――一仕事終えたと一息つきたいのは山々だが、先程までの作業はただの準備運動。
 ここからが本番だった。

「やっぱりね。君なら、ここに来ると思っていたよ」

 西鳥家の真裏に位置する人里離れた裏山に顔を出せば、大鴉が明るい声を響かせる。
 そんな中、鬼神は彼岸花の前で死装束を着て虚ろな瞳で座る無音に訝しげな視線を向けた。

「ああ、あの子? 羽音ちゃんに負けたのが、とっても悔しくて――壊れちゃった」

 あの女がどうなろうか知ったことではないが、あれでも一応は羽音と血を分けた双子の姉妹だ。

  (くそ……。瓜二つの顔が、忌々しい……。あの女と、妻が重なる……)

 藤郷が彼女を娶らなければ、ああしてあそこにいたのは愛する妻だったかもしれない。そう思うだけでも、心臓が嫌な音を立てて軋むのを感じた。

「あーあ。また400年も待たなきゃいけないなんて、面倒だなぁ」

 眉を顰めて無音を助け出すべきか迷っている気持ちを霧散させたのは、緊張感のない男の声だった。
 本来の目的を思い出した鬼神は、彼に向かって凄む。

「そのめんどくささから、今すぐ開放してやろう」
「何言ってんの? まさか……。僕を始末するつもりかい?」
「俺の羽音を娶ろうと目論見、己の愉悦を優先して傷つけた。4000年分の怨み、晴らさせてもらうぞ……!」

 藤郷が敵意を露わにしても、相手は余裕の表情を崩さなかった。
 今まで何度もいがみ合い続けた二人は、こうして五体満足で長い時を生き続けているからだろう。

  (舐められたものだな……)

 鬼神が彼を生かしていたのは、役者が揃わなければ羽音が西鳥の家に誕生しない可能性を恐れたからだ。
 この男を屠るなら、最愛の彼女を妻として娶った今しかない。
 その決心は、どれほど言葉を交わしたところで揺らがなかった。

「僕を屠っても、また新たな神が誕生するだけだよ?」
「だから?」
「神殺しの鬼神って呼ばれる男の妻になった羽音ちゃんが、かわいそうだと思わないの?」
「軽々しく彼女の名を呼ぶな」

 藤郷は忌々しい男に向かって、己の異能を発現させる。
 当然大鴉も背中に翼を生やして空中に逃げ果せようとしたが、炎の勢いが強すぎてうまく羽ばたけない。
 彼は眉を顰めながら、苦しそうな声を吐き出した。

「あの子は人間だよ。百年生きられたらいいほうだ。心を通じ合わせたって、幸せな時間は永遠に続かない」
「いいや。俺が命を落とすその日まで、羽音とはともに生き続けるさ」
「あやかしに、生まれ変わらせるの……?」

 大鴉は驚いていたが、この話には前例がある。
 前代未聞の話ではないのだ。
 四柱国の南を守護する大熊は100年前に運命の相手を見つけ、禁呪を使っている。
 300年後は次代に神の座を明け渡すか、生贄の娘を神候補の青年に譲ると言う話で合意が済んでいた。

「もう二度と羽音は転生させないし、誰にも渡さない」
「4000年目の悲願、ねぇ……。なら僕は、この命を賭けて君に呪いをかけようじゃないか」
「西鳥羽音と、鬼――」
「失せろ」

 藤郷が真名を言いかけた男に向かって低い声で吐き捨てると、大鴉の身体を焼く炎の勢いが強まった。
 言葉すらも発せなくなった彼の姿を確認すると、鬼神は踵を返す。

  (炎の牢獄に囚われたまま、一生苦しめばいい……)

 大鴉は命を奪われると思っていたようだが、一瞬であの男を楽にしてやるつもりなどなかった。

  (羽音を苦しめる妹は報いを受け、大鴉は無効化し、西鳥は壊滅した。これで俺の愛しき妻を不相応にも取り戻そうと目論む輩は、誰一人いない……)

 羽音の前では見せられない仄暗い笑みを浮かべた藤郷は、歩き出す。

  (帰ろう。愛する妻が待つ、我が家に)

 己の異能によって焼け野原となった西鳥の裏山に大鴉だけを残し、鬼神は静かに姿を消した。