朝の青少年センターには、夏の日差しが容赦なく照りつけていた。アスファルトからもわもわと立ち上る陽炎が、まるで空気を歪ませているみたいに見える。まだ午前中だというのに、じっとしているだけで汗がにじんでくる暑さだった。
集合時間の三十分前に到着したオレは、建物の日陰で悠馬と一緒に他の部員たちを待っていた。悠馬は相変わらずあまり話さないけれど、オレの隣にいてくれるだけで心強い。昨夜の電話での会話を思い出すと、なんだか胸がむずむずしてくる。
青少年センターは電車で三十分ほどの郊外にある施設だ。大きな公園に隣接していて、さながら森の中にある隠れ家みたいな建物だ。
「湊先輩!」
元気な声が聞こえて振り返ると、一年生の山田が小走りでやってきた。いつものように人懐っこい笑顔で手を振っている。
「おはようございます!」
「おはよう、山田」
オレが返事をすると、山田はオレの後ろにいた悠馬に気がついた。目をキラキラと輝かせて、まるで有名人を見つけた子どものような表情になる。
「あ! この人が先輩のお手伝いに来てくれた親友さんっスね! サッカー部のレギュラーメンバーなんてかっこいい!」
山田の無邪気な褒め言葉に、悠馬は明らかに困ったような顔をした。頬が少し赤くなって、視線をあちこちに泳がせている。
「あ……えっと……よろしく」
ぎこちない返事をする悠馬を見て、オレは内心で笑ってしまった。こういう時の悠馬は、昔の引っ込み思案だった小学生の頃の面影がありありと浮かび上がる。
その時、後ろから車のエンジン音が聞こえてきた。振り返ると、白い車が駐車場に入ってくるのが見える。車が停まると、そのドアが静かに開く。
「おはよう、みんな」
爽やかな声と共に現れたのは、田村先輩だった。
心臓が一瞬止まったような感覚に襲われる。昨日から心の準備はしていたつもりだったけれど、やっぱり実際に会うと動揺してしまう。
田村先輩は相変わらず格好良くて、白いポロシャツにベージュのチノパンという爽やかな服装が夏の陽射しによく映えている。集まっていた部員たちに明るく挨拶しながら近づいてくる。
「湊くん、おはよう。 今日はよろしくね」
田村先輩がオレに向かって笑顔を向けてくる。その笑顔に、オレは反射的に身体を硬くしてしまった。でも、それを悟られるわけにはいかない。
「……おはようございます。 こちらこそ、よろしくお願いします」
いつものように明るい調子で返事をする。演技は得意なはずだと自分に言い聞かせながら。
その時、悠馬がオレの前に立った。無言で田村先輩を睨んでいる。その視線は明らかに敵意を含んでいて、オレは慌ててしまった。
「あれ、見たことない顔だね」
田村先輩が悠馬に気がついて、首をかしげる。
「あ、彼は湊先輩の知り合いで、今日は部活が休みらしいので手伝いに来てくれたんです!」
山田が慌てたように説明する。
「そうなんだ、よろしくね」
田村先輩は悠馬にも笑顔を向けた。でも悠馬は……。
「……はい」
あまり愛想がいいとは言えない態度で、短く返事をしただけだった。その不愛想な様子に、田村先輩も少し戸惑ったような表情を浮かべる。
これはマズイ。オレは咄嗟に悠馬の腕を掴んだ。
「ほら、荷物運びの手伝いに行くぞ」
そう言って、悠馬を引っ張って田村先輩から離れる。少し距離を取ったところで、オレは小声で悠馬に注意した。
「どうしたんだ、ちょっと不愛想が過ぎるぞ」
でも悠馬は、オレの注意には返事をしなかった。珍しく不服そうな顔をして、唇をきつく結んでいる。
顧問の西村先生の車に向かって歩きながら、オレは悠馬の横顔を盗み見る。明らかに機嫌が悪そうだ。やっぱり、田村先輩に対する嫉妬なんだろうか……。
「湊、悠馬くん、お疲れ様」
西村先生が車のトランクを開けながら声をかけてくれる。中には衣装の入った大きな袋や、合宿中の食べ物が入った段ボール箱がぎっしりと詰まっていた。
「オレは衣装を運ぶから、悠馬は段ボールをお願いします」
「分かった」
悠馬は短く答えて、重そうな段ボール箱を持ち上げた。さすがサッカー部で鍛えているだけあって、重い荷物も軽々と運んでいく。
