父の頼朝は亡くなり、義母、菊子は無事だったものの、現実を受け入れられないのか、まるで抜け殻のようになり、病院へ運ばれていった。
そして、美月はというと、北小路家にやって来た大勢の警官に取り押さえられ、拘置所に留置されているらしい。
今後、事情聴取が行なわれるようだが、使用人の多くが美月の愚行を目撃しており、言い逃れはできないだろう。
魔に取り憑かれたことがきっかとはいえ、実際に事件を起こしてしまったのは美月自身。
私としては、しっかり罪を償ってほしいと祈るばかりだ。
そして、時を同じくして……。
「申し訳ございませんでした。このような結末にいたったのも私のせいでございます。九条様にもご迷惑を……」
床に額をこすりつけ、土下座をするマサエに私はフルフルと首を横にふる。
「いいえ、マサエのせいではないわ」
そんな私を気にかけ、光哉も大きく頷いた。
「当主の判断を一介の使用人が口出せるはずもない。それより今まで辛かっただろう」
労いの言葉をかける光哉にマサエは、静かに嗚咽をもらしている。
現在、私とマサエは光哉の好意で、共に九条家に身を寄せていた。
西洋風の建物は、普段、和室の北小路家で暮らしていた私は少し落ち着かない。
開放的な大きな白い窓からは、良く手入れされた花々が咲きほこる庭が見え、部屋には暖炉やテーブル、大きなベッドが配置されていた。
「こちらが咲姫様のお部屋です。ごゆっくりしてください。マサエさんには別に部屋を用意してますのでご心配しないでくださいね」
「三木さん、何から何まで……。ありがとうございます」
深々と頭を下げる私に、三木はクスリと笑みを浮かべる。
「さんはいりせんよ。今後、九条家の奥様になられる方ですから当然のことです」
お、奥様……。
三木の言葉にブワッと頬に熱が集中する。
そんな私の様子にも三木は笑顔を崩さずに「すぐにお茶をお持ちしますね」と颯爽と部屋をあとにしたのだった。
三木が持ってきてくれた温かなお茶を飲み、ようやくホッとひと息ついた頃。
――トントン。
「咲姫、入っていいか?」
「は、はい。どうぞ」
ドアをノックする音と光哉の声が聞こえ、私は慌てて返事をする。
私の返事を受け、ガチャリと扉が開き、顔をのぞかせたのは着物に身を包んだ光哉だった。
普段は洋服を着ている彼の着物姿が新鮮でつい魅入ってしまう。
わぁ、美男子は何を着ても似合うのね。
そんなことを考える私をよそに、私の座る長椅子に腰を下ろす光哉。ハッとした私は、改めて感謝の気持ちを告げた。
「あの……。み、光哉様、この度は本当にありがとうございました」
ちなみに光哉から、咲姫も九条になるのにいつまでも苗字で呼ぶのは変だと、名前で呼ぶように言われたのだが、名前で呼ぶのに未だに慣れない私はまだ口籠ってしまう。
「もう礼はいいよ。当然のことをしたまでだからね。それより何か不便はないか?」
「不便だなんて……。九条家の皆様には本当に良くしてもらっていますから」
やわらかく微笑み、光哉を見ると、「そうか」と優しく微笑んでいた。
その綺麗な笑顔に思わずドキドキと胸が高鳴るのを感じる。そして、ふいに二人きりであることに気がつく。
二人きりになるのは、あの日、北小路家に深町として訪れた彼と話をした時以来だ。
「咲姫、今更だが……。先日は騙すような真似をして悪かった。当主だということを黙り、深町という偽名を使って訪問したのは、真実を見極めるためだったんだ」
「真実ですか?」
申し訳なさそうに頭を下げる光哉に私は目を丸くする。
「あぁ……。昔からこの見た目や九条の名前で、表面上は良い顔をする者が多くてね。だから、初めて会う相手にはわざと顔と身分を隠し近づくようにしてるんだ」
「そうだったんですね……」
