それは夕餉が終わってすぐのことだった。

バタバタと廊下を駆けてくる足音が聞こえ、私は何事かと音のする方向を振り返る。

勢いよく障子が開き、

「ちょ、ちょっと!あなた。聞きましたわよ。九条家の時期当主が花嫁を探してるって!」

「お父様!本当なのですか!?」

血相を変えた様子で、茶の間に飛び込んできたのは菊子と美月だ。

嬉々とした表情で父に話しかける二人の声は、台所で皿洗いをしていた私の耳にも届く。

九条家……?

「耳が早いなお前たち。ちょうどその話で呼ぼうとしていたところだ」

新聞から顔を上げる父、頼明は大きく頷き、ニタニタと不敵な笑みを浮かべた。

「私も実際に会ったことはないが、十八という若さで九条家の当主となった逸材だ。噂によると見目麗しい美男子とのこと。それに最近では西洋との取引きが当たって羽振りもいいらしい」

「まぁまぁ!そんな所へ嫁ぐことができれば我が北小路家の将来も安泰ね」

「見目麗しい美男子……。それに十八で当主なんて。きっと、素敵な方に違いないわぁ〜」

お互いにうっとりとした表情を浮かべる菊子と美月はそれぞれ思いを馳せているようだ。

「うちの美月なら器量良し、見目好し、女学校での成績も優秀ですもの。九条様のお心を掴むのは造作もないでしょう。ねぇ、美月」

「もちろんですわ、お母様……!お父様、ぜひ九条様との縁談の場を設けてくださいませ」

自信満々の美月は、父に向かってそう訴え掛ける。

「そうだな……。美月ならもしかしたらということもあろう。とりあえず九条家には私から手紙を送ってみよう」

父の言葉に浮足立つ美月は、

「そうと決まればすぐに新しいお着物を用意しなくては……!」

張り切って、頬を上気させていた。

美月が九条家に……。

私もいつか適当な相手をあてがわれ嫁に出されるのだろうか。それとも一生この家で使用人のように暮らすのか。

狡猾な父のことだ。

もしかしたら、身売り同然で私をどこの馬の骨ともわからない男性のもとにやってしまうかもしれない。

少しだけゾクリと背筋に悪寒がはしった。

……でも、今回の件、私には関係のないお話ね。

そんなことを考えながら、皿を片付け終わり、自室に戻ろうと台所を出た瞬間。

「あら、咲姫お姉様。先ほどの話聞きまして?」

待ち構えていたのか、美月が意地悪な笑みを浮かべて立っていた。

「……えぇ、聞こえていたわ」

「うふふ。九条家の妻だなんて箔が付きますわ。私のおかげで北小路家も安泰でしょうし」

まだ嫁ぐと決まったわけではないのに、彼女の中では、いつの間にか確定事項になっているらしい。

「そうね。本当に……。それに美月が幸せになってくれたら私も姉として嬉しいわ」

心からの言葉だった。

いくら意地悪をされてきたとは言え、半分は血の繋がった妹。

不幸せになるよりは、幸せになってほしいと思う。

「……ッ」

しかし、私の言葉にピクリと美月の形のいい眉が吊り上がった。

ビクッと身体を震わせてしまうくらいの憎悪を感じ、私は一歩後ずさってしまう。

「あら、そう言ってもらえて嬉しいわ。でも、ごめんなさいね、お姉様。私、次女なのに先に幸せになってしまって。まぁ、あなたじゃ一生幸せになんかなれないでしょうけど」

嘲笑いながら、私の肩にポンと手を置き、勝ち誇った表情で美月はその場を離れていく。

彼女の姿が見えなくなった頃、

「美月、私たち一生わかり合えないのかしら……」

ポツリとこぼれた本音が誰もいない廊下に響いていた――。