「咲姫様、九条家様は本当に見る目のある方ですね。咲姫様を選ばれるんですもの!それに少しスッとしましたわ。奥様にあれだけお灸をすえてくださる方もそういません」
ニコニコと満面の笑みで光哉を褒めちぎるマサエ。
その日の夜、私は自室の整理をマサエと行っていた。
『光哉様、本日お迎えしたい気持ちはわかりますが、急なことでしたし、咲姫様もいろいろと時間が必要でしょう。また明日、またお迎えに上がりましょう』
そう提案してくれた九条家使用人、三木の言葉に甘え、その日は北小路家に留まることにしたのだ。
光哉は去り際、私の薬指に綺麗な紫色の石が光る指輪をつけてくれた。
『ありがとうございます……。すごく嬉しいです』
薬指でキラリと光る指輪を眺め、つい口元が緩んでしまう私に向かって、
『お守りみたいなものだ。私だと思って明日まで肌身離さずつけておいてほしい』
そう言って、光哉が額に口づけるものだから、若い女性の使用人は黄色い悲鳴をあげ、私が赤面し、固まってしまったのは言うまでもない。
その日の北小路家での最後の夕餉の席では、父、頼朝が『九条殿は咲姫にぞっこんのようだ!よかったじゃないか咲姫』と高笑いを浮かべていた。
いつもなら使用人と同じよう給仕をする私だが、初めて父と同じ席につく。
しかし、その席に美月と菊子の姿はない。
豪華な食事に酒を煽り、饒舌になる父に対し、二人のことが気になって、食事があまり進まない私。
『菊子と美月のことは気にしなくていい。美月は引く手あまただから。他にもいくつかの家から打診はきておる』
その言葉を聞いた時、やはり父にとっては九条家との縁がつながれば、私だろうと美月だろうとどちらでもよかったんだとチクリと胸が痛んだ。
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もともと持っていく荷物だってそうないのだから、部屋の片づけが終わるのに時間はかからなかった。
「それでは、マサエはこれで失礼しますね」
頭を下げ、離れの私の部屋から出ていこうとするマサエに声をかける。
「マサエ、お願いがあるの……。あなたさえよければ、私とともに九条家に来てくれないかしら?父からは夕食の席で了承を得たわ」
私の提案にマサエの目が大きく見開かれた。
「さ、咲姫様……。本当に私みたいな老いぼれでよろしいのですか?」
「もちろんよ。それに私はマサエだから、ついてきてほしいの。無理にとは言わないけれど……どうかしら?」
「私には、もったいないお言葉です。……このお屋敷で私は咲姫様に何もしてあげられませんでしたから」
くしゃりと顔をゆがめ、涙をこらえるマサエに私は小さく首を横に振る。
「そんなことないわ。あなたが思っている以上に私にとって、あなたはこの家で大事な存在なのよ」
「……っ。本当に大きくなられましたね。咲姫様……。それにどんどんあなたのお母さま……雪子様に似てきて……。ここを出たらようやくお話ができますわ。私の知るあなたのお母様、雪子様のお話を……」
マサエの口から飛び出した母の名前に「そう……。私のお母様は雪子と言うのね?」とつい声が震えてしまう。
両親からもこの十六年間、一度も聞かされたことのない実母の名前。
私の耳に入らないよう徹底的に隠し通されてきたのも、菊子の性格を考えればしかたがないことだと理解していた。
菊子と美月を中心に回る北小路家では「臭い物に蓋をする」ことが賢い生き方なのだ。
「マサエ、教えてくれてありがとう……。またお母様のお話を聞かせて?楽しみにしているわ」
「もちろんです。それではまた明日。咲姫様、おやすみなさいませ」
優しい笑顔を残し、私の部屋をあとにしたマサエ。
去っていく彼女の足音を聞きながら、私は今後の生活に思いをはせ、胸を高鳴らせていた。
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ギシギシと、廊下を歩く誰かの足音で私は目を覚ます。
布団に入って、どのくらい時間が経ったのかはわからないが窓から差し込む月の光から、おそらく丑の刻くらいだろうと寝起きの頭で考える。
「誰かいるの……?」
おそるおそる声をかけた時、部屋の障子が音もなくスッと開いた。
「あら、お姉様。起きていらっしゃったの?寝ていらっしゃればそのまま楽に逝けましたのに……。本当に運がないわねぇ」
「み、つき……?」
いつもは綺麗に手入れされている髪はボサボサな状態。
うつろな瞳からは生気が感じられず、彼女の白い肌は月明かりに照らされ、青白く光っているように見えた。
そして、いちばん驚愕したのは……。
真っ赤に染まった彼女の両手。しかも右手には赤が滴る包丁が握られていた。
「あなた……。その手は……」
ゾクッと背筋が凍り、一瞬で、目が冴えた私は布団から飛び起きた。
「あぁ、これ?アハハ、お父様達を刺した時のものよ。思っていた以上に汚れちゃった」
悪びれた様子のない美月は、しょうがないとでも言うように肩を落とす。
「お父様を……?」
「えぇ、そうよ。だって、お父様ってば、ひどいのよ?”九条殿が咲姫を所望しているんだからしょうがないですって”……ありえないでしょう?」
にたりと口角をあげる美月の背後に、黒い靄が見えた。
まるで美月を包み込むようなその靄は以前、彼女の背後に見えたものと同じ類のものであることに気が付く。
「美月……」
「気やすく呼ばないで!!」
ビクッ。
突如、大声を出す美月に私は恐ろしくなり、肩を震わせた。
「知ってた?あなたの母親と私の母って、私達と同じ腹違いの姉妹だったみたいよ。皮肉よね~……。蛙の子は蛙ってまさにこのことだわ」
「え……」
一瞬、思考が停止する。
私の母、雪子と義母の菊子が腹違いの姉妹ということは、私と菊子にも少なからず血縁関係があるということになる。
血のつながりのない義母だと思っていた菊子は、私の叔母だったの?
絶句する私の表情に満足気な様子の美月はさらに話を続けた。
「ふふ。驚きよね~。私もお母様たちの話をこっそり聞くまでは知らなかったのよ?お姉様の母親は、当時、おじい様が贔屓にしていた娼婦の娘なの。そして、本妻だったおばあ様の子が私の母よ。だからかしら?お姉様にも娼婦の血が流れてるから、男を落とすのがお上手みたいで……」
「……っ」
「さ、おしゃべりはここまで。次はお姉様の番。どうして私ったら、こんな簡単なことに気づかなかったのかしらね?私の座を奪おうとする邪魔者がいたら、居なくなってもらえばいいって」
ジリジリと近づいてくる美月に、私は後ずさる。
狂気に満ちた美月の顔は本気だということがわかった。



