それから、合宿は特に何事もなく終わった。
あの一件があってから田村先輩は必要以上に話しかけてこなくなり、演劇部の練習に集中できるようになった。最後の日の通し稽古では、みんなの演技もかなり上達していて、見ていて嬉しくなった。山田なんて初日とは見違えるほど堂々とした演技ができるようになっていて、オレは思わず拍手をしてしまったほどだ。
悠馬も最後まで手伝ってくれて、荷物運びから撮影まで文句ひとつ言わずにやってくれた。部員たちからも「久我先輩、また今度も手伝いに来てください!」なんて言われて、悠馬は相変わらず困ったような顔をしていたけれど、表情はまんざらでもなさそうだった。
そして今、オレは自分の部屋で合宿の荷物を片付けているところだった。
汗で湿った着替えをカゴに放り込んで、ゴミとゴミじゃないものを分けていく。演劇部で使った台本は、もう必要ないけれどなんとなく捨てられなくて、本棚の隅にそっと並べておいた。
夜になっても蒸し暑くて、今日は珍しく母さんがクーラーを入れてくれている。ひんやりとした空気が部屋に広がっていて、扇風機だけの時とは全然違う快適さだった。外では相変わらずセミの声が響いているけれど、室内は涼しくて落ち着く。
「おかえり、合宿どうだった?」
荷物の整理をしていると、母さんが部屋のドアの前にやってきた。いつものように優しい笑顔を浮かべて、オレの様子を見つめている。
「楽しかったよ。すごく有意義な時間が過ごせた」
オレは振り返って答えた。嘘じゃない。確かに楽しかった。田村先輩のことがあったのは事実だけど、それ以上に……。
悠馬との出来事を思い出して、オレは顔が熱くなった。
『俺は湊の恋人だ』
田村先輩にはっきりとそう宣言した悠馬の姿。そして、オレに向かって告白してくれた時の真剣な表情。
『ああ、好きだ』
迷いのない、まっすぐな声でそう答えてくれた悠馬。今思い出しても、胸の奥が温かくなってくる。まさか悠馬がオレのことを……それも恋愛的な意味で好きだと明言してくれるなんて
改めて考えてみると、悠馬と過ごす時間が、オレの中でとても大きな意味を持つようになっていることに気がついた。彼がいてくれるだけで安心できるし、彼の笑顔を見るだけで幸せな気持ちになる。これまでオレが感じてきた「友情」とは、明らかに違う感情だった。
そして、悠馬がよく言っていた言葉も思い出す。
『お前の本心を聞かせてくれ』
彼から指摘された、いつの間にか自分の本心を隠すようになったという言葉。確かにオレは、田村先輩の件があってから、自分の本当の気持ちを表に出すことを避けるようになっていた。自分さえ我慢すればすべて丸く収まるんだったら、自分の意見はどうでもいいと考えていた。
でも……もう少し、自分の本心を周りに打ち明けてもいいのかもしれない。
「あのさ」
オレは思い切って口を開いた。母さんが首をかしげて、オレの方を向く。
「オレ、やっぱり高校卒業までこの街で過ごしたい」
その言葉を言った瞬間、緊張で鼓動が早くなっていく。でも、もう後戻りはできない。
「演劇部で練習してきたこと、学校でやってきたことを、ここでリセットするのはやっぱり少し辛いんだ。もちろん無理にとは言わないけど、なんとかこの町に居続けることができないのかな」
その言葉を聞いた母さんは、オレの前にしゃがみ込んで、オレと視線を合わせた。
「もちろんよ。むしろ湊がそうやって自分の本当の気持ちを話してくれて、お母さんは嬉しいわ」
母さんの優しい声に、オレは言葉を失った。
「あなた、いつからか聞き分けがよくて、ワガママをあまり言わなくなっちゃったから、ずっと心配していたのよ」
その言葉に、母さんの愛情の深さを感じて、オレは何も言えなくなってしまった。胸の奥がじんわりと温かくなって、目頭が熱くなってくる。
「たぶん湊は高校を転校したくないんだろうなって思ったから、お母さんの方でも色々と方法を考えてきたのよ」
母さんは続けた。
「それでね、久我さんとこの前話した時に、とてもいい提案をしてもらったの」
久我さん……悠馬の家のことだよな。
「どうやら彼女が言うには、久我さんの家は長男さんが大学に通うために一人暮らしを始めたから、部屋が一部屋余っているんですって。そこに居候という形で、卒業までここにいるのはどうかって提案されているのよ」
「……え?」
オレは驚いて母さんを見つめた。悠馬の家に……居候?
