今は、二〇二三年△△月。
 ある県の山中に、非常に広大な牧場がありました。そこでは、働き者の酪農(らくのう)一家と共に、多くの乳牛が()()びと()らしていました。


 そんな乳牛たちの中に、一頭の子牛が()ました。ジャージー種の女の子です。

 その子牛は、とても(かしこ)いメスでした。
 成牛と同じように歩くことができるようになってから、すぐに酪農(らくのう)一家のお(じい)さんとお(ばあ)さん、お父さんとお母さん、それから四人の子どもの顔と名前を覚えたのです。

 さらに、経営者の八人家族だけではなく、牧場で働く他の人たちの顔と名前も覚えていきました。たまに牛舎に訪ねてくる乳製品の製造会社の方々の顔と名前も、少しずつ覚えていったのでした。


 しかし同じ年に、その牧場では辛いことが起きました。牛オンリーの感染症(かんせんしょう)のせいで、牧場に()た大半の乳牛が命を落としてしまったのです……。



 先程お話したメスの子牛も亡くなり、子牛の(たましい)はふわふわ……と神仏の()む天界に昇っていきました。

 その(たましい)が行き着いた先は、一体どこなのでしょう?


 (だれ)かが自分を呼ぶような声がしたので、雲の上に()たメスの子牛は、ゆっくりと目を開けました。
 それで子牛は、朝服(ちょうふく)を着た凛々(りり)しい中年の男性が、自分の顔を見つめているのに気が付きました。

 すると、その男性は子牛に向かって、こう言いました。

(わし)の名前は、菅原道真(すがわらのみちざね)という。学問に関する加護(かご)利益(りやく)(つかさど)っている天神だ。
 のう、子牛よ。そなたの聡明(そうめい)さを()かして、(わし)の『使い』にならぬか?」

「……え……? ええぇぇぇ!?」

 天神である道真公(みちざねこう)は、子牛の記憶力(きおくりょく)の良さを、空の上から感心しながら見ていたのです。

 天神様のお使いにスカウトされた上、自分が話すことができるようにもなっていたので、子牛は心臓(しんぞう)が飛び出そうなくらい、ものすご~く驚いたのでした。
 また、子牛は他の者が言うことも理解できるようになり、神様とコミュニケーションすることも可能になりました。

「た、た、たた大変光栄でございますっ!! とはいえ、わっ……わたしなんかで、本当に、いいのでしょうか??」

「もちろんだ、(よろ)しく(たの)むぞ。
 ……ああ、そうだ。そなたの毛は胡桃(くるみ)(ごと)き色である(ゆえ)、『クルミ』という名を与えよう」

 それから、天神である道真公(みちざねこう)は、子牛の記憶力(きおくりょく)の良さを空の上から見ていたので、子牛の(すぐ)れた能力のことを知っていたのです。

 天神様に『クルミ』と名付けられた子牛は、先輩(せんぱい)たちの指導を受けながら、お使いとして働き始めました。
 ちなみに、お使いの牛たちはジャージー種だけでなく、ホルスタイン種や黒毛和牛も居るようです。


 地上界のお社に(そなえ)えられている、果物やお菓子(かし)などの供物(くもつ)を天界に運んだり、神様の代理としてお祭りを見守ったりしたりして、クルミちゃんは様々(さまざま)な経験を積んでいきました。

 それに、明るい性格の上、努力家でもあるおかげか、めったに牛同士の関係もゴタゴタすることも無かったので、クルミちゃんはとてつもない早さでキャリアアップしていきました。



 そして、クルミちゃんのハイスペックさを天神様は大変称賛(しょうさん)し、最短かつ最年少で天神様の補佐官(ほさかん)昇格(しょうかく)しました。
 補佐官(ほさかん)とは、どんな時でも天神様のお(そば)で働く、超絶(ちょうぜつ)エリートですっ!

 生前は平凡(へいぼん)な乳牛だった彼女ですが、その大出世は非常に(ほこ)らしい出来事(できごと)でした。


 その後、クルミちゃんは、天界の草原で()らし始めた家族に出世の報告をすると、彼女の家族は非常に(よろこ)びました。
 クルミちゃんには、両親と一頭の妹が()ます。


 今までは簡素(かんそ)な牛舎で、大勢の親戚(しんせき)たちと過ごしていたクルミちゃんは、これからは雲の上にある天神様の屋敷(やしき)で生活することになるそうです。

 クルミちゃんと(はな)(ばな)れに()らすのは、家族にとっては(さび)しい思いをすることになります。
 ですが、クルミちゃんの第二の牛生を応援(おうえん)して、家族は(みな)(こころよ)くクルミちゃんの旅立ちを見送りました。



 長年、クルミちゃんは天神様の補佐官(ほさかん)として、真面目(まじめ)に働き続けたおかげで、クルミちゃんの家族は、永久に草が()れない土地と丈夫で広い家族専用の牛舎を、天神様から(いただ)いたんですって!

 そうしてクルミちゃんと彼女の家族は、生前のような(おだ)やかで満ち足りた生活を、再び取り(もど)したそうです。


〈『クルミちゃんの大出世』おしまい〉