初夏の午後。今日は珍しく、オレは悠馬と一緒に帰り道を歩いていた。悠馬はいつもサッカー部の練習があるから、一緒に帰れる日はあまりない。
住宅街に並ぶ家々の庭先には、色とりどりの花が咲いていた。薔薇やあじさいが見頃を迎えていて、いつもの街道が心なしか華やかに感じる。いつもなら何気なく眺める風景も、今日は妙に鮮明に目に焼き付いて感じた。
悠馬は自転車を押しながら歩いている。制服のシャツの下に見える逞しい肩幅、すっかり大人の男性っぽい雰囲気になった背中。小学生の頃は小さくて細かった彼が、今じゃすっかり頼もしく見える。振り返った時に見える凛とした横顔も、昔とは全然違う。女子たちが騒ぐのも無理はない。
それに比べてオレは……相変わらず華奢で、母さん譲りの整った顔立ちのせいで「可愛い」って言われることの方が多い。男らしくなりたいと思うのに、鏡を見るたびにため息が出てしまう。特に悠馬と並んでいる時は、その差がはっきりと分かってしまって辛くなる。
白く咲いたハナミズキの花が、風に揺れていた。気づけば、桜もツツジもすっかり姿を消して、季節は夏に向かって進んでいる。濃くなった街路樹の緑と、その向こうに広がる澄んだ青空が、それを教えてくれていた。
……この夏が、この場所で過ごす最後の夏になる。
同時に、昨日の決意が頭をよぎった。オレの中にあるこの気持ちを、やっぱり悠馬に伝えよう。どうせ離れるのなら、せめて、自分の本当の想いくらいは知ってもらいたい。
だけど──その瞬間が近づくにつれて、足取りが妙に重くなっていく。
喉が乾いて言葉が出なくなり、指先がじっとり汗ばんで、呼吸のリズムも乱れがちになる。
頭ではわかっていても、身体が追いつかない。もし嫌われたら? もし気まずくなったら? 後戻りできなくなる未来を想像するたびに、背中に冷たいものが走った。
それでも、と思う。後悔だけはしたくなかった。
「……悠馬」
オレは、思い切って声をかけた。緊張しているのか、声が少しかすれている。
悠馬が振り返る。いつもと変わらない無表情な顔で、「ん?」と小さく返してくる。
それだけなのに、喉の奥が詰まってうまく息ができない。視界の端がぼやけて、景色が少し遠のいて見えた。
「……あの、話したいことがあるんだ」
「話?」
悠馬は自転車を電柱に立てかけ、こちらに向き直る。その一連の動作がなぜかスローモーションみたいに見えた。胸の奥に詰まっていた緊張が、じわじわと喉元まで押し寄せてくる。
「えっと……」
何から言えばいいのか、練習してきたはずの言葉が、いざという時に限って全部霧の中に消えていく。悠馬の視線を真正面から受けると、緊張で体の奥がじんと熱を帯びていくような気がした。
「実は、オレ……夏休み明けに引っ越すことになったんだ」
まずは、それだけ。悠馬の眉がほんのわずかに寄る。
「引っ越し? なんで……」
「母さんが再婚するから。相手の人の仕事の都合で、向こうに行くことになって」
「……そうか」
その言葉は、いつもより少し低くて、どこか遠い響きだった。悠馬は視線を下げ、何かを考え込むように沈黙する。
その間が、やけに重たく感じられる。オレは無意識に指先を強く握りしめた。
「だから、その……今日言いたかったのは……」
息を大きく吸い込む。もう、後戻りはできない。
「オレ、お前のことが好きなんだ」
悠馬の顔が上がった。きょとんとした目で、オレをまっすぐ見つめている。
「友達として、じゃなくて……その。恋愛的な意味で」
今度こそ、彼の表情がはっきりと変わった。目を見開いたまま、まばたきすら忘れたようにこちらを見つめている。
数秒間の沈黙──けれど、オレにはそれが永遠みたいに長く感じられた。風の音、遠くの公園で遊ぶ子どもたちの声、すべてがぼやけて、現実味がなくなっていく。