「つまり、オレが悠馬の家で……?」
「そういうことになるわね」
母さんが微笑んで頷く。
「もちろん、久我さんには迷惑をかけることになるから、お礼もきちんとするつもりよ。でも、どうかしら?」
オレは言葉を失った。まさか、そんな話があったなんて……。
その日の夜。
驚いたまま悠馬にラインを送って、いつもの神社で待ち合わせをした。悠馬は「分かった、すぐ行く」と短い返事を送り返してくれて、三十分もしないうちに神社にやってきた。
すっかり夜になった神社は、昼間とは全く違う静寂に包まれていた。街灯とオレたちのスマホのライトだけが、境内をぼんやりと照らしている。生暖かい風が頬を撫けて、あちこちから虫の声が聞こえてくる。夏の夜特有の、濃密な空気が漂っていた。
オレは寝巻き代わりの短パンとTシャツという格好で、悠馬もジャージとTシャツというラフな恰好だった。こんな時間に外に出るなんて普段ならしないけれど、どうしても話したいことがあったのだから仕方ない。
「あのさ」
オレは神社の石段に座りながら、静かに切り出した。
「オレ、卒業までお前ん家でお世話になるかもしれないって話が出てるってこと、お前知ってた?」
悠馬は首を振った。
「知らなかった。今日、帰ってから母さんがいきなり『そういうことになるかもしれないけど、あんたは大丈夫?』って聞かれて、かなり驚いた」
それから二人とも無言になった。オレは空を見上げる。雲ひとつない夜空には、美しい星空が広がっていた。都市部にしては珍しく、星がよく見える夜だった。天の川も薄っすらと見えて、まるで宝石をちりばめたみたいにキラキラと輝いている。
「なんかオレ、引っ越すことは絶対って考えてたから、こんなあっさりとこの街に残れるかもしれないなんて、考えてもみなかった」
そう呟いたとき、後ろで立っていた悠馬がオレの隣にやってきた。彼も同じように神社の石段に座って、空の星空を見上げる。
「俺は嬉しいよ。お前と一緒にいられる時間が長くなって」
悠馬は静かに言った。そして、苦笑いを浮かべながら続ける。
「お前と離れ離れになっちゃうと思ったから、勇気を出して一世一代の告白をしてみたっていうのに、まさかお前が家に居候する形になっちゃうなんて。なんだかすげーマヌケな感じがする」
その言葉に、オレは思わずくすっと笑ってしまった。
悠馬はオレの目をじっと見つめて尋ねた。
「告白をしたことを、後悔しているか?」
オレはすぐには返事をしなかった。代わりに、自分の頭を隣に座っている悠馬の肩にぽんと預ける。彼の体温が伝わってきて、とても安心できた。
「まさか」
オレは小さな声で答えた。
「こんなことでもなかったら、オレはお前に一生、この気持ちを伝えずにずっと友達でいたと思う。それはそれでよかったと思う。──けど、お前と恋人同士になれたことを考えたら、断然こっちの方がいい」
悠馬は、その言葉を聞いて優しくオレの頭を撫でてくれた。友達同士の時にはなかった親密な距離感に、腹の底がムズムズするような幸福感を覚える。
「お前に告白されるまで、友達と恋人の差が何なのかよくわかってなかった」
悠馬が静かに口を開いた。
「キスするとか、そういう友達同士じゃしない行為が友情と恋愛を分けるのかって、漠然と思っていた。でも違った」
オレは彼の言葉を静かに聞いていた。
「お前に告白されてから、お前のことが今まで以上に大切に思えるようになった。お前に喜んでほしいと思うことが増えた。これが友達と恋人の差なのかって、今ならなんとなく分かる」
その真剣な声に、オレの胸がじんわりと温かくなった。でも、ちょっと意地悪心が湧いてきて、オレは小さく笑いながら尋ねた。
「あ、じゃあもうキスとか必要ない?」
悠馬は少し慌てたような顔をして、首を振った。
「いや、お前のこと好きだと思えば思うほど……キスも、それ以外も、もっとしたいと思う」
そのストレートな発言に、オレの顔が一気に熱くなった。緊張してきて、悠馬の顔が見られなくなる。
でも、同時に思った。なんて幸せなんだろう、と。
二人の言葉が途切れて、静寂が辺りを包んだ。
オレが顔を上げると、悠馬と目が合った。星明りに照らされた彼の瞳には、今まで見たことのない熱っぽい光が宿っている。その視線が絡み合って、オレは息ができなくなりそうだった。
悠馬がゆっくりとオレの顔に手を添える。そして、唇が重なった。