たしかに九条の名と、光哉の美貌に目がくらみ、利用したいと考える者は多いだろう。
私の父、頼明がそうであったように……。
考えれば、まだ光哉自身、私とそんなに年が変わらない青年なのだ。けど、名家、九条家の当主という重圧は、私なんかが想像もつかないくらい重たいはず。
「でも、今回はそのおかげで咲姫、君に会えた」
「……光哉様」
見たことのないくらい優しい笑みを浮かべる彼に、だんだんと目頭が熱くなるのを感じた。
「咲姫、改めて言わせてくれ。一生をかけて君を幸せにすると誓う。私の妻になってくれないか?」
「……はい、もちろんですっ」
泣き笑いの表情で大きく首を横に振り、私は彼のプロポーズを受け入れる。
その日、私は初めて両想いという幸福を感じることとなった――。
**
光哉と気持ちが通じ合った日、私の夢に見覚えのある白猫が現れた。
「ユキちゃん!」
白いフワフワの身体を抱きしめ、私はボロボロと涙をこぼす。
私を守るため、美月に立ち向かってくれたユキは、あの後いくら探しても見つからず、行方がわからなくなっていた。
光哉曰く、魔に憑かれた美月に立ち向かったことで現世に留まる力を使い果たしてしまったのではないかとのことでもう一生会えないと思っていた私は小さく嗚咽を漏らす。
もしかしたら、最後の力を使って私の夢に現れてくれたのかもしれない。
そんな考えが浮かんだ時、ピョンと私の腕から抜け出したユキは私に背を向けた。
「そう。行っちゃうのね……?ユキちゃん、今まで助けてくれてありがとう。あなたがいてくれたから、私はずっとあの家で頑張れたの」
『にゃん』
私の声に応えるように小さく尻尾を振ったユキ。
そして、次の瞬間、パアッと目映い光に包まれ、気がつくと白猫の姿は忽然と消え、二十代半ばの綺麗な女性の姿に変わっていた。
『もう大丈夫ね……。幸せになって、咲姫』
その声は、美月から襲われたあの日『咲姫、逃げなさい!』と脳内で聞こえた声と重なる。
「もしかして、お母様……?」
私の呼びかけには答えず、ただ小さく女性は微笑むだけ。
そして、くるりと踵を返した彼女が私の方をもう振り向くことはない。
そんな彼女の後ろ姿を見つめ、私は「お母様……。ありがとうございます」と小さく呟いた。
**
「……ん?」
「おはよう。咲姫」
光哉の綺麗な手が、私の長い髪を愛おしそうに撫でる。
「おはようございます、光哉様……」
まだ夢現の私は、彼の淡い茶色の瞳を見つめ微笑んだ。
「よく眠れたか?」
「はい……。そうだ、さっき夢にユキちゃんが出てきてくれました。お別れに来てくれたみたいで……。私に幸せになってねって……あれ?」
気がつくと、瞳からポロッと涙が溢れていた。
「なんで……?おかしいな……っ」
とめどなく溢れる涙を止めるすべがわからず、力任せにゴシゴシと目元を手で拭う。
「……咲姫、大丈夫だ。あまり強く擦ると、目が腫れる」
優しく私を抱き寄せた光哉は、背中をゆっくりと擦ってくれた。彼の優しい腕の中で、私もだんだんと落ち着きを取り戻していく。
そして、泣きつかれた私が光哉に身体を預けていると頭上で「咲姫」と名前を呼ぶ光哉。
素直に顔をあげた瞬間、私との距離を詰め、光哉はゆっくりと口づけを落とす。
「……っ」
それはだんだんと深くなり……。
「……ん!?」
光哉が満足する頃には、私は顔を真っ赤にして息も絶えだえになる始末。
「み、光哉様、意地悪ですよ……!」
突然の接吻に怒る私をよそに。
「……咲姫が可愛いからしょうがない」
悪びれた様子もなく、しれっと言ってのける光哉に私は頬に再度熱が集まるのを感じていた。
その日、私が光哉の顔を直視できるようになるまで、数時間かかったことは言うまでもない――。



