甘味処の次に案内されたのは、街の中でも一際大きな建物。
何かの店のようだが、並べられているものを見ると、簪や着物、鍋や箒と、実に様々だ。
「ここ、どういうお店なの？」
「ここはちょっと特殊でね、どんなものでも取り扱っている、人間の世界で言うところのデパートやショッピングモールみたいなものなんだ」
この世界は、これだけ色々な種類の品物をひとつの店で取り扱うのは珍しいらしい。
他の店と比べて、建物が非常に大きいのも納得だ。
「何かほしいものでもあるの？」
「ああ。紬の服、せっかくだから色々買おうかなって思って」
「私の？ そんなのいらないわよ」
服なら、詩の屋敷に来た時には既にいくつも用意されていて、紬としてはこれ以上増えても仕方がない。
「まあ、とりあえずついてきてよ」
詩はそう言うと、店の奥へと入っていく。紬もその後に続いたが、詩は着物が置いてある場所を通りすぎ、さらに奥へと進んでいった。
「いったいどこに行くのよ？」
尋ねる紬だが、そこでようやく詩は足を止める。
彼の目の前には、キセルを加えた一人の女性が立っていた。
「あら、これは玉藻の若様。ようこそいらっしゃいました。おや、もしやその方が、噂の花嫁様ですか？」
「ああ。妻の紬だよ」
興味津々といった感じで見られること。何より妻と言われることに気恥ずかしさを覚える紬だったが、ここで反発しても仕方ない。
一歩前に出て、頭を下げる。
「月城紬と言います」
「おやおや、これはご丁寧に。アタシはこの万屋の主で、芝右衛門と言います。どうかお見知り置きを」
「芝右衛門？ 女の人なのに？」
サラリと名乗られるが、どう見ても女性である彼女が芝右衛門という名前なのは、どうにも違和感があった。
「混乱させてすみませんね。芝右衛門っていうのは、代々この店の主が名乗る名前なんですよ。それより玉藻の若様、わざわざ奥方を連れてきたってことは、例のアレが目当てでしょうか？」
「ああ。よろしく頼むよ」
二人は話しているが、紬にはなんのことだかさっぱりわからない。
それから、芝右衛門の案内でさらに店の奥に入っていく。そこは今まで歩いてきた売り場とは違い、店の者しか入れないような倉庫のような場所だった。
「こんなところ、入って大丈夫なの？」
「店主自らが案内してるんだから問題ないって。それより、見てみなよ」
詩はそう言い、倉庫の先を指さす。
そこにあったのは、女性用の服。ただし、この世界でよく見る着物ではなく、人間の世界にあるような洋服だった。
「この世界にも洋服ってあるの？」
「いえいえ。これは全て、人間の世界に行って買い付けてきたものですよ。アタシらアヤカシはまだまだ和服文化ですけどね、いずれは流行るかもしれないと思って、研究を兼ねて今のうちに仕入れているんです」
「人間の世界で買い付けたって、そんなことできるの？」
「もちろん。力の強いアヤカシなら、人間の目に映ることだってできますからね。それに、ほら」
芝右衛門はそこで一度言葉を切ると、むんと気合を入れて宙返りをする。
するととたんに、彼女の姿がスーツ姿の女性へと変わった。
かと思えば、次は子ども、その次は中年の男性と、次々に変化していく。
「アタシら芝右衛門の一族は、元々化けるのが得意な狸の一族なんです。何年か前に、若様に人間の世界には面白いものがあると言われたのがきっかけで、人間に化けて向こうの世界でも商売することを思いついたんですよ。これが名刺です」
受け取った名刺には、紬でも聞いたことのある会社の名前と、代表取締役社長の肩書きが書いてあった。
そういえば、前に詩が、アヤカシの中には人間のフリをして生活している者がいると言っていたのを思い出す。
信じられない話だが、彼女はそんなアヤカシの一人のようだ。
「というわけで芝右衛門さん、紬の服を買いたいから、似合いそうなの紹介してくれない？」
「えっ？ だから、服なんていらないってば！ 家にたくさんあるでしょ」
