二
二時間目を終え次の授業の教科書を見るともなく見ていると、遠くから自分の名前が呼ばれる。小学校の時にからかわれていたせいで育てられた地獄耳がそれを拾い上げる。振り向くと、声の主はもう間近に着ていた。
「早家啓って人が訪ねてきてるけど」
教室の入り口に目を向けると、早川が顔を覗かせている。俺と視線が合っても、ただ視線を送り返してくるだけだ。埒が明かないので、ひとまず早川に近づくと、視線をそらされる。入学式から皐月と俺と早川の三人で登校時間を共に過ごしているが、未だに早川のペースが掴めない。彼はいつも無表情で俺たちの会話を聞いている。たまに皐月の問いかけに答えはするが、それ以上の発言はしない。そんな彼が初めて俺の教室を訪ねてきた。今から何を言われるんだろう。
「すみません、もし持っていたら英語の教科書を貸していただけませんか」
なんだそんなことか。初対面と同様に、えらく腰の低い物言いだった。真面目そうなのにこういうところがあるんだ。ただ教科書を借りるだけなのにおっかなびっくりの様子で、取引先に謝罪電話をしている父親を思い出した。
「いいよ、今持ってくる」
「ありがとうございます」
先ほどまで使っていた教科書を手渡すと、きれいなお辞儀をして去っていく。いつもは気にしたことがなかったが、歩き方まで紳士然としている。一体何歳から鍛えられてきたんだ。そういえばと思い出し、声をかける。
「早川、ちょっと待って」
「なんでしょう」
「連絡先交換してなかったよね? こういうとき先に連絡してもらえれば来る前に貸せるかどうか判断できるから、もしよかったら交換してよ。ラインやってる?」
「皐月様に言われて始めました」
そう言って早川がこちらに向けたスマホの画面には、皐月とのトーク履歴しか映っていない。友達が一人しかいないラインなんて見たことなかったから、その画面のもの淋しさが身に染みる。皐月以外に友達はいるのだろうか。
「はい、追加できた。ありがとう」
「ありがとうございます」
俺が友達欄に表示されたのを数秒眺めて去って行った。
早川からの連絡は早かった。二時間目の終わりごろにスマホが振動し見てみると早川からだった。まだチャイムは鳴っていないから、授業が早めに終わったのだろう。
《早川です。お菓子は何が好きでしょうか》
最初に小学生みたいな質問をされて吹き出してしまった。黒板に文字を書いている先生の手が止まる。口うるさい国語教師の小言が始まるかと思われたが、運よくチャイムが味方してくれた。そこで一旦授業はお開きとなる。特出して好きなお菓子もないので、適当にたまに食べるグミの名前を添えて送る。
放課後、掃除をしているとまた名前を呼ばれた。来るときは連絡してといったつもりだったんだけどなと机に置きっぱなしのスマホを見るとちゃんとメッセージが来ている。
《放課後そちらのクラスに伺います》
早川は律儀にも教科書とともに俺がさっき言ったグミを買ってきていた。
「このグミ丁度購買部にあったのでよかったら」
教科書ごときで、と断るが押し問答をするのも面倒くさいので受け取った。でも人から貰ったグミはいつもより美味しいような気がした。
どうやら早川は意外とおっちょこちょいらしく、あれからしょっちゅう俺のところに教科書やらなんやらを借りに来ている。そのたびにお菓子を貰っていてはこちらとしても申し訳ないので、二回目からは辞退している。そもそも、早川が忘れなければいい話なのだが。
二時間目を終え次の授業の教科書を見るともなく見ていると、遠くから自分の名前が呼ばれる。小学校の時にからかわれていたせいで育てられた地獄耳がそれを拾い上げる。振り向くと、声の主はもう間近に着ていた。
「早家啓って人が訪ねてきてるけど」
教室の入り口に目を向けると、早川が顔を覗かせている。俺と視線が合っても、ただ視線を送り返してくるだけだ。埒が明かないので、ひとまず早川に近づくと、視線をそらされる。入学式から皐月と俺と早川の三人で登校時間を共に過ごしているが、未だに早川のペースが掴めない。彼はいつも無表情で俺たちの会話を聞いている。たまに皐月の問いかけに答えはするが、それ以上の発言はしない。そんな彼が初めて俺の教室を訪ねてきた。今から何を言われるんだろう。
「すみません、もし持っていたら英語の教科書を貸していただけませんか」
なんだそんなことか。初対面と同様に、えらく腰の低い物言いだった。真面目そうなのにこういうところがあるんだ。ただ教科書を借りるだけなのにおっかなびっくりの様子で、取引先に謝罪電話をしている父親を思い出した。
「いいよ、今持ってくる」
「ありがとうございます」
先ほどまで使っていた教科書を手渡すと、きれいなお辞儀をして去っていく。いつもは気にしたことがなかったが、歩き方まで紳士然としている。一体何歳から鍛えられてきたんだ。そういえばと思い出し、声をかける。
「早川、ちょっと待って」
「なんでしょう」
「連絡先交換してなかったよね? こういうとき先に連絡してもらえれば来る前に貸せるかどうか判断できるから、もしよかったら交換してよ。ラインやってる?」
「皐月様に言われて始めました」
そう言って早川がこちらに向けたスマホの画面には、皐月とのトーク履歴しか映っていない。友達が一人しかいないラインなんて見たことなかったから、その画面のもの淋しさが身に染みる。皐月以外に友達はいるのだろうか。
「はい、追加できた。ありがとう」
「ありがとうございます」
俺が友達欄に表示されたのを数秒眺めて去って行った。
早川からの連絡は早かった。二時間目の終わりごろにスマホが振動し見てみると早川からだった。まだチャイムは鳴っていないから、授業が早めに終わったのだろう。
《早川です。お菓子は何が好きでしょうか》
最初に小学生みたいな質問をされて吹き出してしまった。黒板に文字を書いている先生の手が止まる。口うるさい国語教師の小言が始まるかと思われたが、運よくチャイムが味方してくれた。そこで一旦授業はお開きとなる。特出して好きなお菓子もないので、適当にたまに食べるグミの名前を添えて送る。
放課後、掃除をしているとまた名前を呼ばれた。来るときは連絡してといったつもりだったんだけどなと机に置きっぱなしのスマホを見るとちゃんとメッセージが来ている。
《放課後そちらのクラスに伺います》
早川は律儀にも教科書とともに俺がさっき言ったグミを買ってきていた。
「このグミ丁度購買部にあったのでよかったら」
教科書ごときで、と断るが押し問答をするのも面倒くさいので受け取った。でも人から貰ったグミはいつもより美味しいような気がした。
どうやら早川は意外とおっちょこちょいらしく、あれからしょっちゅう俺のところに教科書やらなんやらを借りに来ている。そのたびにお菓子を貰っていてはこちらとしても申し訳ないので、二回目からは辞退している。そもそも、早川が忘れなければいい話なのだが。
