ダメ元で親友に告白したその後の話

 夏休みも終わりに近づいた朝。まだ九時前だというのに、アスファルトからはもわもわと陽炎が立ち上っていて、空気がゆらゆらと歪んで見える。太陽はすでに高く昇っていて、容赦なく照りつける日差しが肌を刺すように熱い。セミの鳴き声が街全体に響いていて、夏の終わりを惜しむように一層激しく鳴いているような気がした。

 オレは汗をかきながら、段ボール箱を両手に抱えて歩いていた。

 一年ちょっとの居候生活のための荷物だから、そんなに大したものは持っていかない。衣類と本、それに大切な私物をいくつか……それでも段ボール箱三つ分になってしまった。一つ一つはそれほど重くないけれど、この暑さの中で運ぶのはなかなか大変だ。額に浮かんだ汗が目に入って、少し痛い。

 住宅街の道を歩きながら、オレは改めて思った。

 つくづく不思議ことになったなあ……。

 夏休みが明けると同時に、母さんは岡田さんと一緒に都内に引っ越すことになっている。新しい生活を始めるために、もう準備は着々と進んでいた。一方で、オレは卒業まで悠馬の家にお世話になることになった。だから今、こうして自分の荷物を悠馬の家に運んでいる。

 まさか、本当にこんなことになるなんて。引っ越しが決まった時は絶望的な気持ちになったのに、蓋を開けてみればこの街に残ることができて、しかも……悠馬と一緒に生活することになるなんて思ってもみなかった。

「湊!」

 声をかけられて振り返ると、悠馬がジョギング帰りらしくTシャツとハーフパンツ姿で歩いてきた。汗をかいているけれど、オレと違って涼しそうな顔をしている。やっぱりサッカー部で鍛えているだけあって、体力が違うんだなと思った。

「荷物、手伝おうか?」

 そう言いながら悠馬が近づいてくる。

「大丈夫だよ」

 オレは首を振って答えたけれど、その瞬間、一番上に積んでいた段ボールがグラッと傾いた。慌てて支えようとしたけれど、バランスを崩しそうになってしまう。

「あぶない!」

 悠馬が笑いながら、危なげなく段ボールを受け取ってくれた。

「やっぱり持つよ。こんな暑い中、一人で運ぶのは大変だろ」

 結局、悠馬に手伝ってもらうことになった。彼が二つ、オレが一つという分担で、悠馬の家に向かって歩き始める。

 歩きながら、オレは少し不安になってきた。

「でも……いいのかな」

 思わず呟いた言葉に、悠馬が振り返る。

「何が?」
「いくら空いてる部屋があるからって、一年以上もお世話になるなんて……迷惑じゃないかな」

 その心配を口にすると、悠馬は首を振った。

「心配するな。家の両親はどっちもお前のこと気に入ってるし、特に母さんなんて『ゴツく育ってしまったうちの息子二人と比べて、なんて可愛いんでしょう』ってベタ褒めだったぞ。むしろ喜んでたよ」
「でも……」

 まだ言い淀むオレに、悠馬は立ち止まって振り返った。

「あんまり深く気にするなよ。みんな、お前のためを思って動いてくれているんだ。悪いことしてるわけじゃないんだから、堂々としていればいい」

 軽々と荷物を運ぶ悠馬の背中を見ながら、オレは改めて考えた。

 これから、卒業まで悠馬と一緒に生活するのか……。

 今までも近所に住んでいたから頻繁に会っていたけれど、同じ家で生活するっていうのはまた話が別だ。しかも、今は恋人同士だ。どんな距離感で悠馬とこれから付き合えばいいんだろう……?