それからもバタバタと部員たちでいろいろな準備をして、ようやく施設の中に入れたのが九時頃だった。施設内は冷房が効いていて、外の暑さから解放されてほっとする。
本格的に演技の通し稽古が始まったのは十時頃からだった。
青少年センター内には「活動室」と呼ばれる広いスペースがあって、普段の部室とは比べ物にならないほど開放的だった。天井も高くて、壁一面が鏡張りになっている。何より嬉しいのは、きちんとした冷房が効いていることだった。涼しい環境のおかげで、みんな集中して練習に取り組めている。
オレは演技指導役という立場で、通し稽古を見ながら気づいたことをコメントすることになった。田村先輩も同じ立場なので、必然的にオレの隣にずっといることになる。離れるわけにはいかなくて、内心ではとても不安だった。
悠馬はオレたちから離れた場所で見学していた。特に口を出すことはしていないけれど、田村先輩と話しているとチラチラとこちらを見ているのが分かる。その視線を感じるたびに、オレは落ち着かない気持ちになった。
「そのシーン、もう少し台詞をゆっくり喋るようにしてもらえるかな」
田村先輩が主役の佐藤先輩に向かってアドバイスをする。その指導内容は的確で、オレは内心で感心していた。やっぱり、演技に関しては本当に詳しいんだな。
佐藤先輩はいつものように穏やかな笑顔で田村先輩のアドバイスを受け入れ、何度か台詞を繰り返している。でも田村先輩はなかなか納得しない。眉間にしわを寄せて、真剣に演技を見つめている。
「うーん……」
何度目かのやり直しの後、田村先輩が困ったような顔をした。そして、ふとオレの方を向く。
「湊くん、試しに君がこのセリフを言ってみてくれないかな」
その提案に、オレは驚いた。でも、断る理由もない。
「分かりました」
オレは立ち上がって、佐藤先輩の位置に向かった。台本を受け取って、該当するシーンを確認する。
恋人を失った主人公が、一人でその思い出を語るシーン。切なくて、でも温かい記憶への愛おしさも込められた、とても繊細な場面だった。
深呼吸をして、オレは演技を始めた。
「──君がいない世界は、こんなにも色あせて見えるんだね……君と一緒に見た夕焼けも、一緒に歩いた桜並木も、今はただの風景でしかない。でも、それでも僕は歩き続けなくちゃいけない。君が愛してくれたこの世界を、君の分まで愛していかなくちゃいけないから」
セリフを言い終わった瞬間、活動室が静寂に包まれた。
みんながオレの演技に息を飲んでいるのが分かる。田村先輩も驚いたような顔をして、しばらく何も言えずにいた。
「……すごい」
ようやく田村先輩が口を開いた。
「やっぱり君は、昔から思っていたけど感情を乗せた演技がとてもうまいね」
その褒め言葉に、オレは複雑な気持ちになった。嬉しいけれど、同時に胸の奥がザワザワする。
ふと悠馬の方を見ると、彼はぽかんとした表情でオレを見つめていた。驚いたような、何かに圧倒されたような……そんな顔だった。悠馬がこんな表情を浮かべるのは珍しくて、オレは少しドキッとしてしまう。
「湊くんの演技を参考にして、もう一度やってみよう」
田村先輩の声で現実に戻る。練習が再開されて、オレは少し疲れて練習の輪から離れた。活動室の隅に置いてあったペットボトルを手に取って、冷たい水を飲む。喉が渇いていたのか、ゴクゴクと一気に飲んでしまった。
改めて、みんなの演技風景を眺める。
山田は一年生らしい初々しさを残しながらも、夏休み中の特訓の成果が出て、随分と表現力が豊かになっている。佐藤先輩も相変わらず安定した演技で、部長としての風格を見せていた。
ああ、やっぱりオレも演劇大会に出たかったな……。
心の奥から、そんな気持ちが湧き上がってくる。端役でもいいから、みんなと一緒に演技したかった。来年までいれば、主役をもらえたかもしれない。
でも、それは無理な願いだ。
オレは無理やりその思考を切った。泣きたくなる気持ちを必死に抑えて、立ち上がる。その瞬間、オレの顔にはいつもの明るい笑顔が浮かんでいた。
