「うー……、うぅ……!」
 三者面談の日、雨に降られたのがよくなかったのか、はたまた色々と考えすぎたのがよくなかったのか、おれは翌日から高熱を出して寝込んでいた。
 痛くてだるい。苦しくて怖い。熱いのに寒い。
 熱を出して動けなくなる感覚は、五年前、大怪我をして動けなくなったときの感覚とよく似ていた。
 そのせいだろうか。寝込んでいる間、おれは五年前の欠けた記憶を覗き見るように、何度も繰り返し悪夢を見た。
 夢の始まり方はいつも同じだ。
 おれよりも背が低かったころの小学生の慧が、控えめにおれの体へ腕を回してくる。目をきらきらと輝かせながら、照れくさそうに何かを言う。慧の胸元では、慧が今も愛用しているロボット風なゆるキャラが、きらりと夕焼けを映してきらめいていた。
 慧が何を言っているのかは分からない。どれだけ耳を澄ませても聞こえない。無音の世界なのだ。
 おれは慧に答えようとした。けれど、どう頑張ってもおれの口は動かない。
 そんなおれを見て、幼い慧の表情は、どんどんと虚ろになっていく。
 やがてこの世の終わりとばかりに顔を白くさせた慧は、ぐらりと背中から倒れこみ、おれの目の前でなすすべもなく崖の下へと落ちていった。
「慧!」
 叫んだ瞬間、音が生まれた。
 夢の中の慧と位置を入れ替えるかのように、おれの体はふわりと宙に浮かび、頭から真っ逆さまに落ちていく。
 ひ、と悲鳴を上げた瞬間、浮遊感はパッと消えてなくなった。代わりにあらゆる景色が黒く滲んで、音が一気に遠くなる。
 どくり、どくりと脈が打つたび、何かがおれの体の外へと漏れ出していった。感覚はあるのに、体を動かすこともできなければ、声を出すこともできない。
 腕に抱えた誰かの熱だけが、この恐ろしい世界の中で、唯一おれを安心させてくれるものだった。
「光太、……光太! いやだよ、起きろよ……!」
 慧の声が聞こえた。今よりもほんの少し高く幼い声で、弱々しく泣きじゃくっている。
 あいつが泣いているところなんて保育園にいた時くらいしか見たことがないというのに、妙にリアルな声だった。
「ごめん。……ごめん、光太……、俺のせいだ。全部、俺のせい……!」
 幼い少年の声が、だんだんと今の高校生になった慧の声に変わっていく。
「ごめんな、光太」
 するりと腕の中から熱が消えていく。遠ざかる慧の背中には、いくら手を伸ばしても届かなかった。

🐕 🐩 🐕

 最悪の目覚めだ。
 肩の傷跡を押さえながら、おれはゆっくりと身を起こす。
 体中、汗でべたべたに濡れていた。熱が出ているせいだろう。測ったら余計に具合が悪くなりそうだから、あえて熱を測ることはしない。
 吐き気をこらえつつ、おれは枕元に置いた水をのそのそ探す。一日中寝ていたものだから、今が何時なのかも分かりやしない。外が暗いところを見ると、まだ朝には遠いだろう。
 コップを持ち上げた拍子に、指がスマホの画面に触れた。ぱっと画面が明るくなる。
 時刻は午前一時ぴったり。朝には遠いどころか真夜中だった。
「ん?」
 慧からのメッセージが来ていた。
 開いてみると、何時間か前に『体調は大丈夫か』という短いメッセージを送ってくれたようだ。熱でボランティアにいけないと連絡してから三日も経つから、慧も心配してくれたらしい。
『大丈夫じゃない。きつい』
 短いメッセージを返すと、間を置かずに既読がついた。ずいぶん夜更かししているらしい。
『がんばれ』
『がんばる。犬たちは?』
『元気だよ』
 ぽこぽこと短いやり取りをしつつ、おれはまどろっこしさに舌打ちする。
 会って話せば一瞬なのに。体調不良が恨めしい。
『おれも早く犬に会いたい』
『すぐ会える』
 慰め代わりか、慧は花子とモクレンちゃんがお散歩をしている写真を送ってくれた。元気そうな様子にホッとする。
 少し間を置いて、慧はもうひとつメッセージを送ってきた。
『明後日からじいちゃんたちの家に行く。俺もしばらくボランティアには行けない』
 慧の両親は名古屋からの移住組だ。だから毎年お盆の時期には、秋月一家は名古屋にある祖父母の家を訪ねに行く。今年はかなり早い時期に行くんだなあとは思ったけれど、おれは深く考えずに返事をした。
『了解』
 しばらくと言っても、せいぜい一週間のことだろう。おれが回復するころには慧だって帰ってきているはずだ。
 そう思ったのに――。
「え? 慧、まだ帰ってきてないんですか?」
 夏野菜が詰まった竹カゴを下ろしつつ、おれはぽかんと慧の母さんを見つめた。
 発熱してから約一週間、寝込みに寝込んでいたおれは、完全回復を果たしていた。なんならずっと寝込んでいたせいで、足の怪我まですっかり治ったくらいだ。
