放課後のチャイムが教室に響き渡った。
「はい、今日はここまで! 明日の小テストの準備、忘れないようにー!」
担任の鈴木先生が最後の注意を呼びかけながら、教材を腕に抱えて教室を出ていく。その後ろから、生徒たちがぞろぞろと席を立ち始めた。
「やっべー、数学の宿題やってねー」
「部活行く前にコンビニ寄らない?」
「今日のドラマ見る?」
そんな他愛もない会話が教室のあちこちで交わされている。窓際の席では女子たちが明日の時間割を確認し合っていて、後ろの方では男子たちが部活の話で盛り上がっていた。
オレは自分の席で、ゆっくりと帰り支度を始めた。教科書をカバンに詰め込みながら、ふと窓の外を見る。九月に入ったとはいえ、まだ日差しは強くて、校庭の向こうに見える山々がもやっとかすんでいた。でも確実に、夏の終わりを感じさせる空気になっている。
いつもなら演劇部の練習があるから、こんなにのんびりと帰り支度をすることはない。でも今日は休むつもりだった。引っ越すはずだったオレが急に残ることになって、部員たちも複雑だろうし……何より、今度の演劇大会にはもう役者としては出ないつもりだ。大会間近の今は、他の部員を邪魔しないためにも早く帰った方がいいだろう。
教室の人数もだいぶ減ってきて、静かになった空間に夕方の光が差し込んでいる。残っているのは掃除当番の生徒たちと、部活の準備をしている数人だけだった。
「湊」
声をかけられて振り返ると、悠馬が立っていた。いつものように無表情だけれど、どこか嬉しそうな雰囲気をまととっている。
「お前、今日部活はあるのか?」
その質問に、オレは首を振った。
「あるけど、今日は休むつもり」
カバンの口を閉めながら答える。
「引っ越す予定がなくなって部活が続けられるようになったとはいえ、次の演劇大会にはもう役者としては出ないつもりだから……大会間近の今は他の部員を邪魔しないためにも、早く帰ろうかと思って」
悠馬は小さく頷いた。
「なら一緒に帰ろう。俺も今日は顧問の先生が休みだから練習がない」
「わかった」
オレは椅子を机の下に入れて立ち上がった。
いままでも近所だったから、こうやって一緒に帰宅したことは何度もある。でも今日からは帰る場所も一緒になるのか……と考えると、不思議な気持ちになった。同じ家に帰るっていうのは、今までとは全然違う感覚だ。
そんなことを考えながら歩き始めた時、後ろから声がかかった。
「おーい、日下部! 久我!」
振り返ると、間瀬がにこにこしながら小走りでやってきた。いつものように人懐っこい笑顔で手を振っている。
間瀬は二人の前に立つと、少し恨みがましい表情を浮かべた。
「お前ら、夏休みあんまり一緒に遊んでくれなかったな。薄情者だぞー」
その言葉に、悠馬が申し訳なさそうに答える。
「部活で忙しかった」
オレも慌てて謝った。
「ごめん、間瀬」
確かに夏休み中は、悠馬と過ごす時間が多くて、間瀬と遊ぶ機会が減ってしまっていた。
間瀬は腕を組んで、首をかしげる。
「そういえば日下部、夏休み前は引っ越すかもしれないって言ってたけど、結局それなくなったんだな?」
「ああ、それは……」
オレは言いかけて、ちらりと悠馬を見た。悠馬が同意するように頷く。
「悠馬の家族のご厚意で、こいつの家に卒業まで居候させてもらうことになったんだ」
間瀬の目が丸くなった。
「え! じゃあお前ら、いま同じ家に住んでるってこと?」
驚きの表情から一転して、間瀬の顔がにやりと笑った。
「なんだよそれ、遊び放題じゃん! いいなー」
その無邪気な反応に、オレは苦笑いを浮かべた。確かに表面的には、そう見えるかもしれない。
でも間瀬は、ふと真剣な顔になった。
