ピピー! と笛の音が響くグラウンド。
 別々な場所で行われた応援団の練習が終わり、駿は今日も気分スッキリに音楽室へ行ったのだが。
「疲れた、マジで面倒くせぇ」
 ピアノに額を預け、もたれ掛かるように脱力している奏に駿が苦笑した。
 長期間というほどではないけれど、放課後の練習はそれなりに行われる。すでに何人かサボり始め、フェードアウトした連中もいるだろう。だがそこはもう気にすることなく、穴は穴として諦めているところが流石不良校といったところか。
 元々この高校の行事は何でもありなのかもしれないと、一年生である駿は悟り始めた。
「ダルいし、ガチでつまらねぇ。喜ぶやつは頭狂ってんだろ」
「楽しんでる奴がここにいますけど」
「お前はもうネジどころかネジ入れる穴すらねぇだろ」
「そもそも体育祭自体消え失せろよ」と毒を吐く奏に、駿は噛みつくことはせず呆れながら少し笑った。
 そう。フェードアウトした人がいるのだ。きっと奏もそれに気付いているだろうし、それが許されることも分かっている。
(でもちゃんと参加してんだよなぁ、こいつ)
 毎度毎度文句を言いながらも続けているのだから、これくらいは許してやろうと思ってしまう。
「つかあの拍子なんだよ。手で叩いてんだろ、なんでどんどんズレてくんだよ。体内メトロノームどうなってんだ」
「フツーの人は体内にねぇよ、そんなの」
 ちなみにメトロノームとはテンポを刻む道具というのは最近知った。
 一応それなりに突っ込みは入れておいて、駿は床に下ろしていたカバンを机に置き、チャックを開ける。
「そういえばさ、練習の後に腹減るっつってたじゃん? だからちょっと持ってきた」
「んぁ?」
 奏が顔を上げる。
 駿は「じゃーん!」と満面の笑みで見せつけるように掲げた。
「ゼリー棒!」
 細長い、筒のようなものに入っているゼリーだ。量が多いわけではないけれど、吸って食べるのに時間が掛かるし、なにより久しぶりだ。食べるのは小学生以来だろう。
「スーパーにも普通に売っててさ、あるもんなんだな」
 昔ほど探さなくなったから気にしなかった。
 きっと奏も懐かしがると思っていたのだが、彼はきょとんとしたまま首を傾げた。
「なんだそれ」
「え、知らねぇ? 昔食わなかった?」
「食いもんなのかよ、すげぇ色じゃね?」
 懐かしむどころかいぶかしげな表情になり、駿の方が驚いてしまった。もしかしたら地域によって食べる菓子の傾向が違うのだろうか。彼がどこに住んでいるのか聞いたことはないけれど。
「それ食えんの?」
「食える食える」
 まぁ菓子は知っても知らなくても何も問題ない。
 駿は疑いの眼差しのそれに笑って答えた。
「まぁ味はそこまで美味いわけじゃねぇけどさ」
「やっぱマズいんじゃねぇか!」
「いやこういうのは味うんぬんじゃねぇから!」
「ほら」と水色の棒を差し出す。すると彼は隣りの席に移動し、受け取る。そして駿の真似をして蓋をちぎり、せーので口に含んだ。
「…………」
 イケメンがゼリーを吸い込む姿というのは、なんとも微妙な光景だ。
 指で押しながら食べる駿だが、奏は本当にただ吸うだけで、食べ方が全然ピンと来ないらしい。そのイケメン面を歪めて駿を睨んでくる。
「やっぱ騙したろてめぇ」
「騙してねぇよ!」
 まさかそこまで分からないとは思わなかった。
「……もしかしてさ」
 駿は奏に聞いた。
「あんまお菓子とか食わない感じ?」
「あ?」
「いや、ゼリーとか……プリンとか?」
「あー、そうだな」
 奏は頷く。
「そういうの食わねぇかも」
「小学生の時とかは? おやつとかあったろ」
「ねぇよ。親がそういうのに感心無かったからな」
「……そうなんだ」
 だからこのゼリーも分からなかったのか。
(お菓子とかに感心が無い親か)
 よそはよそ、うちはうち。という言葉があるように、家庭なんてそれぞれだろう。温かい家もあれば、冷たい家だってある。そのことを知っているからこそ踏み込んで聞いていいものなのか正直迷ってしまう。
(話したくないこともあるだろうし)
 どちらかといえば、俺も進んで家の事情を話そうとは思わない。
「――――ん、吸えた」
 駿が悩んでいるあいだに奏はようやくゼリーが吸えたらしい。
 口をもごもご動かして、何かを探るように食べている。どこまでも怪しむようだ。
「あー……まぁ、美味い?」
 ゼリーに対してそこまで真剣に考える奏が面白くて「あはは!」と笑ってしまう。
「言ったろ? 味はそこまで美味いわけじゃねぇって」
「でもお菓子なんだろ? これ」
「お菓子だからって全部が全部美味いわけじゃねぇよ」
 なかには遊び的なものだけで、不味いものもあるのだと説明したら彼は驚きつつも怒っていた。
「お菓子なら美味いべきだろ!」
「美味いべきってなんだよそれ……あ、じゃあさ!」
 ガタンと立ち上がる。我ながら良いことを考えた。
「おやつパーティーしようぜ!」