 今日のおれの仕事は、母さんの荷物持ち。秋月家への夏野菜のおすそ分けに来たのだ。
 朝おれが畑で収穫したばかりのきゅうりには、足が二股に分かれたマンドラゴラのようなやつが紛れこんでいた。慧に食べさせてやろうと思って持ってきたのに、本人がいないのでは意味がない。
 新鮮野菜と引き換えに、慧の母さんからはお手製の漬け物と名古屋土産を頂戴する。ご近所間でこうやって収穫物の物々交換をするのは、この辺りの風習だ。
「慧だけ向こうに残ってるってことですか? 何かあったんですか」
 慧の弟妹たちはつい先ほど元気に遊んでいるところを見かけたばかりだ。
「ううん、何もないよ。夏期講習を受けてるだけ」
「夏期講習?」
 聞いてない。おれが声を上げると、慧の母さんは慌てたように口元に手を当てた。
「あらやだ。あの子もしかして言ってないの? 水臭い子でごめんね、光太くん」
「慧くんと喧嘩でもしたの? 今度は何をしたの、光太」
 茶々を入れてくる母さんに「してねえし!」と返しつつ、おれは慧の母さんに続きを促す。
「夏期講習ってことは、慧は今、予備校に行ってるってことですか?」
「そうそう。夏休みの間だけ受けられる集中講義みたいなものがあるんですって。あの子、三者面談の日、いきなり勉強に目覚めちゃったみたいでね、帰ってくるなり『予備校に行かせてほしい』って言い出したの」
 慧の母さんは、頬に手を当てながらぽやぽやと微笑んだ。
「お兄ちゃんのおねだりなんて初めてだから、お父さんとおじいちゃんが張り切っちゃってねえ。『送り迎えは任せろ』だの『おじいちゃんの家に泊まりなさい』だの、賑やかだったよお。あと二週間くらいはおじいちゃんの家にいるんじゃないかな」
「二週間もですか!」
 つまり慧は、盆過ぎあたりまで帰ってこないということではないか。夏休みの半分も町にいないなんて聞いてない。
 すっとんきょうな声をあげるおれに、慧の母さんは深い同意を返してくれた。
「ねー! びっくりよね。よっぽどレベルの高い大学でも目指してるのかって聞いたんだけど、行きたい大学も学部も全然教えてくれないの。光太くん、何か聞いてない?」
「……聞いてないです」
 慧も獣医になりたいと言っていたから獣医学部を目指すのだろうが、おれが知っているのはそれだけだ。
 塾も予備校もないこのド田舎での受験対策といったら、基本的には自学自習一択だ。親の協力があるなら、慧のように休みを使って都会で集中講習を受けたり、通信教育を取ったりする人もたまにいるけれど、それにしたっておれに黙って行く理由はない。
 ふつふつと怒りが湧いてくる。
 こうしてはいられない。
「――おれも勉強する!」
「あら」
 おれの宣言に、慧の母さんは面白がるように目を細めた。
 くるりと母さんに向き直ったおれは、空になった竹カゴを手に取って、ぶっきらぼうに一言告げた。
「母さん、おれ、先に帰ってるから」
「はいはい。いただいたお漬け物、冷蔵庫に入れておいてね」
「分かってる」
 ずしりと重いたくあんを腕に抱えて、おれは早足で歩き出す。後ろでは、母さんたちが楽しそうに笑い合う声が響いていた。
「慧くんが真面目なおかげで、うちの子も勝手に頑張ってくれて、本当に助かるわあ」
「あら、こちらこそ光太くんと競争してくれるおかげで安心ですよ」

🐕 🐩 🐕
 
 慧への怒りを原動力に、おれは来る日も来る日も、ひとり勉強に明け暮れた。
 予備校の夏期講習とやらがどんなものかは知らないが、受験対策と銘打つ以上、根っこはすべて教科書にある。夏休みの課題をとっとと片付けたおれは、とりあえず苦手な数学をなんとかするため、ひたすら教科書と問題集を行き来した。
(慧の馬鹿野郎! 休み明けにびっくりさせてやる)
 おれは飛び抜けて成績がいい方ではないが、別に勉強自体は嫌いじゃない。
 こんなものは頭の筋トレだ。やり方さえ間違えなければ、やればやるだけ成果が出る。いるものなんか気合いと忍耐、そして習慣だけである。そう慧が言っていた。
 とはいえ、ずっとやっていると頭が焦げそうになる。
 『いぬかいの小屋』の犬たちとの触れ合いは、おれの数少ない癒しだった。
 刈られたばかりの芝が、日差しのもとでキラキラ光る。風に揺られる花子の毛並みは小麦畑みたいにきれいで、ふさっ、ふさっと揺れる尻尾を見ていると、それだけで自然と疲れが吹っ飛んでいく気がした。
 花子の尻尾は、日に透かすとまるで天使の羽みたいだ。思わず慧にも見せたくなって、なんでここにいないのかと悔しくなった。
「花子ー! 聞いてよ。おれ、すげえ頑張ってるんだよ!」
 泣きつくように、花子の体にひしと抱きつく。すると花子は、おれがじゃれているとでも思ったのか、レトリバー特有の大きな垂れ耳をパタパタと揺らしながら、熱心に頬を舐めてくれた。
