「こいつ喋る時吃りすぎててくそウケんだけど。 何? ハッタショなん? キメー」

 なんでそんな酷いこと言うの?

「何もさぁ、くれっつってるわけじゃねえんだよ。 ただ『貸してくれ』って言ってんの。 ソンケーすべきセンパイが金に困ってんだからさぁ、快く貸してくれんのがコーハイのツトメってやつだろ」

 そんなこと言って、返してくれたことなんか一度もなかったじゃないか。

「なんかさ、あいつ見てるといじめられる側にも問題あるって本当なんだなって思うよな。 だって見ててまじイラつくもん」

 何だよそれ。 そんなこと言われなきゃならないようなこと、お前にした?

「孤立するのはお前が周りに馴染む努力を怠ってるからだ。 もっとクラスメイトに心を開かなきゃだめだぞ! 先生も応援するから、和を乱さないようもっと頑張りなさい!」

 俺が悪いの? 俺の頑張りが足りないからこんなことになっちゃったの?

「いい加減に学校に行きなさい! 毎日毎日部屋に閉じこもって、そんなんでこの先どうするつもりなの? ひきこもりの出来損ないなんて、いつまでも面倒みてられないからね!」

「ちょっと嫌なことがあったくらいでひきこもりだなんて、恥ずかしいやつだな。 そんな軟弱な子に育てた覚えはないぞ」

 ……俺は、ふたりにとって恥ずかしい、軟弱な、出来損ないの子どもなんだ。
 なんかもう、全部嫌になっちゃった。
 駄目人間の俺は、もう誰からも必要とされることはない。
 どこに居ても辛いことばっかりで、逃げても逃げても苦しいことばっかで、それなのに自分で終わらせる勇気もなくて。
 毎日頭から布団を被りながら、『明日世界が終わればいい』って願うことしかできなくて……

「おっはよー! あおちゃん! 今日もいい朝だよ!」
 
 バタン!と勢い良く扉を開けて、部屋に上がり込んできた明人が俺の布団を剥ぎ取る。
 昨日から割れっぱなしの窓からさんさんと朝陽が射し込んできて、不意打ちの眩しさに俺は突然岩を持ち上げられた団子虫みたいに布団の中で丸まった。

「ほら起きて。 今日は一緒に出掛ける約束でしょぉ!」

「うぅ~……」

 隣に住む幼馴染みの明人は、今日も遠慮なく俺を揺さぶり強引に叩き起こそうとしてくる。
 やく、そく……? してたっけ、そんなの。

「したでしょ昨日! 今日は食糧の調達のために一緒にスーパーに行こって!」

 昨日……?
 俺は昨日の学校に行って、明人とふたりだけの卒業式をやったことを思い出して、ガバッと跳ね起きた。
 目の前には笑顔の明人。
 思わず自分で自分のほっぺをつねる。
 夢じゃない。

「やっと起きた。 ほら、顔洗って朝ごはん食べよ?」

 明人に促されて一階のリビングに降りる。
 そういや、世界ってもうとっくに終わってたんだっけ。


◆◆◆
 

 腐臭。腐臭。腐臭。
 どこに行っても腐臭だらけ。
 いい加減もう鼻が慣れてきた。
 昨日は久々の外にびびって俯いてたから気付かなかったけど、よく見渡すと町の有り様は結構荒廃してた。
 そこかしこにゾンビが徘徊してるしゴミが散乱しまくってるし、なんなら千切れた手とか足とか普通に落ちてる。
 道中に塀や電柱に追突したままの故障した車を見かけたのなんか、十台や二十台どころじゃない。

「うわっ、全部腐ってる。 生鮮コーナーは全滅だな」

「乾燥野菜ならこっちにいっぱいあるよ。 あと缶詰も」

「じゃあそれも入るだけカートに入れといて。 軽いものは全部リュックな。 一往復につき水の段ボール一個は必ず運びたいから、入るだけで頼む」

「おっけー」

 俺たちは駅前のスーパーマーケットに来ていた。
 目的は水と食糧の運び出しだ。
 生前の行動を反芻している社畜ゾンビたちのお陰で今はなんとか生きていられてるけど、それもいつまで持つかわからない。
 だから、インフラがなくなった後に備えて最低限必要なものはなるべく自宅の近くに運んでおこうと思ってさ。
 店内は俺たちの他にも、客ゾンビがカートを押しながら棚の前をうろうろ徘徊してる。
 うう、襲ってこないってわかってても、ゾンビって見てるだけで背筋がゾワゾワして身体が痒くなる。
 明人はカートに乗って、さっきから棚に陳列してる腐敗した肉のパックにひたすら値引きシールを貼り続けている値引きゾンビたちの間を行ったり来たりしながら遊んでいる。

