今まで何年も使っていたSNSが、突然サービス終了になった。
それは夏休みも半ばの蒸し暑い日。私は比較的過ごしやすい夜にゲームをしたり動画を見たりして夜更かしして、ソファーで寝落ちて昼過ぎにようやく眠たい目を擦り起きる。
サークル活動だとかアルバイトだとか、女子大生ながらそんな青春とは無縁の私は、休みは休むものとしてぐうたらと過ごしていた。
昼ごはんも食べずぐだぐだし、いつものように友達の呟きやDMの確認をしようとしたところで、いくらタップしてもSNSのアプリ自体開けないことに気付いたのだ。
「……は?」
あまりにも突然のことに驚いたけれど、ウェブ版ですら開くことが出来ず、これは不具合などではなく、サービス自体が終了したのだと悟った。
「えー……困る、告知とか何もなかったじゃん……!」
ネット上での趣味の繋がりはもちろんのこと、リアルの数少ない友達との交流の手段も、主にSNSだった。
メールアドレスもラインも知らない子がほとんどで、電話番号なんてもってのほか。気軽に声をかけられるSNSこそ、一番慣れ親しんだ連絡手段だったのに。
「瑠花と明日遊ぼうって話してたのに、これじゃ連絡取れない……」
明日会う約束をしていた友達の瑠花とは、他にオンラインゲームでの繋がりもあったけれど、あのゲームにはメッセージ機能はない。
一言コメント欄で待ち合わせ場所なんかの個人情報を垂れ流すのはさすがに気が引けたし、そもそも向こうに気付かれるかも怪しかった。
とりあえず記憶にあるのは、あらかじめ決めていた『明日の正午に御伽駅集合』ということだけだ。
「当日に現在地伝えればいいかって、場所もふわっとしてたし……会えるかなぁ」
連絡手段がないのはお互い様だ。明日会えるかどうかは運に任せるとしよう。
「んー、明日会うまでに、他のよさげなSNS見付けとこうかな……」
これを機にメールアドレスやラインを改めて聞くのもいいが、それはそれ。連絡手段だけではない、思い出の蓄積や同じ趣味の語らいの場。SNSはもはやただのツールではなく、生活の一部だった。
それを一夜にして奪われた今、喪失感に苛まれながらも、私は新規開拓をしようと考える。
もしかすると、瑠花も新しい場所を見付けているかもしれないけれど。それなら二ヶ所登録すれば良い。連絡手段を一つに絞るから、それが使えなくなって困るのだ。
そうして午後の茹だるような暑さの中、私はソファーに凭れ類似サービスを確認することにした。するとすぐ、検索の一番上に、以前使っていたものと大差ない使いやすそうなものを見付けた。
そのSNSの名称は『May who』。意味は直訳で『誰が出来ますか』だろうか。そんな挑戦的で聞いたことのない名前だったが、ゲーマーとしては難易度が高い方がテンションが上がる。そこを新天地にしようと、私は早速登録することにした。
「これいいじゃん! 名前の割に普通に使いやすそうだし、前のと仕様もほとんど変わらな……あれ?」
無事登録が済み、早速アイコンなんかを設定しようとホームに戻ると、『もしかして知り合いかも?』と表示された、ひとつのアカウントが目に留まる。
「メイミ……って、これ、芽依美のアカウント!?」
見覚えのあるアイコン、見覚えのあるIDの文字列、見覚えのある名前。
私は思わずそのアカウントを凝視する。
芽依美は、事故で亡くなった友達だった。
高校から仲良くなった瑠花とは違って、幼稚園から同じだったいわゆる幼馴染み。
趣味が合うとか考え方が近いとかそういうこともなく、けれど気付くと傍に居るような腐れ縁。そんな関係性が、何だかんだ心地好かった。
そのお陰で、ほぼ唯一メールアドレスが連絡帳に登録されていた友達だ。
なんとなく消せずにいたメールアドレスからの紐付けで知り合いと判断されたなら、きっとなりすましなどではなく、このアカウントは芽依美本人のものなのだろう。
「嘘……芽依美、別のSNSやってたんだ」
何でも知っていると思っていた友達の、知られざるアカウント。
覗いて良いものか悩んでいると、不意に通知が届く。
『リアちゃん!? 久しぶり!』
まだアイコンも設定していない私の元に届いたその何気ない挨拶は、今まさに確認しようとした、死んだ芽依美からのものだった。
*******
『リア』は私の以前のSNSでのハンドルネームだ。本名から捩っただけの、捻りのない名前。
