十月も半ばを過ぎて、窓の外の景色はすっかり秋の装いに変わっていた。
悠馬の兄の部屋――今はオレの部屋だ――の窓から見える街路樹は、緑から黄色、そして少しずつ茶色へと色を変えている。風が吹くたびに葉っぱがひらひらと舞い散って、歩道に小さな絨毯を作っていた。夕方の光が斜めに差し込んで、部屋の中を温かいオレンジ色に染めている。
気がつくと、もう悠馬の家で生活を始めて一ヶ月以上が経っていた。
演劇大会も無事に終わって、部員たちは見事な発表をした。オレは観客席から彼らの演技を見守っていたけれど、みんなの成長ぶりに心から感動した。特に山田の演技は本当に素晴らしくて、一年生とは思えないほど堂々としていた。
演劇部の活動もひと段落して、中間テストも先週無事に終わった。引っ越しやら新しい生活環境やらで、しばらくはバタバタとしていたけれど、ようやく落ち着いてきた気がする。悠馬の家族もオレのことを家族の一員として扱ってくれるし、悠馬との距離感も――まあ、時々ドキドキしてしまうこともあるけど――だいぶ慣れてきた。
そんなオレの手には、一枚の紙が握られていた。
進路希望調査。
今まで進路について漠然としか考えてこなかったけれど、そろそろ今後のことも真剣に考えていかなくちゃいけない時期なんだな……。二年生の秋になったのだから、当然といえば当然だ。
でも、変わることを恐れていた夏の頃の自分と比べると、今のオレは前向きに未来を考えられるようになった気がする。きっと、悠馬がそばにいてくれるからだろう。それに、田村先輩のことがあってから自分の本心を隠すクセがついていたけれど、悠馬に受け止めてもらえたことで、自分らしく生きることの大切さを改めて感じられるようになった。
変化は怖いけれど、それと同時に楽しみでもある。
コンコン。
ドアをノックする音が聞こえた。
「ちょっといいか?」
悠馬の声だった。
「うん、どうぞ」
オレが返事をすると、ドアがゆっくりと開いた。
悠馬が顔を覗かせる。まだ十月だから暑い日も多くて、今日も半袖のTシャツに短パンという格好だった。サッカー部で鍛えた腕や足の筋肉が、薄手の生地から透けて見える。そんな彼の素肌がまぶしくて、オレは思わず視線を逸らしてしまった。
こんなふうに意識してしまう自分が、まだ慣れない。
「進路について考えていたのか?」
悠馬はオレの手に握られている用紙を見て、そう尋ねながら隣に腰を下ろした。ベッドのマットレスが少し沈んで、悠馬の体温が伝わってくる。
「まあ、一応ね」
オレは進路希望調査の用紙を見つめながら答えた。
「あんまりまだはっきりとは考えてないんだけど……演劇部の練習を通して、人に物を教えるってことに興味を持ってさ。先生とか――そういうのを目指せる学校に行きたいかな、と思ってる」
悠馬は小さく頷いた。
「そうか」
そして少し間を置いてから続けた。
「いいと思う」
その肯定的な言葉に、オレは安心した。やっぱり悠馬がそう言ってくれると心強い。
「そういう悠馬は?」
今度はオレの方から尋ねた。
「スポーツインストラクターに興味がある」
悠馬は迷いなく答えた。
「そういうことを学べる大学を探している最中だ」
「いいじゃん!」
オレは明るく同意した。確かに悠馬らしい進路だと思う。サッカーで培った経験を活かせそうだし、きっと向いているだろう。
「そうなると、二人とも大学進学かー」
オレがそう呟くと、悠馬が静かに尋ねてきた。
「大学になったら、やっぱり都内に行くつもりなのか?」
その質問に、オレは頷いた。
「そりゃ、母さんたちが都内にいるし、大学も東京の方が選択肢多いからそうなると思う。でも、新婚夫婦の邪魔をしたくないから、大学に合格したらアルバイトしながら一人暮らしするつもりだよ」
悠馬はオレの言葉を受けて、少し考え込むような表情を浮かべた。
そして、静かに口を開く。
「じゃあ、もし俺がお前と同じく東京の大学に行くことになったら……同棲するか?」
「同棲って……」
その言葉の響きに、オレは思わず吹き出してしまった。なんだかすごく生々しく聞こえる。
「いや、お前気が早すぎ。そんなに俺と一緒に生活したいの? 今でも同じ屋根の下にいるのに」
