今日は朝早くから家を追い出された。
 一応ここ俺の家なんだけどな……明人はひとり籠城して、キッチンで何やら張り切って準備してる。
 正直、今の状況でサプライズも何もないと思う。
 けど、それでも今日は特別な日だからってさ。
 俺は、昼間は漫喫に行って適当に漫画を読んで時間を潰して、言われたとおり夕方18時きっかりに帰ってくる。
 戸を開けて玄関に入った瞬間、パンッ!という破裂音と共に色とりどりの紙吹雪が俺を襲った。

「イェーイ! あおちゃん、お誕生日おめでとー!」

 玄関では、にこやかな明人が発射済みのクラッカーを持って待ち構えていた。
 そう、今日は俺の二十歳の誕生日だ。

「用意はバッチリだよ。 ほら、早く席について」

 明人に連れられて、俺はリビングに向かう。
 電気の止まった家の至るところには、ジャムの空き瓶にろうそくを詰めた即席キャンドルが吊るされてて、歩き回るのに困らない程度には仄明るい。
 そんなムーディーな雰囲気のリビングは、折り紙の輪っかで飾り付けられたパーティー会場と化していた。

「すご、ひとりでこれだけ準備するの、大変だったんじゃないか?」

「へへ、まあね」

 テーブルには白いレースのテーブルクロスが敷いてあって、紙皿に盛りつけられた缶詰めの肉とかお菓子とかジュースとか、ちゃんと米を炊いて握ったおにぎりまである。
 そこへ明人が、なんか……すごいのをお盆に乗せて持ってきた。

「ケーキもね、ちょっと頑張ってみました」

 ケーキ?
 お盆に乗せられてたものは、ケーキというより要塞みたいだった。
 四角いビスケットを組み上げた四角い土台には、イチゴジャムとかマーマレードとかパンに塗るスプレッド系が塗りたくられてて、更にはよく製菓コーナーに置いてある、女子がバレンタインのチョコに乗せる飾りみたいやつ、あれなんていうんだっけ?
 とにかく、キラキラしたカラフルなビーズみたいなやつがいっぱいちりばめられてる。
 真ん中は空洞になってて、そこにろうそくが全部で20本、要塞に守られてる松明みたいに小さい炎を燻らせている。
 「本当は、生クリームとかイチゴがあったらもっとよかったんだけどね」と頬をかく明人に、俺も釣られて笑ってしまう。

「お腹空いたよね。 俺も、朝から何も食べてないからもうペコペコ。 食べよ食べよ」

 俺たちはそれぞれ着席する。
 明人が用意してくれたケーキのろうそくの火を吹き消して、手を叩きながらハッピーバースデーの歌をうたってもらう。
 取り分けたケーキは胸焼けを起こしそうなくらいの甘さで、一生忘れられない味になりそうだ。

「さてさて、お次はメインディッシュだ」

 そういって明人は普段食糧を運ぶように使ってるリュックに手を突っ込む。
 勿体ぶりながら取り出したのは、なんと缶チューハイに缶ビール!

「冷蔵庫止まってるから全然冷えてないけど」

「お前も飲むのかよ未成年」

「いいでしょ別に。俺もあと二年ちょいしたら二十歳だもん」

 プシュッとプルタブを開ける音が響いて、まずはビールで乾杯。
 ひとくち啜ると、ぬるい泡と独特の苦味が鼻に抜ける。
 
「……おえっ! にがっ! まず!」

「んん~~、ぬるいから余計苦く感じるのかな? 冷えてたらもうちょっと美味しかったのかも」

 次はレモンチューハイ。

「……ビールよりはマシかも。 甘くない炭酸ジュースって感じ?」

「てかファンタの方が美味しくない? 大人ってなんでこんなものありがたがって飲むんだろ?」

 ちびちび舐めるみたいなペースで俺たちは期待はずれのお酒の味に文句を垂れながら、紙皿に盛ったおやつカルパスをつまむ。
 うーん、やっぱりつまみがあってもそんな言うほど美味しくはないな、酒。
 そうやってしばらく手探りの酒盛りを続けてると、だんだん頭がふわふわ軽くなって、なんか楽しくなってきた。

「んふふ、あおちゃんあおちゃん」

「なんだよ」

「だーいすき」

「なんだそれ」

「ふへへ。 ねえ、ずっといっしょいてね。 俺のこと、ひとりにしないでね」

「なんだそれ」

 明人もすごく機嫌良さげだ。
 気が大きくなるってこういうことをいうのかな?
 俺もなんか、今ならなんでもできそうな万能感。

「俺ねえ、酒と一緒にこれも持ってきたんだ」

 明人がリュックの底から取り出したのは、花火のファミリーパックだった。

「ね、今から一緒にやろ。 庭で花火」

「お、いいねぇ」

 ほろ酔いでいい気分の俺たちは、部屋を照らしてるキャンドルのひとつと花火のパックを持ってベランダから庭に出た。
 うち以外はどこも明かりか点いてないから、外は真っ暗だ。
 防火用のバケツに水汲んで物干し竿の下にしゃがんで、花火の先端をキャンドルの火に近付ける。
 最初はチリチリと小さな火花が飛び散っていたのが、次第に大きな火花になって、シューッって独特な音を立てながら流れ星みたいに勢いよく光が飛び出してきた。
 そこへ明人が別の花火を近付けてきて、音も光も二倍になる。
 庭が広くないからあんまり大きく振り回したりとかは出来ないけど、ペンみたいに先端で字を書いて炎の先でなんて書いたか当てっこするだけでも結構楽しい。
 あとは、やっぱ花火の締めと言えば線香花火だよな。

