六
新しい年を迎えても冬の厳しさは一段と深まるばかり。冬休みとは毎年儚く去ってゆくもので、啓とクリスマスイブ以降出かける暇もなく過ぎ去っていった。また家と学校を往復する日常が始まった。しかも、三学期は二月に学年末テストがあるためにデートをするのも難しい。それでも毎日啓と登校することができるようになるのは嬉しい。俺がプレゼントしたマフラーをつけてくれている。
二月に入って少し経った頃、啓が珍しく昼休みに呼び出してきた。学年末テストを一週間後に控えた金曜日だから昼休みに廊下を出歩く人は少なく、閑散としている。啓が待ち合わせ場所に指定してきたのは文化部棟。テスト期間は部活がないので逢引きにはうってつけだ。
長く使われていないだろう、鄙びた空き部屋の扉を開ける。啓は中で窓の外を見ていた。
「急にどうしたの? ここでしか話せないこと?」
廊下のスピーカーから流れるお昼の放送がドアを閉めても漏れ聞こえてくる。
「これ・・・・・・ハッピーバレンタイン」
啓は照れ隠しのようにぶっきらぼうに、シックなカラーの袋を突き付ける。すっかり忘れていたけれど今日は二月十四日、バレンタインだった。自分が用意していないことが後ろめたく、ぎこちなくありがとうと言って受け取った。
「チョコ・・・・・・好きじゃなかった?」
俺の煮え切らない表情を見て不安になったであろう啓がおそるおそるという風に聞いてきた。
「いや、好きだよ! でも俺何も用意してなくて・・・・・・」
「ふはっ、知らないの? ホワイトデーにお返しするんだよ」
「それは知ってるよ! じゃあ、そのときで・・・・・・。本当、ありがとう、大事に食べるよ」
「腐っちゃうから早く食べて」
こちらをからかうような小悪魔的な微笑をたたえている。こんな魅惑的な笑顔もできるようになったのか。
「これ、もしかして手作り?」
「うん、皐月さんに教えてもらった」
「え?」
「皐月さんのチョコ作りを手伝っているときに、好きな人いないのって聞かれたからいるって言ったら俺が渡す分も作ろうってことになって」
「皐月に何か聞かれた?」
「いや、男子が送るのも今時普通だからって」
「好きな人のことについては何か話した?」
「それは、流石に隼太とは言ってない」
「そっか・・・・・・そうだよな」
一瞬、ほんの一瞬だけれど啓の瞳に陰りが見えた気がした。しかし話しかけようとしたら「チョコ食べて」と言われその話は終わりにされた。
封を開けるといい匂いが鼻腔を通り抜けた。形が美しく、売り物だと言われても信じてしまうような見た目だ。口に含んで舐めるとビターな味が広がる。そして溶けてきた外殻を歯で割ると、中には甘いチョコが隠れていた。中と外で甘さがちょうどいい。
「うまい」
もう一度この甘露を味わいたくて、もう一粒口に放り込む。
「本当? よかったぁ」
よっぽど俺の反応が不安だったのか、はあっと息をついている。
チョコの袋を持って教室に入ったらよく話すクラスメイトにからかわれた。教室に入れば俺は皐月の許婚ということになる。俺は皐月からだと言っておどけてみせた。もちろん皐月からは放課後に貰った。ホワイトチョコで、甘かった。
啓の想いに応えて俺も手作りで返そうと意気込んだのはいいが、前日になって苦労した。今まで皐月には市販のチョコを渡していたから、手作り経験はない。ネットで見つけたレシピを頼りにたどたどしく作業を進めていく。早くも台所がものでいっぱいになっている。でも、啓のことを想いながら作っていると不思議と口角が上がって来る。
慣れないことに疲弊しながらも完成したのは不格好なクッキーだった。できるだけいい形のものを寄せ集めても、綺麗とは言えない。作り直す材料も時間もないので諦めて袋に入れていく。皐月の分もついでに作っていたのに、納得できる完成度の物がもうないので皐月には今年も市販のものを渡そう。
