明け方の仄暗い光が、フロントガラス越しに差し込んでくる。
 俺は助手席で、膝に毛布を掛けてじっと運転席に座る明人を見つめてる。
 明人はノートパソコンを開いて、動画の編集作業に集中してるところだ。
 またそんなに顔を画面に近付けて、目が悪くなるぞ。

「見てあおちゃん。 これ、この間立ち寄った滝で撮った映像。 ドローンで上空から画角つけて撮ったからさ、ショートムービーみたいじゃない?」

 明人の指がタッチパネルを操作して、画面に映る俺の姿を何度も巻き戻す。
 滝の傍を歩く俺。
 落ちてくる水を手で受け止めてる俺。
 畔で足を浸して笑ってる俺。
 レンズ越しに生きてる俺。

「結構綺麗に撮れてるでしょ」

 カメラに気を取られすぎたお前が、泥に足取られて転んだところがカットになってんのはちょっと不服だけどな。

「俺はいいの、どうでも。 これはあおちゃんのアルバムなんだから」

 明人の指が画面に触れる。
 エンコードのバーが、ゆっくり右に進む。
 静かな車の中で、微かなパソコンのファンの音が虫の羽音みたいに響いている。

「データ、いっぱいになっちゃった。 ファイル名つけて保存しなきゃ」

 少し悩む素振りを見せてから、明人はファイル名を入力する。
 打ち込まれたタイトルは──『ぼくらの青春あぽかりぷす.MP4』。

「ね? いいタイトルでしょ、あおちゃん」

 保存ボタンを押すと、明人が小さく笑った。


 ~FIN~



「……どうだった?」

 期待に満ちた顔で、カーペットの上に正座をした明人が背筋を伸ばして俺を見上げてくる。

「どうもこうも……」

 29分59秒の動画データが終わって真っ暗になった画面のスマホを、俺はぽんとベッドに放り投げた。

「色々言いたいことあんだけど、取り敢えず一個いい? お前の父親役、あれ理科の榎本先生じゃん。 あのカタブツで有名な。 よく出演してくれたな」

「えのピーは我らが映像研究部の偉大なる顧問サマだからね。 脚本見せたら快く引き受けてくれたよ」

 引き受けてくれたよ、じゃねーよブナピーみたいな呼び方しやがって。
 俺の幼馴染みの赤坂明人。
 三つ年下で現在高校三年生の十八歳。
 因みに父親は菌学研究所勤めじゃなくて普通にリーマンだ。
 何故このお受験シーズン真っ只中であろう高三男子が俺の部屋で照れくさそうに頭を掻いているのか。
 それは、今朝早くに俺のスマホに送られてきたこいつの自主製作映画『ぼくらの青春あぽかりぷす.MP4』の感想を聞きに来たからに他ならない。

「じゃあ、率直に感想言うけど」

「うんうん!」

「まずなんでゾンビものなんだよ。恋愛ものだって前置きしてなかったか?」

「だってみんなゾンビもの好きじゃん? フツーの恋愛メイン映画とかつまんなすぎて一部の女子しか観ないじゃん。 だったら、ゾンビ+恋愛に合体させたらいいかなって」

「百歩譲ってゾンビはいいとして、なんで高校生のパンピーの家に都合よく地下シェルターがあって幼馴染みとふたりだけ生き残ってんだよ。 しかも幼馴染みだけゾンビ化の進行が遅いとかご都合主義にも程があるだろ。 始終違和感バリバリだったわ」

「そっち方がドラマチックでしょ。 恋愛もので主人公カップルのどっちが死んじゃうのは、やっぱり鉄板の展開だよね」

「世界観の掘り下げが低いのはまあ、恋愛を軸に置こうとしたらこうなるのはわかるよ。 尺の都合もあるだろうし、人類滅亡の解像度が高すぎると逆に恋愛展開のノイズになっちゃうから。 でも最後の車で旅するシーンは完全に蛇足だろ。 特にラブホのシーンとか。 あれ絶対いらないだろ。 榎本からもチャプター名のとこ注意書きされてるじゃん。 カットしろよ」

「駄目だよ! ラブホのシーンは一番いるから! むしろここがこの映画のメインだから!」

 今日一番の明人の大声に、「うるせ」と俺は指で耳を塞ぐ。
 明人は昔から俺にべったりだった。
 小学生の頃なんか毎日プロポーズしてきたし、中学生になっても恥も外聞もなく毎日プロポーズしてきた。
 どうせ血迷ったガキの戯言だと思って今まで適当にあしらってきたが、まさか高校生になっても俺のケツを追っかけてくるとは。
 あんまりにもしつこいもんだから、

