三
新学期が始まって何週間か経った休日、中間テストの勉強をしていると机の上のスマホが震えた。皐月からのメッセージだった。
《テストが終わったら、この映画を観に行こう! 啓も行くよ》
読み終わるのとほぼ同時に、映画のキービジュアルも送られてきた。丁度観たいと思っていた映画で、皐月との付き合いの長さを実感する。それにしても、皐月と出かけるときはいつも二人きりだったから、同級生の男子がいるのは新鮮だ。まだ知り合って日は浅いが、これは早川と教科書を貸し借りする以上の仲になるチャンスかもしれない。二つ返事で了承した。
テストも中学校時代と変わらず大体の教科が平均点という何とも言えない結果で終わり、すぐに約束の日になった。当日俺は頼んでもない皐月のモーニングコールで起こされた。朝五時前に。
『隼太! ごめん、朝早くに。私、今日行けなくなっちゃって』
「ん、えぇ?」
眠気と電話越しの相手の騒がしさで状況がよく飲み込めない。
『パパが勝手に大事な会食を入れちゃってて。私も行くことになってたらしいの。決まったならすぐ言ってほしいよね』
「あぁ・・・・・・うん」
突拍子もなくて、変な相槌になってしまった。皐月はかなり憤慨しているようで、声を荒げている。相当行きたかったのだろう。
『でも、もうチケットは買っちゃったから二人で行ってきなよ。啓が迎えに行くからさ』
「えっあ、うん」
正直、今まで三人でいるときにしか会ったことのない早川とサシで会うのは緊張する。あの無表情から今まで感情を読み取れたことはない。でも、映画は観たい。結局、何も言わず約束の時間まで早川を待つことにした。
出発時間に設定していた九時ぴったりにインターホンが鳴る。扉の前には学校のときと変わらない、姿勢を正した無表情のスレンダーな男が立っている。姿勢を正して「おはようございます」と挨拶された。
「お嬢様のお仕えはいいの?」
「それは学校内での仕事ですので」
堅い言い回しにこっちが疲れてくる。普段は長時間一緒にいないから気にならなかったが、同級生だというのに敬語ではかなりよそよそしくて気づまりだ。
「俺たち同級生なんだからタメでいいよ」
「・・・・・・わかりました、あ、わかった」
心なしか微笑んでいる気がするのは俺の願望なのだろうか。一条家が出してくれた車はビップ感が溢れ出ていて性に合わないため、時間にも余裕があるしと言って電車で行くことを提案すると、意外とあっさり聞きいれてくれた。聞くところによると、高校生になるまでは移動は電車が主だったらしい。庶民派なのかもしれない。普段大金持ちに仕えている人の鞄から交通系ICカードが出てくるのがなぜだか面白かった。
映画館に来るのは久しぶりで、薄暗い空間にちょっとわくわくする。さすがは皐月、予約する席もプレミアムシートだった。椅子の角度も変えられて、想像以上にふかふかな座り心地だ。これでは映画より睡眠に主導権を握られそう。少しうつらうつらしていたら、目の前にでかい影が現れた。手にはポップコーンとジュースを持っている。先に席に着いていてと言われたからトイレに行ったと思っていたが、食べ物を買ってきてくれていたのか。
「これ、どうぞ。先にお好きなものは聞いていたのですが、これで大丈夫ですか?」
プレートには俺の好きなメロンソーダとキャラメルポップコーンが乗っている。友人に子供っぽいと言われてから避けていたが、当たりだ。皐月の記憶力、恐るべし。
「ありがとう、いくらだった?」
「いいですよ、今日は少しお小遣いが出されているので」
「俺が嫌なの、友達に支払わせるのが」
早川はきょとんとした顔を俺に向けている。あれ、まだ友達ではないのか。この男の考えていることはわかりかねる。
「じゃあ、友達・・・・・・なので割り勘で」
今度はなんだか口角が微細に上がっている。今回は俺の気のせいではないと思う。意外と感情は顔に出ているものなのだとわかり、早川をほんの少しだけ理解できた気になる。財布を取り出しながら、冗談っぽく言ってみる。
