キンコンカンコンと学校定番のチャイムが鳴った。
 生徒が走り回る廊下の壁に落書きは無いものの、黒ずんだ箇所は何個もあり、足跡がくっきり付いているところもある。
 談笑する女子生徒は金髪の髪の毛に短いスカート、化粧とネイルで自身を煌びやかに輝かせ、男子生徒も負けじと香水やピアスで着飾っている――――その姿はお世辞にも褒められた高校生とは言えないだろう。
 ここは偏差値が低い、誰でも入れるカースト高校で、不良校と言われている学校だ。
 その一年の教室で、駿は席に座りながら「くぁ」と欠伸をした。ついでに伸びをすれば、パキポキと軽く骨が鳴る。
「おいーっす」
「ういーっす」
「んぁ?」
 背後からの声に首を動かせば、そこには後ろの席のクラスメイト、廣嶋 隆志(ひろしま たかし)と夢三沢 鉄次郎(ゆめみざわ てつじろう)が登校してきたところだった。
「もう昼だぞ。今日はもう休みなのかと思ったわ」
「遅くまで夢三沢とゲームしてたら寝坊した」
「その割に今日もきっちり髪型キメてきてんじゃねぇか」
「あったりめぇよ」
 廣嶋は真っ黒な、整えられたリーゼントを両手で整える仕草をしながら、鼻高々に笑う。
 彼はこの髪型に命を賭けていると言っても過言では無く、セットするのに一時間以上掛けるのだとか。
 その反対に夢三沢は中学の頃の元野球部ということもあって、綺麗な坊主頭である。
「夜遊びもほどほどにしとけっての」
 すでに彼らは遅刻常習犯、そしてサボり魔だ。他の高校ならば教師に呼び出されているだろう。反省文の一つもないここは流石不良高という名で通っているだけある。
「あぁ? 俺らに説教か?」
 教科書が入っているかも怪しい、軽そうなカバンを床に落として廣嶋は駿の後ろの席にドカリと座った。
 下から覗き込むようにガン垂れる。リーゼント効果もあり、それなりの威嚇だろう。
「偉そうにしてんじゃねぇよ、チビっ子詐欺野郎」
「……あ?」
 ヒクリと駿は口角を引きつらせながら鼻で笑い、そして目にもとまらぬ速さで廣嶋の手を取った。
「てめぇ、今なんつった?」
 だがその腕を引っ張ることはしない。ただ机の上で手のひらと手のひらを合わせ、強制的に腕相撲の形にし、中央でピタリと止めた。
「う、ふぬぅ!」
 突然の腕相撲に抵抗しようと廣嶋はぷるぷると震わせながら腕に力を入れるが、駿の手はピクリともしない。
「おうおう廣嶋クンよ、いーま、なんつったって聞いてんだよ」
 駿の腕は倒されることなく中央にあるままだが、少しずつ握る手を強くしていき、締め上げる。もう見た目からギュウという効果音が聞こえるそれに「ギブギブ!」と廣嶋は白旗を揚げた。
「悪かった! 柳場はチビじゃねぇです!」
「ふん」
 駿は手を離す。
「次、背ぇ低いっつったら顔面グーパンな?」
「う、ういっす。すんませんっした」
「ひえぇ……」
 二人の様子を夢三沢は怖そうに震える。高校生男子の平均身長よりも低い駿に、その類いの話は御法度なのだ。三人の中で一番身長の高い夢三沢はいつか後ろから刺されるのではないかと心配してしまうほどである。
 だが今のやり取りを見ていたクラスメイトたちは、怖がるどころか「おいー」と外野から声を掛けてきた。
「もっと頑張れよ廣嶋」
「ヤンキーの底力見せてやれって」
「じゃあてめぇらが相手してみろよ! びくともしねぇんだぜマジで!」
「おっ、誰か腕相撲すっか? 勝負すっか?」
 目を輝かせながらカムカムと手を動かす駿だが、周りは苦笑する。
「無茶言うなよ」
「出たよ柳場の勝負バカ」
「お前と腕相撲したら骨折どころの話しじゃ済まないって絶対」
「えー、なんだよー」
 ガッカリしつつもクラスメイトを見て、「でもまぁ」と笑った。
「お前ら非戦闘員だもんな」
「別に俺も戦闘員ってわけじゃねぇよ⁉」
 廣嶋からツッコミが入るがそれはまるっと無視である。
「つかスイッチ入ったから、何か勝負しようぜ!」
「ヤバ、どうすんだよ。誰だよスイッチ入れたの」
「廣嶋のせいだろ」
「てめぇらは逆にもっと俺のこと怖がれよ!」
「ちょっと柳場君、気分落ち着けよっかー」
 笑いながら、まるで子供をいさめるように女子がそう言うと、ピロンと音がした。何かと思えば、いつの間にか教卓の上に細長いスピーカーが置かれている。
(ん? なんだ?)
