地元で一人暮らしをしている遠方の母親にせめて楽をさせてあげたいと、最新のAI技術搭載だとかいうふれこみのロボット掃除機を贈った数日後、お母さんから久しぶりに電話が来た。

「あ、もしもし依子(えこ)ちゃん? 母の日のプレゼント届いたわ、ありがとう。でもねぇ、ロボット掃除機なんて……」
「そう言うと思った。でも近頃腰も痛いんでしょ? 掃除だけでも楽になるかなって。それに、使い方も案外簡単なんだよ。掃除したら、勝手に充電スポットに戻って充電するの」
「……あらそうなの? お利口なのねぇ。でも……」
「使うの難しそう? でも、使い方なら説明書も入ってるから大丈夫だよ」
「説明書……ああ、文字が小さくて上手く読めなかったから、口頭で説明してもらったわ」
「……? 宅配の人にでも頼んだの?」

 お母さんは一人暮らしで、まだ介護も必要としていない。ヘルパーさんは頼んでいないし、友達も少なく趣味もない、ほとんど家に居るような人だ。頼める人なんて限られている。

「ああ、この子……ロボットくんが自分で読んでくれたのよ。本当にお利口さんね」
「そう、なんだ?」

 そんな機能ついていただろうかと首を傾げつつも、お利口と褒める様子から気に入ってくれたのだと安心した。使用に前向きになってくれたならそれでいい。
 その日は仕事で疲れていたこともあり、早々に電話を切った。


*******


 仕事が立て込み、贈り物をしたことすら忘れ日々を過ごしていたある日。溜まりにたまっていたメールの中に、ロボット掃除機を頼んだ通販サイトからレビューの協力依頼が届いていたのに気付いたのは、購入からすでに三ヶ月経過してからだった。

「そういえば、結局使ってんのかな、あれ」

 到着連絡は受けたものの、使い心地は聞けていなかった。
 せっかくだから、お盆には御伽町に帰省して、実際の様子を見てみよう。
 そう思い立ち、お母さんに電話をかける。しかし数コールして出たのは、聞き覚えのない若い女の声だった。

「もしもし、栗名(くりな)です」
「……えっ、あ、えっと」

 一瞬かけ間違えたかと思い焦ったが、栗名は確かにうちの名字だ。誰かが代わりに出てくれたのかと、戸惑いながら言葉を続けた。

「すみません、それ、母の携帯だと思うんですけど……」
「……? 依子ちゃん?」
「え、はい……そうですけど……どちら様ですか」
「やあねぇ、お母さんの声忘れちゃったの?」
「……、はい?」

 確かに声質も話し方も似てはいたけれど、お母さんは還暦過ぎだ。こんなに若々しく溌剌とした声はしていない。『見知らぬ誰かが母になりすましている』そんな恐怖に、思わず背筋が冷たくなる。
 けれどこの電話で何か刺激して、本物のお母さんに何かあるといけない。私は咄嗟に、話を合わせることにした。

「あ、あはは、そうだよね。電話久しぶりだから、ちょっと変な感じするのかも」
「ふふ、依子ちゃんったら、仕事で疲れてるのかもしれないわね。そうだ、お盆は帰ってくるの?」
「あ、うん。その話をしようと思ったんだ……えーと、日帰りで行こうと思うんだけど、都合悪い日とかある?」
「ええと、そうねぇ……十五日はソウくんとお出掛けしようと思ってるから、それ以外なら家にいるわ」
「ソウくん誰」

 お母さんになりすましているにも関わらず、さらりと新キャラを出してくる女に思わずつっこんでしまう。
 ふりをするならもっと徹底して、娘の知らない男の名前を出すのはやめて欲しい。けれど電話口の女は、気にせず言葉を続ける。

「ああ、ソウくんはね、依子ちゃんが送ってくれたロボットよ。お掃除が得意だからソウくん」
「まさかのロボットとお出掛け」

 というか名前までつけたのか。色々とツッコミが追い付かない。
 それでもロボットを送ったことを知っているのなら、この女はお母さんに近しい間柄なのかも知れないと、得体の知れない恐怖は僅かに緩和された。

 その後もツッコミどころの多い会話を続け、何とか帰省の予定を決める。数日で実の娘が来るとわかっているのなら、間違ってもお母さんに変なことをしたりはしないだろう。

 しかしながら、本当に何だったんだ、あの女は。電話の終わり際に遠くから聞こえた気のする子供の声に、テレビか何かだと思いつつも、何と無く落ち着かない数日を過ごすのだった。


