「速報です。 20XX年X月X日、XX国の研究所から開発途中のウイルスベクターが流出し、世界的なパンデミックが発生したとの衝撃的な情報が入ってきました。 国際的な保健機関であるWHOが緊急会議を開催し、各国の政府に対して警戒を呼びかけています。 このウイルスは、従来の感染症とは異なり、高い感染力と致死率を持つとされ、特に都市部での急速な拡散が懸念されています。感染者は急激な症状の悪化を示し、医療機関は逼迫した状態にあります。政府は、流出の原因について調査を進めるとともに、感染拡大を防ぐための対策を強化を……」

 ちょうど、土曜の昼頃だったと思う。
 学校は休みで、俺は昼飯のカレーを食べながらテレビでそのニュースを見てたんだ。
 遠い国のパンデミックなんて言われてもいまいちピンと来なくて、テレビの中でニュースキャスターのひとが原稿を読み上げてるのをぼんやり眺めていた俺は、外出る時にマスクつけなきゃ駄目なのかな?とか考えてて。
 そしたら、出張中だったはずの父さんが血相を変えて帰ってきて……。

「来なさい明人」

 って、有無を言わさず納戸の横の階段を下りて、地下シェルターに連れ込まれた。
 うちの分厚いコンクリート製の地下シェルター。
 1Kのアパートみたいな間取りで、簡易シャワーとトイレのついた真っ白な空間。
 外の菌を持ち込まないよう絶対に中に入るなっていつも言われてた、普段は厳重に施錠されてる父さんの仕事部屋だ。
 そんな場所に連れてこられるなんて、どう考えてもただ事じゃない。

「と、父さん……? 何かあったの?」

 青白い滅菌ライトの光を浴びながら恐々と尋ねる俺に、 父さんはシェルターの内鍵をしっかりと閉めながら、初めて聞くような重苦しい声で応える。

「ニュースを見たか? 今、ウイルスの流出によって世界的な規模のパンデミックが発生している」

「見たよ。 でもそれって外国の話でしょ? シェルターに避難するなんて、ちょっと大袈裟過ぎなんじゃないの?」

 この時の俺の口元は多分、へら、と軽薄な笑いの形をしていたと思う。
 父さんに「嘘だよ」って、「出張が切り上がったから、驚かすために早めに帰ってきたんだ」って、そう言ってもらえるのを期待して。
 でも父さんはずっと険しい表情で、額には汗の玉がいくつも浮かんでいて、いつまで経っても父さんの口からは俺の望む答えは出てきてくれなかった。
 
「先日、うちの研究所のデータベースにハッキングの形跡を見付けたんだ」

 非常電源のスイッチを入れてパソコンを立ち上げた父さんは、誰かにメールを打ちながら俺にも分かるようにことの経緯を教えてくれた。
 父さんが勤める研究所では、医療用の新しいウイルスベクターの研究を行ってたそうだ。
 ウイルスベクターっていうのは、簡単に言うと『ウイルスの病原性をなくして身体の中の病気の細胞を直接治せるようように改造したもの』だって。
 父さんのチームは、遺伝病を治すためのウイルスベクターを作ろうとしてた。
 世のため人のためになる、高尚な目的の研究だったんだ。
 でも研究を続けていくうちに、目的とは全く異なる効果を発揮するサンプルが生まれた。
 そのサンプルは、感染した即座に人間の遺伝子情報を書き換えて、まずは感染者の細胞を壊死させる。
 そうすると神経が破壊されて、痛みも苦しみも感じなくなる。
 病気だって自覚を持たせないまま身体を少しずつ腐らせていって、やがて感染者を殺すんだって。
 感染者が死んだあとは、全身の筋肉に潜伏したウイルスが身体の主導権を奪って動かし続ける。
 ……そんな致死率100%の、人間をゾンビ化させるウイルスだったそうだ。
 しかも記録上類を見ない驚異の感染力で、一度空気中にばらまかれたら航空機や物流網を介して数週間で地球全体に蔓延することが想定されるって。
 父さんたちは、このサンプルは危険だって判断して早々破棄したらしい。
 チームの迅速な対応で、危険の芽は摘み取られたはずだったんだ。
 ところがその後日、父さんのチームが鍵をかけて厳重に管理していたデータベースをハッキングされて、例のサンプルの研究データがごっそり盗まれてしまった。
 同時に、チーム内の帰化人がひとり失踪した。
 社内にXX国の産業スパイが潜り込んでたんだ。
 そして、事務処理に追われている最中に流れたウイルス流出のニュース。
 ウイルス兵器などの軍事転用を目的に、そいつがデータを元にサンプルを復元しようとして失敗した可能性が高いって父さんは言った。
 仲間を騙して泥棒した挙げ句、人を助けるための父さんの研究を兵器にしようだなんて、絶対に許せない……!