 どういうことかと女子がスマホを何回かタップするのを見守っていると。
「じゃーん、不良犬の新曲でーっす!」
「――――っ!」
 そのスピーカーから己の歌声が流れ始めた。
(うそ、マジで、ヤバくね、どうしてだよ!)
 突然のことに駿はガタンと立ち上がり、「う、マ、ヤ、ど!」と、心の中の声の頭文字だけが口から零れた。
「あ、柳場君もこれ聴いた?」
「今回のもいいよねー」
「同じ男とは思えねぇ喉してるよな」
「でも所詮本家ありきだろ」
「あー、そういうこと言う? 本家をリスペクトした上での歌い手でしょうが」
「俺は不良犬の歌い方、好きだけどなぁ」
「ってか、歌とか関係なしにファンが強火でちょっと怖い部分ある」
「分かるー。でもそういう私も不良犬を推す女」
 それぞれが話し出す教室で、駿だけがダラダラと冷や汗をかく。
 今までだってクラスメイトが不良犬の話しをしているのを聞いたことはあった。だがここまで大っぴらに話していなかったし、こんな学級会の話題みたいな感じになったことも無かった。
「なぁ、柳場は不良犬の歌はどれが一番好き?」
「え? あっ、えーっとデスネー」
 ゆっくりと席に着く。
(落ち着け俺。適当に話しを合わせるだけでいいんだ)
「最近の、曲も、イイと、思いマスヨー? エエ、選曲とか、ナイスぅ」
「それ! 選曲も良いよね!」
「っ! だよな! 良いよな!」
 そうなんだよ! 鈴音の選曲がピカイチなんだよ! 評判が良いのは鈴音のセンスが光ってるからで!
(――って言えるわけねぇだろ!)
 口から出そうになった言葉を駿は両手を使って口を塞いだ。ギリギリセーフだ。
(このままじゃマズイ)
 何か別の話題は無いだろうか。不良犬から話しを逸らしたい。
「あの、エー、あっ、夢三沢クン」
 ふと視界に入った彼を呼んだ。
「はいっ」と背筋を正す彼は廣嶋と幼馴染みらしい。廣嶋の誘いもあり、この高校でヤンキーデビューらしいけれど、まだ野球部の名残が残っている。
「今日の放課後は、暇カナ?」
「うん、別に……っ、暇じゃないです」
 普通に返してきたところで、何かを察したように首を横に振った。入学してから現在までの経験で駿が何をしようとしているのか分かったのだろう。
「ほら、それに俺、寝不足だし」
「この前ゲーセンで絡まれてたのを助けた時、借りは返すって言ってたよな?」
 話しを逸らしたいが為の話題だったが、だんだん調子を取り戻してきた。いや、それ以上にワクワクしてきてしまった。
「今日の放課後、俺とタイマンでケンカしようぜ!」
「ええぇ……お前のそれはボクシングって言うんだよ」
「気乗りしねぇ?」
「しねぇっつうか、柳場のそれはケンカじゃねぇんだってば」
「ケンカだろ? 殴り合い! 男の拳! 言葉無きコミュニケーション!」
 血湧き肉躍る! という言葉はなんと素晴らしいんだろう! まさにこういうことを言うのだ!
 まだ不良犬の曲が流れているが、もう駿の耳には入らない。クラスメイトは「やっぱダメだったか」と苦笑した。
「かっけぇじゃねぇか! な? いいだろ? 気分じゃねぇなら廣嶋も一緒でいいからさ」
「俺を巻き込むな!」
「もう無理だよ廣嶋。こいつのケンカ好きは不治の病だから……」
「はぁー、くっそ」
 廣嶋と夢三沢は頭を抱える。
 ヤンキーなのにケンカをしたくないなんて。
 ヤンキーなのにクラスメイトに怖がられないなんて。
 これも全部全部、柳場駿のせいである。
「入学式にケンカなんて売るんじゃ無かった」