「わはっ、チューはやめて、チューは」
 花子に癒しをもらっていると、遠くでドッグランの芝刈りをしていた犬養さんが、タオルで汗を拭いながら近づいてきた。今日の犬養さんは、トレードマークのツナギはそのまま、麦わら帽子にタオルを巻いた全身農家スタイルだ。
「やあ、こんにちは。光太くん。今日は暑いねえ」
「お疲れ様です、犬養さん。芝の手入れですか? おれも手伝いますよ!」
「ありがとう。でももう終わりかけだから、よければシェルターの掃除の方を手伝ってもらってもいいかな?」
 でもその前にちょっと休憩、と言って、犬養さんは日陰に腰を下ろす。
 おれが隣に座ると、犬養さんは小分けになったせんべいを分けてくれた。ばあちゃんの家に行くと出てくる、白い砂糖蜜のかかったせんべいだ。相変わらず犬養さんは菓子のチョイスが渋い。
「モクレンちゃんの具合、どうですか」
 バリ、とせんべいをかじりつつ、おれは犬養さんに聞いてみた。
 三者面談があった日、動物病院に運ばれたモクレンちゃんは、てんかんの疑いで一通りの検査を受けたと聞いた。診断がはっきりとつくまではシェルターで経過観察中ということだったが、進展はあっただろうか。
「元気だよ。散歩も少しずつ怖がらずにできるようになってきたみたいだ」
 でも、と犬養さんはしょんぼり眉尻を下げる。
「あの後も一度、大きなけいれんが起きてしまってね。体自体には異常がないから、特発性てんかんの可能性が高いだろうって先生は言っていたよ」
 すぐに命に関わるものでなかったのは良かったけれど、今後もこの頻度で発作が続くなら、モクレンちゃんは毎日薬を飲まないといけないらしい。
 持病を持っている子は、そうでない子と比べると里親が見つかりにくい。モクレンちゃんの今後を思うと、おれも犬養さんも難しい顔をせざるを得なかった。
「……優しい里親さんを見つけてあげたいね」
「おれ、モクレンちゃんの写真、もっと撮ってホームページに上げておきますよ。あんなにかわいい良い子ですもん。きっとすぐ引き取り先が見つかりますって」
 頷き合って、おれは二枚目のせんべいに口をつける。隣でボタボタとよだれを垂らしている花子の視線が痛かったが、努めて見ないフリをした。
「慧くんは名古屋に行ってるんだよね。光太くんは今年はどこも行かないのかい」
「盆はじいちゃんばあちゃんの家に行きますよ。でも、それだけですね。今年の夏はおれ、勉強するって決めてるんで!」
 狙うは休み明けの課題テストだ。慧に目に物見せてくれる。
「燃えてるねえ」
 犬養さんは微笑ましそうに目を細め、タオルで首元の汗を拭った。
 動いた拍子に、犬養さんのツナギの、やたらとデカいファスナーの金具がきらりと煌めく。胸元で眩しく輝くそれを見た瞬間、おれは熱を出しているときに見た夢を、ふと思い出した。
「あの……ちょっと変なこと、聞いてもいいですか」
「なんだい?」
 犬養さんが首を傾げる。犬養さんの真似をするように、花子まで一緒になって首を傾げるものだから、真面目な話をしたいのに、うっかり吹き出しそうになる。
 ごほんと咳払いをして、おれは表情を引き締めた。
「最近、昔の夢をよく見るんです」
 裏山で慧と遊んでいたころの夢だ。おれは慧とじゃれ合っていたはずなのに、いつも気づけば崖下で痛みに呻いて、意識をもうろうとさせている。痛みも恐怖もあまりに生々しいから、夢というより多分、おれが失くした記憶の一部なのだろうな、とは思っている。
「五年前、おれは裏山で崖から落ちて、大怪我をしました。その時って、たまたま近くを散歩していた犬養さんと花子が、崖下に落ちていたおれを見つけて、救急車を呼んでくれた……んですよね?」
 少し前までおれは、他人から聞かされたその経緯を、疑いなく信じていた。
 それが間違っているとは思っていない。でも、全部でもないのではないかと思うようになったのは、つい最近のことだ。
 三者面談の日、慧の肩にあった古い傷跡を見た時から、まるで何かを思い出せとでもいうように、何度も何度も昔の夢を見る。
 慧はあの時、おれと一緒にいたはずだ。直前に何があったのかのまでは思い出せないけれど、一緒に崖から落ちたはずだ。おれが知りたいのは、そのあとのことだ。
 でも、慧は五年前のことを話したがらない。慧が教えてくれないなら、ほかに話を聞けるのなんて、犬養さんだけだった。
「もう大丈夫だよって、おれの手を握って声を掛けてくれたのは、犬養さんでしたよね?」
 おれが尋ねると、犬養さんは分かりやすく困った顔をした。
「……意識のない光太くんを見つけたのは花子で、救急車を呼んだのは私だね」