三月に入ると、授業自体はなくなる。大掃除やら、全校集会やら、あってもなくてもいいような行事が残るのみだ。その中でも今日は生徒が楽しみにしている球技大会だ。
「九条はバレー?」
「うん」
勉強が好きでも嫌いでもない自分にとっては家でまったりしていたい気もするが、これも出席を取られるので仕方がない。チームスポーツが特に苦手なのに、じゃんけんで負けてバレーになってしまった。
バレー部員が勢揃いのクラスに最初の試合であたり、俺のクラスのバレーチームは初戦敗退した。相手が相手だったために誰も悔しがることはなく、大人しく観客に回ることにした。試合後の水分補給を終え、バスケの試合を見ようと体育館に戻ったら丁度次の試合が始まりそうだった。俺のクラスと啓のクラスだ。啓も試合メンバーに入っている。その長身とは裏腹に、半袖半ズボンで身軽に動いている様子が珍しくて釘付けになる。背の高さをうまく使い、幾度かシュートを決めている。敵チームなのに、コートを駆け周る啓を応援してしまう。
この試合の結果は、啓のクラスの辛勝だった。みんなが汗を流して喜んだり悔しがったりしているのを見ると、試合に参加していないこっちまで熱くなる。啓もクラスメイトとハイタッチをしている。クラスにも友達いそうじゃん。俺がたった一人の友達って言ってたくせに。
素人だらけの球技大会だけれど、友達とするスポーツは楽しむことに重きが置かれているから笑顔が絶えない。丸一日を使った全学年行事は夕方四時ごろに幕を閉じた。行事中は啓がずっと試合にでているため話しかけられなかった。だからまだホワイトデーのお返しを渡せていない。体育着から制服に着替えながら啓に連絡する。
《着替え終わったら屋上階段まで来てほしい》
《うん》
体育着を仕舞おうとリュックを覗くと、いつもは教科書が入っている空間にただ一つ鮮やかな色を放つリボンがある。まだ渡していないのに緊張してきた。
屋上は立ち入り禁止のため屋上へ続く階段まで行く人は滅多にいない。はやる気持ちを静めて階段まで行きつくと、もう啓は来ていた。俺の気配に気づいて顔をこちらに向ける。
「ど、どうしたの」
指をいじってそわそわしているから、俺が呼び出した理由なんてわかっているだろうに言葉だけは何も知らない体を装う。
「お返しだよ!」
一段飛ばしで階段を踏みしめながら啓に近づいていく。
「はい」
コバルトブルーのリボンがついた袋を渡す。透明な袋に入れたから不格好なクッキーが見えてしまっていて恥ずかしい。
「見た目は変だけど・・・・・・味はまあまあいいと思うから」
「ありがとう・・・・・・まさか手作りしてくれるなんて思ってもなかった」
啓は小さな袋を大事そうに両手で包み込んでいる。
「食べてみてもいい?」
「どーぞ」
丁寧にリボンをほどき、封を開け、形の整っていないクッキーを口に運ぶ。
「・・・・・・甘い」
啓の口が綻び、俺の中に張り詰めた緊張の糸もほどけた。啓が嬉しそうにしているのを見ると嬉しい。笑顔を見ると笑顔になる。やっぱり啓が好きだと思った。
俺たちはそこで別れ、その後皐月と一緒にいる啓と素知らぬ顔で合流する。ニヤケ面にならないかと必死だった。
皐月には市販チョコを渡した。
「これ、すごい並ぶやつじゃない、ありがと!」
そう言ってホワイトデー袋に入れる。俺が勝手にそう名付けているだけだが。皐月は毎年大量にチョコをばらまいているから、お返しも大量なのだ。それらを入れる袋を俺はホワイトデー袋と呼んでいる。今年も袋一杯に入っている。俺のお返しなんて比にならないくらい高いお返しももらっているはず。それなのにこれほど満面の笑みを見せて喜んでくれる。こういうところに皐月の人柄の良さを垣間見る。