「どっちが長く燃えてられるか、競争ね」

「勝ったら何かあんの?」

「じゃあ負けた方に今日の片付け全部任せるってことで」

「おっけー!」

 よーいドン!で点火して、ふたり並んでぷっくり膨れた線香花火の先端に意識を集中する。
 楽しいなぁ。
 こんな何でもないことが、こんなに楽しいなんて知らなかったな。
 お酒の力も手伝ってか、今日は胸の奥につっかえてたことまでちゃんと言葉にして口から出せそう。
 
「なあ、明人」

「んー?」

「この前の、遊園地の時の返事なんだけど」

 線香花火を持った姿勢は崩さないまま、明人が顔だけこっちに向ける。
 俺は一回深呼吸して、それからゆっくり口を開いた。

「俺さ。 学校に行けなくなって家に引きこもってる間、ずっとゾンビだったんだ」

 布団の中でただ時間が過ぎるの待つ毎日。
 何食べても味しかしなくて砂噛んでるみたいで、何をやっても面白くなくて、ゲームも惰性で指動かしてるだけで。
 たまにわけもわかんないくらい悲しくなって泣き出したりして、でもそのうち悲しいって気持ちさえ廃れて感じなくなっていって。
 生きてるのにずっと死んでた。
 それこそ、自分の身体が腐り落ちて動かなくなるのを待つだけのゾンビだった。

「でもさ、あの日。 お前が窓を割って俺を外に連れ出してくれた日から、なんか毎日が楽しくて」

 胸の中にしまってある大きな水槽からひとつひとつ言葉を掬い上げて、慎重に吟味するみたいに俺は言葉を並べていく。

「アイスを食べて美味しいって思えたり、一緒に手探りでサバイバルしたり、映画館とか遊園地とか色んなとこに行ったり、こうやって隣で花火したり、全部すごく楽しい。眠ってるときに『学校に行かなきゃ!』って悪夢に魘されることもなくなった。 変な話だけどさ、世界が終わる前より終わった今の方が、生きる楽しさってやつを実感できるようになったんだ。 全部お前のおかけだ。 ありがとな。 本当に、感謝してもし足りない」

 手作りの卒業証書も、ベコベコのキャンピングカーもあの要塞みたいなケーキも、全部が俺の宝物だ。

「実はさ、まだちょっと迷いもあるんだ。 だって、どう返事したって最終的に俺たちがどうなるかは目に見えてるだろ? もっと別の町を探せば生き残ってるひとがいるかもしれない。 俺なんかよりお前のことを支えて、今後も傍で生きてくれるひとが見付かるんじゃないかって。 でも、そうじゃないよな。 そんな後ろ向きに考えて生きてたら、布団の中で腐ってた三年間と同じだもんな」

 明人が何かを言おうとしたのか、マスクが微かに動いた。
 それを遮るように、俺は話を続ける。

「お前のことが大好きだよ。恋とか友情とか、もうそんなものさしで測れないくらいには、お前の存在は俺の中で大きくなってる。 これから先も、俺の時間が許し(・・・・・・・)てくれる限りは(・・・・・・・)お前の傍にいたいって。 お前の望む俺でいられるよう、最後の一瞬まで頑張って生きたいって、そう思ってる。 それが、今の俺の素直な気持ち」

 言い切って、俺は明人のマスクの端にチョンと一瞬触れか触れないかのキスをした。
 ……しっぱい。
 
「……ずれちゃった。 直じゃなくてもキスするのってめちゃくちゃ恥ずかしいんだな」

 全身のむず痒さを誤魔化すように頭を掻く俺の目の前で、明人はこれでもかってくらい目を丸く見開いて固まってる。
 極限まで縮んだ瞳孔は徐々に元の大きさに戻っていき、それに伴って涙腺の輪郭がジワリと溶けて、明人の目はあっという間に分厚い涙の膜を張った。

「……つ、から……」

「ん?」

「一体、いつから気付いてたの?」

「えっと、キャンピングカーに乗った時かな」

「そんなに前から……? だって、あおちゃんのこと乗せる前に、バックミラーもサイドミラーもちゃんと外しておいたはずなのに」

「確かに身の周りの鏡は隠されてたけどさ。 助手席に乗り込む時に、たまたま隣に展示されてる車のサイドミラーに映ってるのが見えちゃったんだよね」

 花火を持つ明人の手はぶるぶると震えている。
 もう6月なんだから、寒いわけでもないのに。

「お前は窓を叩き割ったり、スーパーとか遊園地で俺が鏡を見ないようそれとなく手ェ引っ張って誘導したりして何とか隠そうとしてくれてたみたいだけどさ。 どおりでずっと身体が痒いわけだなって」

 ポタッ。
 俺の口の中から抜け落ちた『それ』が、ちょうど線香花火の先端に当たる。
 線香花火の火はその白い塊──俺の歯と一緒に、ジュッと軽い音を立て地面に落ちた。
 火薬の臭いに、微かにゾンビを焼く時の臭いが混ざって辺りに立ち込める。

「あーあ、花火落ちちゃった。 俺の負けだな」

「あ、おちゃ……っ!」

 歯抜けになった俺の顔を見た瞬間、明人は持っていた花火を放り出して、そのままわっと膝に顔を埋めて泣き出してしまう。

「ごめんなさいっ、ごめんなさい、あおちゃん」

「バカだな。 なんでお前が謝るんだよ」

「だって、全部俺のせいだからっ」

 鼻を啜り、何度も咳き込みながらしゃくり上げ、明人は「ごめんなさい、ごめんなさい、」と嗚咽混じりの謝罪を繰り返す。
 大丈夫、気付いてたよ。
 お前が起こしに来てくれた時には、もう俺はゾンビになってたんだって。
 お前のせいじゃないから、大丈夫。
 明人を安心させるように何度もそう言い聞かせて、震える背中を俺はあやすように擦り続けた。