 含みのある言い方だ。おれの質問に対して、イエスともノーとも答えていない。
 犬養さんは何かを隠している。
「じゃあ、おれにずっと声を掛けていてくれたのは?」
 問いを重ねると、犬養さんはあからさまに目を逸らした。
 犬養さんは優しい人だ。誰かに強く頼まれたら断らないし、口止めをされたら周りの人には漏らなさい。おれの尊敬する人がどういう人かは、よく知っている。
「もしかしてなんですけど、『言わないで』って、誰かに言われてますか」
「ううっ」
 犬養さんは罪悪感たっぷりの顔をして、大袈裟に胸を押さえた。その反応だけで、おれには十分だった。
 ――慧だ。
 何を隠そうとしているのか知らないが、犬養さんに何かの口裏合わせをしてもらえるよう、あいつが頼んだに違いない。
「言えることだけでいいですから、あの時のこと、教えてくれませんか? 思い出せそうで思い出せなくて、モヤモヤするんです」
「うう、そうだよねえ……。でも、私が知っていることなんて、本当に少しだけだよ」
「それでもいいですから」
 お願いします、と懇願すると、犬養さんは根負けしたように、言葉を選びながら話してくれた。
「花子はね、遠くにある匂いを目指して何かを探すということはできないんだ。でも、短い距離の匂いを辿ることはできる。たとえば一メートル感覚でお菓子を置いておいたら、きちんとゴールまで辿り着ける。賢い子だからね」
 いきなり何の話をするのかと目を瞬かせるおれの隣で、花子は自分の話だと気づいたのか、嬉しそうに尻尾を振った。
 そんな花子の首元を撫でながら、犬養さんは何かを伝えようとするかのようにおれを見る。
「だから、その……五年前、花子が光太くんの倒れていた位置までたどり着けたのは、血の匂いを辿ったから、ということになる」
 まわりくどい言葉の意味を、おれは一生懸命考えた。
 崖から落ちて大怪我をしていたおれは、大量の血を流していただろう。でも、犬養さんの言葉通りなら、花子がその匂いを遠くから辿ってくることはできない。
 花子は()()()()()()()()()()()()()()()()()辿()()()()から。
「……っ!」
 ハッとして、おれは唇に人差し指の節を押し当てた。
 逆に言えば、あの時花子がおれを見つけてくれたのは、裏山の入り口からおれのいた場所まで、血痕が絶え間なく落ちていたからということではないのか。
 つまり五年前に起きたのは、多分、こういうことだ。
 おれと慧はいつものように裏山で遊んでいた。何かがあって、ふたり揃って崖から落ちた。おれは意識を失くしたけれど、慧は動くことができて、血を流しながら裏山の外まで助けを求めに行った。そして花子の道案内のもと、倒れたおれを犬養さんが見つけてくれた。
 そうだとすれば――。
「……ありがとうございます。やっぱり花子はおれの恩犬で、犬養さんはおれの恩人です。でも、おれにはもうひとり恩人がいたんですね」
 そいつは自分だって怪我をしていたはずなのに、花子と犬養さんを呼んできてくれた。おれの意識がない間もおれの手を握って、ずっと声を掛け続けてくれた。死んでしまうのではないかと怖くてたまらなかった時に、おれの心を救ってくれた。
――大丈夫。もう大丈夫だから。
 記憶の中の優しい声が、つい数週間前に慧が掛けてくれた「大丈夫」という声に、ぴたりと重なる。
「……落ちた時のこと、思い出したのかい?」
 犬養さんが優しく目を細める。おれは「いえ、まだです」と肩をすくめた。
「でも、あとちょっとのところまで出てきてる気がします」
「そうかい。もし思い出したら――ああいや、思い出さなくても。もうひとりの恩人くんにも、私たちにしてくれたみたいに、ぜひ『好き』って伝えるといいと思うよ」 
「す、好き? いや、そんな! おれとあいつは、そういうあれじゃないですから」
 不意を突かれたせいで、言葉を噛んだ。好きという言葉から連想して、夏休みに入る直前の、風呂場で見た慧の挙動不審っぷりを思い出し、いたたまれない気持ちになる。
 慧が好きなのはおれかもしれない。
 あれから何度もその可能性を考えては、「そんなはずがない」と「そうだったら」を行き来した。
 今も分からないまま、ぐるぐると考え続けている。
 本当にそうだったら、おれはあの時、愛の鼻チューなんて言って、最低のごまかし方をした。だから慧は怒っておれに愛想をつかして、おれと顔を合わせたくないから、黙って夏期講習に行ったのかもしれない。
 そう思う反面で、慧に限っておれに恋するなんてそんな馬鹿なことがあるもんかとも思う。
 もし本当にそうだったら嬉しいけれど、本人に聞いてみないことにははっきりとは分からない。
(いや。嬉しいってなんだ……!)
