――西鳥羽音としての生活は、最高の一言に尽きる。
 誰も彼もが異能を持っているだけで、人間として接してくれたからだ。

  (あたしはもう二度と、無音になんて戻らない……!)

 万が一にでも羽音に反抗されては困ると危惧した無音は8年賭けてじっくりと、時には口だけではなく手足を使って姉に上下関係を教え込む。

  (ああ、愉快だわ!異能を持って生まれただけで親族からの愛を一身に受けていたあの女が、無能と蔑まれて虐げられる姿を見るのは!)

 嗜虐的な笑みを浮かべた無音は、自分の計画が何の問題もなく進んでいることを喜んだ。

(あとは、生贄の儀を待つだけね……!)

 大嫌いな姉を自分の代わりに大鴉の生贄に捧げれば、彼女は無音として命を落とすだろう。
 それまで誰にも邪魔されずに羽音に成り代わり続ければ、再び無能と罵られることはない。
 姉の人生を、完全に乗っ取れるのだ。

  (さよなら。世界で一番憎いお姉様。もう二度と、生まれて来ないでね?)

 無音の完璧な計画は、儀式の当日までは全てが順調に進んでいた。

「これは一体、どう言うことかな?」

 なのに――。
 どうして、こんなことになっているのだろう?

「お、大鴉様……!」

 頭のてっぺんから爪先まで、漆黒に染まった美形が口元を緩めてこちらに問いかけてきた。

 彼こそが無音が生贄として嫁ぐ予定の神――西鳥家を守護する大鴉だ。
 死装束に身を包んだ娘の姿が、見当たらなかったからか。
 男の目は、笑っていない。

「生贄の娘は?」
「も、申し訳ございません……! 手違いで、鬼神に連れ去られてしまいまして……」
「あの男……。ほんとに懲りないなぁ。何回邪魔したら、気が済むんだろう」

 大鴉は呆れたように意味不明な言葉を口にすると、この場に集まった西鳥の人々を震撼させる爆弾発言をした。

「まぁいいや。あの男が4000年前から西鳥羽音だけを欲しているのは、有名な話だからね。僕は無音をもらうよ」

 ――姉の名を騙る妹の本名を、口にしたのだ。
 これには親族達もざわつき、父親が代表して恐る恐る神に問いかけた。

「な、何を仰っているのですか……? ここにいるのは、無能ではありませぬ。異能を持って生まれた、我が西鳥の跡継ぎ娘です!」
「あー。そう言う事になっているんだっけ? 400年前のことなんて、よく覚えてないや」

 大鴉は前回の儀式を思い浮かべて、難しい顔をした。
 だが、無音の顔をじっと見つめている間にすぐさま何かを閃いたようで、明るい声で言葉を紡ぐ。

「でも、これだけは思い出した。あんたら人間は転生輪廻を繰り返し、西鳥羽音は双子として必ず生まれる。そして、姉は毎回妹から酷い目に遭わされているってこと」
「なんですと……!?」

 戸惑う大人達は、一斉にこちらに訝しげな視線を向けた。

  (なんで! なんで、なんで! なんで!)

 その瞳の奥に隠された感情は、よく知っている。
 姉と人生を入れ替えるまでの10年間、何度も無能と罵られて生きていたのだから……。

  (こんなふうに見られるのが嫌だったから、羽音になったのよ!? これじゃ、全部台無しじゃない!)

 無音は般若のような顔をしながら、内心怒り狂っていた。
 自分の計画が、神によって無茶苦茶にされたからだ。

  (儀式をぶち壊して姉を攫った、鬼神さえいなければ……! あたしはあの女に、一生成り代わり続けられたのに……!)

 嘘が露呈した以上、西鳥の家に居続けたって最下層の扱いを受けるだけだろう。
 なら、ここに留まる必要などなかった。

  (いいえ……! まだよ……! 諦めるのは、まだ早いわ……!)

 そう絶望しかけた無音は、己を振るい立たせて名案を思いつく。

  (もう一回、入れ替わればいいのよ!)