けれど芽依美はあだ名のようだと気に入って、リアルでもたまに私のことをそう呼んでいた。
その声がありありと聞こえた気がして、動揺しながらも私は簡単に返事をする。
『……メイミって、あのメイミ?』
『うん、わたしだよ! 久しぶり』
すぐに来た返事に、私は戸惑う。だって芽依美は死んだのだ。こんな風にSNSで話せるわけがない。
悪質ななりすまし、生前登録した自動で返事をするbot、親族の誰か。
様々な想像をして、一旦私は返事をせずに、そのアカウントの呟きを確認することにした。
『夏休み、いいなあ。わたしもリアちゃんと遊びたかった』
そんなつい最近投稿された呟き。知らない場所で私の名前が出ていることにぎょっとして、なんとなく落ち着かない気持ちになる。
そのまま過去の呟きを遡ると、他にもありふれた高校から大学の日常……つまり芽依美が死んでからのことばかり書かれていた。
『定期考査期間は早く帰れることだけが利点!』
『受験かぁ、リアちゃんはどこ志望なんだろ』
『大学入学おめでとう!』
『ルカちゃんはゲーム得意でうらやましい。わたしじゃリアちゃんと対戦とか出来ないもんな』
「何なの、これ……」
少なくとも、登録されているメールアドレスは正しい。もしかすると乗っ取りかも知れないと思い付くけれど、何気ない学生の呟きだけのアカウントにそのメリットも見出だせない。何しろフォローもフォロワーも居ないのだ。
それに、なりすましにしては質が悪いし、いくらなんでもこちらの事情を知りすぎている。
「じゃあ、やっぱり本当に芽依美が更新してる? でも、芽依美はもう……」
『おーい、リアちゃん?』
「!」
返事を保留にしていると、芽依美から追加メッセージとフォローの通知が届く。思わずタップして、すぐに既読を付けてしまい焦った私は、何か当たり障りのない返事をしようとした。
『えっと、久しぶり。元気だった?』
既に死んでいるのに、元気も何もない。送ってから後悔したけれど、芽依美はすぐに返事をくれた。
『元気元気! リアちゃんと久しぶりに話せて嬉しいなぁ。『May who』って楽しくてね、見てるだけでもおすすめなの!』
『……元気ならよかった。そうなんだ、あとで他の人のも見てみるね。瑠花のアカウントとかもあるかな?』
『ルカちゃんはやってないよー! あ、今リアちゃんのことフォローしておいたから、これからよろしくね!』
違和感のない会話に、自動返信の類いではないと感じる。瑠花への呼び方だって、生前の彼女そのものだ。
そうなると、いっそ共通の知り合いや親族が、芽依美が生きている体でSNSの更新を続けているのかとも思えてきた。
芽依美が亡くなったことを認めたくない家族や、せめて電子の海で生きていて欲しいという願いから、生前の彼女を演じている可能性もなくはない。
『ありがとう、フォロー返しておくね。これからよろしく』
答えが出ないまま、一応フォローを返し、会話を畳み改めてメイミのアカウントの投稿を遡る。
彼女の最初の投稿は、一年以上前。高三の春に芽依美が事故で亡くなった日のものだ。
『右も左もわからない初心者です、よろしくお願いします!』
そんな当たり障りのない挨拶は、新しい場所での初投稿ならわからなくもない。
けれど、さすがに亡くなった当日に死者のアカウントを作るなんて、親族なら絶対にしないだろう。
うんうんと考えてみるけれど、夕方近くの地獄のような暑さに思考が纏まらない。冷蔵庫から何か冷たいものでも探そうと立ち上がり、ふとつけっぱなしのテレビから流れてきた話題に、はっとする。
「……あ。近頃流行りのAI、とか?」
なるほど。そうだ、AI。芽依美のデータをインプットしたAIの可能性だってある。それなら設定がしっかりしているのも頷けるし、確立した人格として自動で呟いたり会話したりも可能だろう。
彼女の親族や知り合いが、彼女を人工知能として蘇らせようとした、とか。うん。十分あり得る。
私は彼女が誰かにデータをインプットされたAIであると想定して、私達しか知らない問いをしてみることにした。
『ねえ、メイミ。私の秘密って、覚えてる?』
私の秘密は、中学の時好きだった先生をモデルに、自分との恋愛小説を書いていたこと。
どう考えても黒歴史で、芽依美に偶然知られた時にはこの世の終わりかと思った。