 あわあわと慌てるおれを見つめて、不思議そうに犬養さんは首を傾げた。
「ふたりはいつも仲良しじゃないか。光太くんはいつも『私みたいになりたい』って言ってくれたり、『大恩人』って言ってくれたりしただろう? 身近にいる相手だと、なかなか面と向かって好意を伝えてもらう機会なんてないからね。改めて言葉にして伝えてもらうと嬉しいものだよ」
「あ、ああ、そういう意味ですか……」
 犬養さんが言ったのは、好意という意味での『好き』らしい。紛らわしい。
 ――紛らわしい?
 そわりと心が波立った。
「……あの、もうひとつだけ変なこと聞いてもいいですか」
「もちろん」
「前におれが犬養さんに好きって言ったとき、犬養さんはおれの『好き』は違う『好き』だって言いましたよね」
「うん。誰かに惹かれる『好き』とは違うと言ったね」
「その……誰かに惹かれるって、どういう感じですか。具体的に」
 一応聞いておくだけだ。別におれには関わりのないことだけれど、後学のために。
 犬養さんは嫌な顔ひとつせずに答えてくれた。
「人によって違うと思うけど、私にとっては、世界がきらきら色づくような、胸がいっぱいになる気持ちかな。一緒に居たらどこにだって行けそうな気持ちになるんだ」
 慧とふたりでいればなんでもできる。ずっと昔からそうだった。
「――考えまいとしてもその人のことを考えてしまう。目の前にいなくても、離れていても、その人のことを考えるだけで心の支えになって、頑張ろうと思える」
 いないと何をしているのか気になって仕方がない。負けたくない。隣にいたい。だから勉強だって頑張れる。
「――きれいなものやおいしいものを見つけたら、一番にその人に見せたくなる」
 マンドラゴラみたいな不思議なきゅうり。天使みたいな花子の尻尾。見せたかったのに慧がいない。
「――生きるも死ぬも、一緒にできたらいいなと思う」
 学年が上がっても大学に行っても、ずっと慧と一緒にいたい。
「そういう、強くてどうにもならない気持ちだよ」
 思い当たることばかりだが、きっと何かの間違いだ。慧がらしくもないことばっかりするから、おれもつられているだけだろう。
 そう思うのに、犬養さんの言葉を聞いているうちに、おれはひとつ、困ったことに気づいてしまった。
 五年前、おれが怖かったのは死ぬことじゃない。
 慧の背中が遠ざかっていくことだった。
 あの時、慧がおれと一緒に血だまりにいてくれたなら、恐怖なんて感じやしなかっただろう。何度も夢を見たから確信できる。
(いや。いやいやいや……!)
 だからと言って、別におれは慧をそういう意味で好きなわけではないはずだ。
「……む、難しいですね」
 苦しまぎれにそう言って、おれはぎゅう、と強く自分の腕を抱いた。
「そうだねえ。ふふ、なんだか照れちゃうね。若い子に教えられることがあると、年を取って良かったなあって思うよ」
 いつもと変わらず、犬養さんはにこやかに笑う。構えとばかりに頭突きをしてくる花子を撫でつつ、「そうですね」と、おれは上の空で返事をした。

 🐕 🐩 🐕
 
 あれよあれよという間に八月が過ぎていく。
 八月に入ってから一度だけ慧にメッセージを送ってみたが、帰ってきたのは「盆過ぎには帰る」の一言だけだった。腹が立ったので、それ以降は連絡していない。
 盆過ぎってなんだ。夏休み最終日に帰ってきたって盆過ぎだろうが。範囲が広すぎる。
 暇があると慧のことを考えてしまって落ち着かないので、おれはヤケクソのように、ますます勉強へのめり込んだ。高校受験のときでさえこんなに真面目には勉強していなかったと思う。それくらい、何かをしていないと頭が爆発してしまいそうだったのだ。
 嫌な予感はしていたけれど、結局慧は帰ってきたのは、夏休みが終わる直前のことだった。
 本当はもっと前に帰ってきていて、おれが教えてもらえなかっただけかもしれないが、「おれが慧に会えた日」を「慧が帰ってきた日」とするなら、それは夏休み最後の週末のことだった。
 ボランティアを終えて帰る途中で、おれはたまたま慧に出くわしたのだ。
「……慧!」
「げ」
 ――げって言いやがったこいつ!
