりわからない。
 自分のことを好きだからと言ってはいるが、好かれる心当たりなど、何もないのだ。
 
(もし本当にそうなんだとしたら、お父さんやお母さんの名誉を守るために、私が必要だったってこと?)

 キュッと、心臓が苦しくなる。
 もちろんこれは全て想像で、詩本人が何か言ったわけでもない。
 だが、見ず知らずの自分と結婚し、霊力目当てでもないのだ。どんなおかしな理由があっても、不思議ではないのかもしれない。

 その詩を見ると、未だ戦っている最中だ。仲間に引き込んだ数名と共に、次々と敵を打ち倒していっている。
 もちろん、いくらその姿を見ても、何を考えているかなどわかるはずもない。

「まあ僕としては、その辺りの事情なんてどうでもいいことだ。どんな理由であれ、詩にとって君が大切なら、利用する価値はある」
「えっ?」

 再び告げられた古空の言葉に、ハッとしたように彼を見る。
 するとその瞬間、彼の手が伸び、いつの間にか抜かれていた短刀が、喉元に突きつけられていた。

「やっ──!?」

 ヒヤリとした刃が、喉に触れる。恐怖で声をあげそうになるが、喉を押さえられては、それもできない。
 震える紬を見て、古空はニヤリと笑う。

「例えばそう、ここで君を人質にしたら、詩はどうするかな?」

 この男も、詩と次の当主の座を争う相手だ。そのこと今更ながら思い出し、背中に嫌な汗が伝った。