「……湊」
ようやく、悠馬が名前を呼ぶ。でもそのあとに言葉は続かない。
オレの中に、最悪の展開がよぎった。ああ、きっと困ってるんだ。どうやって断ればいいのか迷っているに違いない。
「あ、いや、別に返事が欲しくて言ったわけじゃなくて……! ただ、伝えておきたかっただけで──」
「落ち着け、湊」
悠馬の声が、オレの早口を遮る。さっきよりも少し低く、でもどこか緊張しているように響く。
「俺の返事、聞かないのか?」
あまりに意外な言葉に、オレは思わず戸惑った。
「き、聞きたくない……」
本音がこぼれる。断られるのが怖かった。せめて今だけは、期待を持っていたかった。
でも、悠馬は小さく首を横に振る。
「だから、落ち着けって」
そう言って、オレの手首をそっと掴んだ。いつになく真剣な表情で、まっすぐにオレを見つめてくる。
木漏れ日が彼の頬に揺れて、どこか大人びた影を落としている。その視線があまりにも俺をまっすぐに捉えてきて、オレは目を逸らすことができなかった。
悠馬から距離を取ろうと、オレは無意識に後ろに後ずさった。しかし、悠馬の手がオレの腕を掴んでそれを阻止する。
「逃げるなよ」
その言葉に、今まで感じたことのない熱を感じた。彼の表情から、悠馬がすごく勇気を振り絞っているのがわかる。
「湊……俺は、お前の本当の気持ちが知りたい」
いつもの悠馬とは違う、揺れた声だった。冗談のつもりじゃない。彼が彼なりに真剣にオレに向き合ってくれてるって、ちゃんと伝わってくる。
オレは、もう一度、心の奥をさらけ出すように言った。
「オレ……お前と、恋人になりたい」
声が震えなかったか、自信はない。けど、悠馬は一瞬たりともオレから目を逸らさず、まっすぐに答えた。
「……わかった」
その言葉に、オレは思わず聞き返してしまう。
「え、えっと……それって……」
「俺と恋人になりたいんだろ。……わかった」
少しうつむき気味に答える悠馬の目は、ほんのり赤く染まっていた。珍しく視線が泳いでいる。こんな彼を見るのは、初めてかもしれない。
しばらくの間があいた後、悠馬が口を開いた。
「でも……俺、よくわからないんだけど。どうすれば……恋人っぽくなるのか」
戸惑うような表情で、オレを見つめる。
その素直すぎる疑問に、オレも困惑してしまった。確かに、今まで友達同士だった二人が急に恋人になるって言われても、何をすればいいのかよくわからない。
「──お前は、どうしたいんだ?」
悠馬が静かに尋ねてくる。
オレは考える。恋人らしいこと、って何だろう。
「キスとか……?」
思わず口に出してしまったオレの言葉を、悠馬が続くように反復した。
「キス……」
悠馬の言葉を聞いて、オレは顔に血が昇るのを感じた。しまった、オレってば無意識にとんでもないことを口にしてしまった。
「あ、いや、恋人っぽいことの例として挙げただけで、特に深い意味は──」
「お前はしてみたいのか?」
オレの言い訳に被せるように、悠馬が尋ねてくる。その予想外の問いかけに、オレは悠馬から思わず視線を外した。
「まあ、そりゃ……」
正直な気持ちがこぼれる。
「……興味はある」
悠馬はその答えを聞いて、決意を固めたような表情になった。
「じゃあ……してみるか」
その提案に、オレは慌てた。
「え、ここで!? こんな道端で!?」
「あ……そうか」
悠馬も慌てて周囲を見回す。確かに、住宅街とはいえ人通りが多い場所だ。
「と、とにかくオレの家に行くぞ!」
オレは慌てて背を向けた。悠馬は自転車を押しながらついてくる。
胸の奥がざわざわして、どうしようもない。
家に着いたらこいつ、もしかして本当にキスするつもりなのか。