 朝食を一緒に食べて、学校に一緒に行って、帰りも一緒で、夜も同じ家にいる。考えただけで、なんだかドキドキしてくる。でも同時に、悠馬の家族の前でいつも通りに振る舞えるかという不安もあった。

 そんなことを考えているうちに、悠馬の家に着いた。

 二階建ての明るい外観の家で、玄関先には季節の花が植えられた小さな花壇がある。オレの家とは違って、庭もちゃんとあって、夏の陽射しに負けない緑の芝生が広がっていた。何度も来たことがある家だけれど、今日は特別な気持ちがする。これから、ここがオレの「家」になるんだ。

 玄関のドアが開いて、悠馬のお母さんが出迎えてくれた。

「湊くん、おはよう! ようこそ我が家へ!」

 悠馬のお母さんは明るくて元気なタイプの人で、いつも笑顔で接してくれる。母さんとも仲が良くて、オレにもとても好意的だった。

「おはようございます。これから、よろしくお願いします」

 オレは荷物を置いて、丁寧にお辞儀をした。少し緊張していたせいか、声が硬くなってしまったかもしれない。

「こちらこそよろしくね。遠慮しないで、自分の家だと思ってちょうだい」

 悠馬のお母さんは温かい笑顔でそう言ってくれた。

「それじゃあ、お部屋に案内するわね」

 悠馬のお母さんに続いて、二階に上がる。廊下の突き当たりの部屋の前で、彼女は足を止めた。

「ここが湊くんの部屋よ」

 ドアを開けると、六畳ほどの部屋が現れた。窓が大きくて明るい部屋で、ベッドや勉強机、衣装ケースなどがきちんと配置されている。

「悠馬の兄の部屋なんだけど、大学に通うために一人暮らしを始めたのよ。家具はそのまま置いてあるから、自由に使ってちょうだい」

 悠馬が荷物を置きながら説明する。

「兄貴にはもう許可はとってあるから、遠慮しないで使えよ」

 悠馬の兄の拓也さんには何度か会ったことがある。悠馬より三つ年上で、おっとりした性格の人だった。その人の部屋を使わせてもらうことになるなんて、なんだか不思議な気持ちだ。

 悠馬のお母さんが部屋を出ていくと、二人きりになった。

 悠馬は運んできた荷物を部屋の隅に置くと、そのままベッドに腰を下ろした。一方でオレは、なんとなく部屋の隅の床に座り込んだ。

「どうしてそんなところに座るんだ?」

 悠馬が首をかしげて尋ねてくる。

「隣に来ればいいだろ」

 確かにベッドに座ればいいのかもしれないけれど、そうすると悠馬と距離が近くなりすぎる気がする。いや、オレたちは恋人同士になったのだから、距離の近さは今更なんだけれど……ここが悠馬の家だと考えると、あまり親密な距離になるのはなんとなくばつが悪い。

「だって……ここ、お前の家だし」

 オレが素直にその気持ちを伝えると、悠馬は少し考え込むような顔をした。

 しばらくして、悠馬が口を開いた。

「なら、両親に俺たちが付き合っていることを伝えておけばいいのか?」
「いやいやいや!」

 オレは慌ててブンブンと首を振った。

「そんなこと言ったら、おばさん驚くだろうし、下手したらオレ、追い出されちゃうかもしれないじゃん!」
「大丈夫だと思うけど……」

 悠馬はそう言ったけれど、オレは断固として首を振った。とりあえず当面は、関係を秘密にしておくことに決めた。

 ただ、悠馬は少し不満そうな表情を浮かべていた。

「せっかくお前とこんなに近くで生活できるのに、お前と触れ合えないのは物足りないな」

 じっと見つめてくる悠馬の視線に、オレの心がぐらつきそうになる。確かに、同じ家にいるのに今まで通りの距離感でいるのは、もどかしい気持ちもある。でも……。

 その時、部屋のドアがバッと開いた。ノックもなしに、悠馬のお母さんが顔を覗かせる。

「荷ほどきは済んだ? あのね、湊くんのお母さんに貰ったお茶菓子があるのよ。だからみんなでお茶にしましょう」

 そう言って、悠馬のお母さんは部屋を出ていった。

 悠馬のお母さんが出て行ってしばらくしてから、悠馬が申し訳なさそうに言った。

「──すまない。うちの母さんは、わりとノックなしで部屋に入ってくるタイプの人なんだ」

 オレは内心ほっとしていた。下手に悠馬の雰囲気に流されなくてよかった……。

「改めて言っておくけど」

 オレは悠馬をまっすぐ見つめて宣言した。

「この家でキスとかするの、絶対禁止ね」

 悠馬は明らかに残念そうな顔をしたけれど、それには素直に頷いてくれた。