今でも当時の水色の表紙のノートは、厳重に鍵付きの引き出しの奥にしまっている。
『秘密? うん、もちろん! 覚えてるよー』
もし答えられたら自分にもダメージの来る質問だったが、芽依美からの当たり障りのない反応に、やはりAIではないかという仮説が強まる。
それはそうだ。このことを知っているのは、私と芽依美だけ。他にも知る人物が居るなら、シンプルに死ぬ。私が。羞恥で。
けれど芽依美経由でもこの秘密は誰にももれていない。そして、この対話相手はAI。そんな安心感から一息吐いた次の瞬間、その想定は覆された。
『リアちゃんが、わたしのお気に入りのペン持ってっちゃったことだよね?』
「!?」
予想外の返答に、私は固まる。
一瞬何のことかと思ったけれど、芽依美とペンという組み合わせに、すぐに思い出した。
確かに小学生の頃、当時流行りだったキラキラペンを箱買いしたのだと芽依美に自慢されて、悔しくて彼女のペンケースから一本だけ盗んでしまったことがある。
持って帰ったその時は、キラキラペンが自分の物になった喜びと共に、学校になんて持っていく芽依美が悪いのだと責任転嫁した。
けれどその夜、布団に入ると罪がバレた時を想像して恐怖し、良心の呵責に苛まれて、後日こっそりペンケースに戻しておいたのだ。
芽依美は、ペンがなくなったことも、出てきたことも、何も言わなかった。だからバレずに終わったこととして記憶の奥底にしまいこんでいたのに。まさか、全部気付いていたなんて。
「……」
『あれ、リアちゃん? 大丈夫だよ、昔のことだもん。わたし、ちっとも怒ってないから!』
『……えっと、あの時は、ごめんね。ペン、羨ましかったの』
『リアちゃんの好きな水色だったもんね。中学の時使ってた小説のノートも水色だったし』
「……!」
『ペンはすぐ返してくれたし、インクも減ってなかったし、本当に気にしてないよ!』
本当に気にしていないなら、何年も経ってからこんな風にすぐに話題に出せたりしない。インクの残量なんて、覚えていないだろうに。
こんな風に、本心を隠してにこにことする性質も、やっぱり本物だ。彼女は乗っ取りでもなりすましでもAIでもなく、本物の芽依美なのだ。
*******
結局、昨夜も気付けばソファーで寝落ちて、目を覚まして一番に改めてスマホを確認するけれど、芽依美のことは夢でも何でもなかった。
今日は瑠花との約束の日だ。出掛けようとしたタイミングで、ちょうど新しいメッセージが届く。
『ねえ。ルカちゃんと待ち合わせしてるんだよね?』
彼女は何でもお見通しだった。いっそネットの中ではなく、そこら辺に幽霊として漂っていて、私へのコミュニケーション手段としてSNSのメッセージを使っているようにさえ思える。
同じ空間に幽霊が居て、一方的に見られているのを想像して何となくぞっとした。
けれど旧友とまた話せる懐かしさと、この状況の不気味さを天秤にかけたところで、ちょうど均衡を保ったものだから、私は靴を履いてから何食わぬ顔でメッセージを返した。
『そうだよ。でも、前使ってたSNSが使えなくて、連絡取れないんだ』
『なら、わたしが案内してあげよっか?』
『……案内?』
『うん。先に駅に行って、ルカちゃん探しておくよ。わたしの家の方が、駅近いし』
待ち合わせ場所を教えた覚えはもちろんない。というか、その言い方からして、芽依美は今私の近くではなく自分の家に居るのだろうか。
そもそも高三で死んだはずの彼女は、私の大学からの一人暮らしの住所を知っているのか。
「……」
もう何もわからない。私は考えるのをやめた。
瑠花に会ってから、この状況について相談してみよう。私の手には余る。
まあ『幽霊とSNSでメッセージ交換してる』なんて言ったら、暑さに頭がやられたのかと思われそうだけど。瑠花なら、この芽依美が本物だとわかってくれるはずだ。
「暑さのせいで見てる幻とか……じゃ、ないよなぁ」
そういえば、連日の暑さのせいでゴミの匂いがすごい。どこかで生ゴミあたりが発酵しているかもしれない。
一人暮らしを始めた時に、やれゴミを溜めるなだの、夏は冷房に気を付けろだの、施錠はしっかりとだの、お母さんから口酸っぱく言われたことを思い出す。
我ながらぐうたらなのだからしかたないとは思いつつ、明日はゴミの日だから帰ったら忘れずに纏めなくてはと心に決めて、遅刻間際の私は慌てて家を出た。
