正式に恋人になったからと言って、会う回数が増えるわけではない。一条家の信条を考慮すると皐月に話すわけにもいかないので、できるだけいつも通りを装う。朝の登校時くらいしか顔を合わせないから、取り立てて変化したこともない。心臓が以前よりも活発的なだけだ。車が通るときに啓が近づいてくるだけで息が詰まりそうになる。自分がこれほどまでに恋愛初心者みたいな反応をするとは思っても見なかった。
 告白してから、恋人らしいこともせず一か月がすぎようとしている。今日は曇天で寒さが厳しい。空に張り詰める雲からはすぐにでも雨粒が落ちてきそうだ。秋の心地よさも終わり、本格的な冬が始まっている。もうすぐ期末テストがあるから、啓をデートに誘うこともできずにいる。
「そうだ、期末テスト終わったらすぐクリスマスでしょ? だから毎年恒例クリスマスパーティーしようと思ってて。今年もできそう?」
「ああ、うん」
 そうだった。啓と一緒にクリスマスを過ごそうと思っていたが、そういえば毎年俺の家と一条家でパーティーをしているんだった。俺たちが幼い頃に始めた行事が高校生になるまでずっと続いている。啓とは二人で過ごしたかったけれど、一緒にいられることには変わりないから今回は我慢する。
 その日の夜、啓からメッセージがきた。生身であまり話す機会がない分、俺たちはメッセージで頻繁にやりとりをしている。学校で恋人とずっと連絡を取っているクラスメイトの気持ちがわかるようになってきた。こうして文面で話すだけでも、啓の考え方や好き嫌いがわかる。
《クリスマスイブに会えない?》
 これはデートの誘いだろう。元々クリスマス当日に誘う予定だったのか。俺はあっちの家で会うのでもいいと思っていたけれど、啓から二人で会いたいと言われて断るはずがない。
《クリスマス当日の準備もあるから遅くまでは出かけられないと思うけど、いい? そのかわり朝から集まろう》
 ご機嫌なクマのスタンプとともに送信する。テスト後の楽しみがまた増えた。自然と鼻歌を歌いながら勉強をしていて、自分がどれほど浮かれているのか自覚する。

 テストの結果は、微妙に上がっていた。ご褒美パワー、恐るべし。皐月や啓には及ばないが、学年順位も十人抜きした。このままいけば付属大学の内部進学も危うくはないだろう。俺が通っている大学は内部進学のための条件が少し厳しいため、ぎりぎりで入った俺にとって不安材料の一つだった。でも今は学校のことは忘れて啓とのデートに集中する。
啓は駅のお手洗いに行っている。クリスマスと言うこともあり、駅前はかなり混雑している。人がたくさんいても、冬真っ只中の外は冷たい風が吹いていて手がかじかむ。厚着はしてきたつもりなのに、冷気は小さな隙間を見つけて俺の中に入り込む。
「ごめん、お待たせ」
 今日の啓もスタイリストに見繕ってもらったような恰好をしている。前髪も丁寧に整えられており、啓の瞳がはっきり見えるのが気に入った。啓は数秒俺が見つめると目をそらすけれど。
 今日の目的地は特になく、吉祥寺の商店街を食べ歩きすることになっている。明日のクリスマスパーティー準備のために、お昼過ぎには帰路につく予定だ。まず、有名なさとうのメンチカツを食べに行く。冬休みとクリスマスのダブル効果で商店街は混雑している。さとうも予想通り列ができていた。でも、啓と待つことは苦じゃなく、むしろ一緒にいられる時間が愛しい。
「楽しみだな」
「うん。隼太は食べたことある?」
「ないよ。あ、あそこに食べてる人いる、美味しそう」
「ほんとだ」
 付き合い始めてから二人きりで会うことがあまりなかったから、話すのもぎこちなくなってしまう。友達だった時って何を話していたっけ。その後もぽつりぽつりとは話すが、盛り上がることはない。