「じゃあまずその敬語、さっきも言ったけど友達ならやめてよ」
「あ、すみません」
馬鹿正直にまた敬語で誤ってしまう早川が面白くて、ふはっと声に出して笑ってしまった。「何が面白いんだろう」みたいな顔で見つめられるから、もっとツボに入ってしまう。
映画は期待を大きく下回るものだった。途中から寝息を立てていたら、早川に肘で小突かれた。早川も半分くらい目が閉じかけていたくせに。ポップコーンだけでは小腹がすくので、早川が行ったことのないというハンバーガーチェーン店に入る。俺は中学時代に友人と行ったことがあるが、お手伝いさんが作るご飯と比べたらまあまあだと思う。そんな俺の品評を聞き流しながらハンバーガーを食べる早川の勢いは止まらない。表情には全く出さないが、美味しいんだということがわかる。普段食べている一条家の食事の方が美味しいに決まっているのに、早川にはこっちの方が味覚に合っているのか。
「美味しい」
一通り食べた後に発した言葉はそれだけだった。中でもポテトが気に入ったようで、帰りにテイクアウトでも買っていた。無表情には変わりないが、やたら幸せそうに見える、のも気のせいじゃないと思う。
俺の感性は間違っていなかったようで、帰宅後お風呂から出ると早川から一件のメッセージが入っていた。
《今日はありがとう。楽しかった。また遊びたい》
可愛らしい見た目のキャラクタースタンプが添えられている。この表情をしている早川を思い浮かべてみると、吹き出しそうになる。いつもこれくらい表情を変えたらいいのにと思うけれど、これはこれでギャップがあっていい。ほとんど表情を崩さない早川が楽しかったと思っていてくれたことには驚きだ。「俺も楽しかった。ありがとう」とだけ打って返した。本心で楽しいと思った。男友達と遊びにでかけたのはほとんど初めてだから。
新学期が始まって何週間か経った休日、中間テストの勉強をしていると机の上のスマホが震えた。皐月からのメッセージだった。
《テストが終わったら、この映画を観に行こう! 啓も行くよ》
読み終わるのとほぼ同時に、映画のキービジュアルも送られてきた。丁度観たいと思っていた映画で、皐月との付き合いの長さを実感する。それにしても、皐月と出かけるときはいつも二人きりだったから、同級生の男子がいるのは新鮮だ。まだ知り合って日は浅いが、これは早川と教科書を貸し借りする以上の仲になるチャンスかもしれない。二つ返事で了承した。
テストも中学校時代と変わらず大体の教科が平均点という何とも言えない結果で終わり、すぐに約束の日になった。当日俺は頼んでもない皐月のモーニングコールで起こされた。朝五時前に。
『隼太! ごめん、朝早くに。私、今日行けなくなっちゃって』
「ん、えぇ?」
眠気と電話越しの相手の騒がしさで状況がよく飲み込めない。
『パパが勝手に大事な会食を入れちゃってて。私も行くことになってたらしいの。決まったならすぐ言ってほしいよね』
「あぁ・・・・・・うん」
突拍子もなくて、変な相槌になってしまった。皐月はかなり憤慨しているようで、声を荒げている。相当行きたかったのだろう。
『でも、もうチケットは買っちゃったから二人で行ってきなよ。啓が迎えに行くからさ』
「えっあ、うん」
正直、今まで三人でいるときにしか会ったことのない早川とサシで会うのは緊張する。あの無表情から今まで感情を読み取れたことはない。でも、映画は観たい。結局、何も言わず約束の時間まで早川を待つことにした。
出発時間に設定していた九時ぴったりにインターホンが鳴る。扉の前には学校のときと変わらない、姿勢を正した無表情のスレンダーな男が立っている。姿勢を正して「おはようございます」と挨拶された。
「お嬢様のお仕えはいいの?」
「それは学校内での仕事ですので」