『ルカちゃん、白いモニュメントの前に居たよー。リアちゃんのこと待ちくたびれてるみたい』
「えっ、見つけるの早……というか、瑠花も早い! 待ち合わせ正午だよね!? あと十分あるのに……」
ちょうど駅に着く頃届いた芽依美からのメッセージに、私はスマホに表示された時間を確認して少し焦る。待たせてしまっているのなら、急がねば。
けれどスマホをしまう前に続けて届いたメッセージに、私は思わず足を止めた。
『まあ、何にも知らないんだから、しかたないよね』
『……? 何も知らない、って、何のこと?』
『ルカちゃんに会えばわかるよ!』
要領を得ない返答に不思議に思いつつも、私は一旦スマホをポケットにしまい、芽依美からのメッセージを元に反対の改札口にある白いモニュメントを目指す。
すると、瑠花は本当にそこに居た。時間を確認しているのか、ずっとスマホを見ているようだった。
「おーい、瑠花、お待たせ! いやあ、SNSで連絡取れないと困るねー。急なサ終とかびびるし。でも昨日、新しいところ見付けたから……」
「うーん……」
「あ、っていうか聞いてよ、そこになんと、芽依美のアカウントあってさ! えーと、このSNSなんだけど……『May who』っていうの、知ってる? ちょっと瑠花も登録してみてよ」
「……」
「……? 瑠花?」
「……」
「ちょっと、何で無視すんの?」
最初は人混みによる喧騒で聞こえないのかと思ったものの、ぴったり隣に並んでも無視される。
時折「うーん」と唸るようにする瑠花に、何をそんなに熱心に見ているのかと、私は彼女のスマホの画面を覗き込んだ。
「……え?」
すると、そこにはサービス終了したはずの、いつも使っていたSNSが開かれていた。私とのDM画面を表示して、何度も更新している。
「……んー、遅いなぁ……DMも既読つかないし、さてはまだ寝てるな……?」
「え、待って、私ここに居るし、ていうかそのSNS……何で使えてるの?」
頭が追い付かず混乱してしまう。何かのドッキリ、悪戯、いろんなパターンを考えて、私ははっとして自分のスマホを取り出す。
もしかしたら、昨日はメンテナンスで開けなかっただけで、サービスが再開されたのかもしれない。たまたま昨日は電波が悪くて、開けなかったのかもしれない。メッセージに返信をしなかったから、拗ねて無視する悪戯をしているのかもしれない。
けれど何度試しても、私のスマホではそのSNSを開くことが出来なかった。
「なんで……? ねえ、瑠花! ごめんって、私、無視したつもりなくて……!」
相変わらず私を無視する瑠花に、さすがに冗談が過ぎると詰め寄ろうとした時、不意にメッセージ通知が届く。
それは瑠花からのドッキリのネタバラシではなく、芽依美からのものだった。
『ルカちゃんも、無視してるつもりはないよ』
「え……?」
この状況をどこかで見ているのだろうか。思わず顔を上げ見渡すけれど、人混みの中に芽依美の姿を見つけることは出来なかった。
そして、追加メッセージが届く。
『あとね、ルカちゃんは生きてる人だから、わたし達の使ってるこのSNSをすすめても使えないよ』
「……は?」
さらに、芽依美から何かのURLが届く。恐る恐るそれを開くと、そこには、最新のニュース記事が表示された。私の住んでいるアパートから、住人と思われる若い女性の死体が発見されたというニュースだった。
「これ、わた、し……?」
そこでようやく理解した。死んだはずの芽依美から連絡があったのは、私が彼女と同じ世界に来たから。
今まで使えていたSNSが開けないのは、瑠花が私を無視するのは、私がもう現実には存在しないから。
この『May who』というSNSを、誰が使えるのか。それは死んで、冥府に訪れた人間。
「あ……あ……」
『大丈夫! SNSは生活の一部だもん。死後の世界でも、念が残ってる限りこうしてお話出来るから、寂しくないよ!』
「……」
『ふふ。やっぱりまたこうして話せて嬉しいな。リアちゃんわたしが死んでから、ルカちゃんと遊んでばっかりでつまんなかったもん。……これからもずっとよろしくね、リアちゃん!』
ふと、出掛け際に感じた、やけに鼻につく嫌な匂いを思い出す。
ひどく蒸し暑い夏の日、サービスが終了したのは、いつも使っていたSNSじゃない。私の人生の方だったのだ。