*******


「あら、おかえり依子ちゃん。思ったより早かったわね。朝一の電車に乗ったの?」

 約束の日。帰省した実家で私を出迎えたのは、見知らぬ若い女と、小学生くらいの少年だった。
 女の声は電話で聞いたものと似ていて、こいつがなりすましの犯人だと理解する。朗らかな笑みを浮かべ、娘の帰省日にも堂々と居座っているなんて、いい度胸だ。
 というか、その隣の子供は誰だ。子連れで我が家を乗っ取ったのか。
 私が思わずまじまじと見ていると、少年は可愛らしくお辞儀をする。

「はじめまして。依子さん。僕、ソウっていいます!」
「え、あ、どうも」

 ソウ。それは電話口でも聞いた響きだ。確か、ロボット掃除機の名前とか言ってなかったか。けれどこの子はどう見ても、人間の男の子だ。
 私の動揺を気にすることもなく、二人は我が物顔で家の中に私を招く。

 数年帰省していなかった懐かしい実家のリビングに通され、「このお菓子好きだったわよね」なんてお母さんのふりを続けたままお茶と好物まで出されたところで、私はようやく話を切り出す。

「……あの、色々と理解できないんですけど、うちの母はどこですか? 不法侵入で警察呼びますよ?」
「あらやだ、お母さんはここに居るじゃない」
「いや、だからどこに……」
「わたしが栗名清美。あなたのお母さん」
「うちのお母さんは、こんな若くもスリムでもない!!」

 思わずテーブルをばんと叩くと、淹れたてのお茶が揺れる。一瞬流れた静寂の後、女は肩を竦めた。

「あらやだ、ちょっと傷付くわねそれ……お母さん昔はモテモテだったのに!」
「それはお母さんも良く言ってたけども……いやでも、どう見たって別人じゃない」
「うーん、信じて貰えないなら仕方ないわね……ソウくん、あと五年分お掃除してくれる?」
「わかりました!」
「は……?」

 意味のわからないやり取りに、耳を疑う。けれどその間にソウは女の手を取って、まるで掃除機のような音を立て始めた。およそ人体が発していい音ではない。
 そして、しばらくしてその音が止まると、女は先ほどよりも若返り、少年は中学生くらいに成長していたのだ。

「ね、わかってくれた?」
「……、うそぉ」

 どうやら目の前の女は本当に私のお母さんで、少年は掃除機らしい。
 ゴミや埃だけでなく、年齢という人間に積み重なったものすら掃除してしまう人型のロボット掃除機。世紀の発明が過ぎる。

 実際この目で見てしまったからには現実と受け入れる他ないものの、それにしたって、どう見ても計算が合わなかった。
 お母さんは還暦過ぎ。目の前の女は二十代後半から三十代前半。同じ分の年齢を吸わせたのなら、ソウは三十代くらいになっていてもいいはずだ。

「ああ、ソウくんの中に溜まったゴミを捨てる時にね、うっかり時間も捨てちゃったのよ」
「時間って捨てられるの」

 吸い取れるのだから捨てるのも出来るのだろうが、本当に頭が追い付かない。可燃ゴミなんだろうか。生ゴミっぽいな、なんて現実逃避していると、更なる追撃があった。

「ゴミ袋に入れたんだけどね、そのまま逃げちゃったみたいで」
「時間が? ゴミ袋で?」
「ゴミを開けたら二十年くらい歳を取っちゃうわねぇ」
「そんな玉手箱嫌すぎる!」

 こうして私は帰省早々、若返った母と中学生掃除機と一緒に、約二十年分の時間探しに追われることになったのだった。


*******


「ねえ、そもそも何で時間を吸い出したりしたの? そんな使用方法あった?」

 近所の田んぼや空き地を散策しながら、私は尋ねる。こんな泥だらけになりながら歩き回るなんて、それこそ子供の頃以来だ。

「それは……」
「それは、清美さんが動かなくなってしまうからです」
「……え?」

 ソウの言葉に私は思わず草を掻き分ける手を止め、視線を向ける。
 しかしソウは気にした様子もなく、迷い猫でも探すように軒下を覗き込んでいた。

「清美さんは、もうじき動かなくなります。だから、せめて身体を若くして、最後の時間をたくさん動けるように……」
「ソウくん!」

 耳の聞こえも幾分良くなったのか、私達の声が耳に届いたらしい。少し遠くから駆け寄ってきたお母さんが慌ててソウの口を塞ぐけれど、もう遅かった。

「どういうこと……お母さん、死ぬの?」
「依子ちゃん、あのね」
「なんで……寿命にしては早くない? だって、人生百年時代だよ? それに、入院したこととかもないし、こんなに元気でさ……むしろ私より若返ってるし!」

