再びチャイムが鳴ると、先生ゾンビは教室に入ってきた時と同じように、足を引きずるような不安定なゾンビ歩きで戸を開けて出て行った。
生徒ゾンビたちは各々席から立ち上がり、また教室内をゆらゆらと徘徊している。
「あおちゃん、あいつ知ってる? 生活指導の栴田」
俺は殆んど掠れて聞き取れないような声で「うん」と頷いた。
「あいつウザいよね。 俺あいつに服装のことで何度もうるさく言われてさ。 じゃあお前のそのダサジャージはええんかい!って感じだよね」
「へ……? 明人、ここの生徒なの?」
「そうだよ? 言ってなかったけ?」
明人は肩に鉄パイプを担いだまま、三角座りしながらギコギコと椅子を揺らす。
「思い出したらムカついてきた。 ちょうどいいから今からこれで頭叩き割ってやろうかな。もうゾンビなんだから、別に罪に問われないよね」
「だ、駄目だろそんなことしたら。 いくら相手がゾンビでも、暴力は駄目だ」
「……あんなゲス野郎を庇うなんて、やっぱりあおちゃんは優しいね。昔からちっとも変わってないや」
明人が変わり過ぎなんだ。
昔は内気で人見知りするタイプで、いつも俺の後ろをついて回ってたのに。
少なくとも、誰かの頭を叩き割りたいなんて言うような子じゃなかった。
「それは買いかぶり過ぎだよ。 俺、元からそんないい子じゃなかったもん」
明人は「行こ」と言って再び俺の手を取り、教室を飛び出した。
階段を降りて、今度は校舎を出て渡り廊下を進み、連れて来られたのは体育館だ。
体育館ではユニフォームを来た部活ゾンビたちがのろのろと、バスケットコートの中でボールなしのバスケみたいな動きをしている。
俺たちはそいつらが練習しているコートの真ん中を堂々と突っ切って、壇上に登った。
「ちょっとここで待ってて」
明人は俺を残して、一旦舞台袖に引っ込んだ。
うう、体育館の中もゾンビだらけで落ち着かない。
ひとりにされた心細さに二の腕をさすっていると、ぬうっと舞台奥からゾンビが現れた。
「ヒ……ッ!」
小太りのバーコードハゲに分厚い眼鏡、ズボンの裾がヨレヨレのスーツ……校長ゾンビだ!
校長ゾンビは舞台上の講演台に立ち、バンッ!と机上を叩いて俺を威圧した。
昔のドラマに出てくるヤンキーがガンつけるみたいに身を乗り出して顔を近付けて来るハゲ校長!
無理無理無理怖い怖いゾンビ怖い!!
「あおちゃん!」
そこへ、戻ってきた明人が鉄パイプで校長をフルスイング!
校長は吹っ飛ばされて、舞台の下に転落する。
ち、ちびるかと思った……!
「待たせちゃってごめんね。 音響の使い方がわかんなくて」
そう言って、明人はマイク片手に校長の代わりに講演台に立った。
「えー、ただいまより、今年度の卒業証書授与式を始めます」
「え?」
「牛時葵さん」
キーンというマイクの音割れと一緒に名前を呼ばれて、思わず俺は背筋を伸ばす。
講演台を挟んで向かい合う俺たち。
明人は「卒業おめでとう」と言って、両手で俺に卒業証書を差し出してきた。
その証書は、百円ショップで売ってるようなやつだった。
ゴールドの鳳凰枠の中に祝辞の言葉が手書きで──さっきの授業中に見た筆跡で綴られている。
「……これ、明人が書いたのか?」
「本当はちゃんと印刷したやつを用意したかったんだけどさ、やり方がよく分かんなくて」
「なんで、わざわざこんなことを?」
そう尋ねると、明人はちょっと困ったみたいに眉尻を下げた。
「俺さ、あおちゃんがずっと学校行ってないの知ってたよ。 何があったのかもうっすらとは聞いてる。 でもなんて声をかけたらいいのか分かんなくて。 もし俺のことまで拒絶されたらって思ったら、なかなか会いにいけなかったんだ。 そうしてる内に世界中がゾンビパンデミックになっただろ? もう学校どころじゃなくなっちゃって」
それから講演台の引き出しの中からもう一枚、同じような手書きの卒業証書を取り出す。
名前の欄には、赤坂明人の名前が。
「本当なら俺、今日が卒業式だったんだ。 あおちゃんも学校卒業できなかっただろ? だから、今日ふたりで一緒に卒業できたら、昔みたいに仲のいい友達に戻れるかなって思って」
それで今日、勇気を出してひきこもってる俺を家から連れ出したのだと、そう言って明人は頬を掻いた。
俺は改めて明人が書いてくれた卒業証書を見る。
もう一度学校に通って授業を受けることなんて、ましてや卒業なんてとっくに諦めてたのに。
そんなものは俺には一生手に入らないって、そう思ってたのに……。
「あ、あおちゃん!?」
気づけば俺の目からはとめどなく涙が流れていた。
胸いっぱいに熱いものがこみ上げて、今の気持ちを言葉にしようとしても、喉から出てくるのは嗚咽だけだ。
「や、やっぱり手書きは嫌だった!? ごめんね、すぐにちゃんとしたやつ用意するから!」
違う、違うんだ。
俺は貰った卒業証書をぎゅっと胸に抱いて、首を横に振る。
これでいい。
これがいいんだ。
数度しゃくりあげて、ブレザーの袖で目元を拭ってから濡れないように卒業証書を脇に挟むと、俺は明人の分の証書を持ってさっきとは反対に授与する側に回る。
「赤坂明人さん、卒業おめでとう」
「……あおちゃん! ありがと!」
「俺も、ありがとう」
ゾンビだらけの体育館で、ふたりで笑って拍手し合う。
卒業式を終えた俺たちは学校を出て、通学路の途中にあるカラオケ屋に寄った。
そこで『巣立ちの歌』とか『仰げば尊し』とか、思いつく限りの定番卒業ソングを声が枯れるまで歌いまくった。
世界はとっくに滅んでしまっていて、俺と明人以外の全人類はみんなゾンビになっちゃった。
こんな非現実で突拍子もない状況、未だに信じられない。
もしこれが夢じゃなくて現実だっていうなら、俺たちはこれからどうしていけばいいんだろう?
沢山の人が死んでて、そのうちインフラも止まるかもしれなくて、これからは水も食糧も自分で確保していかなきゃならない。
でも今の俺は、不思議とそれを不安だとは全く感じていなかった。
それどころか……、不謹慎かな?
隣でタンバリンを鳴らしながらはしゃいでいる明人を見てると、今まで鬱屈してた心の中が、太陽に照されたみたいにすーっと明るい気持ちで満たされていくんだ。