そんなオレの様子を、悠馬がじっと見つめているのが分かった。でもオレは、その視線にわざと気づかないフリをした。
集合時間の三十分前に到着したオレは、建物の日陰で悠馬と一緒に他の部員たちを待っていた。悠馬は相変わらずあまり話さないけれど、オレの隣にいてくれるだけで心強い。昨夜の電話での会話を思い出すと、なんだか胸がむずむずしてくる。
青少年センターは電車で三十分ほどの郊外にある施設だ。大きな公園に隣接していて、さながら森の中にある隠れ家みたいな建物だ。
「湊先輩!」
元気な声が聞こえて振り返ると、一年生の山田が小走りでやってきた。いつものように人懐っこい笑顔で手を振っている。
「おはようございます!」
「おはよう、山田」
オレが返事をすると、山田はオレの後ろにいた悠馬に気がついた。目をキラキラと輝かせて、まるで有名人を見つけた子どものような表情になる。
「あ! この人が先輩のお手伝いに来てくれた親友さんっスね! サッカー部のレギュラーメンバーなんてかっこいい!」
山田の無邪気な褒め言葉に、悠馬は明らかに困ったような顔をした。頬が少し赤くなって、視線をあちこちに泳がせている。
「あ……えっと……よろしく」
ぎこちない返事をする悠馬を見て、オレは内心で笑ってしまった。こういう時の悠馬は、昔の引っ込み思案だった小学生の頃の面影がありありと浮かび上がる。
その時、後ろから車のエンジン音が聞こえてきた。振り返ると、白い車が駐車場に入ってくるのが見える。車が停まると、そのドアが静かに開く。
「おはよう、みんな」
爽やかな声と共に現れたのは、田村先輩だった。
心臓が一瞬止まったような感覚に襲われる。昨日から心の準備はしていたつもりだったけれど、やっぱり実際に会うと動揺してしまう。
田村先輩は相変わらず格好良くて、白いポロシャツにベージュのチノパンという爽やかな服装が夏の陽射しによく映えている。集まっていた部員たちに明るく挨拶しながら近づいてくる。
「湊くん、おはよう。 今日はよろしくね」
田村先輩がオレに向かって笑顔を向けてくる。その笑顔に、オレは反射的に身体を硬くしてしまった。でも、それを悟られるわけにはいかない。
「……おはようございます。 こちらこそ、よろしくお願いします」
いつものように明るい調子で返事をする。演技は得意なはずだと自分に言い聞かせながら。
その時、悠馬がオレの前に立った。無言で田村先輩を睨んでいる。その視線は明らかに敵意を含んでいて、オレは慌ててしまった。
「あれ、見たことない顔だね」
田村先輩が悠馬に気がついて、首をかしげる。
「あ、彼は湊先輩の知り合いで、今日は部活が休みらしいので手伝いに来てくれたんです!」
山田が慌てたように説明する。
「そうなんだ、よろしくね」
田村先輩は悠馬にも笑顔を向けた。でも悠馬は……。
「……はい」
あまり愛想がいいとは言えない態度で、短く返事をしただけだった。その不愛想な様子に、田村先輩も少し戸惑ったような表情を浮かべる。
これはマズイ。オレは咄嗟に悠馬の腕を掴んだ。
「ほら、荷物運びの手伝いに行くぞ」
そう言って、悠馬を引っ張って田村先輩から離れる。少し距離を取ったところで、オレは小声で悠馬に注意した。
「どうしたんだ、ちょっと不愛想が過ぎるぞ」
でも悠馬は、オレの注意には返事をしなかった。珍しく不服そうな顔をして、唇をきつく結んでいる。
顧問の西村先生の車に向かって歩きながら、オレは悠馬の横顔を盗み見る。明らかに機嫌が悪そうだ。やっぱり、田村先輩に対する嫉妬なんだろうか……。
「湊、悠馬くん、お疲れ様」
西村先生が車のトランクを開けながら声をかけてくれる。中には衣装の入った大きな袋や、合宿中の食べ物が入った段ボール箱がぎっしりと詰まっていた。
「オレは衣装を運ぶから、悠馬は段ボールをお願いします」
「分かった」
悠馬は短く答えて、重そうな段ボール箱を持ち上げた。さすがサッカー部で鍛えているだけあって、重い荷物も軽々と運んでいく。