 思わず声が震える。けれど、こんなにも現実離れした出来事が立て続けに起きて、その上こんな話だ。どうしたって動揺しない方がおかしいだろう。

「お母さん……嘘だよね?」
「そ、それは……」

 お母さんは視線を逸らして、明らかに誤魔化そうとする。余裕のない私はそんなお母さんの手を払って、真実を語るであろうソウから聞き出すことにした。

「ソウ、答えて!」
「……清美さんは、動かなくなります。でもそれは、死ではありません。寿命による故障です」
「は? 故障って、お母さんを機械のあんたと一緒にしないで」
「……? 清美さんは、機械ですよ?」
「……、……は?」

 意味がわからなかった。ロボットでも冗談を言うのかと、思わずぽかんとする。けれどお母さんの視線は、真横に逸らされたままだ。

「あっ! 見つけた!」

 言葉に迷いながらも、何か言わなくてはと口を開こうとした瞬間、不意にお母さんが声を上げる。
 その視線の先、田んぼの案山子の側に、黒いゴミ袋が居た。思ったより大きい。人間が四つん這いになったくらいの大きさはある。けれど人間ではあり得ないような、ぴょこぴょことした動きをしていた。
 間違いない。あれが二十年分の時間の入ったゴミ袋だ。

「待って!」

 私は慌てて駆け出す。あの中にお母さんの二十年という時間が入っているなら、それは機械なんかじゃなく、私の知っているお母さんのものだ。
 袋を開けて、お母さんに時間を返そう。そうすれば、きっとロボットの妄言に不安になる必要なんてない。

「よしっ、取った……!」

 猫のように逃げ回るゴミ袋を必死に追いかけ、ついに私は飛び掛かるようにして捕まえる。
 すると、まるで玉手箱のように、潰れた袋の中から煙のような時間が飛び出してきて、私を包み込んだ。

「わ……っ!?」

 煙と共に染み込むように脳内に広がる、お母さんの記憶。それは二十年分の『私のお母さん』としての思い出だった。
 学校を卒業する私を泣きながらも喜んでくれた時の気持ち、上京する私を心配する感情、一人暮らしになって心細さを覚えた日々。ソウが来てからの、楽しい日常。

「なん、だ……こんなに感情豊かなんだもん、やっぱり、お母さんは……」

 安心すると同時に、奇妙な感覚を覚える。一気に年を取って、重たくなった身体はゴミ袋を潰したまま動かない。
 おかしい。二十年の加算なら、私は今精々五十代のはず。それなのに、どうして、こんなにも全身が重たく軋むのだろう。

「……なに、これ……起きれない……お母さん、助け……」
「ああ、すみません、依子さんの方が先に故障してしまいましたね……」
「……あら。でも、仕方ないわよ、ソウくんよりかなり旧式のモデルなのに、急に二十年分も時間が進んだんだもの」
「……え?」

 二人が私を見下ろしている気配がする。けれどその顔を、私は見ることすら出来ない。
 俯せたまま、その世間話のようなトーンで繰り広げられる、意味を理解しがたい会話を聞いた。

「メンテナンスを挟まなかったから、ネジもパーツも一気に錆びちゃったのね」
「そうかも知れないです……どうしましょう?」
「そうね……残念だけど、時間だけにしておくより逃走の危険もないし、そのまま捨てちゃいましょうか……」
「わかりました。お掃除ならお任せください!」

 嫌な予感がした。そして案の定、動かない私の身体を軽々持ち上げたソウは、時間の入っていた黒いビニールに私を詰め込もうとする。

「え、ちょ……なに、ソウ、冗談やめて……!」

 そのまま袋を縛られそうになり必死に抗議するけれど、そんな私を見て、お母さんはいつものように朗らかな笑みを浮かべた。

「大丈夫よ、お母さんも、もうじきおんなじスクラップ工場に行くから。ふふ、これでもう寂しくないわね」
「は……?」
「依子ちゃんにソウくんを贈られた時は、早く壊れろって言われてるみたいで悲しかったけど……一緒になら安心ね」
「はい! 清美さんのボディのお片付けも、僕に任せてくださいね!」
「ええ、頼りにしてるわ。『ロボット掃除機』さん」

 ああ、そうか。ロボット掃除機。ロボットの掃除機で、ロボットを掃除する機械。

 ようやく意味を理解したけれど、袋の中の時間の残滓を吸い込んだ私は、もう言葉を話すことも叶わなかった。