「洋服はひとつもないじゃないか。紬がここに来るために用意した荷物の中にもなかっただろ」
確かに詩の言う通り、彼の屋敷に用意されていた服は全て着物で、紬も自分の服なんて持ってこなかった。
というより、どうせ生贄同然の生活になるのだからと、荷物などほとんど持ってきていなかった。
「そりゃ洋服なんて持ってきてないけど、この世界でこんなの着たら目立つでしょ」
「アヤカシの中にはたまに奇抜な格好してる奴もいるから大丈夫だって。それに、人間の世界に遊びに行くことがあったら、必要になるかもしれないだろ」
「遊びに行く？ 人間の世界に!?」
紬にしてみれば、二度と人間の世界には戻れない覚悟でこっちに来たし、戻れるにしても詩との賭けの期間が終わる一年後だとばかり思っていたので、こんなにアッサリ行けると言われると、驚かずにはいられない。
「行こうと思えばいつでも行けるよ。どこか、行きたいところってある？」
ここで何か答えたら、詩は張り切って遊びに行く計画を立てそうだ。
しかし、紬は何も答えられない。
「別に、行きたいところなんてないわよ」
少し前まで、人間の世界には二度と戻れないと思っていたのだ。行ってみたい場所など、考えたこともなかった。
「本当に？ 紬と一緒に人間の世界を回ってみたいんだけどな」
「仕方ないじゃない。本当に、行きたい場所なんてないんだから」
それでも、こう言われた以上は、少しは考えてしまう。もしも本当に、どこにでも行けるというなら、行ってみたい場所はあるのかを。
そうして、一つだけ思いつく。
「────お母さん」
小さく、誰にも聞き取れないくらいの小さい声で呟く。同時に、胸の奥に鋭い痛みが走った。
「えっ？ 今、なんて言ったの？」
パッと顔を明るくし、興味津々に聞いてくる詩。
だが紬は、声を荒らげて叫ぶ。
「な、なんでもないわよ。行きたいところなんてないし、服もいらない。さっきからそう言ってるでしょ！」
うっかり声に出したことを後悔する。どうしてあの人のことを思い出してしまったのだろう。少し前に、詩の母親についての話が出てきたのも原因かもしれない。
詩は、こんな風に怒鳴られるとは思わなかったのだろう。場の空気が、凍りついたように固まっていた。
「あっ────ご、ごめん」
詩の様子を見て、とっさに謝る。
特別好かれようとは思っていないが、いきなりおかしな態度をとったのだ。さすがに申し訳なくなってくる。
「ごめん。俺、何か変なこと言った？」
「謝らないでよ。今のは、私が悪いんだから」
詩が謝ることなど何もない。だが、何があったかは話したくなかった。
沈黙するしかなく、それがさらに場の空気を凍りつかせていく。
（ど、どうしよう）
困り果てたその時だった。
事態を見守っていた芝右衛門が、パンと大きく手を叩いた。
「そうだ。この服、実際に着てみるのはどうです？」
場にそぐわないような、明るい声でそんなことを言う。
さらに、紬の手を取り引っ張ってきた。
「ここにある以外にも、服はまだまだありますからね。見るだけじゃなく実際に着てみたら、気に入るかもしれませんよ。そういうわけだから、玉藻の若様は、ちょっとここで待っていてくださいな」
「えっ？ えっ？」
戸惑う紬の手を引き、別のところに連れていこうとする芝右衛門。
このままついて行っていいのかと詩の顔を伺うが、彼も笑って頷いていた。
「芝右衛門さんに任せたら大丈夫だよ。それとも、着替えるところ、見せてくれるの？」
「なっ!?」
まさかの言葉に、カッと顔が熱くなる。
「見せるわけないでしょ。このバカ！」
思わず怒鳴るが、そんな彼女を見て、詩はニッコリと笑う。
「残念。それじゃあ、可愛くなったところをじっくり見せてね」
「うっ……」
からかわれた。そう気づいて、ますます体が火照ってくる。
だが、こんなバカなやり取りをしたおかげで、気まずい雰囲気が少し和らいだような気がした。
「それでは若様、しばしお待ちを」
ニコリと笑いながら言う芝右衛門。