動揺した心を隠すように、オレはからかうように言った。
でも悠馬は、真面目な表情でオレを見つめている。
「ああ、したい。早くお前と二人きりで生活したい。そうすれば、誰の目も気にせずお前と触れ合える」
そのドストレートな発言に、オレは言葉を失ってしまった。
悠馬の欲求が思いのほか強くて、オレは心拍数を抑えられなくなってしまう。悠馬は時々、こんなふうにまっすぐすぎることを言うから困る。
二人に無言の時間が流れた。
窓の外からは、秋の虫たちの鳴き声が聞こえてくる。コオロギの澄んだ音色が、夕暮れの静寂に溶け込んでいた。風が木の葉を揺らす音も混じって、季節の移ろいを感じさせる音の重なりだった。
悠馬がじっと、オレを見つめてくる。
その視線に、オレの胸がきゅっと締め付けられた。ああ、これキスする流れだ、と反射的に気づいてしまう。
ここは悠馬の家だから、流されちゃいけない。抵抗しなきゃ――そう思うものの、悠馬の熱っぽい視線に、オレも流されそうになってしまう。
その時だった。
「悠馬、湊くん、ちょっと手伝って~」
階下から、悠馬のお母さんの声が聞こえてきた。
二人はハッと意識を取り戻して、慌てて身体を離した。
「うちの母さんが……すまない」
悠馬が申し訳なさそうに謝る。
「いや、ちょうどいいタイミングだったよ。このまま流されるところだった」
オレも苦笑いを浮かべながら答える。二人は顔を見合わせて、罰が悪そうに笑った。
「外、出るか?」
悠馬の提案に、オレは素直に頷いた。
「うん」
いつもの神社に着く頃には、空はすっかり夕焼けに染まっていた。
オレンジ色の光が境内を優しく包んで、石段や鳥居を温かく照らしている。楠の木も秋の装いに変わっていて、緑の葉に混じって黄色く色づいた葉がちらほらと見える。風が吹くたびに、乾いた葉っぱがカサカサと音を立てて舞い散っていた。
相変わらず、周囲には人気がない。静寂に包まれた境内は、まるでオレたちだけの特別な場所みたいに感じられた。
石段に座ろうとした時、悠馬がオレの手を引いた。
振り返ると、彼がオレをじっと見つめている。
そして、ゆっくりと唇が重なった。
悠馬のキスは、初めの頃のおっかなびっくりなキスとは打って変わって、随分とうまくなっていた。唇の動かし方も、舌の使い方も……初めの頃のキスを知らなければ、ずいぶん女の子と経験してきたんだろうと誤解するレベルだ。
なんて、心の中で突っ込みながらも、オレは悠馬のキスに溺れていく。
しばらくして、悠馬の唇が離れた。
まだ熱の残る瞳で見つめられて、オレは悠馬から視線を逸らすことができなくなってしまった。夕焼けの光に照らされた彼の顔が、いつもよりもずっと大人っぽく見える。
「あー、こんなに悠馬がむっつりスケベだったなんて思わなかったな」
照れ隠しに、オレはそんなことを口にした。
悠馬は少し不満そうな顔をして答える。
「仕方ないだろう。お前が好きだと自覚してから、お前に触れたくて仕方ないのに、家ではなかなかそれができないんだから」
そんな悠馬の様子を見て、オレは可笑しくなってしまった。
ついこないだまで友達同士で、お互いこんな関係になるなんて思ってもみなかった。きっかけは玉砕覚悟の告白からだったけれど、なんだかんだうまくいってよかったとつくづく感じる。
「大学生になっても俺と同棲したいっていうんだったら、それまで浮気するなよ」
冗談めかして言うと、悠馬は即答した。
「するわけないだろう」
その迷いのない答えに、オレの胸が温かくなった。
夕暮れが深くなって、境内はますます静寂に包まれていく。街灯が点き始めて、オレンジ色だった空が徐々に紺色に変わっていく。虫たちの鳴き声が夜の帳に溶け込んで、秋の夜らしい風情を醸し出していた。
隣に座る悠馬の横顔を見つめながら、オレは思う。
でも、できたらこのまま、ずっとオレは悠馬と一緒にいたいと思う。変化を恐れるんじゃなくて、二人で一緒に新しい未来を歩んでいけたらいいな、と。
オレたちの未来はまだ未確定だ。
けど、これから先、どんな景色を見るときにも、きっと隣には悠馬がいる──そんな未来が、今はただ楽しみだった。
