昔々、清能(せいのう)と呼ばれる、美しく豊かな山と川に囲まれた、盆地(ぼんち)のお国があったそうな。
 清能(せいのう)の領主は穏やかな殿方で、慈悲深(じひぶか)いお方。十五歳になる娘が一人居た。

 一方で、領主の弟は、病弱な領主の(まつりごと)の補佐や世話をしておったが、強欲で腹黒い者であった。そして、虎視(こし)眈々(たんたん)と領主の座を狙っていたのだ。
 その上、弟は誰にも気付かれぬ間に、兄の毎食の茶の中に微量の毒を入れては、何食わぬ顔で配膳(はいぜん)をしていた。



 ある日、領主の娘は屋敷(やしき)の裏庭で、泥まみれでうずくまっている、一匹の猫を見つけた。
 よくよく見ると、その猫は右手に深い怪我(けが)をしていた。

 娘はすぐさま猫を抱えて走り、軽く洗ってあげた後、急いで獣医のところに行った。
 その猫の怪我(けが)の手当をしてもらったのだが、翌日には不思議なことに、猫の傷は完治していたのだった。

 その後、娘は領主と相談して、飼い主を探してみたのだが、全く見つからなかったので、屋敷(やしき)の敷地内で猫を飼うことにした。

 その猫の尾は日本猫らしく、短く丸い形だった。それに、(つや)のある黄金(こがね)の毛と(あか)い目をしていた。
 本当に、世にも(めずら)しい色であった。
 
 犬のように人懐こいその猫は、すぐに()れたのだが、動物嫌いな領主の弟に、なぜか一番すり寄っていたのだった。
 もちろん、弟が厨房(ちゅうぼう)で悪事を働いていた時も……。



 別の日の夜、領主の弟は、眠っている時に夢を見た。
 一人ポツンと立っていた彼は、(きり)だらけの灰色の空間の中のどこかから、姿の見えない中年の女性の声を聞いたのだった。

「もう止めなさい。私は、ずっと見ていますよ。その(むく)いは、必ず貴方(あなた)に来ますからね」と……。

 その夢を気にせず、領主の弟は、翌日も兄の茶の中に毒を入れていた。

 しかし、数日後の夜に、弟は突然、激しい(せき)に襲われたのだった。
 (せき)は何日も続いたのだが、それでも悪事を止めようとしなかった弟は、日に日に体の具合が悪くなっていった。

 それと同時に、なぜか領主の体調は次第(しだい)に良くなっていたのだった。


 
 あの夢は偶然だったのか。それとも、本物の神のお告げだったのだろうか。
 また、あの黄金(こがね)の毛と(あか)い目の猫は、一体何者なのだろうか。

 清能(せいのう)の人々の中では大きな(うわさ)となり、その頃から皆、その猫を『オネコサマ』と呼ぶようになったのだった。


 そして、弟は鼻水が止まらなくなり、高熱でうなされ、しまいにはとうとう寝たきりになってしまった。
 彼は寝床で、ようやく領主とその娘にあの夢のこと、そして今までの悪事を全て話したのであった。

 
 領主は実の弟に殺されかけたのだが、心優しい彼は弟を死罪にはしなかった。
 その代わりに、弟と長年親交があった者に空き家を用意させ、清能(せいのう)のお国から遠く離れた地へ、島流しにしたそうだ。


 遠くの地で(けい)を受け、完全に改心した弟は、数年後には屋敷(やしき)に戻されたらしい。
 その頃には、弟はすっかり元気になっていたそうな。



 現在、領主の屋敷(やしき)は大切に残されており、今でも領主の子孫が住んでいるらしい。

 そして、多くの清能(せいのう)の人々は、世にも(めずら)しい色をした猫を神の使いであると信じてきたため、当時の猫が出現した屋敷(やしき)の庭に、その猫の石像を(つく)って、大切に(まつ)っているという。