結局紬は、そんな彼女に連れられ、その場を離れていった。
何かの店のようだが、並べられているものを見ると、簪や着物、鍋や箒と、実に様々だ。
「ここ、どういうお店なの？」
「ここはちょっと特殊でね、どんなものでも取り扱っている、人間の世界で言うところのデパートやショッピングモールみたいなものなんだ」
この世界は、これだけ色々な種類の品物をひとつの店で取り扱うのは珍しいらしい。
他の店と比べて、建物が非常に大きいのも納得だ。
「何かほしいものでもあるの？」
「ああ。紬の服、せっかくだから色々買おうかなって思って」
「私の？ そんなのいらないわよ」
服なら、詩の屋敷に来た時には既にいくつも用意されていて、紬としてはこれ以上増えても仕方がない。
「まあ、とりあえずついてきてよ」
詩はそう言うと、店の奥へと入っていく。紬もその後に続いたが、詩は着物が置いてある場所を通りすぎ、さらに奥へと進んでいった。
「いったいどこに行くのよ？」
尋ねる紬だが、そこでようやく詩は足を止める。
彼の目の前には、キセルを加えた一人の女性が立っていた。
「あら、これは玉藻の若様。ようこそいらっしゃいました。おや、もしやその方が、噂の花嫁様ですか？」
「ああ。妻の紬だよ」
興味津々といった感じで見られること。何より妻と言われることに気恥ずかしさを覚える紬だったが、ここで反発しても仕方ない。
一歩前に出て、頭を下げる。
「月城紬と言います」
「おやおや、これはご丁寧に。アタシはこの万屋の主で、芝右衛門と言います。どうかお見知り置きを」
「芝右衛門？ 女の人なのに？」
サラリと名乗られるが、どう見ても女性である彼女が芝右衛門という名前なのは、どうにも違和感があった。
「混乱させてすみませんね。芝右衛門っていうのは、代々この店の主が名乗る名前なんですよ。それより玉藻の若様、わざわざ奥方を連れてきたってことは、例のアレが目当てでしょうか？」
「ああ。よろしく頼むよ」
二人は話しているが、紬にはなんのことだかさっぱりわからない。
それから、芝右衛門の案内でさらに店の奥に入っていく。そこは今まで歩いてきた売り場とは違い、店の者しか入れないような倉庫のような場所だった。
「こんなところ、入って大丈夫なの？」
「店主自らが案内してるんだから問題ないって。それより、見てみなよ」
詩はそう言い、倉庫の先を指さす。
そこにあったのは、女性用の服。ただし、この世界でよく見る着物ではなく、人間の世界にあるような洋服だった。
「この世界にも洋服ってあるの？」
「いえいえ。これは全て、人間の世界に行って買い付けてきたものですよ。アタシらアヤカシはまだまだ和服文化ですけどね、いずれは流行るかもしれないと思って、研究を兼ねて今のうちに仕入れているんです」
「人間の世界で買い付けたって、そんなことできるの？」
「もちろん。力の強いアヤカシなら、人間の目に映ることだってできますからね。それに、ほら」
芝右衛門はそこで一度言葉を切ると、むんと気合を入れて宙返りをする。
するととたんに、彼女の姿がスーツ姿の女性へと変わった。
かと思えば、次は子ども、その次は中年の男性と、次々に変化していく。
「アタシら芝右衛門の一族は、元々化けるのが得意な狸の一族なんです。何年か前に、若様に人間の世界には面白いものがあると言われたのがきっかけで、人間に化けて向こうの世界でも商売することを思いついたんですよ。これが名刺です」
受け取った名刺には、紬でも聞いたことのある会社の名前と、代表取締役社長の肩書きが書いてあった。
そういえば、前に詩が、アヤカシの中には人間のフリをして生活している者がいると言っていたのを思い出す。
信じられない話だが、彼女はそんなアヤカシの一人のようだ。
「というわけで芝右衛門さん、紬の服を買いたいから、似合いそうなの紹介してくれない？」
「えっ？ だから、服なんていらないってば！ 家にたくさんあるでしょ」
「洋服はひとつもないじゃないか。紬がここに来るために用意した荷物の中にもなかっただろ」