悠馬の兄の部屋――今はオレの部屋だ――の窓から見える街路樹は、緑から黄色、そして少しずつ茶色へと色を変えている。風が吹くたびに葉っぱがひらひらと舞い散って、歩道に小さな絨毯を作っていた。夕方の光が斜めに差し込んで、部屋の中を温かいオレンジ色に染めている。
気がつくと、もう悠馬の家で生活を始めて一ヶ月以上が経っていた。
演劇大会も無事に終わって、部員たちは見事な発表をした。オレは観客席から彼らの演技を見守っていたけれど、みんなの成長ぶりに心から感動した。特に山田の演技は本当に素晴らしくて、一年生とは思えないほど堂々としていた。
演劇部の活動もひと段落して、中間テストも先週無事に終わった。引っ越しやら新しい生活環境やらで、しばらくはバタバタとしていたけれど、ようやく落ち着いてきた気がする。悠馬の家族もオレのことを家族の一員として扱ってくれるし、悠馬との距離感も――まあ、時々ドキドキしてしまうこともあるけど――だいぶ慣れてきた。
そんなオレの手には、一枚の紙が握られていた。
進路希望調査。
今まで進路について漠然としか考えてこなかったけれど、そろそろ今後のことも真剣に考えていかなくちゃいけない時期なんだな……。二年生の秋になったのだから、当然といえば当然だ。
でも、変わることを恐れていた夏の頃の自分と比べると、今のオレは前向きに未来を考えられるようになった気がする。きっと、悠馬がそばにいてくれるからだろう。それに、田村先輩のことがあってから自分の本心を隠すクセがついていたけれど、悠馬に受け止めてもらえたことで、自分らしく生きることの大切さを改めて感じられるようになった。
変化は怖いけれど、それと同時に楽しみでもある。
コンコン。
ドアをノックする音が聞こえた。
「ちょっといいか?」
悠馬の声だった。
「うん、どうぞ」
オレが返事をすると、ドアがゆっくりと開いた。
悠馬が顔を覗かせる。まだ十月だから暑い日も多くて、今日も半袖のTシャツに短パンという格好だった。サッカー部で鍛えた腕や足の筋肉が、薄手の生地から透けて見える。そんな彼の素肌がまぶしくて、オレは思わず視線を逸らしてしまった。
こんなふうに意識してしまう自分が、まだ慣れない。
「進路について考えていたのか?」
悠馬はオレの手に握られている用紙を見て、そう尋ねながら隣に腰を下ろした。ベッドのマットレスが少し沈んで、悠馬の体温が伝わってくる。
「まあ、一応ね」
オレは進路希望調査の用紙を見つめながら答えた。
「あんまりまだはっきりとは考えてないんだけど……演劇部の練習を通して、人に物を教えるってことに興味を持ってさ。先生とか――そういうのを目指せる学校に行きたいかな、と思ってる」
悠馬は小さく頷いた。
「そうか」
そして少し間を置いてから続けた。
「いいと思う」
その肯定的な言葉に、オレは安心した。やっぱり悠馬がそう言ってくれると心強い。
「そういう悠馬は?」
今度はオレの方から尋ねた。
「スポーツインストラクターに興味がある」
悠馬は迷いなく答えた。
「そういうことを学べる大学を探している最中だ」
「いいじゃん!」
オレは明るく同意した。確かに悠馬らしい進路だと思う。サッカーで培った経験を活かせそうだし、きっと向いているだろう。
「そうなると、二人とも大学進学かー」
オレがそう呟くと、悠馬が静かに尋ねてきた。
「大学になったら、やっぱり都内に行くつもりなのか?」
その質問に、オレは頷いた。
「そりゃ、母さんたちが都内にいるし、大学も東京の方が選択肢多いからそうなると思う。でも、新婚夫婦の邪魔をしたくないから、大学に合格したらアルバイトしながら一人暮らしするつもりだよ」
悠馬はオレの言葉を受けて、少し考え込むような表情を浮かべた。
そして、静かに口を開く。
「じゃあ、もし俺がお前と同じく東京の大学に行くことになったら……同棲するか?」
「同棲って……」
その言葉の響きに、オレは思わず吹き出してしまった。なんだかすごく生々しく聞こえる。
「いや、お前気が早すぎ。そんなに俺と一緒に生活したいの? 今でも同じ屋根の下にいるのに」