あの一件があってから田村先輩は必要以上に話しかけてこなくなり、演劇部の練習に集中できるようになった。最後の日の通し稽古では、みんなの演技もかなり上達していて、見ていて嬉しくなった。山田なんて初日とは見違えるほど堂々とした演技ができるようになっていて、オレは思わず拍手をしてしまったほどだ。
悠馬も最後まで手伝ってくれて、荷物運びから撮影まで文句ひとつ言わずにやってくれた。部員たちからも「久我先輩、また今度も手伝いに来てください!」なんて言われて、悠馬は相変わらず困ったような顔をしていたけれど、表情はまんざらでもなさそうだった。
そして今、オレは自分の部屋で合宿の荷物を片付けているところだった。
汗で湿った着替えをカゴに放り込んで、ゴミとゴミじゃないものを分けていく。演劇部で使った台本は、もう必要ないけれどなんとなく捨てられなくて、本棚の隅にそっと並べておいた。
夜になっても蒸し暑くて、今日は珍しく母さんがクーラーを入れてくれている。ひんやりとした空気が部屋に広がっていて、扇風機だけの時とは全然違う快適さだった。外では相変わらずセミの声が響いているけれど、室内は涼しくて落ち着く。
「おかえり、合宿どうだった?」
荷物の整理をしていると、母さんが部屋のドアの前にやってきた。いつものように優しい笑顔を浮かべて、オレの様子を見つめている。
「楽しかったよ。すごく有意義な時間が過ごせた」
オレは振り返って答えた。嘘じゃない。確かに楽しかった。田村先輩のことがあったのは事実だけど、それ以上に……。
悠馬との出来事を思い出して、オレは顔が熱くなった。
『俺は湊の恋人だ』
田村先輩にはっきりとそう宣言した悠馬の姿。そして、オレに向かって告白してくれた時の真剣な表情。
『ああ、好きだ』
迷いのない、まっすぐな声でそう答えてくれた悠馬。今思い出しても、胸の奥が温かくなってくる。まさか悠馬がオレのことを……それも恋愛的な意味で好きだと明言してくれるなんて
改めて考えてみると、悠馬と過ごす時間が、オレの中でとても大きな意味を持つようになっていることに気がついた。彼がいてくれるだけで安心できるし、彼の笑顔を見るだけで幸せな気持ちになる。これまでオレが感じてきた「友情」とは、明らかに違う感情だった。
そして、悠馬がよく言っていた言葉も思い出す。
『お前の本心を聞かせてくれ』
彼から指摘された、いつの間にか自分の本心を隠すようになったという言葉。確かにオレは、田村先輩の件があってから、自分の本当の気持ちを表に出すことを避けるようになっていた。自分さえ我慢すればすべて丸く収まるんだったら、自分の意見はどうでもいいと考えていた。
でも……もう少し、自分の本心を周りに打ち明けてもいいのかもしれない。
「あのさ」
オレは思い切って口を開いた。母さんが首をかしげて、オレの方を向く。
「オレ、やっぱり高校卒業までこの街で過ごしたい」
その言葉を言った瞬間、緊張で鼓動が早くなっていく。でも、もう後戻りはできない。
「演劇部で練習してきたこと、学校でやってきたことを、ここでリセットするのはやっぱり少し辛いんだ。もちろん無理にとは言わないけど、なんとかこの町に居続けることができないのかな」
その言葉を聞いた母さんは、オレの前にしゃがみ込んで、オレと視線を合わせた。
「もちろんよ。むしろ湊がそうやって自分の本当の気持ちを話してくれて、お母さんは嬉しいわ」
母さんの優しい声に、オレは言葉を失った。
「あなた、いつからか聞き分けがよくて、ワガママをあまり言わなくなっちゃったから、ずっと心配していたのよ」
その言葉に、母さんの愛情の深さを感じて、オレは何も言えなくなってしまった。胸の奥がじんわりと温かくなって、目頭が熱くなってくる。
「たぶん湊は高校を転校したくないんだろうなって思ったから、お母さんの方でも色々と方法を考えてきたのよ」
母さんは続けた。
「それでね、久我さんとこの前話した時に、とてもいい提案をしてもらったの」
久我さん……悠馬の家のことだよな。
「どうやら彼女が言うには、久我さんの家は長男さんが大学に通うために一人暮らしを始めたから、部屋が一部屋余っているんですって。そこに居候という形で、卒業までここにいるのはどうかって提案されているのよ」
「……え?」
オレは驚いて母さんを見つめた。悠馬の家に……居候?