 十数分で目的のメンチカツを手に入れた。思ったより大きく、ずっしりとしている。啓と一緒に道の端によってほおばる。肉汁が口いっぱいに広がる。
「おいしい!」
 二人同時に言い、目が合う。それがなんだかおかしくてお互いに微笑する。啓は大分感情が顔に出るようになった。笑顔ももう不自然なところはない。二人で無言になってメンチカツを咀嚼する。これだけでも結構お腹が膨れた。
 この商店街には食べ物以外にもお店が豊富だ。次に啓が目を付けたのは古書店。俺は古書店の雑多な感じが少し好きだ。本を読むのは得意ではないけれど、店内を見るのは面白い。啓が好きな金城諒也の初版本もある。
「金城さんの初版本あるよ」
「初版本? いいね、海外ミステリーとかもあるよ」
 啓が手にしていたのは有名なミステリー作家の本だ。色あせていても表紙の状態がいいところから、その本が大切にされていたのがわかる。啓は初版本と海外ミステリーを買い、古書店をあとにした。
 商店街周辺をぶらぶらと歩いたらお腹に空きができたのでさとうの近くにあったたい焼きを買うことにした。ほかほかのたい焼きで手が温まる。黄金色の皮を食むと、外側についていた羽がパリパリと音を立てる。あんこと皮の相性が抜群だ。啓を見ると、たい焼きのしっぽから食べている。俺とは真反対だ。小さな仕草からも啓の中身が垣間見られて、それだけでも啓とここに来られてよかったと思ってしまう。
 それから学校のこと、家のことを話しながら商店街を冷やかしていた。時間は有限ではなく、すぐにお昼近くになる。最後に商店街からは外れたところにあるカフェに入ることにした。外の看板にはレモンタルトが人気と書いてあった。パンとレモンタルトを頼んだ。パンは焼き立てで食感が柔らかく、バターの風味がちょうどいい。レモンタルトも看板商品という名の通りだった。輪切りの檸檬の酸味と端に添えられたクリームの甘さが調和している。ゆっくり味わって食べていると、啓がこちらをじっと見てきた。
「食べる?」
 啓は、俺がレモンタルトを薦めたのにショコラトルテを頼んでいた。俺が別のものを食べていたらきっと欲しがるとは思っていた。
「うん、お願い」
 俺が一口分けてくれると踏んで違うケーキにしやがったな。少し困らせたくなり、ほら、と言ってタルトをフォークで刺して差し出す。もちろんフォークは渡さない。
「え」
「ほら、あーん」
「あ、うん」
 啓は戸惑いながらもすぐに口を開けた。俺がそこにフォークを入れると、おいしいと言いながらほおばっている。照れさせようと思ったのに、あまり効果がないようだ。
「隼太も、ほら」
 不敵な笑みで啓のケーキをこちらに差し出した。しまった、仕返しされるのを失念していた。やられると恥ずかしいのがわかる。友達同士なら何も思わないはずなのに。脈拍が速くなるのを無視して、口を開く。レモンタルトとは違った甘さが飛び込んできた。あーんの恥ずかしさはどこかに消えた。それくらいの美味だ。
 そろそろ帰らなくてはいけない時間になり、今日が惜しくなる。カフェから駅に向かっている途中で啓が路地に入っていった。
「そっちじゃないよ」
 そう言って啓の腕を掴んだら逆に腕を引っ張られた。
「どうしたの?」
「最後に、思い出が欲しくて」
 昼間だというのに路地だから暗くて啓の顔がよく見えない。こんな路地に引き込まれて、手をそっと握られて、期待していないわけじゃない。啓の息遣いが聞こえてきて、咄嗟に目を閉じた。それがこういう時の作法だと思っていたから。俺の唇に触れた啓の唇は乾燥してカサカサだった。どれくらいそうしていたのかわからないが、心臓が飛び跳ねていたのだけはわかる。啓が唇を離してくれるまでうまく息ができなかった。
「急にごめん。あとよかったら、これ、ハッピークリスマス」
 掌サイズのラッピングされた袋を渡された。赤の袋と緑のリボンでまさにクリスマスカラーに包まれたプレゼントだ。