「向こうでサンプルを復元する際に、杜撰な管理体制で取り扱っていたのか。 流出事件発覚から約一日。 実際にウイルスが流出してからの日数はもっと前だ。もしXX国のスパイが本当にあのサンプルを復元させていたとしたら、恐らく既に世界にウイルスは拡散してしまっていて、私もお前もそのウイルスに感染してしまっているだろう」

「そんな……、じゃあ俺たち、このままゾンビになって死んじゃうの?」

 不安で、自分で思ってたより弱々しい尋ね方になってしまった。
 父さんは眉間に皺を寄せ、しばらく下唇を噛んで斜め足元を睨んでいたが、そのうちふっと表情を和らげて俺の頭を撫でた。
 
「今からウイルスの抗体薬の開発に取り掛かる。 やれるだけのことはやってみるさ」

 そして、この日から俺と父さんの地下シェルター生活が始まったんだ。


◆◆◆


 父さんは、シェルター中の個別ブースに籠りきりで研究に励むようになった。
 たまに出てきては「試薬だ」って言って俺の腕に注射をして、メモを取ってまた研究に戻るのを繰り返してる。
 俺にできることといえば、父さんの邪魔をしないことだ。
 備蓄品の食糧を開封して父さんのブースの前に持ってったり、ブースの外に出てるゴミを片付けたり、あとは他にすることもないから部活で使ってるカメラ付きのドローンを飛ばして家の周りの様子を確認したりしてた。
 意外なことに、パンデミック中にも関わらず外はそこまで混乱していなかった。
 いつかの流行風邪のときみたいにマスクをつけてる人は多かったけど、みんな普通に学校や会社に行ったりして、普通に社会は回っている。
 クラスの友達にメッセージ送ったら、普通に「学級閉鎖ならんのマジだるい」って返ってきてたくらいだ。
 ネットで検索しても、「私ゾンビになりました」なんて書いてるひとは特に見当たらない。
 某匿名掲示板サイトを見に行くと、それらしい話題のスレッドがいくつが立てられてたけど、途中で書き込む人が減っていって自然と過疎化していってた。
 あれっ? これ父さんが心配しすぎてるだけで、実は大したことないんじゃ?って、最初は思ったよ。
 だけど日を追うごとに、段々ドローンから送られてくる映像に異変が現れ出す。
 いつも犬の散歩でうちの前を通るおじいさんがいるんだけど、足の動きがおかしいっていうか、膝から下が変な方向に捻れてるのにそのまま前に進もうとしてるんだ。
 当然そんな歩き方じゃ犬の動きについていけないから、おじいさんは転倒して、そのままズルズルと地面を引きずられていく。
 それなのに、すれ違うひとたちは誰も気にしてない。
 かと思えば、通学中の小学生たちが一列に歩きながら、順番に道路脇の側溝に落ちていってる。
 溝水で足が汚れるのも構わず、小学生たちはそのままザブザブと側溝を進み続けていた。
 一週間もすれば異変はもっと顕著で、見かける人々みんな髪の毛が真っ白になってた。
 それで気付いたんだ。
 みんな一斉にゾンビになっちゃったから、そもそもパニックを起こす人間がいないんだって。
 常温で放置していた生肉がちょっとずつ変色して、時間の経過と共に徐々に溶けて爛れて形を崩していくみたいに。
 それくらいゾンビ化はゆっくりと、しかし着実に進行して静かに人類を蝕んでいってるんだ。
 最近、全身の掻痒感に悩まされてる。
 これは潜伏したゾンビ化ウイルスが、俺の身体を壊そうとする初期症状の痒みだ。
 この痒みが段々強くなって、身体が壊死を起こして意識の混濁が始まる。
 髪が抜けて歯が抜けて、腐敗が始まったら本格的にゾンビの仲間入りってわけ。
 父さんは、俺たちは定期的に試薬を投与してるから外にいる人間に比べたら進行はずっと緩やかだって言ってた。
 でも俺は、自分もいつかはあのおじいさんや小学生たちみたいに自分が何をやってるか理解できないできないまま外を徘徊するゾンビになるんだって。
 そう思ったら恐ろしくてたまらなくて、眠れない夜が何日も続いた。