動揺した心を隠すように、オレはからかうように言った。
でも悠馬は、真面目な表情でオレを見つめている。
「ああ、したい。早くお前と二人きりで生活したい。そうすれば、誰の目も気にせずお前と触れ合える」
そのドストレートな発言に、オレは言葉を失ってしまった。
悠馬の欲求が思いのほか強くて、オレは心拍数を抑えられなくなってしまう。悠馬は時々、こんなふうにまっすぐすぎることを言うから困る。
二人に無言の時間が流れた。
窓の外からは、秋の虫たちの鳴き声が聞こえてくる。コオロギの澄んだ音色が、夕暮れの静寂に溶け込んでいた。風が木の葉を揺らす音も混じって、季節の移ろいを感じさせる音の重なりだった。
悠馬がじっと、オレを見つめてくる。
その視線に、オレの胸がきゅっと締め付けられた。ああ、これキスする流れだ、と反射的に気づいてしまう。
ここは悠馬の家だから、流されちゃいけない。抵抗しなきゃ――そう思うものの、悠馬の熱っぽい視線に、オレも流されそうになってしまう。
その時だった。
「悠馬、湊くん、ちょっと手伝って~」
階下から、悠馬のお母さんの声が聞こえてきた。
二人はハッと意識を取り戻して、慌てて身体を離した。
「うちの母さんが……すまない」
悠馬が申し訳なさそうに謝る。
「いや、ちょうどいいタイミングだったよ。このまま流されるところだった」
オレも苦笑いを浮かべながら答える。二人は顔を見合わせて、罰が悪そうに笑った。
「外、出るか?」
悠馬の提案に、オレは素直に頷いた。
「うん」
いつもの神社に着く頃には、空はすっかり夕焼けに染まっていた。
オレンジ色の光が境内を優しく包んで、石段や鳥居を温かく照らしている。楠の木も秋の装いに変わっていて、緑の葉に混じって黄色く色づいた葉がちらほらと見える。風が吹くたびに、乾いた葉っぱがカサカサと音を立てて舞い散っていた。
相変わらず、周囲には人気がない。静寂に包まれた境内は、まるでオレたちだけの特別な場所みたいに感じられた。
石段に座ろうとした時、悠馬がオレの手を引いた。
振り返ると、彼がオレをじっと見つめている。
そして、ゆっくりと唇が重なった。
悠馬のキスは、初めの頃のおっかなびっくりなキスとは打って変わって、随分とうまくなっていた。唇の動かし方も、舌の使い方も……初めの頃のキスを知らなければ、ずいぶん女の子と経験してきたんだろうと誤解するレベルだ。
なんて、心の中で突っ込みながらも、オレは悠馬のキスに溺れていく。
しばらくして、悠馬の唇が離れた。
まだ熱の残る瞳で見つめられて、オレは悠馬から視線を逸らすことができなくなってしまった。夕焼けの光に照らされた彼の顔が、いつもよりもずっと大人っぽく見える。
「あー、こんなに悠馬がむっつりスケベだったなんて思わなかったな」
照れ隠しに、オレはそんなことを口にした。
悠馬は少し不満そうな顔をして答える。
「仕方ないだろう。お前が好きだと自覚してから、お前に触れたくて仕方ないのに、家ではなかなかそれができないんだから」
そんな悠馬の様子を見て、オレは可笑しくなってしまった。
ついこないだまで友達同士で、お互いこんな関係になるなんて思ってもみなかった。きっかけは玉砕覚悟の告白からだったけれど、なんだかんだうまくいってよかったとつくづく感じる。
「大学生になっても俺と同棲したいっていうんだったら、それまで浮気するなよ」
冗談めかして言うと、悠馬は即答した。
「するわけないだろう」
その迷いのない答えに、オレの胸が温かくなった。
夕暮れが深くなって、境内はますます静寂に包まれていく。街灯が点き始めて、オレンジ色だった空が徐々に紺色に変わっていく。虫たちの鳴き声が夜の帳に溶け込んで、秋の夜らしい風情を醸し出していた。
隣に座る悠馬の横顔を見つめながら、オレは思う。
でも、できたらこのまま、ずっとオレは悠馬と一緒にいたいと思う。変化を恐れるんじゃなくて、二人で一緒に新しい未来を歩んでいけたらいいな、と。
オレたちの未来はまだ未確定だ。
けど、これから先、どんな景色を見るときにも、きっと隣には悠馬がいる──そんな未来が、今はただ楽しみだった。
