わたくしは、俗に言う『呪いの人形』だ。
 まばたきしたり髪が伸びるなんて序の口で、ごく稀に動くし喋るし、持ち主に災いをもたらすなんて言われているいわば最上級の呪いのアイテムだ。

 それでも、そんな伝承を華麗にスルーしてわたくしを可愛がってくれた前の持ち主のお陰で、わたくしはお寺で供養されたりすることなく、持ち主の老後の話し相手だなんていうそこらの人形には出来ないことで活躍の場を広げられた。

 まあ、その持ち主も亡くなった今、わたくしはこうして御伽町の片隅の古物商……簡単にいうと『リサイクルショップ』に居を構えているわけだけど。

「……あの人が天寿を全うしてくれたのは喜しいし、何ならこれでわたくしの呪いランク的なものも落ちたんじゃない? なんて、思ってはいたけど……」

 わたくしの前の持ち主だった『廣光さん』の娘により、遺品整理とは名ばかりの断捨離の末にわたくしが店に持ち込まれたあの日、途端に店内の空気が凍るのを感じた。
 おそらくわたくしよりも古いもの、いろんな曰く付きのもの、物凄く高いもの、たくさんの物が犇めく店内において、わたくしがやばいものランキング堂々の一位になった瞬間である。

「……店主もよく買い取ったわね、こんな呪いの人形……。いや、そもそもは廣光さんだけど……」

 閉店後の暗い店の片隅で、バイトの子から怖がられた結果ガラスケースに封印されているわたくしは、今日も一人過去を懐かしむ。

 曇ったガラスのような目をして、見るからに褪せて古びた流行り遅れの服を着た、半端に伸びて不揃いなボサボサ髪の古い人形。
 前の持ち主である廣光さんが新婚の頃、偶々出張先の露店で売られていたわたくしを買ってくれたのが、つい昨日のことのよう。

 わたくしは当時からいろんな人に嫌われてぼろぼろで、店先でも確か『呪いの人形』としてカテゴライズされていたのに、よくまあ買って後生大事にしてくれたものだ。

 元々は奥さんへのプレゼント予定だったらしいけれど、当たり前のように気持ち悪いと一蹴されたわたくしを廣光さんはこっそり捨てずにいて、離婚後は「今まで閉じ込めていてごめんよ」なんて、わたくしを光の元に連れ出してくれた。
 そして、まるで家族のように同じ食卓を囲ったり一緒に寝たりして過ごしてくれたのだ。

 その光景を端から見ると、廣光さんが人形に呪われたようにしか見えなかっただろう。けれど、わたくし達は紛れもなく幸せだった。

 廣光さんは、それまで精一杯尽くしてきたはずの愛する家族に出て行かれた寂しさを。
 わたくしは、愛されるために生まれた人形なのに、呪いだなんて言われて嫌われ捨てられ続けた悲しみを。
 互いに寄り添い孤独を埋め合って、穏やかな日々を送った。

 そんな生活の中、人と同じようにわたくしの髪が伸びると気付いた彼は、不器用ながら切ってくれた。それだけじゃない、情に触れて呪いが強まったのか、はたまた呪物としてのランクでも上がったのか、わたくしが机から自力で落ちる程度に動いたり、空耳レベルで喋ったり出来るようになると、彼は驚きながらも喜んでくれた。

 わたくしの声をはっきり認識した時は、奥さんに連れられて出ていった幼い娘が初めて「パパ」と呼んでくれた日と同じくらい嬉しかったそうだ。それはちょっと盛りすぎだと思う。

 世間から見捨てられた、似た者同士のわたくし達。それでもお互いに本物の家族のように過ごしたあの日々は、何物にも代えがたい宝物だ。

「……髪、そういえば最近あんまり伸びないな」

 ふと、当時は人間と同じペースで伸びていた邪魔な髪が、最近全く気にならないことに気付く。
 ガラスケースの封印が効いているのだろうか。

 髪が伸びるのは、呪いだ何だと分かりやすく嫌われる要因で、あまり好きじゃなかった。
 けれど廣光さんに出会ってからは、髪が伸びてくる度にそわそわとした。あの人が至近距離でまっすぐに見つめてくれて、長く髪に触れてくれるから、わたくしは散髪の時間が好きだったのだ。

「伸びるのが髪だけじゃなく背丈もなら、わたくしはあの人の隣に立てたのかしら……」

 人間のように大きくなれたなら、もっと彼の孤独を癒せた気がする。なんて、斜め向かいにある売り物のマネキンを眺めながら、無い物ねだりをしてみる。
 あれ程嫌だったはずの普通の人形とは違う性質をもっと欲しがるなんて、案外変わるものだ。