「……まさかお前ら、俺と遊んでくれなかった間に彼女とか作ったりしてないよな? そんな裏切りしてないよな?」
冗談交じりの口調だったけれど、その言葉にオレの心臓がドキッと跳ね上がった。
「え……あ……その……」
思わず言葉を詰まらせてしまう。間瀬の鋭い目がオレの顔を見つめていて、動揺がバレてしまったような気がした。
「……嘘」
間瀬がぽつりと呟いた。
「日下部ってば、本気で彼女できたの?」
「違う違う!」
オレは慌てて首を振った。
「ただ言葉を詰まらせただけだって!」
心の中で、彼氏だから違うよな……と思いながら必死に否定する。でも間瀬の疑いの目は変わらない。
悠馬はそんなオレの様子をじっと見ていたけれど、何も発言しなかった。
間瀬は悠馬の方に向き直った。
「悠馬、湊はこう言ってるけど実際どうなの? 一緒に暮らすことになったんだったら、そういうことも分かるんじゃないの?」
悠馬はそんな間瀬の質問には答えず、静かに立ち上がった。
「あんまりこいつを困らせるなよ」
そう言って、オレに向かって告げる。
「先に靴箱で待ってるから」
悠馬はそのまま教室を出ていってしまった。
オレも慌てて後を追うように廊下に出る。
廊下には帰宅する生徒たちが行き交っていた。部活に向かう生徒、友達と談笑しながら下駄箱に向かう生徒、先生に質問をしている生徒……いつもの放課後の光景が、夕方の斜めの光に照らされて、どこか映画のワンシーンみたいに見えた。
靴箱に行くと、悠馬がオレの靴箱の前で待っていた。
「お待たせ」
オレは上履きを脱いで外履きに履き替えながら言った。悠馬も同じように靴を履き替えている。
二人そろって校門を出ると、いつもの帰り道が始まった。
アスファルトの道路に夕日が反射して、少し眩しい。でも真夏の頃のような容赦ない暑さはもうなくて、風が頬を撫けていく感触も、どこか涼やかだった。
セミの声が聞こえてくるけれど、夏の盛りの頃より勢いがなくなっている。ミンミンゼミの声に混じって、ツクツクボウシの鳴き声も聞こえてきた。道端の植物も、緑は深いけれど、どこか疲れたような色合いになっている。夏が終わりかけていることを、肌で感じた。
住宅街の道を歩きながら、悠馬が静かに口を開いた。
「間瀬には言うか?」
その問いかけが、オレたちの関係のことを指していることはすぐに分かった。
「説明しなくていいだろ」
オレは前を向いたまま答えた。
「言ったら間瀬が驚くし」
悠馬は少しの間を置いてから尋ねた。
「それでいいのか?」
その言葉に、オレは立ち止まりそうになった。
自分たちの関係を誰かに伝えるということを、今まであまり考えてなかったことに気づいた。男同士だから、気持ち悪いと思われるかもしれない。なら初めから説明しなくてもいいじゃないか。それがオレの考えだった。
でも、悠馬はどうなんだろう。
「お前はどう思う?」
オレが尋ねると、悠馬は歩きながら答えた。
「少なくとも、俺たちと関わりが深い人たちには説明したいと思う」
歩調を合わせながら、悠馬は続けた。
「特に間瀬は共通の友人だから……俺は彼に隠し事をしたくない」
オレは前を歩く悠馬の背中を見ながら考えた。
間瀬にオレたちのことを説明したら、どういう反応をされるだろうか。受け入れてくれるだろうか、それとも拒絶されてしまうのだろうか。
どっちにしても変化は避けられない。自分と悠馬の関係が変わったように、何事もいつかは変化する。変化からは逃げられないんだろうな……。
そう悟ったとき、オレは前を歩く悠馬に走って追いついた。
そして彼の隣に立って、告げる。
「じゃあ、間瀬にオレたちのこと説明するか」
悠馬が振り返って、オレを見つめた。
オレは頷いた。
