「あんたは今日から無音(むおん)! 私は羽音(はおん)よ!」

 ――ここは東西南北に別れ、4つの名家が実権を握る国。

 鬼神を祀る東の鬼東(おにあずま)
 大鴉(おおがらす)からの守護を受ける西鳥(にしどり)
 大熊(おおくま)に守られし南熊(なぐま)
 龍神に愛されし北龍(ほくりゅう)――。

 それらの家は100年に一度、代わる代わる異能を持たぬ「無能」の娘を生贄に捧げてきた。

 ――8年後には、西鳥の番がやってくる。

 10歳の羽音はある日突然、自分とよく似た顔を持つ一卵性双生児の妹、無音に名前を奪われた。

 姉はすでにその名に恥じぬ、背中へ羽根を生やす力に目覚めていたと言うのに……。
 妹は異能開花の節目を迎えても、異能を発現できなかったからだ。

「みんなに、嘘をつくと言うの……? そんなの、無理よ……!」
「どうして? あたし達は、いつでも一緒にいるじゃない!」
「そうだけど……」

 羽音は納得できないと視線を下に移し、何か言いたげに俯いた。
 そんな姿を目にした無音は、目を吊り上げて怒り狂う。

「何? あたしに逆らうつもり?」

 彼女を怒らせたらどうなるのか――10年も一緒に生活していれば、よくわかる。酷い目に遇わされたくなくて、姉は名前の交換を了承してしまった。

「今日から、私が無音……」
「そうよ? あんたが無音。異能を開花出来ず、8年後に大鴉へ生贄として捧げられるの!」

 双子の姉妹は、いずれ一人になる。
 それは二人がこの世に生を受けた時から、定められた運命だ。
 だが――羽音はどうしてもそれを納得できなかった。

「二人で力を合わせれば……。そんな悲しい運命を、破ることだって……」
「はぁ? 何言ってんの? 生贄を捧げなかった年、この国がどうなったのか……! 知らないとは言わせないわよ!」
「きゃ……っ」

 無音に胸ぐらを掴まれた姉は、勢いよく背中を土の上に叩きつける。
 上半身に乗りかかってきた妹は、瞳を爛々と輝かせて名前の交換が成立したのを喜んだ。

「ああ、やっと人々に見下される生活が終わりを告げるのね……! 今日からあたしが、あんたを虐める番! 今までみんなから酷い扱いを受けた分だけ、やり返してあげるわ……!」

 嗜虐的な笑みを浮かべた無音は、こうして羽音の名を騙り――西鳥家で寵愛を受ける娘として成長した。

 *

 ーーあれから、8年の時が経つ。

 美しく成長した双子の姉妹は、同日に生まれたのが嘘のようにまったく異なる扱いを受けていた。

「まったく同じ顔なのに、全然雰囲気が違うのね」
「陰気臭い態度を見せるくらいなら、地下牢から出てこなければいいのに……」
「仕方ないわ。羽音様はあの子を、慕っているようですもの……」

 姉の羽音は異能を持って生まれたにもかかわらず――異能を開花出来なかった無能として、親族から心ない視線に晒されている。

「おばさま達ったら、酷い! もうすぐ無音は、大鴉様に嫁ぐのよ? その時まで一緒にいたいと思う気持ちを、悪く言うなんて……」

 その隣で満面の笑みを浮かべるのは、妹の無音だ。
 姉の味方は自分だけだと言わんばかりの態度を見せて、彼女は親族達からの好感度を高めていた。

(天使のような悪魔とは、まさしく無音のような子を言うのね……)

 どこか遠くを見つめながら考えた羽音は、無言で俯く。
 ここで反論したところで、なんの意味もないとわかっていたからだ。

(私の役目は、みんなにあの子が力を使えないのを知られぬよう……。背中に羽根を生やすことだけなのだから……)

 無音として生きるのを強要された羽音が何を言ったって、無駄だ。
 親族達は姉妹が入れ替わっているなど夢にも思っていないのだから。

(私が堂々と異能を発現させれば、入れ替わりが白日の元に晒されるけれど……。そうしたら、あの子が生贄して大鴉に嫁ぐことになるもの……)