そう思うと、オレの心臓はまるで長距離走の後みたいに騒がしくて、落ち着かない気持ちでいっぱいになった。
住宅街に並ぶ家々の庭先には、色とりどりの花が咲いていた。薔薇やあじさいが見頃を迎えていて、いつもの街道が心なしか華やかに感じる。いつもなら何気なく眺める風景も、今日は妙に鮮明に目に焼き付いて感じた。
悠馬は自転車を押しながら歩いている。制服のシャツの下に見える逞しい肩幅、すっかり大人の男性っぽい雰囲気になった背中。小学生の頃は小さくて細かった彼が、今じゃすっかり頼もしく見える。振り返った時に見える凛とした横顔も、昔とは全然違う。女子たちが騒ぐのも無理はない。
それに比べてオレは……相変わらず華奢で、母さん譲りの整った顔立ちのせいで「可愛い」って言われることの方が多い。男らしくなりたいと思うのに、鏡を見るたびにため息が出てしまう。特に悠馬と並んでいる時は、その差がはっきりと分かってしまって辛くなる。
白く咲いたハナミズキの花が、風に揺れていた。気づけば、桜もツツジもすっかり姿を消して、季節は夏に向かって進んでいる。濃くなった街路樹の緑と、その向こうに広がる澄んだ青空が、それを教えてくれていた。
……この夏が、この場所で過ごす最後の夏になる。
同時に、昨日の決意が頭をよぎった。オレの中にあるこの気持ちを、やっぱり悠馬に伝えよう。どうせ離れるのなら、せめて、自分の本当の想いくらいは知ってもらいたい。
だけど──その瞬間が近づくにつれて、足取りが妙に重くなっていく。
喉が乾いて言葉が出なくなり、指先がじっとり汗ばんで、呼吸のリズムも乱れがちになる。
頭ではわかっていても、身体が追いつかない。もし嫌われたら? もし気まずくなったら? 後戻りできなくなる未来を想像するたびに、背中に冷たいものが走った。
それでも、と思う。後悔だけはしたくなかった。
「……悠馬」
オレは、思い切って声をかけた。緊張しているのか、声が少しかすれている。
悠馬が振り返る。いつもと変わらない無表情な顔で、「ん?」と小さく返してくる。
それだけなのに、喉の奥が詰まってうまく息ができない。視界の端がぼやけて、景色が少し遠のいて見えた。
「……あの、話したいことがあるんだ」
「話?」
悠馬は自転車を電柱に立てかけ、こちらに向き直る。その一連の動作がなぜかスローモーションみたいに見えた。胸の奥に詰まっていた緊張が、じわじわと喉元まで押し寄せてくる。
「えっと……」
何から言えばいいのか、練習してきたはずの言葉が、いざという時に限って全部霧の中に消えていく。悠馬の視線を真正面から受けると、緊張で体の奥がじんと熱を帯びていくような気がした。
「実は、オレ……夏休み明けに引っ越すことになったんだ」
まずは、それだけ。悠馬の眉がほんのわずかに寄る。
「引っ越し? なんで……」
「母さんが再婚するから。相手の人の仕事の都合で、向こうに行くことになって」
「……そうか」
その言葉は、いつもより少し低くて、どこか遠い響きだった。悠馬は視線を下げ、何かを考え込むように沈黙する。
その間が、やけに重たく感じられる。オレは無意識に指先を強く握りしめた。
「だから、その……今日言いたかったのは……」
息を大きく吸い込む。もう、後戻りはできない。
「オレ、お前のことが好きなんだ」
悠馬の顔が上がった。きょとんとした目で、オレをまっすぐ見つめている。
「友達として、じゃなくて……その。恋愛的な意味で」
今度こそ、彼の表情がはっきりと変わった。目を見開いたまま、まばたきすら忘れたようにこちらを見つめている。
数秒間の沈黙──けれど、オレにはそれが永遠みたいに長く感じられた。風の音、遠くの公園で遊ぶ子どもたちの声、すべてがぼやけて、現実味がなくなっていく。
「……湊」