「もし俺の撮った映画であおちゃんを感動させることができたら、俺とデートしてください!」

 という、いつもよりややハードル低めの告白に思わず了承してしまったのだ。
 どうせ個人で作れるものなんかたかが知れてるだろって。
 俺、あんまり映画とか観て感動したことないし、
もし本当にこいつがそんな出来の良い映画を作ってきたとしても、デート一回くらいなら別にいっかなって思って。
 そしたらこいつは高校の映研部に入って三年間でこんな大掛かりな映像作品を作り上げ、俺の前に持ってきたというのだから驚きの執念である。
 部の作品ってことで今年の文化祭でも上映したらしいけど、在校生×卒業生の2,5次元BLゾンビ映画とか学校もよく許可したもんだよ。

「あ、でもキャンピングカーだけはねえ、みんなでバイト代出し合って買った10万の中古のバンを改造した本物だよ。 部長の伝手で取り壊し予定の駐車場で撮影させてもらったんだ。 運転シーンは迫力満点だったでしょ!」

 普通、学生の自主製作映画でここまでするか?
 今はAIの技術とかすごいらしくて、ゾンビの動きとか壊れた車とか本物みたいだ。
 作ろうと思えば全部AIで作れるにも関わらず、そこに敢えて本物を持ってくるってのは、それだけ虚構の中にリアリティーを追求したってことなんだろう。
 そのエネルギーを、もっと俺以外のもので燃やせなかったんかね。

「大体なんで俺とお前が主役なんだよ。 無断で俺の名前使いやがってふざけんなよ」

「大丈夫、みんなにはこの脚本フィクションってことにしてるから。 先生たちも二年も前に卒業した生徒の名前なんか覚えてないって」

「そもそも俺、引きこもりじゃねーし。 バイトも大学も無遅刻無欠席だわ。 そりゃ確かに、高一の時に生意気だっつってバレー部のクソ三年どもにボコられたことはあるけど、そんくらいで学校休んだりしねえよ。 キャラ違いすぎ」

「知ってるよ。 あおちゃんは強いんだもんね。 でもそしたら俺が付け入る隙がなくなっちゃう。 これは恋愛映画なんだから、お話の都合上映画のあおちゃんには弱くなってもらわないといけなくてさ。 苦肉のキャラ変だったんだ」

「てか映画のお前美化されすぎ」

「俺は現実でもイケメンでしょ?」

「結局何が言いたかったの?」

「とどのところつまり、何が言いたかったかっていうと……青春はね、ゾンビなんですよあおちゃん」

「あと最後のFINの字がこの上なくダサい。 これで中盤の余韻が全部消し飛ぶくらいクソダサい。 よく恥ずかしげもなく文化祭で発表できたな」

「ええ~~、それはあおちゃんの好みの問題でしょ? これでも動画サイトにアップロードしたら、SNSで結構好評だったんだけどなぁ……」

 立て続けの辛辣な感想に、明人は段々肩をすぼめて小さくなっていく。
 俺は深いため息を吐いて、ごろんとベッドに寝っ転がった。

「総評! 駄作でした! おつかれ! こんなもん撮るのに三年もかけて貴重な学生の時間無駄にしやがって、ばっかじゃねえの? 途中で『あれ、これつまんないのでは?』って気付かなかったのかよ」

「あおちゃん辛口すぎィ。 そりゃあさ、作ってる最中は何度も挫けそうになったけどさー」

 明人は少しだけ眉尻を下げ、ベッドによじ登って俺の隣に寝転んだ。

「この自主製作にはね、俺があおちゃんと送りたかった青春を詰め込んであるんだ。 あおちゃんとやりたいこと、行きたい場所がいっぱいあって、でも現実世界の都合を考えたら実際に全部は叶えられない。 だからお話の中でだけでも叶えられたらっていうことをリストアップして、三年かけてなんとか映画を完成させたんだ。 ……初めて作った作品だから、ちょっと不恰好かもだけど」

 へへ、と明人はシーツに横顔を埋めてはにかむ。

「時間を無駄にしたなんて思ってないよ。 だってこれは今の俺にしか作れないものだったから。 高校生の俺が、全力であおちゃんへの想いを形にしたラブレターだ。 あおちゃんにお披露目することができたし、みんなで部活動するのも楽しかった。 精一杯やったもん。 満足してる」