堅い言い回しにこっちが疲れてくる。普段は長時間一緒にいないから気にならなかったが、同級生だというのに敬語ではかなりよそよそしくて気づまりだ。
「俺たち同級生なんだからタメでいいよ」
「・・・・・・わかりました、あ、わかった」
心なしか微笑んでいる気がするのは俺の願望なのだろうか。一条家が出してくれた車はビップ感が溢れ出ていて性に合わないため、時間にも余裕があるしと言って電車で行くことを提案すると、意外とあっさり聞きいれてくれた。聞くところによると、高校生になるまでは移動は電車が主だったらしい。庶民派なのかもしれない。普段大金持ちに仕えている人の鞄から交通系ICカードが出てくるのがなぜだか面白かった。
映画館に来るのは久しぶりで、薄暗い空間にちょっとわくわくする。さすがは皐月、予約する席もプレミアムシートだった。椅子の角度も変えられて、想像以上にふかふかな座り心地だ。これでは映画より睡眠に主導権を握られそう。少しうつらうつらしていたら、目の前にでかい影が現れた。手にはポップコーンとジュースを持っている。先に席に着いていてと言われたからトイレに行ったと思っていたが、食べ物を買ってきてくれていたのか。
「これ、どうぞ。先にお好きなものは聞いていたのですが、これで大丈夫ですか?」
プレートには俺の好きなメロンソーダとキャラメルポップコーンが乗っている。友人に子供っぽいと言われてから避けていたが、当たりだ。皐月の記憶力、恐るべし。
「ありがとう、いくらだった?」
「いいですよ、今日は少しお小遣いが出されているので」
「俺が嫌なの、友達に支払わせるのが」
早川はきょとんとした顔を俺に向けている。あれ、まだ友達ではないのか。この男の考えていることはわかりかねる。
「じゃあ、友達・・・・・・なので割り勘で」
今度はなんだか口角が微細に上がっている。今回は俺の気のせいではないと思う。意外と感情は顔に出ているものなのだとわかり、早川をほんの少しだけ理解できた気になる。財布を取り出しながら、冗談っぽく言ってみる。
「じゃあまずその敬語、さっきも言ったけど友達ならやめてよ」
「あ、すみません」
馬鹿正直にまた敬語で誤ってしまう早川が面白くて、ふはっと声に出して笑ってしまった。「何が面白いんだろう」みたいな顔で見つめられるから、もっとツボに入ってしまう。
映画は期待を大きく下回るものだった。途中から寝息を立てていたら、早川に肘で小突かれた。早川も半分くらい目が閉じかけていたくせに。ポップコーンだけでは小腹がすくので、早川が行ったことのないというハンバーガーチェーン店に入る。俺は中学時代に友人と行ったことがあるが、お手伝いさんが作るご飯と比べたらまあまあだと思う。そんな俺の品評を聞き流しながらハンバーガーを食べる早川の勢いは止まらない。表情には全く出さないが、美味しいんだということがわかる。普段食べている一条家の食事の方が美味しいに決まっているのに、早川にはこっちの方が味覚に合っているのか。
「美味しい」
一通り食べた後に発した言葉はそれだけだった。中でもポテトが気に入ったようで、帰りにテイクアウトでも買っていた。無表情には変わりないが、やたら幸せそうに見える、のも気のせいじゃないと思う。
俺の感性は間違っていなかったようで、帰宅後お風呂から出ると早川から一件のメッセージが入っていた。
《今日はありがとう。楽しかった。また遊びたい》
可愛らしい見た目のキャラクタースタンプが添えられている。この表情をしている早川を思い浮かべてみると、吹き出しそうになる。いつもこれくらい表情を変えたらいいのにと思うけれど、これはこれでギャップがあっていい。ほとんど表情を崩さない早川が楽しかったと思っていてくれたことには驚きだ。「俺も楽しかった。ありがとう」とだけ打って返した。本心で楽しいと思った。男友達と遊びにでかけたのはほとんど初めてだから。