 肩を掴んで揺さぶりたい気持ちを堪えつつ、即座に慧に詰め寄ったおれは、流れで押し切り、慧の部屋へと上がり込むことに成功した。慧は最後まで部屋が散らかってるだの何だの言ってゴネていたが、慧の母さんを味方につけたおれの粘り勝ちである。
 昔遊びに来ていた時のまま、慧の部屋は変わっていなかった。
 きれいに整えられた勉強机に、参考書と動物漫画が並ぶ本棚。青を基調として整えられた部屋のすみっこには、ゲーム機とゲームモニターが片付けられている。これで散らかっていると言われたらおれは立つ瀬がない。
「慧の部屋、久しぶりだな」
「そうだったかな」
「そうだよ。高校に入ってから、全然入れてくれねえじゃん」
「高校でもボランティアでも会うんだから、わざわざ部屋で遊ばなくたって別にいいだろ」
 慧の口調はそっけない。夏休みも結局一度もおれたちは一緒に遊んでいないというのに、あんまりだ。
 やっぱり慧はおれと会いたくなかったから、予備校を口実にして都会へ逃げていたのだろうか。
 湧き上がってきた怒りと不安をぐっと飲み込み、おれはいそいそと長座布団に座り込みながら、できるだけいつも通りに振る舞った。
「夏期講習、どうだった?」
「ああ、母さんに聞いたのか」
 ――聞いたのか、だって?
 ぐらぐらと煮詰まった熱い感情が、ぐうっと喉元までせり上がってきそうになる。
 おれの気も知らず、慧はぴよりんという名のひよこの菓子を土産代わりに寄越した後で、ほくほくと予備校のテキストを見せてくれた。
「悪くなかったよ。内容はともかく、まわりのモチベが高いから良い刺激になった。ああいう場所が近くにあるのは羨ましいな」
「ふうん? よかったじゃん。おれもすげえ頑張ったから、休み明けのテスト、どっちが勝つか楽しみだな!」
 負かしてやる。
 気合いを込めて指を突きつけると、慧はきょとんとおれを見返してきた。
「頑張ったって、何を?」
「勉強に決まってるだろ! どこかの誰かがひとりで抜け駆けするから、目にもの見せてやろうと思って頑張ったんだよ」
「抜け駆けも何もないだろう。勉強なんて、やればやるだけ成果が出るんだから」
 ハッと慧は鼻で笑う。ムカつく表情だったけれど、逆におれはほっとした。いくらなんでも、好きなやつにこんな態度は取らないはずだ。
 会わなかった間の隙間を埋めるようにひと通り喋り倒したおれたちは、慧の部屋でごろごろしながら、一緒にゲームをした。それに飽きたら、映画を見た。
 映画館なんて洒落たものは、隣の隣のそのまた隣の市にしか存在しない。おれたちが映画を見るといったら、ネット動画配信サービス『ネトシネマ』一択だ。
 ポテチの袋を開いて、ふたりで並んであぐらをかく。
 目の前のゲーム用モニターでは、互いの素性に気づかないまま夫婦になってしまった暗殺者ふたりが、配偶者こそが己の敵と知って、険しい顔でドンパチを繰り広げている。妙にレトロな画質だなあと思えば、どうやら二十年以上前の洋画らしかった。
「なあ、なんでこれよ?」
「アクションが見たいって光太が選んだんじゃないか」
「ラブコメが見たいなんて言ってない」
「自分で選んだんだろ。文句言うな」
 とはいえ、分かりやすくて展開の早い映画は嫌いじゃない。はじめはぐちぐちとツッコミを入れていたおれたちも、ストーリーが進むにつれてじっと画面に見入るようになっていた。
【彼のことを愛してる?】
【まさか。愛してなんていないわ】
 友人の前ではそう言っていたくせに、家中を破壊して殺し合いをした主人公夫妻は、今は画面の向こう側で熱烈なキスを交わしていた。
 なだれ込むようにベッドシーンに移るものだから、おれはなんとなく気まずくなる。隣で慧がポテチをかじる音が、妙に大きく聞こえる気がした。
