「美月、九条の当主が明日お前を迎えに来る」

いつもの夕餉の席で酒を煽り、機嫌よく口を開いたのは、父の頼明だ。

「…………」

「…………」

一瞬、頼明の言葉に静まりかえる食卓。

しかし、次の瞬間には、

「あ、あなた!そのお話は本当なの!?」

「お父様!?本当ですの?」

と、ほぼ同時に大きな声をあげる菊子と美月の姿があった。

「ハハッ!二人とも落ち着きなさい。菊子、美月、実はな今日、九条家から手紙が届いた。正式に北小路家の娘を嫁にしたいと言う内容だ!これで我が北小路家は九条家の後ろ盾を得たも同然だな」

ニヤッと不敵に笑う父は、美月の幸せよりも目先の権威に目がくらんでいるように見える。

「私が九条家に……。お母様やりましたわ!」

「まぁまぁ!なんてことでしょう。さすが、私の可愛い子だわ。美月よくやりましたね!」

ギュッと隣の美月を抱きしめ、嬉しそうに微笑む菊子。

その時、ふいに台所から茶の間にお茶を持ってきた私と視線がからんだ。

「あら、咲姫。聞いたかしら?あなたの妹が立派なところにお嫁に行くことになったのよ。あなたからもお祝いの言葉があってもいいのではなくて?」

菊子の煽るような言い方には慣れている。
きっと、美月の自慢をしたいのだろうと察せられた。

「……美月、本当におめでとう。私も嬉しいわ」

それぞれの前に湯飲みを置き、私は美月に向かって笑顔を向ける。

「ふふ。えぇ、ありがとう」

ここ数日間の苛立ちはどこへやら、自信に満ち溢れた美月の態度は眩しくさえ見えた。

「それにしても明日なんてまた急なお話ねぇ。うふふ。でも、それだけ早く美月に会いたいのかしら?九条様は」

「もうお母様ったら、からかわないでくださいな」

満更でもない様子ではにかむ美月。

ちなみに、前回視えた黒い靄に関しては、あの日以降見ていない。

だから、やはり私の見間違いだったのだと少しホッとしていた。

「明日は盛大にお祝いして送り出さないとね。咲姫、明日はまた朝早くから準備をするわよ、いいわね?」

「はい、わかりました」

「それと明日もわかっているでしょうけど、九条様の前には……」

「はい。承知しております……」

菊子の言葉は最後まで聞かずとも理解できた。

「九条様の前に姿は見せず、自室でおとなしくしていなさい」

そう言いたいのだろう。

大事な客人が来る時は、毎回そうだ。

「理解してるならいいのよ、それじゃ……」

「お母様!さすがに私の輿入れの時にお姉様も見られないのは可哀想ですわ。明日、九条様がいらっしゃる時くらいは隅の方にでもいてもらってはどうかしら」

菊子の言葉を遮り、美月が笑顔で言葉を紡ぐ。

いつもなら絶対にあり得ない提案を美月からしてきたものだから私は目を丸くする。

「ね!お姉様、そうしましょう」

「え、えぇ……。ありがとう」

九条家との縁談がうまくいき、彼女が相当機嫌が良いことが伝わってきた。

それに美月は、私に見せつけたいのかもしれない。

幸せそうな自分の姿を……。

「まぁまぁ。美月は本当に優しい子ねぇ。咲姫、美月もこう言ってくれていることだし、明日の輿入れ時には同席を認めるわ。けれど、目立たずおとなしくしておくのよ」

「はい……。お義母様。承知しております」

「それでいいのよ。あなたは北小路家のお荷物なのだから。謙虚さを忘れてはダメよ。さぁ、美月!そんなことよりも明日の準備をしましょう。私が輿入れした時のいちばん高級な着物をとってあるの。それはどうかしら?」

愛おしそうに美月の頭を撫でる菊子は、目を細めて彼女を見つめている。

「おぉ、いいんじゃないか?あの着物は綺麗だったしな」

「まぁ、お父様ったら、綺麗なのは着物もですけど、お母様だってでしょう?」

アハハと楽しそうに笑う3人に私も適当に愛想笑いを浮かべる。

それぞれ思惑があるにしても、父の頼明、義母、菊子。
そして、妹の美月――。

この家族の輪に私は、きっと一生入ることはないのだろう。

改めてそのことを悟った日となった。