それは夏休みも半ばの蒸し暑い日。私は比較的過ごしやすい夜にゲームをしたり動画を見たりして夜更かしして、ソファーで寝落ちて昼過ぎにようやく眠たい目を擦り起きる。
サークル活動だとかアルバイトだとか、女子大生ながらそんな青春とは無縁の私は、休みは休むものとしてぐうたらと過ごしていた。
昼ごはんも食べずぐだぐだし、いつものように友達の呟きやDMの確認をしようとしたところで、いくらタップしてもSNSのアプリ自体開けないことに気付いたのだ。
「……は?」
あまりにも突然のことに驚いたけれど、ウェブ版ですら開くことが出来ず、これは不具合などではなく、サービス自体が終了したのだと悟った。
「えー……困る、告知とか何もなかったじゃん……!」
ネット上での趣味の繋がりはもちろんのこと、リアルの数少ない友達との交流の手段も、主にSNSだった。
メールアドレスもラインも知らない子がほとんどで、電話番号なんてもってのほか。気軽に声をかけられるSNSこそ、一番慣れ親しんだ連絡手段だったのに。
「瑠花と明日遊ぼうって話してたのに、これじゃ連絡取れない……」
明日会う約束をしていた友達の瑠花とは、他にオンラインゲームでの繋がりもあったけれど、あのゲームにはメッセージ機能はない。
一言コメント欄で待ち合わせ場所なんかの個人情報を垂れ流すのはさすがに気が引けたし、そもそも向こうに気付かれるかも怪しかった。
とりあえず記憶にあるのは、あらかじめ決めていた『明日の正午に御伽駅集合』ということだけだ。
「当日に現在地伝えればいいかって、場所もふわっとしてたし……会えるかなぁ」
連絡手段がないのはお互い様だ。明日会えるかどうかは運に任せるとしよう。
「んー、明日会うまでに、他のよさげなSNS見付けとこうかな……」
これを機にメールアドレスやラインを改めて聞くのもいいが、それはそれ。連絡手段だけではない、思い出の蓄積や同じ趣味の語らいの場。SNSはもはやただのツールではなく、生活の一部だった。
それを一夜にして奪われた今、喪失感に苛まれながらも、私は新規開拓をしようと考える。
もしかすると、瑠花も新しい場所を見付けているかもしれないけれど。それなら二ヶ所登録すれば良い。連絡手段を一つに絞るから、それが使えなくなって困るのだ。
そうして午後の茹だるような暑さの中、私はソファーに凭れ類似サービスを確認することにした。するとすぐ、検索の一番上に、以前使っていたものと大差ない使いやすそうなものを見付けた。
そのSNSの名称は『May who』。意味は直訳で『誰が出来ますか』だろうか。そんな挑戦的で聞いたことのない名前だったが、ゲーマーとしては難易度が高い方がテンションが上がる。そこを新天地にしようと、私は早速登録することにした。
「これいいじゃん! 名前の割に普通に使いやすそうだし、前のと仕様もほとんど変わらな……あれ?」
無事登録が済み、早速アイコンなんかを設定しようとホームに戻ると、『もしかして知り合いかも?』と表示された、ひとつのアカウントが目に留まる。
「メイミ……って、これ、芽依美のアカウント!?」
見覚えのあるアイコン、見覚えのあるIDの文字列、見覚えのある名前。
私は思わずそのアカウントを凝視する。
芽依美は、事故で亡くなった友達だった。
高校から仲良くなった瑠花とは違って、幼稚園から同じだったいわゆる幼馴染み。
趣味が合うとか考え方が近いとかそういうこともなく、けれど気付くと傍に居るような腐れ縁。そんな関係性が、何だかんだ心地好かった。
そのお陰で、ほぼ唯一メールアドレスが連絡帳に登録されていた友達だ。
なんとなく消せずにいたメールアドレスからの紐付けで知り合いと判断されたなら、きっとなりすましなどではなく、このアカウントは芽依美本人のものなのだろう。
「嘘……芽依美、別のSNSやってたんだ」
何でも知っていると思っていた友達の、知られざるアカウント。
覗いて良いものか悩んでいると、不意に通知が届く。
『リアちゃん!? 久しぶり!』
まだアイコンも設定していない私の元に届いたその何気ない挨拶は、今まさに確認しようとした、死んだ芽依美からのものだった。
*******
『リア』は私の以前のSNSでのハンドルネームだ。本名から捩っただけの、捻りのない名前。