 危険を承知で大鴉の元へ嫁ぎ、どうにかして人生を入れ替えれば――無音は美丈夫の鬼神から愛される。
 幸せを得るのだ。

  (こんな奴には、嫁ぎたくないけど……。仕方ないわ。こいつはあくまで、あたしが幸せになるための踏み台だと思えばいい!)

 無音は口元に歪な三日月を描くと、スッと立ち上がって中央に躍り出た。
 つまらなそうに口を尖らせる、大鴉と対峙するためだ。

  (待っていなさい。西鳥羽音。もう一度あたしが、あんたの人生を奪ってあげる……!)

 こうして己を奮い立たせると、神に戦いを挑む。

「ええ、大正解! あたしは羽音じゃない。あんたの花嫁、無音よ」

 無音は悪びれもなく、今まで自分が羽音の名を騙っていたのだと満面の笑みを浮かべて暴露した。

「ああ、なんと言うことだ……」
「無能が異能持ちを騙っていた……?」
「一体いつから?」
「羽音を返して……!」

 今まで無能と罵っていた娘が、惜しみない愛を注ぐべき異能を持って生まれた姉だったのだ。

 両親はその事実に愕然とし、錯乱状態に陥った。
 その様子を見ていた親族達も夫妻を諌めながら、無音に化物を見るような目を向けてくる。

  (あんな奴らから蔑まれたって、痛くも痒くもないわ……!)

 無音は唇を噛み締めて心ない言葉をぶつけられる苦しみに耐え忍び、余裕そうな笑みを浮かべた。
 そして、新たな作戦を成功させるのに集中する。

「そう。なんだか生まれ変わるたびに、その性格の悪さが増してない?」
「前世で自分がどう生きたかなんて、あたしが知るわけがないでしょ!?」
「うんうん。この騒がしい感じ、懐かしいなぁ。君は確かに、僕の花嫁だ」

 そんな無音の姿を気分よく見つめてくる神の姿にほっと胸を撫で下ろし、妹は彼に交換条件を持ちかけた。

「あんたへ嫁ぐ代わりに、条件があるわ」
「なんだい?」
「羽音を西鳥の家に、連れ戻して」
「なんで?」

 大鴉は心底理解できないとばかりに問いかける。

  (神のくせに! いちいち説明しなきゃ、わかんないの……!?)

 無音は苛立ちを隠しきれぬ様子で、声を張り上げた。

「あの女がいなくなったら、西鳥の跡取りがいなくなるでしょ!?」
「本家の人間がいなくなったって、問題ないよ。君達双子はこの家に何度も生まれ変わっているんだから。西鳥の血は脈々と受け継がれていく」
「とにかく。それが無理なら、あたしはあんたの妻にはならないから!」

 自分達が400年に一度生まれ変わっているから、なんだと言うのだ。

 妹は適当な理由をつけて姉に会いに行き、入れ替わりたい。
 大鴉は双子のうち、どちらかを娶りたい。
 鬼神は羽音と夫婦になりたい。

 全員の望みを叶えるためには、この選択こそが最善だった。

(文句を言っている暇があるなら、さっさとあたしの提案を受け入れなさいよ!)

 相手が神であることも忘れ、無音は内心怒り狂っていた。

「無能が羽音を救うために、大鴉へ交換条件を持ちかけたぞ……」
「なんて無礼な……」
「一体どうなるの……?」

 そんな中、親族達はヒソヒソと小声で、こちらに不躾な視線を向ける。
 だが、どれほど心ない悪意に晒されたとしてもめげなかった。

  (あの女だけが幸せになるなんて、絶対に許さないわ……!)

 傷ついている暇があるなら姉の脚を引っ張り、地獄の底へと叩き落とすのに夢中だったからだ。

「うーん。わかった。じゃあ、行こうか」

 そんな生贄の姿を目にした大鴉は無音の提案を受け入れたあと俵担ぎすると、漆黒の翼を羽ばたかせて鬼神の元へと向かった。