「見て見てあおちゃん。俺避けんの上手くね?」

「こら、食べ物入れるカゴで遊ぶな。 行儀悪いぞ」

「あおちゃんは真面目だなー。 怒るひとなんてもういないんだから、こういう時こそ普段は絶対やらないようなことしなきゃ。 ポテチ、塩味とコンソメ、どっちがいい?」

「コンソメ」

「俺は禁断のダブル食い~」

 無邪気に笑う明人につられて、俺もつい笑ってしまう。
 そっか、そうだよな、今は俺たちしかいないんだから、少しくらい羽目はずしたって構わないのかも。
 
「しっかし現代は便利な食品が多くて良かったな。 これなんか十年持つって」

「助かるよねー。 しかも俺たちしかいないから取り放題!」

「まさか、こんな火事場泥棒みたいなことする日が来るなんて思ってもみなかったな」

「非常時なんだから仕方ないでしょ」

「俺の家の窓鉄パイプで割ったのも?」

「ごめん、許してよ。 だって、普通にチャイム鳴らしてもあおちゃん出てくれなかったんだもん」

 最後はドラッグストアで常備薬や絆創膏、消毒液を確保。
 でも市販の薬じゃ治せないような病気に掛かったらって思うと、これじゃちょっと心許ない。
 カートごと十往復くらいして家のリビングを物質でいっぱいにしたあと、俺たちは近くのショッピングモールへ移動する。
 屋上にフードコートのテラス席があるから、今日はそこでお昼ご飯食べようってことになった。
 エスカレーターには下半身を巻き込まれたゾンビが延々と抜け出そうと足掻いてて通れなかったので、階段を登って屋上にたどり着く。
 見晴らしのいいコンクリートの広場には、軽食の店舗と簡易な椅子とテーブルが並んでた。
 俺たちは荷物を下ろし、百円ショップから持ってきた固形燃料を使って湯を沸かした。
 それを持ってきたカップ麺にお湯を注いだら、あとは五分待つだけだ。
 こういうの、キャンプみたいでなんかちょっと楽しいな、キャンプやったことないけど。
 カップラーメンが出来上がるまで、俺はテーブルに頬杖をついてぼんやり空を眺める。
 空には白い着物が裾を引きずるようにゆったり流れていて、青く澄んだ視界がやけに高く広く感じた。
 こうしてのんびりしていると、そこら中がゾンビだらけになってるなんてたちが悪い冗談にしか思えないくらい、ここには平和な時間が流れている。

「案外、こんなものなのかもな」

「何が?」

「世界の終わりが。 俺たちの知らないところで何かが起きて、渦中にあったはずの思想や思惑、原因すら知らされないままある日突然終わるんだ」

「そんなの当たり前じゃん。 全部を解明して解決するなんて、映画の主人公にしかできないよ。 俺たちはちょっと前までフツーに高校生やってたただの一般人なんだから」

 出来上がった醤油ラーメン、今日はやけに味が濃く感じた。
 カップラーメンなんてひきこもってる間は毎日のように食べてて、味なんか殆んど気にしたことなかったのにな。
 食後のデザートには、バックヤードの冷凍チャンバーから持ってきたアイスを食べる。
 俺はソーダ味のアイスキャンディで、明人のはひとくちサイズのシャーベットがいっぱい入ってるやつ。
 明人はマスクの下でコロコロと、アイスを口の中で飴みたいに転がして味わってる。