けれど芽依美はあだ名のようだと気に入って、リアルでもたまに私のことをそう呼んでいた。
その声がありありと聞こえた気がして、動揺しながらも私は簡単に返事をする。
『……メイミって、あのメイミ?』
『うん、わたしだよ! 久しぶり』
すぐに来た返事に、私は戸惑う。だって芽依美は死んだのだ。こんな風にSNSで話せるわけがない。
悪質ななりすまし、生前登録した自動で返事をするbot、親族の誰か。
様々な想像をして、一旦私は返事をせずに、そのアカウントの呟きを確認することにした。
『夏休み、いいなあ。わたしもリアちゃんと遊びたかった』
そんなつい最近投稿された呟き。知らない場所で私の名前が出ていることにぎょっとして、なんとなく落ち着かない気持ちになる。
そのまま過去の呟きを遡ると、他にもありふれた高校から大学の日常……つまり芽依美が死んでからのことばかり書かれていた。
『定期考査期間は早く帰れることだけが利点!』
『受験かぁ、リアちゃんはどこ志望なんだろ』
『大学入学おめでとう!』
『ルカちゃんはゲーム得意でうらやましい。わたしじゃリアちゃんと対戦とか出来ないもんな』
「何なの、これ……」
少なくとも、登録されているメールアドレスは正しい。もしかすると乗っ取りかも知れないと思い付くけれど、何気ない学生の呟きだけのアカウントにそのメリットも見出だせない。何しろフォローもフォロワーも居ないのだ。
それに、なりすましにしては質が悪いし、いくらなんでもこちらの事情を知りすぎている。
「じゃあ、やっぱり本当に芽依美が更新してる? でも、芽依美はもう……」
『おーい、リアちゃん?』
「!」
返事を保留にしていると、芽依美から追加メッセージとフォローの通知が届く。思わずタップして、すぐに既読を付けてしまい焦った私は、何か当たり障りのない返事をしようとした。
『えっと、久しぶり。元気だった?』
既に死んでいるのに、元気も何もない。送ってから後悔したけれど、芽依美はすぐに返事をくれた。
『元気元気! リアちゃんと久しぶりに話せて嬉しいなぁ。『May who』って楽しくてね、見てるだけでもおすすめなの!』
『……元気ならよかった。そうなんだ、あとで他の人のも見てみるね。瑠花のアカウントとかもあるかな?』
『ルカちゃんはやってないよー! あ、今リアちゃんのことフォローしておいたから、これからよろしくね!』
違和感のない会話に、自動返信の類いではないと感じる。瑠花への呼び方だって、生前の彼女そのものだ。
そうなると、いっそ共通の知り合いや親族が、芽依美が生きている体でSNSの更新を続けているのかとも思えてきた。
芽依美が亡くなったことを認めたくない家族や、せめて電子の海で生きていて欲しいという願いから、生前の彼女を演じている可能性もなくはない。
『ありがとう、フォロー返しておくね。これからよろしく』
答えが出ないまま、一応フォローを返し、会話を畳み改めてメイミのアカウントの投稿を遡る。
彼女の最初の投稿は、一年以上前。高三の春に芽依美が事故で亡くなった日のものだ。
『右も左もわからない初心者です、よろしくお願いします!』
そんな当たり障りのない挨拶は、新しい場所での初投稿ならわからなくもない。
けれど、さすがに亡くなった当日に死者のアカウントを作るなんて、親族なら絶対にしないだろう。
うんうんと考えてみるけれど、夕方近くの地獄のような暑さに思考が纏まらない。冷蔵庫から何か冷たいものでも探そうと立ち上がり、ふとつけっぱなしのテレビから流れてきた話題に、はっとする。
「……あ。近頃流行りのAI、とか?」
なるほど。そうだ、AI。芽依美のデータをインプットしたAIの可能性だってある。それなら設定がしっかりしているのも頷けるし、確立した人格として自動で呟いたり会話したりも可能だろう。
彼女の親族や知り合いが、彼女を人工知能として蘇らせようとした、とか。うん。十分あり得る。
私は彼女が誰かにデータをインプットされたAIであると想定して、私達しか知らない問いをしてみることにした。
『ねえ、メイミ。私の秘密って、覚えてる?』
私の秘密は、中学の時好きだった先生をモデルに、自分との恋愛小説を書いていたこと。
どう考えても黒歴史で、芽依美に偶然知られた時にはこの世の終わりかと思った。
