午前4時半。今、君は笑えていますか?






 誰かがいる。



 見知らぬ誰かがいる。



 街灯に照らされている。



 座り込んでいる。


 
 つい不安になり、その人のもとへ向かっていた。



「どうかしましたか?」

 顔を上げたその人は、まるで生気の失われた目をして見つめてきた。青白い肌。傷んでいる長い髪。しわの寄った寝巻き。
 整った顔を持っている彼女。しかし、やつれているせいで一概に美しいとは言い切れない。
 何歳ぐらいなのだろうか。大人びた感じがする。彼女は自分より年上に見えた。

「ん〜、」

「体調悪いんですか?」

「んー、、、、」

 喋ってくれない。体調が悪そうに見えるが、それではなぜ外にいるのかという話になる。じゃあ、夢遊病? 彼女は何者で、何をしているのだろうか。
 頭の中で駆け巡るはてなマーク。
 横にあった自動販売機。そういえば、水筒を持ってくるのを忘れてた。彼女の分も買ってこよう。
 ここは閑静な商店街。このまままっすぐ進めば、学校に辿り着く。
 彼女の家はこのあたりなのだろうか。
 お金を入れ、ボタンを押す。そして、飲み物が落ちてくる。その一つ一つの音がとても響く。

 まだ、夜なんだ。

 もうすぐ帰るつもりだから250mlの水にした。彼女も同じものでいいだろう。

「水、飲みますか?」
 
 差し出したペットボトルをすぐさま取り、キャップを開けた彼女。それほど水分を求めていたのか。

「ふー。ありがと」

 水一本を一瞬にして飲み干した彼女。驚いた自分は口が開いたままだった。

「あ、水、一気に飲むの慣れてるの。いつもそうやってるんだけど、その前に力尽きちゃった」

 顔色は戻らないままの彼女だが、さっきよりも声色が明るく、安心した。

「あ、あの大丈夫なんですか? 顔色悪いですよ」

「あー。大丈夫。さっきも言ったけど、いつものことだから」

 いつものこと、いつものことと言う意味を自分は理解することができなかった。
 だって、おかしいじゃないか。体調が悪いのに外へ出て、水を買い、一気に飲む。さらにそれが日常だということ。

「踏み込んだこと聞いてるのはわかってるんですけど、どこか悪いところでもあるんですか?」

 自分の、良くないところが出てしまった。気になったことは聞いて理解するまでしなければ気がすまないところ。
 答えづらいことを聞いてしまったようだ。彼女の唇は少し尖った。困った顔をしている。

「あ、ごめんなさい。今日初めて会ったばっかのやつが何聞いてんだって感じですよね。もう行きます。すみませんでした」
 
 自分の良くないところ。非だけを残して逃げ出すところ。このままここにいたら迷惑になる、そう思い逃げ出した。それはそれで失礼だ。尋ねるおいて勝手に逃げて。
 再び走ろうと思った。ただ、靴紐が解けていた。「何で今に限って」と小さな声を零した。聞かれていたかもしれない。
 気まずい。
 今すぐここから走り去りたい。なのに、なかなか結べない。なぜか手が滑り、形になってくれない。

「あのさ」

 ワントーン落とした彼女の声が聞こえ、紐を結ぶ手を止めた。

「全然結べてないじゃん。私がやろうか」

「いや、でも……」

「いいの。水、買ってくれたお礼。小さなお礼だけど、受け取って」

 彼女は立ち上がり、自分の前に回ってきた。こう見ると、彼女は背が高い。
 細い指先で優しく結んでくれている。彼女の手は自分より小さい。それでいて綺麗な手をしている。

「あなたはなんでここにいたの? まだ朝早いよ」

 自分のした質問はなかったものにされてしまったようだ。
 答えてくれないようだ。

「ランニング、してました」

「そっか。運動部に入ってるの?」

「まあ、一応陸上部に」 

「かっこいいね。私、運動できないからさ。憧れる」

 止まった会話と彼女の手。結び目はとても綺麗な仕上がりだった。彼女は手先が器用なようだ。

「これで大丈夫?」

「はい。ありがとうございます」

「しばらくは、ほどけないと思うよ」

 同時に立ち上がると彼女はよろけた。

「あっ……」

 咄嗟に体を支えていた。抱き寄せてしまった彼女の体は軽く、骨張っていた。ただ、素直に、彼女のことが心配になった。
 でも、この状況って……

「……っ! ごめんなさい。なんてことしちゃったんだ……」

 顔に熱が集まってくる感覚がする。彼女を倒れさせないためとは言っても女性の体を抱き寄せてしまったんだ。配慮に欠けていた。

「謝んないで。ごめんね。私が目眩起こしたばかりに」

 そう言ってくれているものの、彼女は気まずそうな顔をしていた。今、すべきことがわからず、立ち尽くしてしまった。

「もう私は大丈夫だから。ランニング、しなきゃなんでしょ」

 沈黙を切り裂いたのは彼女で、俺は何もできなかった。しようとしなかった。
 今できることは。

「本当に、大丈夫なんですか? 今、僕はあなたのことが心配です」

「帰れる! 大丈夫だから。じゃあね。ありがとう」

 学校のある方へと歩いていった彼女。ペットボトルを高く上げ、振っている。
 その時、俺は走った。気付かぬうちに走っていた。
 まだ顔が熱い。この感情の名前がわからない。知らない。
 夜風、俺の火照った顔を冷ましてくれ。
 振り返るべきなのか、振り返らないべきなのか。
 どっちのほうがいいのか。
 答えを知らない。
 でも、彼女のことがまだ心配。
 初めて会った人なのに、頭から離れない。
 気になってしまう。
 そういえば、俺、喋れてた?
 もしかしたら、喋れていたのかもしれない。
 もし、まだそこで歩いていたら、感謝したい。簡単に人と向かい合って話せない俺のことを変えてくれたのかもしれない。
 自分で帰れるって言ってたから、大丈夫か。今日は振り返らず、また会えたとき、感謝しよう。
 不思議と、また会える気がしている。