 応援団の練習のあと。
 いつもの音楽室で駿は机を数個くっつけて、親から借りたエコバックで持ってきたお菓子を全て並べた。
「じゃじゃーん!」
「おおー」
「俺セレクトでーす」
 ポテトチップスやクッキー。グミ、ポッキー、チョコレートなど、沢山の種類を用意した。
 一緒に買い物に行って用意しても良かったけれど、今日はオススメの菓子を食べてもらいたいということで、駿の独断と偏見での選択だ。
「どれか見たことある?」
「どうだろうなぁ、俺も興味あるわけじゃねぇし」
「スーパーとかでも見ねぇの? お菓子コーナーに行くとか」
「まずスーパーにも行かねぇ。飯は親が用意しておいてくれるからな」
「ふーん」
 おやつの時間が無かったということで、家庭崩壊とかしているのかと思ったが、そこまでではないのかもしれない。
 『これで好きなものを買って食べなさい』というメモ書きとお金が置かれている、という感じではないらしい。
「気になる? 俺の家庭」
「えっ⁉ あー、まぁ……」
 どうやらバレバレだったようだ。だが奏は嫌な顔をすることもなく「そうだな」と、どう説明するか、虚空を見ながら考え始めた。
 表情を歪めることはない。あからさまなものはない。むしろその逆だ。
「あの人たちは、俺自身に感心があるわけじゃねぇんだよ」
 怖いくらい冷たい無表情だった。
「用があるのは俺じゃなくて、ピアノだけ」
「ピアノ?」
「そう」
 そこでようやく笑う。
 心底バカにしたような鋭い笑みは、両親に向けられたものか。それとも、
「俺がピアノさえ上手く弾いてれば何だっていいんだよ」
 自分自身か。
「あーあ、つまんねぇ話ししちまったな」
 伸びをする奏は、もういつも通りの雰囲気だ。それに駿の方がブンブンと腕を横に振った。
「いや、俺の方が聞いたんだし!」
「はは、お前って嘘つけねぇタイプだよな、ほんと」
 ポンポンと頭を軽く叩く。いつも奏は頭を撫でたりする。クセみたいなものだろうか。でも子供扱いをしているわけではないし、実は駿はその手がお気に入りだったりする。
「んじゃ、お菓子の方をいただきますかね」
 二人で並ぶ菓子に視線を戻した。
 改めて見ると、結構な量を買ったと思う。
「いま気になるやつは?」
「んー、駿はどれが一番好きなんだ?」
「俺? そうだな……意外とグミも好きだぜ!」
 よくケンカをするため、家に帰る前にお腹が空くことが多々ある。買い食いして腹を少し保たすこともあるけれど、たまにグミなんかをカバンに入れておいて食べたりもするのだ。
「へぇ……」
 てっきりオススメしたグミを食べるのかと思ったが、伸ばされた奏の手はその隣りのクッキーを取った。
「んじゃこっち」
「おい、そこは普通グミだろ」
「いただきまーす」
「おいこら」
 駿を無視してベリベリと箱を開ける奏。その表情は彼が好きな曲を弾いている時と同じもので、どうやら楽しんでくれているらしい。
(良かった)
 菓子を食べたことがない奏に楽しんで欲しくて計画したものだ。内心安堵の息が零れる。
 彼の家庭がどんなものなのか正直全然分からない。
 奏じゃなくてピアノに用があるってどういうことだよ。ピアノさえ上手く弾いてればいい? 楽しく弾いていればじゃなくて?
 どうであれ、家庭とピアノは切っても切れない関係で、あの言い方からして奏はきっと両親のことはあまり好きではないようだ。
(ただ楽しく弾いてるだけじゃダメなのか?)
 辛い環境、苦しいことでも困ったことでも、何か話してくれれば全力で助けたいし手伝いたい。