「現実の俺そっちのけで、映画の俺と青春して満足なのかよ……」

「え?」

「なんでもねー」

 俺はなんとも言えない気持ちで自分の部屋の天井を見上げた。
 真っ白な壁紙の天井の、照明の横。
 そこには手書きの卒業証書が張り付けてある。
 明人の作った映画は虚構だった。
 でも、ところどころにいくつかの現実も散りばめられていた。
 例えば俺が卒業式に出られなかったこと。
 志望校の受験の日と被って、出席できなかったんだ。
 ダチとは別の日に遊べるし、別にそこまでして式に出たかったわけじゃないから別にいいやってくらいの気持ちだったんだけど……そしたらその日の夜、明人が証書を作ってきて卒業式ごっこしてくれたんだっけ。
 あれはちょっと、かなり嬉しかったな。
 他にも暗いのとひとりになるのがトラウマで、鍵っ子のあいつは小学校五年くらいまでは毎晩のようにうちに来て俺のベッドに潜り込んでたこととか。
 ポテチ食べる時は塩とコンソメ両方買って同時に食うこととか。
 ……あいつの母さんが失踪したこととか。
 明人が三年かけて作った映画には、まだ十八歳のあいつなりの人生や経験、夢や好きなもの、心の傷なんかが、願いや情念と一緒にこれでもかと塗り込められていた。
 ひたむきに全力に、たった数十分の映画のために十代の青い時間を捧げて、映画を撮るって手段であいつは自分の中にある形のない何かを記録に残る形に昇華させたんだ。
 あの泣き虫だった明人が。
 すごいと思う反面、ちょっとだけ羨ましくもある。
 ただなんとなく勉強して受験して、なんとなく入れそうな大学に進学した俺には、あんなに真剣に打ち込めるものなんてなかったからさ。
 俺は寝返りを打ち、明人に背を向けたまま口を開く。

「……俺役の男子、映研二年の松本だっけ? ラブホでキスしてたけどさ、お前らあれまじでキスしてたの?」

「まさか!」

 明人は慌てて跳ね起きた。

「キスするフリだよフリ! お芝居! ちゃんとスレスレのとこで寸止めしてたから! 変な勘違いやめてよね!」

「ふーん」

「てか、まっちゃんはバスケ部に彼氏いるし! 俺はちゃんとまだ童貞だし、ファーストキスもあおちゃんのために大事にとってるし! ピカピカだよ!」

「キモッ! どっちも一生いらねー」

「ひど!」

 俺はのっそりと起き上がると、イスの背もたれにかけてあった上着を羽織る。
 スマホと机の上に置いてあった財布をポケットに突っ込んで、膝の上に手を置いてきょとんとしてる明人を一瞥した。

「でもま、画角とかは結構面白かったよ。 最初FPSみたいに一人称視点のカメラから始まって、しばらくお前だけ撮しておいてから俺のゾンビ化判明と同時にドローンで撮った俯瞰図に持ってくの。 あれはちょっと新鮮味あった。 ファミレスくらいは連れてってやってもいいかな」

「へ?」

「んだよ。 行かないの? デート」

「……! 行くっ! あおちゃんだいすきっ!」

 まったく、何かっていうとすぐ飛びかかってきて、犬かっての。
 俺は明人を腕にぶら下げたまま部屋を出ると、階段を下りて玄関へ向かった。
 内鍵を開けて、玄関扉のドアノブを回す。
 すると──
 
「助けて! ゾンビだ!」

 扉を開けると、目の前には信じられない光景が広がっていた。
 道の両側には破壊された車や倒れたゴミ箱が散乱し、そこかしこで飛び交う悲鳴と叫び声。
 そして、混沌に満ちた住宅街の中逃げ惑う人間たちの間を闊歩するのはゾンビ! ゾンビ! ゾンビ!
 俺は思わず明人と顔を見合せた。

「……これも虚構の続きか?」

「いや、現実でしょ」

 だよなぁ。
 ファミレスどころじゃなくなっちゃったぞこれ。

「あおちゃん、どうしよっか?」

「そりゃ……、ショピングモールに行ってキャンピングカーを手に入れるんだろ?」

 戸惑っていた明人の顔が、じわじわとにやけ笑いの形に変わっていく。
 俺も多分、今口が勝手に笑ってる。
 どちらともなく手を繋ぐと、俺たちはゾンビパニックの世界へ足を踏み入れていった。




 おしまい