新しい年を迎えても冬の厳しさは一段と深まるばかり。冬休みとは毎年儚く去ってゆくもので、啓とクリスマスイブ以降出かける暇もなく過ぎ去っていった。また家と学校を往復する日常が始まった。しかも、三学期は二月に学年末テストがあるためにデートをするのも難しい。それでも毎日啓と登校することができるようになるのは嬉しい。俺がプレゼントしたマフラーをつけてくれている。
二月に入って少し経った頃、啓が珍しく昼休みに呼び出してきた。学年末テストを一週間後に控えた金曜日だから昼休みに廊下を出歩く人は少なく、閑散としている。啓が待ち合わせ場所に指定してきたのは文化部棟。テスト期間は部活がないので逢引きにはうってつけだ。
長く使われていないだろう、鄙びた空き部屋の扉を開ける。啓は中で窓の外を見ていた。
「急にどうしたの? ここでしか話せないこと?」
廊下のスピーカーから流れるお昼の放送がドアを閉めても漏れ聞こえてくる。
「これ・・・・・・ハッピーバレンタイン」
啓は照れ隠しのようにぶっきらぼうに、シックなカラーの袋を突き付ける。すっかり忘れていたけれど今日は二月十四日、バレンタインだった。自分が用意していないことが後ろめたく、ぎこちなくありがとうと言って受け取った。
「チョコ・・・・・・好きじゃなかった?」
俺の煮え切らない表情を見て不安になったであろう啓がおそるおそるという風に聞いてきた。
「いや、好きだよ! でも俺何も用意してなくて・・・・・・」
「ふはっ、知らないの? ホワイトデーにお返しするんだよ」
「それは知ってるよ! じゃあ、そのときで・・・・・・。本当、ありがとう、大事に食べるよ」
「腐っちゃうから早く食べて」
こちらをからかうような小悪魔的な微笑をたたえている。こんな魅惑的な笑顔もできるようになったのか。
「これ、もしかして手作り?」
「うん、皐月さんに教えてもらった」
「え?」
「皐月さんのチョコ作りを手伝っているときに、好きな人いないのって聞かれたからいるって言ったら俺が渡す分も作ろうってことになって」
「皐月に何か聞かれた?」
「いや、男子が送るのも今時普通だからって」
「好きな人のことについては何か話した?」
「それは、流石に隼太とは言ってない」
「そっか・・・・・・そうだよな」
一瞬、ほんの一瞬だけれど啓の瞳に陰りが見えた気がした。しかし話しかけようとしたら「チョコ食べて」と言われその話は終わりにされた。
封を開けるといい匂いが鼻腔を通り抜けた。形が美しく、売り物だと言われても信じてしまうような見た目だ。口に含んで舐めるとビターな味が広がる。そして溶けてきた外殻を歯で割ると、中には甘いチョコが隠れていた。中と外で甘さがちょうどいい。
「うまい」
もう一度この甘露を味わいたくて、もう一粒口に放り込む。
「本当? よかったぁ」
よっぽど俺の反応が不安だったのか、はあっと息をついている。
チョコの袋を持って教室に入ったらよく話すクラスメイトにからかわれた。教室に入れば俺は皐月の許婚ということになる。俺は皐月からだと言っておどけてみせた。もちろん皐月からは放課後に貰った。ホワイトチョコで、甘かった。
啓の想いに応えて俺も手作りで返そうと意気込んだのはいいが、前日になって苦労した。今まで皐月には市販のチョコを渡していたから、手作り経験はない。ネットで見つけたレシピを頼りにたどたどしく作業を進めていく。早くも台所がものでいっぱいになっている。でも、啓のことを想いながら作っていると不思議と口角が上がって来る。
慣れないことに疲弊しながらも完成したのは不格好なクッキーだった。できるだけいい形のものを寄せ集めても、綺麗とは言えない。作り直す材料も時間もないので諦めて袋に入れていく。皐月の分もついでに作っていたのに、納得できる完成度の物がもうないので皐月には今年も市販のものを渡そう。