「なあ、さっきからマスク全然外してないけど、それ食べにくくないか? ラーメンもマスクの下の隙間から啜ってたし」

「だって花粉症が酷いんだもん。 それよりさ、あおちゃんはアイスって賞味期限ないって知ってた?」
 
「そうなの?」

「そ。 だから世界が滅んでもアイスはずっと食べ放題なんだよ」

「ずっとではないだろ。 電気が止まったら全部とけちゃうんだからさ」

「そーなんだよなぁ。 ガスはともかく電気が使えなくなるのって、かなりの痛手だよなぁ。 うーん……」

 目下の難題にふたりして頭を悩ませる。
 ふと、明人の視線が屋上の端に展示ブースに止まったかと思うと、あいつは勢いよく椅子から立ち上がった。 

「あおちゃん、あれ、あれ!」

 急かされるまま俺も席を立って、展示ブースに駆け寄る明人を追いかける。
 ポップでカラフルな三角旗が飾られた円形のステージには、でっかいキャンピングカーが何台か置いてあった。
 明人は興奮したように看板を指差す。

「見てこれ! 太陽光発電搭載キャンピングカーだって! しかも水循環装置も積んであって、車の中でシャワー浴びれるやつだ!」

「すごっ! そんなのもう住めるじゃん! 今ってこんなのあるんだな……」

 確かに明人の言う通り、車の屋根にソーラーパネルが着脱できるようになってる。
 さすがに車本体を走らせるにはガソリンが必要みたいだけど、一日過ごせる程度の水と電力を車一台で賄えるのって、なんかものすごく未来~!って感じだ。
 早速運転席に乗り込んだ明人が、「あおちゃんも早く!」と助手席に乗るよう促してくる。

「お、おい、お前運転なんかできるのか?」

「免許はないけど乗り物は一通り運転したことあるよ」

「それってゲームの話だろ?」

「へへ、ばれた?」

 俺が助手席に座ると、明人はハンドルを握りキーをひねる。
 満タンではないけどガソリンは入ってたみたいで、エンジンが唸りを上げ、キャンピングカーはゆっくり動き出した。
 明人の運転はめちゃくちゃ荒かった。
 立体駐車場の狭い車路を抜けて道路に出るまでに、角のところで必ず車体を擦っていた。
 公道に出てからも、ポールにぶつけるは看板は倒すわ、世界が滅んでなかったら危険運転で確実にケーサツに捕まってただろう。

「おっかしーな。 なかなか思ったように動かないなこれ。 車体が大きいからかな」

 ……分かった、何でさっきからぶつけまくりなのか。
 この車、バックミラーとサイドミラーが付いてない。
 それぞれ折れた跡は残ってるから、俺たちが乗る前に誰かが予め壊してたのかも。

「まあいいじゃん? ミラーなんかなくても車は走れるって」

 明人は全然気にしてないどころか、道路を逆走してる。
 背後の確認できなくて不安じゃないのかこいつ。

「今さら交通ルールとか守んなくていいでしょ。 対向車全然走ってないし」

 そういやゾンビって車は運転してないんだよな。
 やっぱ脳みそが腐ってるから、車の運転みたいな『頭で考えながら手足をバラバラに動かす』みたいな複雑なことはできないのかな。

「あー、そうかも。 だって電車は動いてるけど、バスは走ってないもんね」

 その後も何度も明人の危ういハンドル捌きにヒヤヒヤさせられて、でもなんだかんだ映画のアクションシーンみたいでちょっと楽しくて。
 途中セルフ給油機が置いてあるガソスタに寄って、ネットでやり方調べながらハイオク満タンにしてから、俺たちは車で家を目指す。
 道中横断歩道を渡ってる歩行者ゾンビを二体くらい撥ね飛ばしちゃってバンパー凹みまくりだけど、なんとか見知った道まで戻ってこれた。
 ひとまずはうちのガレージに停めようかってなったんだけど、バック駐車しようとしたら明人がアクセルとブレーキを踏み間違えて、ドカーン!って思いっきり向かいの家の塀に突っ込んじゃった!
 びりびりと追突の衝撃が響く車内で、俺と明人は顔を見合わせて固まる。
 そして、次の瞬間──

「……ぷっ!」

「あははははっ!」

 ふたりで腹を抱えて爆笑。
 明人、派手に車ぶつけすぎ!
 あんなに運転に自信ありそうだったのに。
 こいつと一緒にいると、本当に自己嫌悪してる暇もないな。
 新たに手に入れたベコベコの新車の中で、俺たちは悲惨な初運転の結果にしばらく笑いが止まらなかった。