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「その女は、僕の妻だ」

 ある日、羽音の居場所を突き止めた大鴉が、彼女を取り戻しにやってきた。

『総員、突撃ー!』
『わー!』

 小鬼達と協力して何度も愛する女性を守るべく、戦いを繰り広げる。
 そのたびに、羽音の表情は曇っていった。

「申し訳ありません……」
「気にするな。羽音のせいじゃない」
「しかし……。私がこの地に迷い込まなければ……。鬼神様は……。小鬼さん達と、穏やかな日々を過ごしていたはずですもの……」

 自分なんかいないほうがいいなど、冗談でも言って欲しくない。
 藤郷はぼやく羽音を勇気づけるが、何度伝えても彼女の顔色は優れなかった。

 ――そうこうしているうちに、運命の時はやってくる。

 あれは何度目の襲撃だっただろうか?
 4000年も経てば、そこまではいちいち覚えてなどいられない。
 しかし――あの光景だけは、いつまでも昨日のことのように思い出せる。

「鬼神様……!」

 悲痛な叫び声を上げた羽音は、藤郷を庇って前に躍り出た。
 そして――大鴉の攻撃を受け、重症を負ったのだ。

「羽音……!」

 ひと目みてわかった。
 この怪我は、助からないと。

「あーあ。壊れちゃった」

 愛する女性を傷つけた男はそうポツリと呟き、虚空に六芒星を描いてこの場から姿を消した。

「まだ、間に合う……! いや、間に合わせてみせる……!」

 一縷の望みをかけた鬼神は彼女を腕に抱く。
 そして止血を行いながら、声をかけ続けた。

「俺はまだ、君に真名を伝えていない……!」
「鬼神、様……。私は、あなたのこと、が……」
「違う……っ。俺は、鬼炎花藤郷だ……!」

 大粒の涙とともに伝えるが、間に合わない。
 彼女の瞳からはどんどんと光が失われていき――か細い声で言葉を紡ぐ。

「私の、旦那様が、藤郷様なら……よかったのに……」
「ああ……っ。羽音の夫は、大鴉なんかじゃない! この俺だ……!」
「……はい。私の、心は……。いつまでも、あなたのものです……」

 ようやく望む想いを引き出せたのに、こんなのはあんまりだ。
 藤郷はすぐさま傷ついた彼女の身体を、鬼へと生まれ変わらせるために術を張り巡らせたが――。
 その準備を終える前に微笑んだ羽音は、静かに事切れた。

「あ、あ……!」

 ――人間の命は息を吹きかけるだけで、すぐに消えてしまう蝋燭のように儚い。

  (心の底から愛おしいと思った娘は、羽音が始めてだった)

 神々に選ばれし者は、何千年と気が遠くなるほどの時を生きる。
 人間はせいぜい、持っても100年だ。
 瞬きするほど短い時間しかともにいられない。

  (なぜ俺は、あやかしとして生まれたんだ……?)

 人として生まれていれば、彼女と一緒に命を終えられたのに。
 あやかしから鬼神と呼ばれるまでに力をつけたせいで、藤郷は愛する女性に先立たれてしまった。

  (せめて、彼女の亡骸だけは……。生まれ育った地に返してやろう)

 決意した彼は、彼女を西鳥に連れて行った。

「羽音……?」

 ――帰り道、藤郷は愛しき女性と瓜二つの顔に出会う。
 その女は彼女の名に反応したが、鬼神はすぐにそれが別人だと気づく。

「あんた、誰?」

 羽音はもっと、自信なさげで礼儀正しい言葉遣いをする。
 あの子はこんなに、苛立たしげな様子で声を発しない――。

「羽音! ここにいたのか。大変なことが起きたぞ。無音が……!」
「まぁ、お父様。そんなに息を切らして……どうしたの……?」

 藤郷は我が耳を疑った。

  (こいつが、羽音の妹か……)

 彼女の偽者が、羽音のフリをしていると気づいたからだ。

「何を言っている。貴様こそ、だ……!」
「こんな男はほっといて、様子を見に行かなくちゃ! あの子ったら、大鴉の元に嫁いだはずなのに……。一体、どうしちゃったのかしら……?」

 鬼神の発言を遮った女は、ほくそ笑みながら父親を連れて去って行った。

  (こいつの代わりに、羽音は大鴉に嫁がされたと言うのに……。なんの罰も受けずに、これからも羽音に成り代わり、のうのうと西鳥で暮らすだと……?)

 ――そんなのは、許してなるものか。

 愛する女性を失った悲しみと憎悪に支配された藤郷は、怒りに身を任せて己の炎を発現する。
 そうして、先祖代々続く立派なお屋敷を燃やし尽くした。

  (ああ、このまま……。燃え盛る炎の中で、彼女とともに灰になれたなら……どれほどよかったことか……)

 ――鬼神のささやかな願いが、叶えられることはない。

 こうして藤郷は自らの命を断つことも許されず、気が遠くなるほどの時を一人で過ごす羽目になった。

「羽音。俺は必ず、君を再び腕に抱く。その時は、今度こそ……」

 ――己だけの花嫁にしてみせると誓いを立てた鬼神は、西鳥羽音に対する愛情を恐ろしい執着心に変え……。
 400年に一度生まれ変わる彼女の魂を再び手に入れるため、暗躍し続けた。