ようやく、悠馬が名前を呼ぶ。でもそのあとに言葉は続かない。
オレの中に、最悪の展開がよぎった。ああ、きっと困ってるんだ。どうやって断ればいいのか迷っているに違いない。
「あ、いや、別に返事が欲しくて言ったわけじゃなくて……! ただ、伝えておきたかっただけで──」
「落ち着け、湊」
悠馬の声が、オレの早口を遮る。さっきよりも少し低く、でもどこか緊張しているように響く。
「俺の返事、聞かないのか?」
あまりに意外な言葉に、オレは思わず戸惑った。
「き、聞きたくない……」
本音がこぼれる。断られるのが怖かった。せめて今だけは、期待を持っていたかった。
でも、悠馬は小さく首を横に振る。
「だから、落ち着けって」
そう言って、オレの手首をそっと掴んだ。いつになく真剣な表情で、まっすぐにオレを見つめてくる。
木漏れ日が彼の頬に揺れて、どこか大人びた影を落としている。その視線があまりにも俺をまっすぐに捉えてきて、オレは目を逸らすことができなかった。
悠馬から距離を取ろうと、オレは無意識に後ろに後ずさった。しかし、悠馬の手がオレの腕を掴んでそれを阻止する。
「逃げるなよ」
その言葉に、今まで感じたことのない熱を感じた。彼の表情から、悠馬がすごく勇気を振り絞っているのがわかる。
「湊……俺は、お前の本当の気持ちが知りたい」
いつもの悠馬とは違う、揺れた声だった。冗談のつもりじゃない。彼が彼なりに真剣にオレに向き合ってくれてるって、ちゃんと伝わってくる。
オレは、もう一度、心の奥をさらけ出すように言った。
「オレ……お前と、恋人になりたい」
声が震えなかったか、自信はない。けど、悠馬は一瞬たりともオレから目を逸らさず、まっすぐに答えた。
「……わかった」
その言葉に、オレは思わず聞き返してしまう。
「え、えっと……それって……」
「俺と恋人になりたいんだろ。……わかった」
少しうつむき気味に答える悠馬の目は、ほんのり赤く染まっていた。珍しく視線が泳いでいる。こんな彼を見るのは、初めてかもしれない。
しばらくの間があいた後、悠馬が口を開いた。
「でも……俺、よくわからないんだけど。どうすれば……恋人っぽくなるのか」
戸惑うような表情で、オレを見つめる。
その素直すぎる疑問に、オレも困惑してしまった。確かに、今まで友達同士だった二人が急に恋人になるって言われても、何をすればいいのかよくわからない。
「──お前は、どうしたいんだ?」
悠馬が静かに尋ねてくる。
オレは考える。恋人らしいこと、って何だろう。
「キスとか……?」
思わず口に出してしまったオレの言葉を、悠馬が続くように反復した。
「キス……」
悠馬の言葉を聞いて、オレは顔に血が昇るのを感じた。しまった、オレってば無意識にとんでもないことを口にしてしまった。
「あ、いや、恋人っぽいことの例として挙げただけで、特に深い意味は──」
「お前はしてみたいのか?」
オレの言い訳に被せるように、悠馬が尋ねてくる。その予想外の問いかけに、オレは悠馬から思わず視線を外した。
「まあ、そりゃ……」
正直な気持ちがこぼれる。
「……興味はある」
悠馬はその答えを聞いて、決意を固めたような表情になった。
「じゃあ……してみるか」
その提案に、オレは慌てた。
「え、ここで!? こんな道端で!?」
「あ……そうか」
悠馬も慌てて周囲を見回す。確かに、住宅街とはいえ人通りが多い場所だ。
「と、とにかくオレの家に行くぞ!」
オレは慌てて背を向けた。悠馬は自転車を押しながらついてくる。
胸の奥がざわざわして、どうしようもない。
家に着いたらこいつ、もしかして本当にキスするつもりなのか。
そう思うと、オレの心臓はまるで長距離走の後みたいに騒がしくて、落ち着かない気持ちでいっぱいになった。