三月に入ると、授業自体はなくなる。大掃除やら、全校集会やら、あってもなくてもいいような行事が残るのみだ。その中でも今日は生徒が楽しみにしている球技大会だ。
「九条はバレー?」
「うん」
勉強が好きでも嫌いでもない自分にとっては家でまったりしていたい気もするが、これも出席を取られるので仕方がない。チームスポーツが特に苦手なのに、じゃんけんで負けてバレーになってしまった。
バレー部員が勢揃いのクラスに最初の試合であたり、俺のクラスのバレーチームは初戦敗退した。相手が相手だったために誰も悔しがることはなく、大人しく観客に回ることにした。試合後の水分補給を終え、バスケの試合を見ようと体育館に戻ったら丁度次の試合が始まりそうだった。俺のクラスと啓のクラスだ。啓も試合メンバーに入っている。その長身とは裏腹に、半袖半ズボンで身軽に動いている様子が珍しくて釘付けになる。背の高さをうまく使い、幾度かシュートを決めている。敵チームなのに、コートを駆け周る啓を応援してしまう。
この試合の結果は、啓のクラスの辛勝だった。みんなが汗を流して喜んだり悔しがったりしているのを見ると、試合に参加していないこっちまで熱くなる。啓もクラスメイトとハイタッチをしている。クラスにも友達いそうじゃん。俺がたった一人の友達って言ってたくせに。
素人だらけの球技大会だけれど、友達とするスポーツは楽しむことに重きが置かれているから笑顔が絶えない。丸一日を使った全学年行事は夕方四時ごろに幕を閉じた。行事中は啓がずっと試合にでているため話しかけられなかった。だからまだホワイトデーのお返しを渡せていない。体育着から制服に着替えながら啓に連絡する。
《着替え終わったら屋上階段まで来てほしい》
《うん》
体育着を仕舞おうとリュックを覗くと、いつもは教科書が入っている空間にただ一つ鮮やかな色を放つリボンがある。まだ渡していないのに緊張してきた。
屋上は立ち入り禁止のため屋上へ続く階段まで行く人は滅多にいない。はやる気持ちを静めて階段まで行きつくと、もう啓は来ていた。俺の気配に気づいて顔をこちらに向ける。
「ど、どうしたの」
指をいじってそわそわしているから、俺が呼び出した理由なんてわかっているだろうに言葉だけは何も知らない体を装う。
「お返しだよ!」
一段飛ばしで階段を踏みしめながら啓に近づいていく。
「はい」
コバルトブルーのリボンがついた袋を渡す。透明な袋に入れたから不格好なクッキーが見えてしまっていて恥ずかしい。
「見た目は変だけど・・・・・・味はまあまあいいと思うから」
「ありがとう・・・・・・まさか手作りしてくれるなんて思ってもなかった」
啓は小さな袋を大事そうに両手で包み込んでいる。
「食べてみてもいい?」
「どーぞ」
丁寧にリボンをほどき、封を開け、形の整っていないクッキーを口に運ぶ。
「・・・・・・甘い」
啓の口が綻び、俺の中に張り詰めた緊張の糸もほどけた。啓が嬉しそうにしているのを見ると嬉しい。笑顔を見ると笑顔になる。やっぱり啓が好きだと思った。
俺たちはそこで別れ、その後皐月と一緒にいる啓と素知らぬ顔で合流する。ニヤケ面にならないかと必死だった。
皐月には市販チョコを渡した。
「これ、すごい並ぶやつじゃない、ありがと!」
そう言ってホワイトデー袋に入れる。俺が勝手にそう名付けているだけだが。皐月は毎年大量にチョコをばらまいているから、お返しも大量なのだ。それらを入れる袋を俺はホワイトデー袋と呼んでいる。今年も袋一杯に入っている。俺のお返しなんて比にならないくらい高いお返しももらっているはず。それなのにこれほど満面の笑みを見せて喜んでくれる。こういうところに皐月の人柄の良さを垣間見る。
