紬が嫁入りした時もそうだったが、アヤカシの世界では、未だに駕籠が使われているらしい。

 玉藻の本家へと赴くこの日、使いの籠がやって来た。

 用意されていた駕籠はふたつ。詩と共にそれぞれの籠に乗ってから、どれくらい経っただろう。
 それまで進んでいた駕籠が、急に止まった。
 駕籠についていた窓をそっと開いて様子を伺うと、一行の前にあったのは大きな薮だった。
 中に入るための道などない、本当にただの薮だ。

(道を間違えた? そんなわけないわよね?)

 不思議に思っていると、駕籠を担いでいたアヤカシが、薮に向かって手をかざす。
 すると今まで隙間なく生い茂っていた薮が、まるで生きているかのように動き、左右に割れた。

「なにこれ!?」

 驚く紬をよそに、再び動き出した一行は、藪の中にできた道を平然と進んでいく。
 そしてその先に見えてきたのは、城のように大きな建物だった。

「到着いたしました。どうぞ、お降り下さい」
「え、ええ……」

 促され外に出ると、隣の駕籠から、同じように詩が降りてくる。

「移動がちょっと長かったけど、疲れてない?」
「平気。けど、さっき薮が割れたのは、いったい何だったの」
「あれは、幻みたいなものかな。俺たち狐のアヤカシの使う妖術のひとつだよ。幻術って言うんだ」
「幻? あれが?」

 狐は人を化かす。
 詩たち玉藻の一族が、幻を見せたり催眠術のようなものをかけたりといった人の心を惑わせる術が得意という話は、前に聞いたことがある。
 だがあの薮は、どう見ても本物にしか思えなかった。

「幻ってことは、止まらず進んでいったら、中に入れたってこと?」
「いや、無理だね。少しでも本物かもって思ったら、心が幻に支配されて、中に入ることができないようになってるんだ。幻術ってのは、心に働きかける術でね、優れた術者なら、相手を意のままに操ったり記憶を自由に書き換えたりすることだってできるんだ」

 紬にとっては驚くべきことだが、詩はさらりと語る。
 そうしているうちに、城の中から一人の男が出てきた。
 小柄で、糸のように細い目をした男だ。

「詩様、よくぞお越しくださいました。そちらが、月城家から嫁いだ奥方様でしょうか」

 彼が紬を見た瞬間、ただでさえ細い目が、より一層鋭くなった気がした。
 挨拶をした方がいいだろうか。そう思ったが、紬が口を開くより先に、詩が答える。

「ああ。こっちの世界に来てまだ日が浅いから、あまり脅かさないように頼むよ」
「かしこまりました。では二人とも、どうぞこちらに。ご当主様も他の方々も、既に宴会の席でお待ちしてますよ」

 そうして、糸目の男に案内され、二人は城の中へと入っていく。
 しかし、なかなか目的の場所と思しき所にたどり着かない。

 建物が広いからというだけだはない。やたらと右に左に、それに階段を使って上へ下への移動を繰り返しているのだ。

 もうひとつ気になったのは、時折感じる視線だ。
 城の中には何体ものアヤカシがいて、何度もジロジロ見られていた。

「さすが月城家から来た花嫁様。注目されてますな」

 紬の心を読んだかのように糸目が言う。なんとも言えない居心地の悪さを感じたが、そんな紬を守るように、詩が間に立つ。

「それで、宴会の席まではまだなのかな。この長い廊下も、外の薮と同じ幻術なんだろ。無駄に歩かされると、紬が疲れるんだけど」
「えっ、この廊下も幻術なの?」
「ああ。本来の通路よりも、遥かに入り組んだものになってる。しかもしょっちゅう術をかけ直してるから、来る度に知らないところを歩いてる気分になるよ」

 幻術と聞いて改めて周りの様子を見てみるが、やはり実際の建物との違いなどわからなかった。

「幻術は、心の底から幻だって思うことができたら解くことができるけど、実際にそうするのは難しい。それよりは、用意されている解き方を試した方が早いんだ。この廊下の場合は、決まった道順を辿れば解くことができるんだけど、いつまでかかるんだ?」
「ご心配なく。宴会の会場はもうすぐですよ」

 糸目の男の言葉通り、それから少し歩いたところで、廊下が行き止まりになる。
 その先にあるのは、大きな襖。そして更にその向こう側には、たくさんの気配があった。

 糸目の男がスっと襖を開くと、予想通りそこには、たくさんのアヤカシがいた。
 そのうちの何人かは、体に狐の耳や尻尾がついていて、詩と同じ狐のアヤカシであるのがわかる。

 彼らは詩や紬に気づくと、いっせいにこちらを見る。
 中でも最も鋭い視線を放ってきたのは、部屋の一番奥の、一段高い場所に座っている女性だった。

「ようやく来たな、詩よ。花嫁殿も、よう参った」

 ニヤリと笑いながら、しかしどこか威圧するような口調で言う。 
 紬にとっては、もちろん初めて見る相手。しかし、誰かはすぐにわかった。
 明らかに上座と言える場所に堂々と鎮座する。そんな者など、一人しか思い当たらない。
 彼女が、玉藻家の当主だ。