それからもバタバタと部員たちでいろいろな準備をして、ようやく施設の中に入れたのが九時頃だった。施設内は冷房が効いていて、外の暑さから解放されてほっとする。
本格的に演技の通し稽古が始まったのは十時頃からだった。
青少年センター内には「活動室」と呼ばれる広いスペースがあって、普段の部室とは比べ物にならないほど開放的だった。天井も高くて、壁一面が鏡張りになっている。何より嬉しいのは、きちんとした冷房が効いていることだった。涼しい環境のおかげで、みんな集中して練習に取り組めている。
オレは演技指導役という立場で、通し稽古を見ながら気づいたことをコメントすることになった。田村先輩も同じ立場なので、必然的にオレの隣にずっといることになる。離れるわけにはいかなくて、内心ではとても不安だった。
悠馬はオレたちから離れた場所で見学していた。特に口を出すことはしていないけれど、田村先輩と話しているとチラチラとこちらを見ているのが分かる。その視線を感じるたびに、オレは落ち着かない気持ちになった。
「そのシーン、もう少し台詞をゆっくり喋るようにしてもらえるかな」
田村先輩が主役の佐藤先輩に向かってアドバイスをする。その指導内容は的確で、オレは内心で感心していた。やっぱり、演技に関しては本当に詳しいんだな。
佐藤先輩はいつものように穏やかな笑顔で田村先輩のアドバイスを受け入れ、何度か台詞を繰り返している。でも田村先輩はなかなか納得しない。眉間にしわを寄せて、真剣に演技を見つめている。
「うーん……」
何度目かのやり直しの後、田村先輩が困ったような顔をした。そして、ふとオレの方を向く。
「湊くん、試しに君がこのセリフを言ってみてくれないかな」
その提案に、オレは驚いた。でも、断る理由もない。
「分かりました」
オレは立ち上がって、佐藤先輩の位置に向かった。台本を受け取って、該当するシーンを確認する。
恋人を失った主人公が、一人でその思い出を語るシーン。切なくて、でも温かい記憶への愛おしさも込められた、とても繊細な場面だった。
深呼吸をして、オレは演技を始めた。
「──君がいない世界は、こんなにも色あせて見えるんだね……君と一緒に見た夕焼けも、一緒に歩いた桜並木も、今はただの風景でしかない。でも、それでも僕は歩き続けなくちゃいけない。君が愛してくれたこの世界を、君の分まで愛していかなくちゃいけないから」
セリフを言い終わった瞬間、活動室が静寂に包まれた。
みんながオレの演技に息を飲んでいるのが分かる。田村先輩も驚いたような顔をして、しばらく何も言えずにいた。
「……すごい」
ようやく田村先輩が口を開いた。
「やっぱり君は、昔から思っていたけど感情を乗せた演技がとてもうまいね」
その褒め言葉に、オレは複雑な気持ちになった。嬉しいけれど、同時に胸の奥がザワザワする。
ふと悠馬の方を見ると、彼はぽかんとした表情でオレを見つめていた。驚いたような、何かに圧倒されたような……そんな顔だった。悠馬がこんな表情を浮かべるのは珍しくて、オレは少しドキッとしてしまう。
「湊くんの演技を参考にして、もう一度やってみよう」
田村先輩の声で現実に戻る。練習が再開されて、オレは少し疲れて練習の輪から離れた。活動室の隅に置いてあったペットボトルを手に取って、冷たい水を飲む。喉が渇いていたのか、ゴクゴクと一気に飲んでしまった。
改めて、みんなの演技風景を眺める。
山田は一年生らしい初々しさを残しながらも、夏休み中の特訓の成果が出て、随分と表現力が豊かになっている。佐藤先輩も相変わらず安定した演技で、部長としての風格を見せていた。
ああ、やっぱりオレも演劇大会に出たかったな……。
心の奥から、そんな気持ちが湧き上がってくる。端役でもいいから、みんなと一緒に演技したかった。来年までいれば、主役をもらえたかもしれない。
でも、それは無理な願いだ。
オレは無理やりその思考を切った。泣きたくなる気持ちを必死に抑えて、立ち上がる。その瞬間、オレの顔にはいつもの明るい笑顔が浮かんでいた。
そんなオレの様子を、悠馬がじっと見つめているのが分かった。でもオレは、その視線にわざと気づかないフリをした。