今でも当時の水色の表紙のノートは、厳重に鍵付きの引き出しの奥にしまっている。
『秘密? うん、もちろん! 覚えてるよー』
もし答えられたら自分にもダメージの来る質問だったが、芽依美からの当たり障りのない反応に、やはりAIではないかという仮説が強まる。
それはそうだ。このことを知っているのは、私と芽依美だけ。他にも知る人物が居るなら、シンプルに死ぬ。私が。羞恥で。
けれど芽依美経由でもこの秘密は誰にももれていない。そして、この対話相手はAI。そんな安心感から一息吐いた次の瞬間、その想定は覆された。
『リアちゃんが、わたしのお気に入りのペン持ってっちゃったことだよね?』
「!?」
予想外の返答に、私は固まる。
一瞬何のことかと思ったけれど、芽依美とペンという組み合わせに、すぐに思い出した。
確かに小学生の頃、当時流行りだったキラキラペンを箱買いしたのだと芽依美に自慢されて、悔しくて彼女のペンケースから一本だけ盗んでしまったことがある。
持って帰ったその時は、キラキラペンが自分の物になった喜びと共に、学校になんて持っていく芽依美が悪いのだと責任転嫁した。
けれどその夜、布団に入ると罪がバレた時を想像して恐怖し、良心の呵責に苛まれて、後日こっそりペンケースに戻しておいたのだ。
芽依美は、ペンがなくなったことも、出てきたことも、何も言わなかった。だからバレずに終わったこととして記憶の奥底にしまいこんでいたのに。まさか、全部気付いていたなんて。
「……」
『あれ、リアちゃん? 大丈夫だよ、昔のことだもん。わたし、ちっとも怒ってないから!』
『……えっと、あの時は、ごめんね。ペン、羨ましかったの』
『リアちゃんの好きな水色だったもんね。中学の時使ってた小説のノートも水色だったし』
「……!」
『ペンはすぐ返してくれたし、インクも減ってなかったし、本当に気にしてないよ!』
本当に気にしていないなら、何年も経ってからこんな風にすぐに話題に出せたりしない。インクの残量なんて、覚えていないだろうに。
こんな風に、本心を隠してにこにことする性質も、やっぱり本物だ。彼女は乗っ取りでもなりすましでもAIでもなく、本物の芽依美なのだ。
*******
結局、昨夜も気付けばソファーで寝落ちて、目を覚まして一番に改めてスマホを確認するけれど、芽依美のことは夢でも何でもなかった。
今日は瑠花との約束の日だ。出掛けようとしたタイミングで、ちょうど新しいメッセージが届く。
『ねえ。ルカちゃんと待ち合わせしてるんだよね?』
彼女は何でもお見通しだった。いっそネットの中ではなく、そこら辺に幽霊として漂っていて、私へのコミュニケーション手段としてSNSのメッセージを使っているようにさえ思える。
同じ空間に幽霊が居て、一方的に見られているのを想像して何となくぞっとした。
けれど旧友とまた話せる懐かしさと、この状況の不気味さを天秤にかけたところで、ちょうど均衡を保ったものだから、私は靴を履いてから何食わぬ顔でメッセージを返した。
『そうだよ。でも、前使ってたSNSが使えなくて、連絡取れないんだ』
『なら、わたしが案内してあげよっか?』
『……案内?』
『うん。先に駅に行って、ルカちゃん探しておくよ。わたしの家の方が、駅近いし』
待ち合わせ場所を教えた覚えはもちろんない。というか、その言い方からして、芽依美は今私の近くではなく自分の家に居るのだろうか。
そもそも高三で死んだはずの彼女は、私の大学からの一人暮らしの住所を知っているのか。
「……」
もう何もわからない。私は考えるのをやめた。
瑠花に会ってから、この状況について相談してみよう。私の手には余る。
まあ『幽霊とSNSでメッセージ交換してる』なんて言ったら、暑さに頭がやられたのかと思われそうだけど。瑠花なら、この芽依美が本物だとわかってくれるはずだ。
「暑さのせいで見てる幻とか……じゃ、ないよなぁ」
そういえば、連日の暑さのせいでゴミの匂いがすごい。どこかで生ゴミあたりが発酵しているかもしれない。
一人暮らしを始めた時に、やれゴミを溜めるなだの、夏は冷房に気を付けろだの、施錠はしっかりとだの、お母さんから口酸っぱく言われたことを思い出す。
我ながらぐうたらなのだからしかたないとは思いつつ、明日はゴミの日だから帰ったら忘れずに纏めなくてはと心に決めて、遅刻間際の私は慌てて家を出た。