 意味もなく前髪を直しながら、おれはモニターの中に響くリップ音に被せるように口を開く。
「さっき、愛してなんかいないって言い張ってなかったか」
「自分に言い聞かせてたんだよ。わざわざ否定しないとダメな時点で、本当の気持ちなんて透けて見えてる」
「ふーん……」
 間が持たなくなって、おれはポテチの袋に手を伸ばした。
 とん、と指先が何かにぶつかる。
 横を見たら、慧もまったく同じ体勢をしていた。しばし見つめ合ったおれたちは、同時にじっと手元へ視線を落とす。
 パーティーサイズのポテチの袋は、とっくにからっぽになっていた。
 ふ、と小さな笑い声が響く。先に笑ったのはどっちだったのかなんて分からない。カーテンを閉め切った薄暗い部屋の中で、気づけばおれたちは昔に戻ったように、けらけらと互いを指さし笑い転げていた。
「食べすぎだろ、光太! どれだけ腹減ってるんだよ」
「パリパリずっと食ってたのは慧だろ! エロいシーン入った途端、あからさまに照れて目ぇ逸らしてたろ。見たぞ!」
「照れてたのはどっちだよ。チラ見するくらいならガン見すればいいだろ。ずーっとそわそわしちゃってさ、こっちが恥ずかしくなるよ」
「何だと!」
 肩を小突く。小突き返される。
 力を強めてもう一度小突くと、少しだけ慧の体が傾いだ。やり返すように寄越された強めの拳を、ふんぬと腹筋に力をこめて耐えしのぐ。
 意味もない肩パンの応酬だ。先に倒れた方が負けだと今決まった。
 にやりと笑ったおれは、慧が拳を引いたタイミングで、がばりと全身を使って慧に飛びつく。
「わっ、バカ! 卑怯者!」
「バカはそっちだ! 勝ったやつが勝ちなんだよ!」
 もみくちゃになりながら、おれたちは床の上で取っ組み合う。
 最終的にマウントを取ったのは慧の方だった。服の背中側を掴まれてしまったのが敗因だ。慧の方が少しだけ背が高い分、手足も長いのだ。
「……っは、俺の勝ち。残念だったな、光太」
 慧がガキみたいな顔で笑う。なんだか昔に戻ったみたいで、懐かしくて、楽しくて、気づけばおれまで笑っていた。
 ほらな、と思う。
 やっぱりおれの勘違いだった。休み前の風呂での出来事なんて、全部おれの気にしすぎだったのだ。
 慧がおれのことを好きだなんて、そんなわけがなかった。おれたちは今まで通りだ。何も変わりやしない。
 会えなかった間の寂しさを埋めるように、おれは上に乗っかる慧の体を引き寄せた。
 火照った体がぴたりと重なる。
 慧の柔らかな髪がおれの頬をさらりと撫でる。慧の制汗剤と思わしき、シトラスの香りが香ってくる。
 見ていない間に映画はクライマックスを迎えたのか、モニターからは感動的なオーケストラの曲が流れ出していた。
「……光太。暑い」
「いいじゃんか。ちょっとだけ」
 身を起こそうとする慧を力づくで繋ぎ止めつつ、おれは内緒話をするように、そっと口を開いた。
「あのな、慧。おれさ、五年前に崖から落ちた時のこと、少しだけ思い出したんだ」
「……何だって?」
 ぎくりと慧の体が強張った。けれどその時のおれはこれから言おうとしていることに気を取られていて、ちっともそれに気づけなかった。
 ――もうひとりの恩人くんにも、私たちにしてくれたみたいに、ぜひ『好き』って伝えるといいと思うよ。
 おれの頭にあったのは、少し前に犬養さんがくれたアドバイスだった。
 特別な『好き』でないのなら、たかだか二音を口にする程度、何でもない。
 慧がおれに隠れて夏期講習に行ったことは気に入らなかったけれど、久しぶりに遊べて気分がすっきりしていた。またこんな風につれなくされたらたまらないし、犬養さんの言う通り、たまにはそういうことを言葉にするのもアリかなあと思ったのだ。
「今まですっかり忘れててごめんな。あの時さ、――もがっ」
 犬養さんを呼んできてくれたのは慧だったんだろう?