 彼と出会って、わたくしは救われた。彼と過ごす日々で、わたくしは幸せになれた。
 わたくしはふと、この店で埃を被りながら「人から捨てられた」と日々嘆く子達に、その気持ちを分け与えたくなった。

「……ねえ、そこの鏡さん」
「……え、あ、はい!?」
「あなたは、今までどんな人を映してきたの?」
「えっと……私は一人暮らしの女性を……」
「そう。鏡ならいろんな顔を映すのでしょうけど……持ち主にまっすぐに見つめて貰える時間って、一等幸せよね」
「……! はい! 本当に!」
「次の人に買われるのも待ち遠しいけれど、ここで飾られている間にも、お客様や店員さん、いろんな人の姿を映せて楽しいでしょうね」
「そう、ですね……人に覗いて貰えると、嬉しいなって思います!」

 ガラスケース越しに、わたくしは近くの物たちへと声をかける。思念的な言葉さえ返せない子達も多かったし、今までわたくしに対して怯えていた子もたくさん居たけれど。それでも、売れるあてのないわたくしはのんびりと、周りの物たちに人と在った時間の幸せを教えたかった。

 わたくしのようにかつて捨てた人を恨み呪いの品となるよりも、残された愛しさを抱き締めて過ごして欲しかったのだ。

「ねえ、そこのライターさん、タバコの火は何回くらいつけてきたの? わたくしの前の持ち主は、娘が生まれてから禁煙したからライターと会うのは久しぶりなの」
「あら、カメラさん。あなた今までどんな写真を撮ってきたの? あなたが一度構えられたら、人間は笑顔を向けるんでしょう? 素敵よね。……わたくしの前の持ち主も、昔はよく家族やお友達の笑顔の写真を撮っていたわ……晩年は、わたくしの写真も撮ってくれたのよ。現像されたものを見ていないのだけど、呪いの写真になってないか心配だわ」
「そこのあなたは絵の具さんかしら。あなたはどんな色をしているの? 『おんなのこ』や『あまいもの』なんて不思議な色の名前なのね。わたくしも、前の持ち主にいろんな景色を、いろんな色を見せて貰ったのよ」
「かんざしさんは綺麗ね。きっと麗しい淑女の髪を彩ってきたのでしょう。わたくしの前の持ち主も、あなたみたいに素敵なかんざしを和服の似合うお婆様に贈られていたのよ」

 毎日、わたくしはかつての愛しい記憶が薄れてしまわぬよう言葉に織り混ぜながら、周りの物たちに話しかける。
 そうしている内に、わたくしはすっかり怯えられることもなくなり、店の品々もわたくしの言葉伝いに知った廣光さんのことを話すようになった。

 そして、彼の娘がここに売った品は、わたくしだけじゃない。あの家に在った他の品々も、わたくしに倣うようにして廣光さんとの思い出を語りはじめた。
 気付くと店の大半の物が彼のことを知っていて、廣光さんの存在が自然と共通認識となった今、店の中に彼が息付いているような気さえした。

 捨てられた物に宿った想いの中に、彼の欠片が存在する。そのことが嬉しくもあり、切なく、愛おしく感じた。
 彼が亡くなってしばらくは当然寂しさの方が多かったし、彼の居ない世界への絶望からまた呪いの人形になってやろうかとも思った。
 それでも、思い止まってよかった。この温かな気持ちを、悲しい気持ちで消してしまうなんて勿体無い。そう思えるのも、彼のお陰だ。

「……ねえ、廣光さん。わたくし、幸せよ。あなたが残してくれた愛しい日々が、わたくしの中に在り続けるもの……」

 わたくしの声が聞こえたのか、ただの偶然か、ふと顔を上げたアルバイトの店員が、わたくしをすっかり埃の被ったガラスケースから取り出す。
 久しぶりの外の空気は、何だかとても温かい。わたくしの顔は不思議ともう怖くないと笑うその人は、至近距離でわたくしの目を見詰める。
 廣光さんの残した想いの欠片が満ちた店の中、久しぶりに誰かに髪を撫でられて、わたくしは満たされたような気持ちになった。

 遺された呪いの人形は、もう髪も伸びないし、これ以上言葉を話すこともないだろう。
 だって、わたくしはもう呪いの人形なんかじゃない。彼の愛した、ただの古いお人形。
 そして想いが残るなら、わたくしはもう、ひとりぼっちではないのだから。