 彼女が屈折した思いを抱えて残虐な性格になったのは、異能開花をできなかった無音に心ない言葉を投げかけた人々のせいだ。

(私は、まだ大丈夫……)

 妹には無理だとしても、自分なら我慢できる。
 いや、何があっても耐え忍ばなくてはならない。

(姉妹のうちどちらかが生贄に捧げられるのを避けられないなら、この子だけでも幸せになってほしいもの……)

 羽音はそんな願望を胸に抱きながら自分自身に言い聞かせ、大鴉へ生贄に捧げられる日を静かに待ち続けた。

「ごめんよ、羽音ちゃん。泣かないでくれ」
「私達が悪かったわ」
「わかればいいのよ! わかれば! 無音! 行こう!」
「あ……っ」

 親族達の視線から逃れるように姉の手を引っ張った妹は、強引に彼らの輪から外れる。
 そうして連れて来られたのは、親族会議が行われていた部屋から遠く離れた中庭だった。

(ここにはあまり、いい思い出がないわ……)

 羽音の表情が、さらに曇る。
 ここは、自らの名が奪われた場所だから――。

「いつも言ってるでしょ!? 親族会議の時は、満面の笑みを浮かべろって!」
「きゃ……っ!」

 先程まで機嫌のよさそうな笑みを浮かべていた姿はどこへやら。
 手首を掴む指先をパッと離した無音は、バランスを崩して土の上に転がった羽音を仁王立ちで蔑んだ。

「ほんっと使えないわね……。あたしの苛立つことばっかして……!」
「ご、ごめんなさい……っ」
「謝れば許してもらえると思ったら、大間違いなんだから!」

 大声を上げて姉を罵ると、妹は吐き捨てる。

「明日になれば、ようやくあんたがいなくなるのね!そう思ったら、清々するわ……!」
「無……」
「その名前で呼ばないで!」

 双子の入れ替わりを知るのは、自分達だけしかいない。
 本来であれば、異能を持たずに生まれた妹の方が迫害を受けるべきだとわかっているからこそ――。
 嘘が見破られるのを恐れた無音は、羽音に本名を呼ばれるのを酷く嫌っていた。

「は、羽音……」
「化物に娶られて無惨に死ぬ、あんたの姿を見るのが楽しみだわ!」

 無音は高笑いを響かせながら、羽音を中庭に一人残して去って行ってしまった。

(この地を守護してくださる、大鴉様を悪く言うなんて……)

 なんて罰当たりなのかと考えながらも、妹のことを責めてばかりもいられない自分がいることに気づいた。
 明日には彼の元へ嫁ぐのかと思えば、身体が小刻みに震えるのを止められなかったからだ。

(でも、そう思うのも無理はないわ……。大鴉様は生贄に捧げられた花嫁を食らうと、有名ですもの……)

 妹が瓜二つの姉と成り代わり、生贄に捧げられる未来を回避しようと目論んだのも無理はない。
 西鳥を守護する大鴉は、残虐な性格をしていると有名なのだ。

(彼の機嫌を損ねたら、一瞬で命を奪われてしまうわ……。あの子は我儘だから……。きっと、数分持てばいい方ですもの……)

 だが――8年間妹に成り代わり続けた姉は、人生に絶望するほど悲観していなかった。
 彼の元へ嫁ぐ羽目になったとしても……。
 大人しい性格をしている自分ならば、無音よりは長く生き長らえる自信があったからだ。

(最悪の場合は異能を発現させて、逃げればいいだけだわ……)

 力を持たぬ妹には出来ないことでも、異能に目覚めた事実を隠している姉ならばいくらでもやりようはある。

(怯える必要なんて、ない……)

 羽音は自然と瞳に浮かんだ涙を拭う。
 その後土埃で汚れた着物の汚れを手で払ってゆっくりと立ち上がり、自室に向かって歩き出した。