男が出てきたことで、場の緊張感がさらに増す。
 だが詩は、顔色ひとつ変えることなく相手を見据えた。

「俺も、不平不満があるなら無視はしたくないからね。言いたいことがあるなら、遠慮なしに言ってくれないか」
「ならば、言わせてもらおう。アヤカシの世界の勢力は、力によって決まるもの。大きな戦は長らく起こっていないが、力が全てというアヤカシの本質は変わらん」

 力が全て。
 紬にしてみればとんでもなく野蛮なことを言っているようだが、アヤカシにはアヤカシの常識がある。

 そんなアヤカシの世界の名家である玉藻の一族なら、より力にこだわっていても不思議は無い。

「そこにいる月城の花嫁。その体に満ちる霊力をいただけば、強大な力を得ることができる。にも関わらず、お前はそれをしようとしない!」

 男が一喝するように叫び、ギラギラとした目で紬を見る。
 彼だけではない。この場にいる何人かが、紬に対して似たような視線を送っている。

「確かに、彼女の霊力は相当なもの。離れていてもわかりますな」
「これを目の前にして手を出さぬとは、当主である前にアヤカシとしての名折れ」
「私なら、とっくに霊力を吸い取り力を得ているものを」

 だんだんと、詩に対して非難の言葉が出てくる。
 誰もが、紬のことを霊力を得るための餌としか見ていない。

 わかっていたことではあるが、それを聞くのはやはり気分は悪く、恐怖を感じずにはいられない。
 声が大きくなる度に、身がすくみ、体が震える。
 そんな紬を落ち着かせるように、詩が囁く。

「────大丈夫だよ。ちゃんと、守るから」

 そうして、次々に声をあげる者たちを、ゆっくりと見回した。

「何を言うかと思えば、そんなことか。くだらない」

 ため息をつき、呆れたように言う。そのバカにしたような物言いに、苛立つ者もいたかもしれない。
 しかも、それだけでは終わらなかった。

「霊力を吸って力を得る? どうして俺が、わざわざそんなことをしなきゃならない。既に、この中の誰よりも強いというのに」
「なんだと!」

 これには、それまで黙っていた者たちも不満の声をあげる。
 お前たち全員、自分よりも下。そんなことを言われて、怒らないはずがない。

(どうしてわざわざ挑発するようなことを言うの!?)

 詩も一緒に怒声を浴びていた紬は、生きた心地がしなかった。
 これでは守るどころか、彼自身の身すら危ういのではないか。

 しかし怒声が飛び交う中、ひとつだけ、楽しそうにケラケラと笑う声があった。
 沙紀だ。

「なるほどのう。元々力があるのなら、わざわざ他から得なくてもいい。確かにそれも一つの道理。文句があるのなら、力を示してから言うことじゃのう」

 とんでもない暴論だが、力にこだわる者たちだからこそ、この言葉は効いたようだ。皆悔しそうに顔をしかめ、声の勢いが明らかに衰える。
 さらに、沙紀は続けた。

「とはいえ、こんな言葉だけでは納得できぬものもおるじゃろう。力がなければ文句も言えんのならば、せめて力を示す機会くらいは私が与えてやろう。お主ら、詩と一戦交える気はあるか? その結果次第では、次の当主は誰か、考え直すやもしれんぞ」

 それを聞いて、これまでで一番大きなどよめきが起こる。
 驚いたのは、紬も同じだ。
 次の当主が、詩ではなく別の誰かに変わるかもしれない。そんなことになったら、自分も今まで通りではいられなくなるだろう。
 さらに、気になることは他にもある。

「一戦交えるって、勝負するってことよね。けど、それってまさか、ここにいる全員とじゃないわよね?」

 広間を見渡すと、今にも詩に挑んで来そうな者が何人もいる。
 詩や彼らの強さがどれほどのかは知らないが、その全てを相手にするとなると、いくらなんでも勝てるとは思えなかった。

「いいや。勝負を申し込まれたら、ちゃんと全員と戦うつもりだよ」
「そんな!?」

 紬の心配をよそに、詩はあっさり言い放つ。
 そんな無茶なと頭抱えそうになるが、詩は意外なくらいに冷静だった。

「大丈夫だよ。ここに来る前に言っただろ。もしも何かあったら、絶対に守るって」

 守る。もう何度目になるかわからないその言葉を告げると、そっと、紬の肩を抱き寄せる。

「信じてよ、俺のこと」

 その言葉に、体の震えが、ほんの少し止まる。
 詩に、どんな勝算があるのかはわからない。
 だが紬も、ここに来た時点で、危険な目にあうかもしれないというのはわかっていた。わかっていて、それでもここに来たのだ。
 その時の覚悟を、思い出す。

「わかったわよ。だから、絶対に勝ってね」