「あ、ありがとう。俺からもあるから」
「本当に? ありがとう、開けてみていい?」
 咄嗟に鞄から取り出して渡すと、暗がりの中で啓の目がきゅるりと光る。テストが終わってから放課後の短時間で見繕ったものだから大層なものではない。
「これ、マフラー? ありがとう、うれしい。今からつける」
 そう言って俺が選んだマフラーを首に巻き付ける。思った通り啓によく似合う色だ。啓はマフラーに触って温かそうにしている。
「俺、マフラー持ってなかったから嬉しい」
 いつも登下校中に防寒着をつけていないから、そうだと思っていた。
「俺のプレゼントも開けて」
 啓に急かされるまま袋の口を開けると、グレーを基調としたチェック柄の手袋がでてきた。有名なブランドのロゴがついている。
「手袋・・・・・・ありがとう、今使ってる手袋もう結構古くなっててさ、ほんとありがたい」
「知ってる、いつも見てるから」
 俺もその場で手袋をつけた。二人だけの秘密が増えたみたいで、マフラーをつけた啓を見ているだけで頬が緩む。
「ありがとう、好きだよ、隼太」
 啓は世間話をするような口調で言ってのけ、俺のおでこにそっと口づけをした。さっきと同じかさかさの唇がやさしく押し付けられると、思い出してまた顔が熱くなる。その後は、ずっと上の空で何を話したのかも覚えていない。帰宅後に明日の準備も手伝ったけれど、何気ないミスが多くて役割をおろされた。
 俺のファーストキスは啓だった。

 クリスマス当日は滞りなく行われた。去年までと同様にチキンを食べ、ケーキを食べ、プレゼント交換をした。高校生になってまで大仰なパーティをしているのは少し恥ずかしいけれど、一条家とお互いに顔を合わせることは言いようもなく気分が上がる。
 啓は、受け答えはしても自発的に俺に話しかけてくることはなかった。ファーストキスをした昨日の今日で会話をするのは気まずかったのでありがたい。それでもいつも通りには接していたから、俺たちの仲を訝しむ人はいなかった。
「隼太くんもいい男になったよな~」
 ここ数年、皐月の父に毎年のようにこういうことを言われる。まるで皐月との婚約を強調でもしているかのように。皐月の父は好きだけれど、もういった物言いだけは好きになれない。俺には皐月と結婚する気持ちはないというのに、親たちの古い考えに囚われている。ちらと啓を見る。皐月の父の発言に対して特に顔色は変えていない。怒ったり嫉妬したりしてくれたらいいな─なんていう軽薄なことを考えた。皐月の方も見てみると真顔だった。二人とも何を考えているのかわからない。
 年内に啓と会うことができたのはこの日が最後だった。一条家は年末年始が大変忙しいため緊急の用事がなければ家に行くこともない。その中で呑気に啓に連絡をするわけにもいかない。年の瀬には啓が恋しくてたまらなかった。家族で見ている紅白を、啓と見たいと思った。年越しの瞬間を、啓と過ごしたいと思った。深夜零時に年明けの祝いメッセージを送って眠りについた。
 元旦に、一条家と新年を祝う言葉を交わした。家の近辺の神社で一条一家と出くわしたのである。皆華やかな着物を着ている。皐月の着物は赤地に白い花が映えて美しい。皐月の両親も落ち着いた色合いだが目を引くような着物を着ている。三人の影に啓がいた。
「啓も、あけましておめでとう」
 着物に慣れない様子でおずおずと皐月の隣に出てきた。紺でそろえられた着物と羽織物がすらりとした啓の体型を強調して、皐月たちに引けを取らない。俺にとっては皐月より美麗に見えているが。俺が啓に見とれていることにも誰も気づかず、家族でお互いに「今年もよろしくお願いします」と言って別れた。俺は、子供っぽいと笑われるかもしれないが、啓と幸せになれますようにと願った。