確かに詩の言う通り、彼の屋敷に用意されていた服は全て着物で、紬も自分の服なんて持ってこなかった。
というより、どうせ生贄同然の生活になるのだからと、荷物などほとんど持ってきていなかった。
「そりゃ洋服なんて持ってきてないけど、この世界でこんなの着たら目立つでしょ」
「アヤカシの中にはたまに奇抜な格好してる奴もいるから大丈夫だって。それに、人間の世界に遊びに行くことがあったら、必要になるかもしれないだろ」
「遊びに行く？ 人間の世界に!?」
紬にしてみれば、二度と人間の世界には戻れない覚悟でこっちに来たし、戻れるにしても詩との賭けの期間が終わる一年後だとばかり思っていたので、こんなにアッサリ行けると言われると、驚かずにはいられない。
「行こうと思えばいつでも行けるよ。どこか、行きたいところってある？」
ここで何か答えたら、詩は張り切って遊びに行く計画を立てそうだ。
しかし、紬は何も答えられない。
「別に、行きたいところなんてないわよ」
少し前まで、人間の世界には二度と戻れないと思っていたのだ。行ってみたい場所など、考えたこともなかった。
「本当に？ 紬と一緒に人間の世界を回ってみたいんだけどな」
「仕方ないじゃない。本当に、行きたい場所なんてないんだから」
それでも、こう言われた以上は、少しは考えてしまう。もしも本当に、どこにでも行けるというなら、行ってみたい場所はあるのかを。
そうして、一つだけ思いつく。
「────お母さん」
小さく、誰にも聞き取れないくらいの小さい声で呟く。同時に、胸の奥に鋭い痛みが走った。
「えっ？ 今、なんて言ったの？」
パッと顔を明るくし、興味津々に聞いてくる詩。
だが紬は、声を荒らげて叫ぶ。
「な、なんでもないわよ。行きたいところなんてないし、服もいらない。さっきからそう言ってるでしょ！」
うっかり声に出したことを後悔する。どうしてあの人のことを思い出してしまったのだろう。少し前に、詩の母親についての話が出てきたのも原因かもしれない。
詩は、こんな風に怒鳴られるとは思わなかったのだろう。場の空気が、凍りついたように固まっていた。
「あっ────ご、ごめん」
詩の様子を見て、とっさに謝る。
特別好かれようとは思っていないが、いきなりおかしな態度をとったのだ。さすがに申し訳なくなってくる。
「ごめん。俺、何か変なこと言った？」
「謝らないでよ。今のは、私が悪いんだから」
詩が謝ることなど何もない。だが、何があったかは話したくなかった。
沈黙するしかなく、それがさらに場の空気を凍りつかせていく。
（ど、どうしよう）
困り果てたその時だった。
事態を見守っていた芝右衛門が、パンと大きく手を叩いた。
「そうだ。この服、実際に着てみるのはどうです？」
場にそぐわないような、明るい声でそんなことを言う。
さらに、紬の手を取り引っ張ってきた。
「ここにある以外にも、服はまだまだありますからね。見るだけじゃなく実際に着てみたら、気に入るかもしれませんよ。そういうわけだから、玉藻の若様は、ちょっとここで待っていてくださいな」
「えっ？ えっ？」
戸惑う紬の手を引き、別のところに連れていこうとする芝右衛門。
このままついて行っていいのかと詩の顔を伺うが、彼も笑って頷いていた。
「芝右衛門さんに任せたら大丈夫だよ。それとも、着替えるところ、見せてくれるの？」
「なっ!?」
まさかの言葉に、カッと顔が熱くなる。
「見せるわけないでしょ。このバカ！」
思わず怒鳴るが、そんな彼女を見て、詩はニッコリと笑う。
「残念。それじゃあ、可愛くなったところをじっくり見せてね」
「うっ……」
からかわれた。そう気づいて、ますます体が火照ってくる。
だが、こんなバカなやり取りをしたおかげで、気まずい雰囲気が少し和らいだような気がした。
「それでは若様、しばしお待ちを」
ニコリと笑いながら言う芝右衛門。
結局紬は、そんな彼女に連れられ、その場を離れていった。