 そう言おうとした瞬間、慧はこともあろうにおれの口を手で覆ってしまった。
「むー! ぅ……?」
 いきなり何をするのだと文句を言おうとして、直後におれは目を丸くする。
「……待ってくれ。嫌だ。聞きたくない」
 慧はまたあの顔をしていた。夏休み直前、風呂場で真っ赤になっていた時と同じ、何かを怖がっているような顔だ。叱られる前のガキみたいな強張った顔をして、慧はぎゅうぎゅうとおれの口を封じてきた。
「むうぅっ!」
「何も言わないでくれ、光太。忘れたことにしておいてくれ。大丈夫だから。分かってる」
 おれは何も言っていないではないか。むーむー呻くことしかできないと言うのに、慧はいったい何を分かったと言うのだ。
「むー!」
「俺、ちゃんとうまくできるから。五年間、何も変わらなかっただろ? この間は少し失敗したけど……、うまくやるから」
 何をうまくやると言うのだ。おれが首を傾げると、慧はこほんと咳ばらいをして、じっとおれを見下ろしてきた。
「光太は俺の一番大好きな()()()だよ。だから、何も言わなくて大丈夫。ちゃんと分かってるから」
 言葉とは裏腹に、慧は切なげに目を細めて、指でおれの頬を丁寧に撫でた。
 物欲しげな仕草に、どくりと心臓が音を立てて震える。
 慧がわずかに顔を傾ける。ぱさりと参考書が落ちる音がどこかで聞こえた。
 鼻先と鼻先が一瞬だけ触れ合い、すぐに離れる。じゃれつくような仕草だったけれど、焦点が合わないほど間近で見えた慧の瞳には、ぞくりとするほどの熱がこもっていた。
 くすぐったい感触だけを残して、慧はゆっくりと身を起こす。薄暗い部屋は静かで、まるで夢の中にいるように現実味がなかった。のろのろと膝を立てて座ったおれは、鼻頭を人差し指でそろりと撫でる。
「……なあ、今の、何」
 それまで何を言おうとしたのかさえも、頭から抜けてしまっていた。
「何って……鼻チュー。この間のお返しだよ。犬たちはよくやるんだろ」
 慧はおれの方を見ないまま、ぎこちなく答えた。
 防災無線が午後五時を知らせるドヴォルザークの『帰路』を流す。閉め切ったカーテンの合間から、夕焼けの赤い光が差し込んでくる。
「――光太くーん、今日はご飯食べてくー?」
 防災無線が流す音の最後の一音が町中にこだまする中、一階から慧の母さんの声が聞こえた。廊下に顔を出した慧は、おれに聞くことすらせず、下に向かって声を張り上げる。
「光太、家帰って食べるってー!」
「はーい、分かったー!」
 そうだ。夕飯時だ。帰らないと。空回りする頭で考えながら、おれはうろうろと視線を動かす。
 ふと、落ちて開いた参考書のページが目に入った。
――ただ何事もいえなかったのです。またいう気にもならなかったのです。
 『こころ』だ。おれが授業中に音読させられた場所の直前の、先生が幼なじみのKから恋愛相談を受けている場面。
 授業で読んだとき、この先生というやつはなんて臆病で弱腰なんだとイラついたけれど、今は少しだけ気持ちが分かるような気がした。
 思っていることを正直に言った方がいいも何もあるものか。思いもかけないことが起こると、人間本当に何も言葉が出てこなくなるのだ。
「……帰る」
「うん。また明日な、光太」
「また明日……」
 言葉少なに慧の家を出たおれは、自宅に戻り、顔を伏せたまま自分の部屋へと早足で向かう。
「おかえり、光太。……あらやだ。顔、赤くない? 熱でもあるの?」
 途中、すれ違った母さんから訝しげに声を掛けられた。でもおれは話をするだけの余裕もなくて、返事の代わりに首を横に振るだけで精一杯だった。
 自室に飛び込んで、扉を閉める。そのままずるずると扉に背を押し付けながら、おれは膝を抱えて座り込んだ。
「……一番大好きな友だち、か」
 慧に言われた言葉を口の中で繰り返す。おれだって、同じことをつい数週間前、慧に言ったばかりだ。今日だって言おうとした。
 それなのに、ついさっき、おれは慧の口から出た『友だち』という言葉に、締め出しを喰らったようなショックを受けていた。
 頬を撫でると、まだそこに慧の指の感触が残っている気がする。鼻先が触れ合った瞬間の、心臓が口から飛び出しそうになるような甘い疼きが忘れられない。
 あの時、慧にキスされるのかと思った。
 おれはそれを嫌だと感じるどころか、待っていた。鼻ではなく唇を合わせることを、おれはあの瞬間に期待したのだ。
「うああ!」
 落ち着け。おれはそういう意味で慧が好きなわけじゃなかったはずだ。
 自分に言い聞かせた直後に、『わざわざ否定しないとダメな時点で本当の気持ちなんて透けて見えてる』のだと、得意げに映画のセリフを解説していた慧の声を思い出し、おれは頭を抱えて転がった。
 ひと通りのたうち回った後で、おれはぜえぜえと肩で息をしながら起き上がる。
 ……事ここに至っては仕方がない。
 認めよう。
 慧はおれの一番大事な友だちだけれど、おれは多分、そういう意味でも慧に惹かれている。
 人生で慧以上にきれいな顔をしたやつなんて会ったこともないし、慧以上に気の合うやつにも会ったことがない。ちょっとつれなくされただけで一日中あいつのことを考えてしまう程度には、おれは慧のことが大好きだ。今日だって、久しぶりに会えて嬉しかったものだから、色々と舞い上がっていた自覚はある。
 だからと言って、おれは慧とどうなりたいんだろう。
「……勉強しよう!」
 おれはすべての思考を放棄した。
 こうも悩む羽目になっているのは、そもそもすべて慧のせいだ。ならばとにかく、テストで慧に勝たなくては始まらない。
 おれはペンを取り、そうやって無理やり自分を納得させた。