……きっと、これも必要な一歩だ。
「はい、今日はここまで! 明日の小テストの準備、忘れないようにー!」
担任の鈴木先生が最後の注意を呼びかけながら、教材を腕に抱えて教室を出ていく。その後ろから、生徒たちがぞろぞろと席を立ち始めた。
「やっべー、数学の宿題やってねー」
「部活行く前にコンビニ寄らない?」
「今日のドラマ見る?」
そんな他愛もない会話が教室のあちこちで交わされている。窓際の席では女子たちが明日の時間割を確認し合っていて、後ろの方では男子たちが部活の話で盛り上がっていた。
オレは自分の席で、ゆっくりと帰り支度を始めた。教科書をカバンに詰め込みながら、ふと窓の外を見る。九月に入ったとはいえ、まだ日差しは強くて、校庭の向こうに見える山々がもやっとかすんでいた。でも確実に、夏の終わりを感じさせる空気になっている。
いつもなら演劇部の練習があるから、こんなにのんびりと帰り支度をすることはない。でも今日は休むつもりだった。引っ越すはずだったオレが急に残ることになって、部員たちも複雑だろうし……何より、今度の演劇大会にはもう役者としては出ないつもりだ。大会間近の今は、他の部員を邪魔しないためにも早く帰った方がいいだろう。
教室の人数もだいぶ減ってきて、静かになった空間に夕方の光が差し込んでいる。残っているのは掃除当番の生徒たちと、部活の準備をしている数人だけだった。
「湊」
声をかけられて振り返ると、悠馬が立っていた。いつものように無表情だけれど、どこか嬉しそうな雰囲気をまととっている。
「お前、今日部活はあるのか?」
その質問に、オレは首を振った。
「あるけど、今日は休むつもり」
カバンの口を閉めながら答える。
「引っ越す予定がなくなって部活が続けられるようになったとはいえ、次の演劇大会にはもう役者としては出ないつもりだから……大会間近の今は他の部員を邪魔しないためにも、早く帰ろうかと思って」
悠馬は小さく頷いた。
「なら一緒に帰ろう。俺も今日は顧問の先生が休みだから練習がない」
「わかった」
オレは椅子を机の下に入れて立ち上がった。
いままでも近所だったから、こうやって一緒に帰宅したことは何度もある。でも今日からは帰る場所も一緒になるのか……と考えると、不思議な気持ちになった。同じ家に帰るっていうのは、今までとは全然違う感覚だ。
そんなことを考えながら歩き始めた時、後ろから声がかかった。
「おーい、日下部! 久我!」
振り返ると、間瀬がにこにこしながら小走りでやってきた。いつものように人懐っこい笑顔で手を振っている。
間瀬は二人の前に立つと、少し恨みがましい表情を浮かべた。
「お前ら、夏休みあんまり一緒に遊んでくれなかったな。薄情者だぞー」
その言葉に、悠馬が申し訳なさそうに答える。
「部活で忙しかった」
オレも慌てて謝った。
「ごめん、間瀬」
確かに夏休み中は、悠馬と過ごす時間が多くて、間瀬と遊ぶ機会が減ってしまっていた。
間瀬は腕を組んで、首をかしげる。
「そういえば日下部、夏休み前は引っ越すかもしれないって言ってたけど、結局それなくなったんだな?」
「ああ、それは……」
オレは言いかけて、ちらりと悠馬を見た。悠馬が同意するように頷く。
「悠馬の家族のご厚意で、こいつの家に卒業まで居候させてもらうことになったんだ」
間瀬の目が丸くなった。
「え! じゃあお前ら、いま同じ家に住んでるってこと?」
驚きの表情から一転して、間瀬の顔がにやりと笑った。
「なんだよそれ、遊び放題じゃん! いいなー」
その無邪気な反応に、オレは苦笑いを浮かべた。確かに表面的には、そう見えるかもしれない。
でも間瀬は、ふと真剣な顔になった。
