高校に入って三度目の春が来た。今回の別離は啓の本心を知っているから、心に余裕がある。皐月の父親に怒られてから喫茶店には行っていない。あの父親のことだ、つけられているかもしれない。あの日から一か月経った。今日は、誰にもついてこられていないのを確認して喫茶店に向かっている。危険を冒しても、会いたかった。せめて一言別れを告げたかった。
 開店より十分早く着いてしまい、周辺の店でぶらぶらする。気持ちが高鳴って落ち着かない。待っていてくれてるかな。ウィンドウショッピングを終えて店先に戻ると、『OPEN』と書かれた板が掛かっていた。陽光が差す扉を押し開ける。店主にいつもの調子でいらっしゃいませと言われる。
「ああ、君。早川くんの友達だよね?」
「あ、はい」
「早川くんならやめたよ」
「・・・・・・どういうことですか」
「突然やめると言ってましたよ。もし君が来たら伝えておいてほしいと」
 うまく呼吸ができない。心臓の音がこだまして周りの音が聞こえない。
「やめた理由は!」
「それは・・・・・・詳しくは知らないけど、家の事情ですぐにやめなければいけないと言ってましたね」
「そうですか・・・・・・」
 きっと皐月の父親にやめさせられたのだ。俺が来ても会えないように。悔しい。あの男の掌の上で踊らされているのが。あの男のせいで苦しまないといけないことが。啓を苦しめてしまっていることが。
「あとこれ、手紙を渡してくれと」
 真っ白な便箋を渡された。中を見ると、『もう好きじゃなくなった』と濃い字で書いてある。いつもは筆跡が薄い啓が、紙がよれるほど強く書いた意味。抵抗している。嘘。俺はこれが書かされたものだとわかっている。
 そのまま帰るのも嫌だったのでコーヒーを一杯頼み、啓からの手紙を何度も読んだ。たった十一文字だけれど、久しぶりに見た啓の文字が嬉しくてたまらない。
 俺は決めた。皐月の父を説得して、啓を取り戻す。受け入れてもらえなくてもいい。会うことを認めてもらえれば。
直接話したら喧嘩になってしまうだろうから、手紙を書こう。理解して欲しいとは言わないから、放っておいて欲しい。


 それから、学校の勉強にこれまで以上に取り組んだ。啓が俺を想ってくれているだろうという確信を深く胸に刻んで。劇的な変化が訪れたわけではないけれど、大学に進学できるほどの成績はおさめている。それによって、母や父から心配されることも減った。皐月とは、それなりに仲良くしている。流石に皐月の家に行くことはできていないが。
 それと、皐月の父親宛に手紙を書いた。啓と俺は愛し合っていること、お互いがいることで幸せになれること、皐月はいい人だと思うが結婚はできないこと。そして、同性愛を理解してくれなくていいから啓と俺のことをそっとしておいて欲しいこと。このことで何も危害を加えてほしくないこと。大半がこれまで直接言ってきたことだが、もう一度熱を込めて自分の思いを書く。一行読んで捨てられてしまうかもしれない。でも、少しでも伝わったらいいなと思って。
 その手紙を書いた二ヶ月後、皐月からお呼びがかかった。
 また同じことを言われるのだろうなと思いながら、皐月の家に久しぶりに入る。家にはその家族特有の匂いが漂う。皐月の家はスッキリしたいい匂いだ。久しぶりにその匂いを嗅いで、ずっとこの家との関係を絶っていたことを実感させられる。
 リビングには、皐月と両親がいた。以前のような鋭い視線を感じない。皐月も微笑んで迎えてくれる。皐月が椅子に招くのに従って、着席した。
「先日は、あのような物言いをして本当に申し訳なかった」
 目の前にいる男から発された言葉は予想外のものだった。大の大人が高校生に頭を下げている。まばらに生えた白髪で歳の差を感じる。啓の黒光りする髪もいつかこんな風になるのだろうか。いらぬことを考えてしまう。
「あ、頭を上げてください、私も一条さんにあんなに口答えしてしまって申し訳ありませんでした」
 慌てて自分も頭を下げる。どういった風の吹き回しなのか。眉を下げた顔がこちらを見ている。
「隼太くんからの手紙と、皐月の言葉で、君と啓に非常に申し訳ないことをしたと思い知った」
 あの手紙を読んでくれたのだ。俺が全ての思いを書いた手紙を。
「そうでしたか・・・・・・皐月からの言葉って?」
「皐月は隼太くんが幸せならそっちを選んで欲しいと。隼太くんを諦めたわけじゃないけれど、君の幸せを願ってるからと。それと、人が愛するのに男も女もないって。私が人の意思で妻と引き離されていたらどう思うかと言われた」
「ちょっと、恥ずかしいから言わないでよ! 今聞いたらカッコつけすぎて無理!」
 皐月は恥ずかしいと言っても、俺にとっては後生大事にしようと思う言葉だ。皐月の父親の心変わりは俺の手紙のおかげじゃない、皐月のおかげだ。父親は娘に敵わないという噂は本当みたいだ。
「皐月、ありがとう。ごめんね」
「いいの、その代わり幸せにならないとダメだから」
「じゃあ、俺たちのことは・・・・・・」
「会社の評判が気にかかるとしても他人の私が口を出せることじゃないということにやっと気づいたんだ。本当にすまなかった。全てを受け入れるのには多少時間がかかると思うが、これ以上私が口を挟むことはない。すまなかった」
 もう一度頭を下げられる。頭を上げてくださいとは言うけれど、実際は皐月の父親に謝罪されたことに喜びを感じていないわけではなかった。やっと気持ちを理解してもらえた。こうやって、一人ずつでいいから理解が広まってくれたらいいのに。
「では啓に会わせてくれるんですね」
「あぁ、そのことなんだが・・・・・・隼太くんから離れてくれと言ったら行先も告げずに引っ越してしまったんだ・・・・・・啓の両親にはまたうちで雇われたと言ったらしい。だから、もう一度謝ることになってしまうが、啓の居場所はわからない。すまない」