「つまり、オレが悠馬の家で……?」
「そういうことになるわね」
母さんが微笑んで頷く。
「もちろん、久我さんには迷惑をかけることになるから、お礼もきちんとするつもりよ。でも、どうかしら?」
オレは言葉を失った。まさか、そんな話があったなんて……。
その日の夜。
驚いたまま悠馬にラインを送って、いつもの神社で待ち合わせをした。悠馬は「分かった、すぐ行く」と短い返事を送り返してくれて、三十分もしないうちに神社にやってきた。
すっかり夜になった神社は、昼間とは全く違う静寂に包まれていた。街灯とオレたちのスマホのライトだけが、境内をぼんやりと照らしている。生暖かい風が頬を撫けて、あちこちから虫の声が聞こえてくる。夏の夜特有の、濃密な空気が漂っていた。
オレは寝巻き代わりの短パンとTシャツという格好で、悠馬もジャージとTシャツというラフな恰好だった。こんな時間に外に出るなんて普段ならしないけれど、どうしても話したいことがあったのだから仕方ない。
「あのさ」
オレは神社の石段に座りながら、静かに切り出した。
「オレ、卒業までお前ん家でお世話になるかもしれないって話が出てるってこと、お前知ってた?」
悠馬は首を振った。
「知らなかった。今日、帰ってから母さんがいきなり『そういうことになるかもしれないけど、あんたは大丈夫?』って聞かれて、かなり驚いた」
それから二人とも無言になった。オレは空を見上げる。雲ひとつない夜空には、美しい星空が広がっていた。都市部にしては珍しく、星がよく見える夜だった。天の川も薄っすらと見えて、まるで宝石をちりばめたみたいにキラキラと輝いている。
「なんかオレ、引っ越すことは絶対って考えてたから、こんなあっさりとこの街に残れるかもしれないなんて、考えてもみなかった」
そう呟いたとき、後ろで立っていた悠馬がオレの隣にやってきた。彼も同じように神社の石段に座って、空の星空を見上げる。
「俺は嬉しいよ。お前と一緒にいられる時間が長くなって」
悠馬は静かに言った。そして、苦笑いを浮かべながら続ける。
「お前と離れ離れになっちゃうと思ったから、勇気を出して一世一代の告白をしてみたっていうのに、まさかお前が家に居候する形になっちゃうなんて。なんだかすげーマヌケな感じがする」
その言葉に、オレは思わずくすっと笑ってしまった。
悠馬はオレの目をじっと見つめて尋ねた。
「告白をしたことを、後悔しているか?」
オレはすぐには返事をしなかった。代わりに、自分の頭を隣に座っている悠馬の肩にぽんと預ける。彼の体温が伝わってきて、とても安心できた。
「まさか」
オレは小さな声で答えた。
「こんなことでもなかったら、オレはお前に一生、この気持ちを伝えずにずっと友達でいたと思う。それはそれでよかったと思う。──けど、お前と恋人同士になれたことを考えたら、断然こっちの方がいい」
悠馬は、その言葉を聞いて優しくオレの頭を撫でてくれた。友達同士の時にはなかった親密な距離感に、腹の底がムズムズするような幸福感を覚える。
「お前に告白されるまで、友達と恋人の差が何なのかよくわかってなかった」
悠馬が静かに口を開いた。
「キスするとか、そういう友達同士じゃしない行為が友情と恋愛を分けるのかって、漠然と思っていた。でも違った」
オレは彼の言葉を静かに聞いていた。
「お前に告白されてから、お前のことが今まで以上に大切に思えるようになった。お前に喜んでほしいと思うことが増えた。これが友達と恋人の差なのかって、今ならなんとなく分かる」
その真剣な声に、オレの胸がじんわりと温かくなった。でも、ちょっと意地悪心が湧いてきて、オレは小さく笑いながら尋ねた。
「あ、じゃあもうキスとか必要ない?」
悠馬は少し慌てたような顔をして、首を振った。
「いや、お前のこと好きだと思えば思うほど……キスも、それ以外も、もっとしたいと思う」
そのストレートな発言に、オレの顔が一気に熱くなった。緊張してきて、悠馬の顔が見られなくなる。
でも、同時に思った。なんて幸せなんだろう、と。
二人の言葉が途切れて、静寂が辺りを包んだ。
オレが顔を上げると、悠馬と目が合った。星明りに照らされた彼の瞳には、今まで見たことのない熱っぽい光が宿っている。その視線が絡み合って、オレは息ができなくなりそうだった。
悠馬がゆっくりとオレの顔に手を添える。そして、唇が重なった。
