『にゃー、みゃおん』

母屋の廊下掃除をしていると聞こえてきた可愛らしい鳴き声に、私はそっと足元に目を向ける。

「あら、ユキちゃん?」

グルグルと喉を鳴らし、私の足に小さな身体を擦り付けてくる愛らしい姿に思わず破顔した。

『にゃん』

バッチリとした綺麗な瞳に、白い毛が愛らしい子猫は、私が悲しんでいる時は必ずといっていいほど側に寄ってきてくれる。

「……あなたがいてくれるから私も頑張れるのよ。ありがとね」

クスッと微笑んでそっと声をかけた時。

「……ちょっと何ひとりでブツブツ言ってるの?本当に気味が悪い……。そんなんだからお母様に言われるのよ。お姉様が北小路家の"狂い咲き"だって」

気味が悪そうに顔をしかめ、美月がサッと私の横を通り過ぎて行った。

「…………」

『フシャー』

押し黙ってしまった私とは対照的に、美月の姿を視界にとらえたユキちゃんは、毛を逆立てて威嚇している。

けど、美月は気にもとめずその場を立ち去ってしまった。

……やっぱり人には見えないのね。

その場にしゃがみ込み、私は、そっと白いふわふわの毛に手を伸ばす。

『にゃ〜お』

トテトテと嬉しそうに駆けてきたその身体に触れることができるのに、その身体はひんやりと冷たい。

生きている温もりを感じられないことにキュッと胸が痛くなった。
 

**


ユキは六年前、私が隠れて飼っていた子猫だった。

寒い雪の日、私の部屋の前にちょこんと座っていた痩せこけた白い毛並みの小さな子猫。

『あなたもひとりぼっちなの?こっちにいらっしゃい。火鉢の近くはあたたかいわよ』

『……にゃん』

一匹でぽつんと佇んでいたその姿なんだか自分と重なって放っておけなかったんだと思う。


「ユキ」と名付けたその猫は、とても賢く、優しい子だった。

私が菊子に叱られたり、美月に嫌味を言われて落ち込んでいる時は必ず私の膝の上に乗ってくる。

その様子はまるで『大丈夫だよ』と言ってるように見えて何度救われたことか。

しかし、六年前の雪の日、とうとう菊子に見つかってしまい、使用人の男性に連れて行かれたその日からこつ然と姿が見えなくなってしまった。

殺されてるか、追い出されてしまったか……。

私のせいでユキちゃんが……。

どうか後者の方であってほしいと切に願って一週間が経った頃のこと。

『みゃおん』

何事もなかったかのように現れたユキちゃんに、私がどれだけ驚いたか。そして、どれだけ嬉しかったか。

しかし、彼女が帰ってきて数日、私はとある異変に気づく。

――バンッ。

次こそは見つからないようにと細心の注意を払っていた矢先、突然、美月が私の部屋にやって来たことがあった。

声掛けもなく開かれた障子。

私はその時、ちょうど膝にユキを乗せて彼女の綺麗な毛並みを撫でていた。

ジロリと私を見据える美月の視線が、膝辺りを捉えた瞬間、たらりと冷や汗が頬をつたう。

「み、美月……あの」

「ちょっと!何くつろいでるの?早く私の部屋に来て、準備を手伝ってよ!もう、お姉様って本当愚図なんだから」

「さっさとしてよね!」最後にそう言い残し、部屋を去っていく美月に呆気にとられてしまった。

……もしかして、ユキちゃんが見えていない?

その瞬間、悟ってしまう。

あぁ、この子はもうこの世にはいないのね。
あの連れ去られた日に……きっと――。


**


『みゃーん』

気持ちよさそうに喉を鳴らす六年前と変わらないその姿が私の目にうつる。

「ねぇ、ユキちゃん。私、皆が言うようにおかしくなっちゃったのかな?あなたがいなくて寂しくて……、お義母様の言うように幻覚でも見てるのかもしれないわね」

『にゃおん』

コテンと首を傾げる子猫の姿に私はフッと自嘲的な笑みをこぼした。

たとえ幻覚でも、妖でも構わない。

周りから狂い咲きだと揶揄されてもいい。

ユキちゃんがいなくなってしまうよりずっとマシだ。

だって、この小さな白猫が今の私の心の支えなのだから――。

目をつぶり、私に身を任せたその子猫を私は、自分の胸に抱き寄せた。