 でも全てを語らなかったということは、今は話したくないということなのだろう。ならばもうただ奏が楽しそうにしてくれるのが一番だ。
「ど? 美味い?」
「美味い」
 一つ食べては次を開け、それを一つ食べては次を開けている。小分けじゃないポテトチップスとかどうするのかと思ったら、開けたまま次に行くという暴挙――まぁ、余ると思って輪ゴムとか持ってきたから問題ないけれど。
 途中ケホケホと咳をし出して、待ってました! と駿はペットボトルのコーラを渡した。
「おら、罪深き炭酸」
「あ? どういうことだよ」
「カロリー的な?」
「ふーん」
 プシュっと音を立てて開けて一気にゴクゴク飲んでいく。
 良い飲みっぷりだが、途中再びむせ込んだ。大丈夫かと背中をさすれば、奏は舌を出した。
「めっちゃビリビリする」
「お前、炭酸飲むのも初めてか?」
「いや、どっかで飲んだ気がするけど……覚えてねぇ」
「炭酸苦手なくちか」
「でも美味ぇよ」
 そう笑ってまた、今度はコーラを一口だけ飲む。
 机を見れば、用意した菓子はほぼほぼ蓋を開けてあるようだ。
「どのお菓子が気に入った?」
「ん? 全部」
「全部⁉ 欲張りだなぁお前」
 ケラケラ笑ってしまう。
 今まで食べたことがなかったからだろうか。どうやら全てお気に召してくれたらしい。俺が好きなものを用意したから嬉しい限りだ。
 しかし奏は「ちげぇよ」と首を横に振った。
 菓子から視線を上げて奏を見れば、嬉しそうな笑みを浮かべてこちらを見ていた。
「お前が俺の為に用意してくれたのが嬉しいんだよ。だから全部俺のお気に入り」
 奏は続ける。
「俺がいないところで俺のこと考えた時間があるってことだろ?」
 優しい笑みが、駿の瞳に映る。
 反射して輝いて、風が吹いたわけじゃないのに心に何かが入り込んで満たしていく。
 彼が楽しそうだったら嬉しい。笑顔だったらもっと。
 でもこれは彼を満たすものではなくて、俺の方が満たされるもので。
 言葉が、感情が、心が。
「お前がくれたものも、してくれたことも、俺は大切にしたい」
 溢れて、揺れる。
「……っ」
 ハク、と口が動いたけれど言葉が出ない。でも顔が熱いのが嫌でも分かる。
(なんか、ヤバい……)
 胸がザワザワするのに、広い海が柔らかく波打つように甘い感覚。
「そ、そっ、んなこと言うから、周りから王子って呼ばれるんだぞ」
「他の奴はどうでもいい」
 逃げたいのに、逃げたくない。
 受け入れたいのに、押し返したい。
「好きなものは好きだって言っていいんだろ?」

――――お前、名前は?

「お前が教えてくれた」

――――駿、お前のために弾いてやるよ

「…………は、はずかしい、やつ」
「まぁな」
 なんとか絞り出して言えば、彼は肩を揺らして笑う。でも実際見たわけではない。ただ吐息で分かっただけ。
「駿」
「えっと、その……」
 泳がせた視線が奏に戻せない。
 困っているわけじゃないのに、どうしたらいいのか分からない。
(ちがう)
 分かっているから、出来ないだけ。
「…………」
 何も言えない駿に何かを言うことはせず、奏は最後にひとつ。蓋を開けていなかったグミを取った。
 封を切り、一粒だけ彼は自分の手に乗せる。そして残りを全て駿に差し出した。
「ほら、どうぞ」
 どれが一番か聞かれて、答えたそれを。
「……ありがと」
「おう」
 奏は口に放り込むように投げ入れ、
「うん、ほんとだ。美味い」
 と、笑ったから。
「…………そうだろ?」
 ようやく俺も笑うことが出来た。



③甘い――終了