「……まさかお前ら、俺と遊んでくれなかった間に彼女とか作ったりしてないよな? そんな裏切りしてないよな?」
冗談交じりの口調だったけれど、その言葉にオレの心臓がドキッと跳ね上がった。
「え……あ……その……」
思わず言葉を詰まらせてしまう。間瀬の鋭い目がオレの顔を見つめていて、動揺がバレてしまったような気がした。
「……嘘」
間瀬がぽつりと呟いた。
「日下部ってば、本気で彼女できたの?」
「違う違う!」
オレは慌てて首を振った。
「ただ言葉を詰まらせただけだって!」
心の中で、彼氏だから違うよな……と思いながら必死に否定する。でも間瀬の疑いの目は変わらない。
悠馬はそんなオレの様子をじっと見ていたけれど、何も発言しなかった。
間瀬は悠馬の方に向き直った。
「悠馬、湊はこう言ってるけど実際どうなの? 一緒に暮らすことになったんだったら、そういうことも分かるんじゃないの?」
悠馬はそんな間瀬の質問には答えず、静かに立ち上がった。
「あんまりこいつを困らせるなよ」
そう言って、オレに向かって告げる。
「先に靴箱で待ってるから」
悠馬はそのまま教室を出ていってしまった。
オレも慌てて後を追うように廊下に出る。
廊下には帰宅する生徒たちが行き交っていた。部活に向かう生徒、友達と談笑しながら下駄箱に向かう生徒、先生に質問をしている生徒……いつもの放課後の光景が、夕方の斜めの光に照らされて、どこか映画のワンシーンみたいに見えた。
靴箱に行くと、悠馬がオレの靴箱の前で待っていた。
「お待たせ」
オレは上履きを脱いで外履きに履き替えながら言った。悠馬も同じように靴を履き替えている。
二人そろって校門を出ると、いつもの帰り道が始まった。
アスファルトの道路に夕日が反射して、少し眩しい。でも真夏の頃のような容赦ない暑さはもうなくて、風が頬を撫けていく感触も、どこか涼やかだった。
セミの声が聞こえてくるけれど、夏の盛りの頃より勢いがなくなっている。ミンミンゼミの声に混じって、ツクツクボウシの鳴き声も聞こえてきた。道端の植物も、緑は深いけれど、どこか疲れたような色合いになっている。夏が終わりかけていることを、肌で感じた。
住宅街の道を歩きながら、悠馬が静かに口を開いた。
「間瀬には言うか?」
その問いかけが、オレたちの関係のことを指していることはすぐに分かった。
「説明しなくていいだろ」
オレは前を向いたまま答えた。
「言ったら間瀬が驚くし」
悠馬は少しの間を置いてから尋ねた。
「それでいいのか?」
その言葉に、オレは立ち止まりそうになった。
自分たちの関係を誰かに伝えるということを、今まであまり考えてなかったことに気づいた。男同士だから、気持ち悪いと思われるかもしれない。なら初めから説明しなくてもいいじゃないか。それがオレの考えだった。
でも、悠馬はどうなんだろう。
「お前はどう思う?」
オレが尋ねると、悠馬は歩きながら答えた。
「少なくとも、俺たちと関わりが深い人たちには説明したいと思う」
歩調を合わせながら、悠馬は続けた。
「特に間瀬は共通の友人だから……俺は彼に隠し事をしたくない」
オレは前を歩く悠馬の背中を見ながら考えた。
間瀬にオレたちのことを説明したら、どういう反応をされるだろうか。受け入れてくれるだろうか、それとも拒絶されてしまうのだろうか。
どっちにしても変化は避けられない。自分と悠馬の関係が変わったように、何事もいつかは変化する。変化からは逃げられないんだろうな……。
そう悟ったとき、オレは前を歩く悠馬に走って追いついた。
そして彼の隣に立って、告げる。
「じゃあ、間瀬にオレたちのこと説明するか」
悠馬が振り返って、オレを見つめた。
オレは頷いた。
……きっと、これも必要な一歩だ。