『ルカちゃん、白いモニュメントの前に居たよー。リアちゃんのこと待ちくたびれてるみたい』
「えっ、見つけるの早……というか、瑠花も早い! 待ち合わせ正午だよね!? あと十分あるのに……」
ちょうど駅に着く頃届いた芽依美からのメッセージに、私はスマホに表示された時間を確認して少し焦る。待たせてしまっているのなら、急がねば。
けれどスマホをしまう前に続けて届いたメッセージに、私は思わず足を止めた。
『まあ、何にも知らないんだから、しかたないよね』
『……? 何も知らない、って、何のこと?』
『ルカちゃんに会えばわかるよ!』
要領を得ない返答に不思議に思いつつも、私は一旦スマホをポケットにしまい、芽依美からのメッセージを元に反対の改札口にある白いモニュメントを目指す。
すると、瑠花は本当にそこに居た。時間を確認しているのか、ずっとスマホを見ているようだった。
「おーい、瑠花、お待たせ! いやあ、SNSで連絡取れないと困るねー。急なサ終とかびびるし。でも昨日、新しいところ見付けたから……」
「うーん……」
「あ、っていうか聞いてよ、そこになんと、芽依美のアカウントあってさ! えーと、このSNSなんだけど……『May who』っていうの、知ってる? ちょっと瑠花も登録してみてよ」
「……」
「……? 瑠花?」
「……」
「ちょっと、何で無視すんの?」
最初は人混みによる喧騒で聞こえないのかと思ったものの、ぴったり隣に並んでも無視される。
時折「うーん」と唸るようにする瑠花に、何をそんなに熱心に見ているのかと、私は彼女のスマホの画面を覗き込んだ。
「……え?」
すると、そこにはサービス終了したはずの、いつも使っていたSNSが開かれていた。私とのDM画面を表示して、何度も更新している。
「……んー、遅いなぁ……DMも既読つかないし、さてはまだ寝てるな……?」
「え、待って、私ここに居るし、ていうかそのSNS……何で使えてるの?」
頭が追い付かず混乱してしまう。何かのドッキリ、悪戯、いろんなパターンを考えて、私ははっとして自分のスマホを取り出す。
もしかしたら、昨日はメンテナンスで開けなかっただけで、サービスが再開されたのかもしれない。たまたま昨日は電波が悪くて、開けなかったのかもしれない。メッセージに返信をしなかったから、拗ねて無視する悪戯をしているのかもしれない。
けれど何度試しても、私のスマホではそのSNSを開くことが出来なかった。
「なんで……? ねえ、瑠花! ごめんって、私、無視したつもりなくて……!」
相変わらず私を無視する瑠花に、さすがに冗談が過ぎると詰め寄ろうとした時、不意にメッセージ通知が届く。
それは瑠花からのドッキリのネタバラシではなく、芽依美からのものだった。
『ルカちゃんも、無視してるつもりはないよ』
「え……?」
この状況をどこかで見ているのだろうか。思わず顔を上げ見渡すけれど、人混みの中に芽依美の姿を見つけることは出来なかった。
そして、追加メッセージが届く。
『あとね、ルカちゃんは生きてる人だから、わたし達の使ってるこのSNSをすすめても使えないよ』
「……は?」
さらに、芽依美から何かのURLが届く。恐る恐るそれを開くと、そこには、最新のニュース記事が表示された。私の住んでいるアパートから、住人と思われる若い女性の死体が発見されたというニュースだった。
「これ、わた、し……?」
そこでようやく理解した。死んだはずの芽依美から連絡があったのは、私が彼女と同じ世界に来たから。
今まで使えていたSNSが開けないのは、瑠花が私を無視するのは、私がもう現実には存在しないから。
この『May who』というSNSを、誰が使えるのか。それは死んで、冥府に訪れた人間。
「あ……あ……」
『大丈夫! SNSは生活の一部だもん。死後の世界でも、念が残ってる限りこうしてお話出来るから、寂しくないよ!』
「……」
『ふふ。やっぱりまたこうして話せて嬉しいな。リアちゃんわたしが死んでから、ルカちゃんと遊んでばっかりでつまんなかったもん。……これからもずっとよろしくね、リアちゃん!』
ふと、出掛け際に感じた、やけに鼻につく嫌な匂いを思い出す。
ひどく蒸し暑い夏の日、サービスが終了したのは、いつも使っていたSNSじゃない。私の人生の方だったのだ。



