『やっぱり。僕に嘘をついていたんだね』
『あ、あ……!』

 ――西鳥羽音は夢を見た。

 口元だけに笑みを浮かべた大鴉に、無音との入れ替わりが露呈した際の光景だ。

『銃夢様……! お、お許しください……! 騙そうとしたわけでは、ありません……!』
『君は、僕の花嫁なんかじゃない。双子の姉なんだろう?』
『ひ……っ。も、申し訳……っ』
『真名を呼ぶ資格も無ければ、妻でいる資格もない。残念だけど、君の命はここで奪わせてもらうよ』

 背中に美しき純白の翼を生やした姉の瞳は、絶望に染まっている。

  (今すぐここから、逃げないと……!)

 ――そんな焦燥感に駆られた羽音は、命からがら大鴉の根城から逃げ出した。

  (少しでも遠くへ。彼の手が届かない場所に飛んでいかないと。捕まったら、命はないわ……!)

 彼に嫁いでからの2年間は、羽音にとって地獄としか言いようがない。
 毎日旦那様の顔色を窺い、どれほど暴力を振るわれても必死に耐え続けていた日々。
 それは、全部水の泡になってしまった。

  (どうして無音は、無能として生まれたの……?)

 双子がそれぞれ、素晴らしい異能を持って生まれていれば――姉妹は支え合い、西鳥家の娘として幸せに暮らせていただろう。

  (これも全部、大鴉の生贄となることを運命づけられた、無音が悪いのよ……!)

 どうして異能を持って生まれた自分が、こんな目に合わなければならないのか――。
 一度そう思ったら、止まれなかった。

  (大鴉に嫁ぐのも、無能と罵られるのだって、全部あの子の役目だった! 私は西鳥家の当主として、幸せに暮らすことを運命づけられていたのに……!)

 ――こんな醜い気持ちを抱いた人間など、生きている資格がない。
 そんな思いに駆られ、季節外れの桜が大輪の花を咲かせる丘に身体を投げ出した。

  (もう、嫌だ……。何もかも忘れて、楽になりたい……)

 長時間異能を使い続けたせいか、全身が睡眠を求めている。

  (このまま目を瞑れば、二度と目覚めなくて済むかしら……)

 ――その願望は、叶えられなかった。
 異変を察知して姿を見せた、ある人物の存在によって。

『ここで何をしている』

 知らず知らずのうちに、西鳥の領地から真逆の鬼東まで飛んできてしまったらしい。
 そこを守護する鬼神は、息も絶え絶えな様子でここに至る経緯を語る羽音に手を差し伸べた。

『鬼神とでも呼んでくれ』

 迷いながらも、彼の庇護下に入ることを了承し――そうして、ようやく幸せを手に入れた。

  (生きていてよかった。そう思えるのは、鬼神様のおかげだわ……)

 しかし、穏やかな暮らしは長く続かなかった。

『その女は、僕の妻だ』
『去れ、大鴉……! 羽音は、誰にも渡さん……!』

 羽音の居場所を突き止めた大鴉から、何度も襲撃を受けたからだ。

  (私のせいで……。鬼神様に迷惑をおかけしているわ……)

 罪悪感に駆られ、自分さえいなければと言う想いが増していく。
 ――そして、ついにその時がやってきてしまった。

『鬼神様……!』

 神々ならば耐えられた攻撃も、ただの人間には一溜まりもない。
 羽音は彼を庇い、大怪我を負った。

『ま、待ってくれ……! 俺はまだ、君に真名を伝えていない……!』
『鬼神、様……。私は、あなたのこと、が……』
『羽音! 俺の名を、呼んでくれ! 今なら、まだ……!』

 赤い瞳から大粒の涙を流す男の口から、真名が紡がれた。

  (鬼炎花藤郷様……。炎の異能を操る、鬼神様らしい素敵な名だわ……。できることなら、もっと早くに知りたかったわね……)

 心の中で何度も彼の名を繰り返し呼び続けた羽音は、虚ろな瞳で鈴の音が鳴くような声を響かせる。

『私の、旦那様が、藤郷様なら……よかったのに……』
『羽音の夫は、大鴉なんかじゃない! この俺だ……!』
『……はい。私の、心は……。いつまでも、あなたのものです……』

 叶わぬ想いを口にし、満足そうに微笑むと――小さな身体は、事切れた。